第8話 ビルドエラー
さっそく現状のゲームの修正点を挙げていく。
アウラ・ハントのモデルのクオリティも低いが、まず何よりも操作と挙動だ。操作方法を変えるのはもちろん、挙動も大幅に手を加える。
『挙動』とは、キャラクターが動く、その動作のことである。
この挙動は、『モーション』と呼ばれるアニメーションと、プログラムによる制御で成り立っている。
例えば、現在実装されている量産型アウラ・ハント『ブレイシア』は、二足人型という形の機体で、プレイヤーがコントローラーの左スティックを前に倒すと、機体が向いている方向に向けて移動するという『前移動・歩行』という『挙動』が実装されている。
この『前移動・歩行』という挙動を構成するモーションは、『前移動・開始』と、『前移動・ループ』、『前移動・終了』という三つ。
プレイヤーが移動操作を行うと、機体はその場で『前移動・開始』という、機体が前傾姿勢になるアニメーションを再生し、それが終わるとそのまま『前移動・ループ』という前傾姿勢をキープするモーションにつなげる。
この『前移動・ループ』は、プレイヤーが左スティックを前に傾け続けている間、ずっと繰り返して再生され続け、このモーションを再生中にのみ、機体がステージ上の座標を設定された数値から算出された速度で移動する様プログラミングする事で、キャラクターがあたかもステージ上を実際に歩行移動しているかのような挙動を実現させるわけだ。
プレイヤーが左スティックから手を離し、スティックがニュートラルのポジションに戻ると、『前移動・終了』という機体が前傾から再び基本の立ちポーズに戻るまでのモーションを再生しながら移動を止める。
これが、『前移動・歩行』という挙動の開始から終了までの流れとなる。
ゲームの挙動として実装するには、さらに細かい制御が必要になる。
例えば『前移動・開始』から『前移動・ループ』につながって機体を移動を開始し始める部分だが、『前移動・ループ』になってからいきなり高速で移動し始めるのではなく、最初は遅く、徐々に移動速度を速くしていくようにする。
同様に、『前移動・終了』時も、いきなり移動速度がゼロにするのではなく、『前移動・終了』を再生しながら移動速度を徐々に落としていく。
このようにモーションに合わせてゲーム上の動きを制御し、動きが自然に見えるように調整する。
これに、移動中は機体のバーニア部分に熱を排気しているエフェクト(特殊効果アニメーション)や、足下に土煙のエフェクトなどを出すことで臨場感を与えると共に、プレイヤーに現在操作している機体がどんな状態かを伝えるわけだ。
ところが、現在の『ガンファルコン』はこのような工夫があまり見られない。
ブレイシアの移動も、移動し始めるまでの間が短すぎるし、いきなり急加速していて不自然極まりなく、歩行中もループのモーションと移動速度があっていなくて、まるで滑っているように見えてしまう。
止まれば止まったで、人型アウラ・ハントがどこの物理世界の機械なのかと思わせる急停止を見せた。
『前移動・終了』のモーション中はまったく移動操作を受け付けないからこれがまたストレスになっている。
ゲーム全体にそんな操作性と挙動の問題があちこちに顔をのぞかせており、矢切はこれを手がけたスタッフは本当に素人なのではないかと思った。
参考としてアニメの戦闘シーンを観る、ということすらやっている気を感じさせない。
ともかく、挙動を構成するモーションも修正してもらう必要がある。
最初のプレイヤーの操る機体となる量産型アウラ・ハントの『ブレイシア』からだ。
参考には、アニメーションを見てもらうのが一番いいのだが、この部屋には資料らしきものは一切置かれていない。
「金矢さん、こちらに『ガンファルコン』のDVDかブルーレイのセットはないんですか」
「ああ? ないですよそんなもの」
資料が皆無の状態で原作もののゲームを作っていく気なのか。
矢切はこんなこと言わせるなよと思いながら、また無駄だろうと予想しながら続ける。
「会社で購入してもらうわけにはいかないんですか」
「それは、そちらの会社に頼むのが筋じゃないですかねえ」
(バカか)
そう心の中で言いながら、矢切はもう自宅にあるブルーレイセットを持ってきた方が早いと思った。
挙動修正のためのモーション修正点をまとめるのはとりあえずおいておいて、他の修正すべき点をリストアップし、まとめていく。
矢切はたちまちイメージの世界に没入した。
彼には、頭の中でアウラ・ハントの動きの明確なイメージがある。
アニメで観た、あのアウラ・ハント同士の戦い。
あれをゲームで再現するのだ。
プレイヤーが操作する形であんなバトルができれば、どれだけ楽しいゲームになるだろうか。
翌日家から持ってきた『放浪戦記ガンファルコン』のブルーレイディスクと、それが再生できる重たいノートパソコンを持ちこんで、瞬く間に大小二十数項目を挙げた矢切は、それをプロジェクト用の共有フォルダにアップし、早速チームのチャットに修正点リストを挙げた旨を報告した。
だが、何も反応は無かった。
矢切は引き続き、ゲームのどこをどう修正するかのリストアップ作業を開始し、若手の
