第三章 廻転
第10話 ジェネレータ
関連資料は、原作小説全巻と旧作とリメイク版アニメのDVDセット、それに設定資料集だった。
ペルガモンからヘクトルに一旦返却され、内容をチェックしてトリグラフに送るまでに時間を要したらしい。
午前中は就業説明があったらしく、お昼前にオフィスに現れた
相変わらずさわやかな野郎だと、矢切は数年前にケーニヒスティーゲルで共に仕事をした時と印象の変わらない伏野誠太郎の姿を冷ややかに見つめた。
年齢はまだ二十代後半だったろうか。
美男子というわけではないが、いかにも人当たりが良さそうで、誰からも好かれそうな雰囲気がある。
仕事の方はまじめだけが取り柄、という程度の印象しかないが、「使えないヤツの集まり」と評されたこのチームに伏野が投入されたということは、そういうことなのだろうか。
いや、伏野は派遣社員としてここに来ているのだ。
派遣社員ならば、そこまで能力やスキルの有無を、厳密に確認されることはないだろう。あくまで偶然か。
ケーニヒスティーゲルを辞め、派遣社員になった事情が何かあるのかとも考えたが、まあ
ところが、それは杞憂に終わる。
伏野は二日は開発環境を作り、実機を触ったり、現状の仕様書を確認していたりしていたが、三日目からどんどん自主的に動き始めたのである。
「矢切さーん、ゲームどう変えていくかってもう決まってるんですか?」
朝の始業と同時に、伏野が笑顔で話しかけてきた。
「あ-、まあな、一応修正リストは作ったんだけど、なかなか実装してもらえなくてね」
わざと周囲のスタッフに聞こえるようにして言ってやった。
すると
「いやだからあ、手はつけてるし、具体的にやりたいことは仕様書に起こしてくださいって」
「すぐ手をつけられるものもあるでしょうが」
矢切も冷笑で返して、さらに空気が悪化しそうに思われた時、伏野が声を張って割って入ってきた。
「了解了解! かしこまりですー。矢切さん、あ、あと前戸さんも、とりあえず企画で打ち合わせしましょうよ、ゲームをどう変えていくかについて」
「別にいいがな」
矢切は金矢を目だけで睨んだ。
「会議室って使えます?」
「あ、じゃ、じゃあそれは僕が予約とるッス」
前戸が初めて動いてくれた。
「えーと、時間はもう今からすぐでいいですね、今から一時間くらいでお願いします」
前戸が、パソコンで社内会議室予約用のシステムから三階の小会議室を確保したことを告げると、三人は連れだってオフィスを出た。
六人程度の打ち合わせに利用しているという第三会議室で始まった打ち合わせは、何も言わなくても伏野が取り仕切ってくれた。
彼は、矢切が作成した修正リストを読みこんでは、一項目ずつ疑問点や不明瞭な点を矢切や前戸に確認していく。
全項目の確認を終えた伏野は、リストを繰り返し見返しながら矢切に訪ねた。
「矢切さんのこのリスト、修正内容って原作のアニメらしさがないって点が多いですよね」
「まあ、俺は元々作品のファンだからな。ブルーレイセットも持ってるし、だから気になるんだよ」
矢切は控えめに答えた。本当は、気になるどころの話ではないのだ。
「『ブレイシアの挙動が、不自然というだけでなく、原作から作成されたアニメの動きの再現も無く、ファンの目線から見れば疑問符がつく』……。うんうん」
客観的に見て、この矢切の記述は『感想』であって『修正指示』ではない。
だから作業に対する指示になっていはいない。
だから金矢も反発していたわけだが、伏野は修正リストを再度眺めてから、矢切の方に再び向き直った。
「矢切さんの修正点リストを、この場でさらにタスクレベルにまで落としこんでみましょうよ」
「タスクレベル……?」
疑問符を声にした前戸にうなずくと、伏野はホワイトボード前に立って、ペンを手に取ると、ホワイトボードに行間を空けながら、『アウラ・ハントの仕様変更』、『ステージ進行の仕様変更』、『UIの仕様変更』と書いた。
「まず、矢切さんが挙げられている通り、まずはアウラ・ハントの挙動と操作の改善。それからステージの進行」
伏野の声は、明るくてよく通る。
「ステージの進行は、これも矢切さんが書いてる項目の一つですけど、『展開が単調で起伏がない』……これって、敵の出現するタイミングが画一的だからだと思うんです。行く先々で敵がどんどんわいてくるし」
「仕様的にはプレイヤーの機体がステージ内の敵を発生させるコリジョンにヒットしたら敵を出現させてるな」
コリジョンとは、『当たり判定』と呼ばれる、ゲーム内のモノとモノが接触したかどうかを判定するプログラムのための範囲のことである。
キャラクターを操作する様なゲームに登場する目に見える要素には、ほぼすべてにこの『コリジョン』が設定される。
