第11話 リンカ
矢切はヘッドフォンをつけて音楽を流しつつ、ゲーム概要の資料をまとめていたが、やがて確認を終えたらしい伏野が、結果を口頭でも報告してくれた。
「ええと、ボイスの件ですが収録する予定とのことです。台本はシナリオから変更箇所があるなら、八月の頭までに挙げておいてくれればいいと」
「八月って三か月後か……」
矢切は、台本を作成することになったらもっと急かされるだろうと考えていたので、嵯峨の返答は意外だった。
「付け加えてなんですがね」
と伏野は苦笑して、これはもう説明済みの事と前置きされた上で聞いた嵯峨の話を伝えてくれた。
「リメイク版アニメのシーンとそこで使われてるボイスを、二次使用料を払って流用するので本編声優さんの新規収録はないそうです。このゲームで新規登場するキャラのみ収録するそうで」
嵯峨は、予算の関係もあって、新規収録のキャラもスケジュールが抑えやすく、ギャラも安い若手声優を使う意向である……。
「せこいなあ」
矢切は、そう言いながらもリメイク版のアニメでは、起用されている声優陣は業界に名前が知れ渡っている人を多く起用したものの、結局人気は出ず、製作側の「新規の若手ファンを掘り起こす」という目論みは達成されないまま一クールで打ち切りになった事実を思い起こした。
「矢切さん、とにかくシナリオは今あるものを使う形で、ゲーム概要の資料をまとめてもらえますか」
「わかったよ」
矢切は、伏野がまとめてくれた打ち合わせ結果のテキストをベースにし、二日かけてゲーム概要を作成してアップすると、伏野にそれを伝えた。
後はよろしくと思った矢切だったが、伏野がそのゲーム概要のすりあわせをやろうというので、渋々といった体で矢切は再びプランナー同士の打ち合わせに参加した。
伏野は、矢切が作成したゲーム概要を、頭から読み上げては、確認や質問を浴びせてくる。
矢切がイメージが思い浮かばずに文章で濁しているところや、ごまかしを言語化した箇所などもいちいち挙げて、これは具体的にどういうことなのかと確認してきた。
「この、ゲーム進行の箇所の要素、これなんか足りてなくないですか? 具体的に言うと、ステージが進むとどうなっていくのかの説明が無いですね」
「このゲーム進行の説明のところですが、きちんと開始、進行、終了のステップに分けて記載した方がいいと思うんです」
「挙動はすべてをリストアップする必要はないと思うんですが、主要なアウラ・ハントを系統別に分けて記載しておく方が、こんな機体もあるのかというのをスタッフに明示できると思います」
そういった伏野のツッコミを受け、面倒くさいとは思ったものの、矢切は彼に反発を覚えなかった。
伏野は、必ず問題点を挙げるのではなく、そこがどう問題なのか、具体的にどうしたらいいのかという自分の意見も必ずセットで提示してくる。
その物言いも、上から目線では無く、だからといって媚びるでもない。フラットだと矢切は感じた。
だから、提案されたものに対して、矢切はいいとと思えばいいと素直に応じることができたし、違う、と思うものについては自分の思うところを素直に述べることができた。
伏野は矢切の意見をさらにかみ砕いて、「こうですかね」「ああですかね」と何度も言い換えてはホワイトボードに書き出していった。
一時間でホワイトボードは文字だらけになったが、矢切はゲーム概要をどう修正すべきかはっきりとその道筋を見いだすことができるようになっていた。
「これでゲームの全体像がある程度明確になりましたね。後はこれを仕様化していくことになりますが、その前に今度はスタッフ全員で、これについてレビューとすりあわせをしましょう」
「あー……それは別にいいんだが」
前戸がいる。彼の口から彼らの耳に入れば、めんどうくさいことになるかもしれない。
「今日中に概要修正できますか?」
「たぶん」
