第9話 クラッシュ
(やってらんねえよ)
せっかく、俺がやる気を出しても、スタッフがああも使えない連中ばかりではどうしようもないではないか。
自分の本当の力を見せてやると意気込んでいた矢切だったが、今は澱んだ目でお猪口に注いだ熱燗の酒を見つめる。
こんな状態で、まともに開発が進むとは思えない。
いや、仮に進んだところで、いいゲームになりそうにない。また今までと同じか……。
今回こそはと、意気ごみだけはあった。
勿論、面倒な仕事は避けて可能な限り楽な仕事をしたいとは思うが、それでも好きな原作のゲーム化された形が、開発中とはいえあまりにもひどい状態だったのもあって、何とかしたいという気持ちに嘘偽りは無かった。
久しぶりに仕事でやる気を出した。
それが、ものの一ヶ月も経たないうちにこの有様だ。
どうして誰も彼も、うまく動いてくれないのか。
(それとも俺が、やっぱり使えないプランナーなのか)
具体的に仕事をどう改善すればいいのか、矢切には分からない。
今までならどうにかこうにか、文句を言われながらも、文句を言い返して、時間が押してきて周囲に何とかしてもらってきていたのだが、今回はそれで開発が進む気配がまるで無い。
矢切はタンホイザー時代から今の自分を振り返ると、改めて自分が惨めに感じられてきたが、開発がうまく進まないのは、自分のせいではないという自己弁護へ向けて、すぐに思考が走り出していく。
そうだ、一人の人間ががんばったところで、周囲の人間が協力してくれなければどうしようもない。
俺はちゃんと仕事をした。
修正点を指示した。
だが、誰も彼も修正点への指示に対して反発したり、具体的にどうすればいいのだといったり、他にやることがあるんじゃないのかとケチをつけたりしてロクに働いてくれなかったではないか。
俺のせいではない。俺は使えないプランナーではない……。
矢切は、自己弁護の思考ループに入りながら、ひたすらお猪口にお酒を注いでは飲み干していく。ペースもへったくれもない。
(畜生、これからどうしようか、そうだ、来月からはあいつが、
当初の、伏野誠太郎に面倒ごとをすべて放り投げればいいとの思惑を思い返しつつ、同時にそれでいいのかという自問自答もわいてくる。
あの飲み会。堂々と「自分のゲーム」について語る後輩たち。
そしてその中に入れない自分自身。
仕事について誇れるものがない自分を惨めに感じたことを、あの日見上げた月の明るさと共にまた思い出す。
矢切は繰り返し繰り返し酒をあおり、結局熱燗の大を四本、都合八合ほど飲み干すと、やっと店を出た。
矢切は酒が弱いほうではないが、流石に酔っ払って足下がふらつく。飲み過ぎに食べ過ぎが重なり、胃が気持ち悪くなってきた。
頭も回らない。
トリグラフに出勤を始めてまだ数週間で土地勘もなかった。
駅の方角へ歩いているつもりが、いつの間にやら路地裏に入りこんでしまったようである。
適当に人通りの多い方へ歩けば駅へ着くだろうと、酩酊した状態でフラフラ歩いていた矢切の視界に、ある女の姿が入ってきた。
夜の道でも、街灯に照らされたその女は、酔った頭でも分かるくらいの美人だった。確か芸能人。
いや、アナウンサーの
綺麗だなとぐるぐる回り始めた頭で見つめながら歩いて近づいていく。
その途中、矢切の耳に、粗暴なダミ声が入りこんできた。
「いーからいーから。ぶつかったお詫びにサ、ちょっと飲みにつきあってくれよ。こんな時間にこんなところで一人ってことは、そういう相手探してんだろ?」
「お姉さんみたいなのマジ好みだわーいいわー加西アナに似てるって言われないー?」
よく見ると、チンピラ風の男が二人、女に絡んでいるようだった。
夜だというのにサングラスをかけた髪の毛が茶色で短髪の男が、女の肩に手を回している。
女は、加西綾子に似ているだけで別人の様だった。
花柄のフレアースカートにベージュのチェスターコートをまとった女は、うつむいて困ります、止めてくださいと言っているが、声が小さくまた震えている。
周囲にはまばらに通行人がいるが、誰も我関わらずを決めこんでいるようだった。
矢切は胃の気持ち悪さと酔いで、千鳥足のまま近づく。
危険な状況に対する判断力も大幅に低下していた。
女と男たちのすぐ脇を通り過ぎようとした時、女に腕をつかまれ、助けてくださいと言われた時も、最初はどうなっているのか、状況が分からなかった。
「ほえー? らんすかー」
ろれつの回らない口で返事をすると、男たちが女から手を離し、矢切の前に立った。
「おいなんだこのデブ」
「おっさん、ひっこんでろや。怪我したくねーだろが」
矢切は男たちの言っていることがよく分からない。
脳裏をよぎったのは、子供のころに漫画やアニメやドラマで見た、「悪者が悪事を働いているシーン」だった。かっこいいヒーローならば、
「あーあーそういうことれすかー」
「なんだよこいつ、酔っ払いのデブかよ」
サングラスの男が矢切の胸ぐらを掴む。
「でもーごめんらさーい俺はヒーローじゃあーりません!」
本能に任せて話しながら、子供のころに見た特撮番組のヒーローの変身ポーズを真似た。
両腕を斜め上に、まっすぐ伸ばすその過程で構えた腕が、サングラスの男の腕を簡単に外す。
次の瞬間、サングラスの男は矢切のあごに素早くワンツーのパンチを放ち、のけぞったその腹に思い切り回し蹴りを叩き込む。
空手かキックボクシングの経験者らしいその鋭い蹴りに、矢切は体をくの字に曲がって「ぐお」とうめいた。
「ぶっ殺すぞオラァ!」