コリジョンは、プレイヤー用のコリジョン、敵用のコリジョンなど、種類が多数設定される。
それを、プログラムによって『プレイヤーと敵のコリジョンが接触した』かどうかなどを常時判定し、必要な処理にまたプログラムを飛ばす。
それによって、アウラ・ハントの攻撃が敵にヒットしたかどうかや、移動できる限界地点にくるとそれ以上の移動を不可にするなど、あらゆる物理的な接触による処理をどうするかを定義し、プログラミングしていくわけである。
コリジョンには、見えるものと見えないものがある。
ゲームに登場する機体、アウラ・ハントなどは、見た目のままに沿うように、コリジョンを球などで作り、アウラ・ハントのモデルの胴体、頭、両手などを覆う。
ハードの進化が進んだ今日では、ほぼ見た目通りのコリジョンを持たせることも可能になっている。
対して、目に見えないコリジョンは、『プレイヤーの操作するキャラクターがマップのここに来たら敵を出したい』とか、『プレイヤーがここにきたらステージをクリアしたことにしたい』など、『ここにプレイヤーキャラクターが接触したら何かを起こしたい』場合に使われる。
現在の『ガンファルコン』の敵の出現する条件は、プレイヤーの操作するアウラ・ハントのコリジョンが、敵を出現させるためのコリジョンに接触したら、という仕組みになっているらしい。
それが、ゲームをつまらなくしている原因の一つだと伏野は解析しているのだ。
「この問題ってどう解決したらいいですかねえ……。メリハリつけるために敵の出現させる場所をもっと絞るか、時間の経過でマップ上に自動的に敵を出現させるか……」
「いっそ、時間経過で、プレイヤーの周囲から敵を出現させるとかどうスか?」
「うーん、コンセプト的にはそれもアリなのかもしれんがなあ……」
矢切は考えこんだ。
『ガンファルコン』は、元々『アウラ・ハントの操作を楽しめる爽快感のあるアクションシューティングゲーム』というコンセプトがあるのだ。
そういう意味から、次々と目の前に現れる敵を倒していくという方向性も、無しではない。
「ただ、原作の戦いって戦略や戦術をきちんと描いているんだ。なぜその戦場が生まれたのか。そこに至るまでの謀略や、戦場に軍が到達するまでの戦略。そっから生まれた戦場の中でのアウラ・ハント同士の戦いというゲームにしてるわけだから、敵の出現にもきちんと意味を持たせたい」
「いいですねそれ」
伏野が矢切に向けて同意する。
「うん、いいですよそれ。矢切さん、まだ僕も原作はもちろんアニメも観れてないんですけど、戦場でアウラ・ハントの動きってどんな感じかって教えてもらえます?」
「そうだな、例えば最初のステージは、原作でいうと第一巻の第二章、『終わりの始まり』の中で描かれている『イルクーツク強襲作戦』の舞台なんだけど、これは敵基地を強襲する作戦が、スパイによって敵に情報が漏れてて、逆に囲まれて袋だたきにされるって内容なんだ。ゲーム版の主人公は、そこで生き残った凄腕のパイロットの一人ってコトで注目されるようになる」
「あーなるほど。じゃあ敵の出現の仕方ってどういう方が原作のイメージぽくなりますかね?」
伏野に問われて、矢切は思考を巡らす。
だがすぐに自然に後の言葉が続いた。
「敵が、段階的に増えてくる。細かい描写は原作でもされていないけど、時間 経過と共に色々な方角から整然と襲ってくるって感じかな」
「なるほど」
伏野はうなずいた。
「つまり、前戸君が言ったように、敵は時間経過によって出現する、ただし、プレイヤーの周りにいきなり出現するのではなくて、マップの指定されたポイントから出現して、プレイヤーを襲ってくる」
伏野そのその発言で、矢切の脳裏にはゲームのイメージが瞬間的に沸いた。力強く頷く。
「ということは、このゲームは、時間経過、タイムテーブルによってマップ上に出現する敵を、いかにうまく立ち回って倒していくか。それが攻略の遊びになる!」
伏野がそう続けると、矢切も前のめりになる。
「それだな。なんとなくクリアできる、っていう感じではなくて、アニメでもあったような、敵軍の猛烈な包囲と火力にさらされる。その中を、敵の出現するタイミングと位置を覚えることで攻略できるくらいの厳しさがほしい。その方が絶対『ガンファルコン』らしくなる」
「あ、ひょっとして、
「あー、シナリオがあるのもそのためだろうしな」
『エアーコンバット』は、ソニー製ゲームハード、『プレイステーション』時代から、新作ハードが出る度に何作も続編がリリースされている、空戦をテーマとしたアースグリム社製の人気フライトシューティングゲームである。
『ガンファルコン』と同じようなコックピット視点で戦闘機を操り、地上と空から成る広大なステージ上で任務を達成していくというゲーム内容で、シリーズを追うごとにストーリー性が高まり、ハードの性能が高くなってからはゲーム中に敵味方の通信が音声で流れるようになった。