「では、明日、お昼前に全員で打ち合わせやっちゃいましょう」
「了解です、僕がまた会議室おさえておくッス」
企画セクションに限っていえば、雰囲気が少し明るくなったと矢切は感じた。
伏野はここまで積極的に動く男だったろうか。
まじめだがそれだけが取り柄の、これといった特徴の無いプランナーだったくせに、今の彼は常に明るいというだけではなくて、プロジェクトを引っ張っていく姿勢を見せている。
思い返してみると、彼と仕事をしたのはもう三年以上前。
人が変わるには充分な時間だった。
矢切は、これ見よがしに仕切るタイプの人間が好きではない。
自分からは前には出ないくせに、プロジェクトを引っ張る人間にはケチをつける。
それが矢切という男の性根だったが、伏野誠太郎に対しては、その様な負の感情を抱いていないことに彼は気づいた。
まあ、最初から伏野にはこういう面倒くさい仕事だけを押しつけるつもりだったので、矢切としては願ったり叶ったりではあるはずだ。
それでも、前を歩く伏野の背中を見ながら、今度は彼と自分との差に気が付き始めた矢切は、そこで憮然とした表情でだらだらとオフィスへの通路を歩いた。
翌日のお昼休み一時間前、三階の会議室にプロジェクト『HSG』のメンバーが全員が集まり、ゲーム概要についてのすりあわせが始まった。
打ち合わせの進行は伏野が進めてくれたが、肝心のゲーム概要の説明は矢切に任された。
淡々と、まただらだらとした彼の説明に、金矢や鳥羽はもちろん、堀倉や林田も面白くなさそうな顔つきで資料をめくり、真上は興味なさげに資料の同じページの同じ箇所をじっと見つめている。
矢切の説明にツッコミを入れてくるのは金矢ばかりで、それに対する返答で詰まったり、曖昧になった箇所については、適宜伏野がフォローを入れてくれた。
それでも、金矢と矢切のやり取りはだんだんと硬くなり、互いに
「以上、矢切さんが説明してくださった形を目指して、仕様を変えていこうと思いますが、どうでしょうみなさんの見立ては」
金矢が再び発言する。
「さっきの繰り返しになるが、『エアーコンバット』のゲーム中のボイスの制御はかなり面倒くさいことをやってる。意図通りにテキストが流れるようにするには、専用の仕組みを作らなきゃならん。それができたとしても、テキストを始め、演出の制御はプランナーにやってもらうことになるが、本当にできるのかね?」
伏野が答える。
「『エアーコンバット』ほどのボリュームにはできないですから……。アレのボイスやテキストは、メインストーリーのためのもの、状況説明のもの、賑やかしのもの、の三系統がありますが、今回ウチで必要となるのは『メインストーリー』と『状況説明』の部分です。シナリオで用意されたところのみで」
「それでうまくいくのかねえ」
金矢はなおも懐疑的だったが、伏野が続ける。
「とりあえず、実装してみなければわからないというところまでは来れたんじゃないでしょうか」
空気が悪くても、伏野の声はあくまで明るい。
今し方まで「悪態をつく」、という表現の生きた実例だった金矢はボリボリと頭をかいてしばらく黙っていたが、
「まあ、いいんじゃないの」
とぼそっとつぶやいた。デザイナー陣三名は、ほとんど何も発言していない。
「個々の要素は、きちんと仕様書に起こしてくれ」
そう続けた金矢に、伏野はもちろんですと答え、プログラマー担当の区分を確認した。
「メインのゲーム部分とアウラ・ハントの実装は俺、メニュー関係を鳥羽、その他細かいのは適宜
矢切は、冷静に考えてプログラマーの数が足りないのではないかと思った。
プログラムと一口に言っても、共用する部分や、データを実装する受け入れ部分やデータ入力の仕組みやエディタの作成など、成果として目に見えづらい作業もプログラマーには多いのだ。