サングラスの男はまた拳をふりかぶったが、次の瞬間彼が目にしたのは、大量に胃の中のものを吐きだす矢切の姿だった。
「おえええええええええええええええええええええ」
すでに許容量を大幅に超越した酒と膨張しきった胃につめこんだ食べ物が、ミックスされて一気に逆流する。
「うわああああ、きったねえコイツ!」
「てめえふざけんなよ!」
もう一人の男が、矢切に蹴りを食らわす。
こちらはまんま素人の大振りな回し蹴りだが、矢切はもろに食らってなお吐きながら倒れこんだ。
自らの身体にも
「きったねえなあもう」
グラサンの男の革靴にも汚物がかかったらしく、「このゲロ野郎が!」と、倒れた矢切に蹴りを入れる。矢切は吐くのに追われてそれどころではなかった。
「うわ、くっせえ!」
グラサンの男はうんざりした目で矢切を見やる。
当り一面に吐瀉物がぶちまかれて、そして女はいつの間にやら逃げてしまっていた。
おまけに、周囲に人が集まり始めている。
もう一人のチンピラは、矢切のズボンから財布を抜き取ろうと近づいたが、彼の体からも吐きたての吐瀉物の臭いが立ちのぼるものだから、顔をしかめて鼻をつまんだ。
「もういい、ほっとけ」
グラサンの男が顎で指示すると、チンピラの男は黙って矢切の側を離れ、二人して悪態をつきながら歩き去って行った。
矢切は四つん這いになってやっと胃の中のものを吐ききると、蹴られた箇所の痛みと、自分の汚れた衣服から発せられる悪臭に顔をゆがめる。
酔っている感覚は相当に醒めて、肩で息をするほど呼吸が乱れていた。
周囲の野次馬達は次々と場を去り、矢切は四つん這いのままで胃からせり上がる不快感と呼吸が収まるのを待つ。
仕事はうまく進まずにROM出しは非承認となり、
昔から、感情にどこか鈍いところが自分にはあると矢切は感じている。
高校を卒業してくらいからか、特に哀しい、寂しいといった感情の成分が極度に不足しているのではないかと感じることが多かった。
今回もまた、その例にもれず、惨めだとは感じても、嘔吐による涙以上のものは流れなかった。
矢切は通行人の目にさらされながらよろよろと立ち上がり、財布もスマホもマンションの鍵もあることを確認すると、リュックを脱いで汚れた上着を脱いで丸め、目についたゴミ箱に捨てた。
猫背のまま駅へと歩いていく。
うつむいた視線は落ち、考えるのは昔の楽しかったころの思い出だった。
中学生のころは未来に不安など抱かず、友人たちと毎日のようにゲームを楽しみ、将来はゲーム開発者になるのだと信じて疑わず、そしてその夢は幸運にも叶ったはず、だった。
(だが、現実の俺は)
自分は、本当にゲーム開発者なのか。そう自負できるのか。
矢切は表面的な強がりすらもはがれていくことに恐怖し、何度も首を振る。
もうじき四月になるというのに、風は冷たい。
その中を、矢切は背を丸め、ふらつきながらやっと駅へと入っていくのだった。
翌週の月曜日。
改めてヘクトルの
総評については嵯峨の文章が長々と書き連ねられているが、一言で要約すると、
『ペルガモン開発期のものと基本的になんら大きく変わったところがなく、背景以外すべて製品版のクオリティに達していない』
との事であった。
(そんなことは言われるまでもねえよ)
矢切は心の中で舌打ちをしながら、今後どうすべきかを考えていた。
嵯峨から一ヶ月後にアルファ2版を提出するようにとの指示が書き添えられていた。
チーム内はまとまりどころか開発が進む気配すら見えず、これではオストマルクの現場よりひどい状況である。
皆、目に見えてやる気が感じられないうえに、一応のディレクターとして据えられている分、矢切の負荷が増しているのだった。
矢切は、再度
とにかく、プレイヤーが操作する機体であるアウラ・ハントの挙動を修正しなければ話にならないと考えたからだが、金矢は一向に協力的な姿勢を見せなかった。
「だから、具体的にどうしたいのか指示してくださいよ」
「いやだからあ、不自然な点を直してくださいって言ってるじゃないですか」
「だからその不自然な点は具体的にどこで、どうすればいいか仕様をくださいって」
そういった愚にもつかないやりとりとを数度繰り返した後、やっと金矢はしぶしぶといった体で「後で文句言わないでくれよ」という発言と共に挙動の修正を了承してくれたが、今度はモデルに加えてモーション作成も兼務する
「ペルガモンにいたプランナーって、ものすごく適当なリストしか作ってなかったんですよー。これって色々とマズイと思うんですよね。今作っておいてもらっておいたほうが、後々のことを考えると絶対いいと思いますしー」
「じゃあ、林田さん作っていただけないすか?」
「俺でいいならやりますよー」
林田はそう言って作業はしてくれるのだが、試しに作ってくれたモーションリストは、異様にわかりにくかった。
ペルガモンでも途中からこのプロジェクトにアサインされたのだという林田は、陽気で接しやすいのだが万事この調子で、作業は気軽に引き受けてくれるのだが、成果物にはいちいち問題があって、作業は遅々として進まなかった。
矢切はうんざりする日々が過ぎ、修正作業は一向にはかどらず、『ガンファルコン』はゲームとして死んだままの状態が続いた。
ところが、月が明けて四月に入った最初の出勤日、新たに動きがあった。残りのスタッフ、派遣のプランナーである伏野誠太郎が合流したのである。
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