現在の状況や新たな敵が登場する場合など、その通信を聞いてプレイヤーは状況を判断して機体を操作し、その通信演出を通して、物語も体感する仕組みになっている。
「企画書には、ゲーム中コクピット画面に僚機との会話みたいな絵面がありましたけど、そういうことだったんですね」
ペルガモンで開発中のバージョンにはその要素はまったく実装されていなかったし、仕様書にも存在しなかったので、今まで誰もそこを意識していなかったのだった。
伏野は、そうなるとステージごとに、どんなタイミングで、どんな条件で、誰がどんなセリフをしゃべるのか、それを仕組化すること、そしてそのセリフ内容を書き起こしていく必要がありますねと腕を抱えた。
「あー、確か、セリフというか、シナリオは一応あるんだよ、ペルガモンが外注に出したのが」
矢切は、伏野からキーボードを譲ってもらい、操作して『HGS』のフォルダからシナリオフォルダを選び、シナリオが書かれたテキストファイルを開いた。
そこには、ステージごとに、進行を想定したキャラクターのセリフが書かれている。
ちらりと見てから放置していたのだが、ゲーム概要を改めて整理すると、どの様に使うことを想定されているのかを把握することができた。
「なるほど……。外注のシナリオさんですか。さすがにきっちりしてますね」
テキストファイルの冒頭には、その外注のシナリオライター、『
「それでもこのまままるまる使えることはないだろうけど、修正はもうこっち側でやるしかないのかな」
矢切は、指先でこめかみをトントンと叩いた。
外注のシナリオライターとの契約は、プロジェクトが遅延している間にどうなっているかはわからないが、恐らくはもう切れているとみるべきだろう。
「ボイス録りもあるでしょうから、台本の作成締め切りも確認しておかないと……」
伏野がシナリオを読みながらつぶやく。
今作では、リメイク版アニメの設定に準拠してゲームを開発していくが、ゲーム内容の話の展開そのものはオリジナルで、原作を踏襲していない。
そのため、アニメに登場したキャラクターたちはゲーム本編にはほぼ登場せず、リメイク版アニメのシーンが、ステージ間にいくつか流用という形で挿入される仕様になっている。
通常、ゲームにボイスを実装するためには、ボイス録りと呼ばれる工程が必要である。
これは、担当声優の決定、事務所への仕事の打診、スケジュール枠の確保、台本の作成、ボイス録りの立ち会い、納品、化工、実装と、多大な手間と予算が必要であことに加えて、人気声優はスケジュールを抑えるために、早くから仕事を打診して動く必要があった。
そのためのボイス録りの時期から逆算して、台本作成の締め切りを想定しておく必要があるのだが、その期間が想定されているとは現状、とうてい思えない。
「そこのところ、具体的にどうするかをまたヘクトルの嵯峨さんと相談しないといけませんね」
伏野は会議室にあるパソコンで、打合せの要点をテキストエディタにメモしているのだった。
備え付けられた大型の液晶モニタには、伏野が軽やかなタイピングで文字を入力している様が映し出されている。
『★要確認:シナリオ修正とボイスをどうするか、嵯峨さんに確認』
「とりあえずボイスはおいていておいて、テキストでいいから、画面に通信会話を表示してそれっぽさを出せば、雰囲気は似せられると思う」
矢切が言うと、前戸も同意した。
「そうっスね。『エアーコンバット』シリーズも、無線通信はボイスだけじゃなくて、画面上にもテキストとして表示されますし、無線ぽさはSEの方でカバーできるんじゃないスか」
SEとはサウンドエフェクトの略称である。一般的には効果音と呼ばれているが、ゲーム開発の現場ではSEと称されることが多い。
「よし! なんとなくイメージできてきましたね!」
伏野はうれしそうに、ホワイトボードを見つめながら言った。
「で、矢切さん、今打ち合わせ内容を僕の方でテキストに起こすんで、それを元にゲーム概要を作っていただけますか?」
「ゲーム概要? 今更かあ?」
「ゲームの方向性をチーム内で再度みなおすためにも作り直した方がいいと思うんです。新しい要素もあるだろうし」
面倒くせえと思った矢切だったが、今はそれよりも、新しい『ガンファルコン』のゲームイメージからわき上がる高揚感の方が勝った。
「わかったよ。ゲーム概要を作ろう」
仕方なしにやってやる、という態度と口調で矢切は言ったが、再び、『ガンファルンコン』を作ってやろうという高揚感は、その表情に表れているのだった。
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