いくらベースがあると言っても、金矢自身が、冒頭で「作りが汚くて作り直した方が早い」と言っていたし、今後も修正点や変更点が続々と増えていくのは間違いない。
それに加えて新規で追加する仕様も実装しなければならない。
原はまだ新人で、戦力としては半人前扱いだろう。
全体を統括するプログラマーが一人、メインゲーム部分が二人、メニュー関係が一人、最低四人は必要だというのが、矢切のこれまでの経験から得た感触だった。
「あー……プログラマーの数足りないんじゃないすかねェ」
矢切は基本的に度胸は無いが、メンタルの強さが長所でもあり短所でもあった。
空気を読まずに直球な発言をする。
語尾に嘲笑を混ぜて真剣味を薄らせることも忘れない。
それに対して、金矢はじろりと矢切をにらみつけた。
「そんなこた言われるまでも無いよ。でもこの人数でやれって言われてる以上しょうがないでしょう」
「余計なことはしないでチャッチャと終わらせましょう」
金矢に続いて鳥羽も冷淡に言い放つ。
この鳥羽という男は、いつもこの調子だった。
とにかく仕事が増えることを嫌い、定時になると無言で一人、とっとと退社する。
せっかくゲーム概要もまとまってやる気が出てきところに、このプログラマー連中が相手ではやる気が下がるじゃねえかと心の中で毒づいたところ、伏野が明るく言った。
「まあまあ、仕様化すれば、具体的にこれだけの人が足りないって話もできますから。まずは、次のアルファ2をきちんと実装していきましょう。明日は、そのアルファ2に向けての作業について打ち合わせをさせていただきますので」
皆、声に出して返事をせず、小さくうなずいただけだった。
伏野が会議の終了を告げると、皆黙って席を立って会議室を出ていって、矢切と伏野だけが残った。
「矢切さん、今の打ち合わせで出たゲーム概要の修正の箇所の反映、お願いできますか?」
伏野は、今の会議での他のスタッフの態度など気にとめていないように笑顔で頼んできた。
「ああ、それはかまわんけどな、プログラマー連中、大丈夫かねえあの調子で」
「今はやることが明確でないからみんな不安なんですよ。でも大丈夫」
伏野は机の上の持参したペットボトルのコーヒーを一口飲んでから、矢切の作ったゲーム概要書を両手で丁寧にそろえた。
「このゲーム概要、いいです。いけますよ。実装が進めばみんなもノッてくると思います」
彼の言葉は、お世辞でも社交辞令でもなく、矢切の耳に響いた。
自分が作成したドキュメントを、他人に評価してもらえたことなどこれまで一度も無かった。
ひたすら文句だけを言われてきた記憶がフラッシュバックする。
「ならいいんだが」
そっとわき上がるある感情を抑えながら、控えめに矢切は答えた。
伏野は、その日のうちにゲーム概要をベースとした、アルファ2ROMで実装すべき内容をまとめた書類を作り、翌日になると伏野は早速打ち合わせを開催し、再び全員を集めて内容を説明した。
約一ヶ月後の五月中旬に、まずはメインゲーム部分を新しいゲーム概要に沿って最初のミッションを「ステージ1」として実装すること、加えて、アウラ・ハントを選択する画面も実装するが、ステージ選択画面はシステムフォントを利用した仮画面で処理する。
ゲーム部分の実装については、プレイヤーの操作するアウラ・ハントとステージに出現する敵は、仕様を変更した上で実装すること、ミッション進行の仕様は新規に作り直して実装することが大まかなやることとなる。
ゲーム中の爆発や煙などの、エフェクトと呼ばれる特殊効果は、ステージ1に必要なものと、プレイヤーの操作するアウラ・ハント『ブレイシア』と、敵のものをとりあえず用意する。
「以上が、次のアルファ2ROMに向けて実装したい内容になります。よろしいでしょうか?」
「ステージは手を加えないのか?」
金矢は椅子にふんぞり返ったままでしゃべっている。
「はい、ステージは今回の目指すゲーム性から、適正な広さというものがまだつかめていないので、現在あるステージをそのまま使います。ただ必要に応じて狭くしたり、広くしたりすることはお願いするかもしれません」
伏野は金矢の態度は気にするそぶりすら見せず、3Dモデルを担当する林田の方を向いて頭を下げた。
林田はオッケーと両手で丸を作った。
伏野は次に、アウラ・ハントの挙動の仕様は矢切が、ステージ内のゲーム進行仕様は自分が作成すること、アウラ・ハントの機体選択画面は、前戸に仕様を切ってもらうことを告げ、真上にその画面のデザインと素材作成をよろしくお願いしますと告げたが、真上はやる気のなさそうな返事を返しただけだった。
プランナーセクションとしては、前戸に画面構成仕様を任せてはいるが、一向に成果物として画面に実装されたものがない。
真上といつも言い争いをしては、鳥羽はそんな光景を無視しているという具合だった。
前戸の作る仕様書は、矢切から見ても精度が低く、わかりにくくまた穴が多いのだ。
だからといって、矢切自身、画面構成仕様を作るたびにプログラマーからもデザイナーからもわかりづらいだのここの情報がないだのと文句を言われるので、あまり偉そうなことは言えたものではない。
伏野はそんな前戸の仕様書をチェックして、修正すべき箇所や、足りないところを指摘して前戸にその都度伝えていたが、どうにも効果が見られない様だった。
そのくせ前戸本人は悪びれた様子も無く、いつもへらへらとしているのである。
ともかく、次のアルファ2ROMに向けてやるべきことが決まり、ここにきてようやく、『HSG』チームに、ギアが入った感があるなと矢切は感じた。
それをハンドリングしたのが自分ではなく伏野誠太郎であるということが心の中で面白くはない矢切だった。
その日の晩、残業で伏野と二人だけになった時、矢切は伏野に話した。
「なあ前戸君のことなんだが」
「はい?」
伏野はモニタに向かって高速のブラインドタッチで仕様書を作成しながら返事をする。
「あのまま画面構成仕様をやらせておいて大丈夫か。全然、モノになってない。ちょっと新しい人をアサインしてもらうか、人を代えてもらうかを考えた方がいいんじゃないか」
「大丈夫ですよ」
間髪を入れず伏野は答えた。そのまま顔だけを矢切の方へ向ける。
「彼は仕様書の書き方はもちろん、ゲームを実装するために必要な現場での工程が、まだわかっていないだけだと思います。ポイントを伝えれば、きっとやってくれますよ」
仕様書の書き方や実装の進め方は、なんとなく、という体でこなしているプランナーは多いが、これはきちんと意図を持って作らないと、とっちらかった内容になりやすいのだと伏野は続けた。
矢切にも耳が痛い意見で、彼はそれをごまかすように、指先で鼻先をさする。
「どうだろうなあ、俺はもう面倒見切れないぜ」
ろくに指導やアドバイスをしたこともないくせに、前戸を
「大丈夫ですよ、これからも僕が伝えていきます。それに彼は、きっといいプランナーになれますよ」
そううなずきながら言った伏野から目をそらして、矢切は「そうか」とだけ言って、再びパソコンのモニタに向き直った。
そしてふと、伏野に「なぜケーニヒスティーゲルを辞めて派遣社員になったのか」を聞きたいと思い、その欲求は自然と口をついて出た。
「なあ伏野君、なんでケーニヒスティーゲルを辞めたんだ?」
伏野のキーボードの上で動いていた手が一瞬止まったが、またすぐに動きだす。
「ああ、ちょっと、身体を壊してしまいましてね」
伏野は、それ以上の事は何も言わない。
モニタに向かったままの彼の口調は普段通りの様に見えて、壁が形成されたのを感じ取り、無神経という矛を持つ矢切も「そうか」とだけしか言えなかった。
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