「自分で考えてもらえる?」
と矢切が返しても、
「いやーでも矢切さんがリーダーなわけですからー」
とのたまうものだから、矢切は前戸と接していると十分も経てばイラつくのであった。
トリグラフの
特にメインプログラマーである金矢の、事あるごとに大きな声と態度が気に障る。
「矢切さん、この修正点リストだけじゃよくわからないんで、詳細な仕様を作ってください」
金矢の言うことはそれだけだった。
「いや、そりゃやりますけど、その内容でいけるかどうか確認してほしいんですが」
「ああん? 俺は仕様書通りに作るだけですよ、中身の善し悪しなんてそっちの責任でしょ?」
万事、この調子だった。
プログラマーの鳥羽はUIと略される、ユーザーインターフェイス、つまりはアウラ・ハントやステージを選択する時の画面が担当範囲で、現時点、矢切と仕事で接する機会はそれほどないが、非協力的なのはすぐにわかった。定時の十九時になった瞬間、黙って退社していく。
他のスタッフはまだ人となりは判然としないが、協力的な態度とは言いがたい。
2DやUI担当デザイナーの
エフェクト担当で3Dモデルも手伝う予定の
さらに不可解なのは、真上と堀倉は同じシヴァという会社からの出向のはずだが、会話がまったくない。少なくとも矢切は見たことがない。
険悪、というほどの空気は感じないが、互いに無視しあっているようだった。
モデルとモーション担当の
彼は本来の開発会社であるペルガモンのスタッフではあるが、とりあえずモデルとモーションの量産作業を続けているらしい。
そして、矢切自身もまた消極的になっていた。
『ガンファルコン』のゲーム開発に携われるという高揚感はとうに霧散し、こんな現場でどうやって開発を進めたらいいのか、皆目見当がつかない。
とりあえず、現在の実装状態からの修正点をリスト化し、それを実装に反映するように頼んだわけだが、とにかく事細かく確認や質問や仕様化の要求が相次ぎ、同じプランナーの前戸は鳥羽や真上との口論が絶えず、しまいには矢切にすべてを押しつけてきてまるで頼りにならない。
こうなると、もう矢切自身、あのやる気はどこへやらで、半ば捨て鉢になってくる。
結局、矢切がリストアップした修正点はほぼ無視され、目に見える変化はあまりないままで、月末の
『ROM出し』とは、開発途中のゲームを、実機でプレイできる状態にして、発注元であるクライアントに提出することを指す。
全体の開発期間の中で、このROM出しの時には発注元の会社との間でここまで内容を実装しようという取り決めがあり、実装内容はそれに沿っていなければならない。
ROM出しといっても、昔は文字通り、ゲームをCDに焼き、それを郵送で発注元へ送っていたが、現在はネットを通して、実機でプレイするために一つに固めたデータを、クライアント側とのやりと用のサーバーにアップロードするのが普通になっている。
今回は、『アルファ版ROM出し』であり、その定義は以前プロデューサーの
定時三十分前に、矢切は嵯峨宛に、現状のROMをアップし終えた連絡をチャットで入れると、そのまま退勤の態勢に入る。
十九時になると同時に帰ってやるつもりだった。
だが、アップロードの連絡後、きっかり定時の十九時にオフィスにある電話機が着信を告げるけたたましい音を立てた。
「はい、二階の
内線を取った前戸が、電話の子機を矢切に差し出す。
矢切は前戸を睨みながら受けとり、外線と繋がっている番号ボタンが並んでいる中から一番のボタンを押した。
「もしもーし、どーもー矢切でーす」
「嵯峨ですが、今日のROM、あれはどういうことですかね?」
「どういうことと言われますと?」
矢切はとぼけた声で答える。
「改善された点がほとんど見当たらないんですよね」
「はあ、現在、鋭意修正点を検討中でして」
嵯峨の声は怒りを感じさせるものではないが、落ち着いた声がかえって真意を絶対零度に感じさせる。
一体、プロジェクトが開始されて三週間何をやっていたのか、やる気はあるのか、間に合わなければ意味はないのだということを、間延びした、だが冷徹な口調で矢切は言われ続けた。
「まあ今回は細かくアルファの定義を設けなかったこともありますが、今回は非承認です。次のアルファ2を定義しますから、しっかりお願いします。同時に、監修用のアウラ・ハントのモデル提出があることも忘れないで下さい」
「はあ」
嵯峨の冷淡な口調に棒読みの返事で返すと、そのまま電話はブツリと切れた。
「嵯峨さん何だってー?」
「以前のバージョンから改善された点がほとんどないのはどういうことだと」
「だから、矢切さん早く修正点を仕様化してくださいって言ってるじゃないですか」
(てめえ)
内心腹をが立つ。
金矢は修正リストではなく、仕様化してもらわないと検討できないの一点張りで、らちがあかなかったのだ。
矢切は金矢を殴りつけた。心の中で。
実際に殴るわけにはいかないが、彼に対する負の感情は、日に日に増していく一方だった。いや、金矢に対してだけではない。
このチームのスタッフ全員、ロクでもないやつばかりだと矢切は思った。確かに、『使えないやつら』だ。
金矢はやたら声が大きくて周囲を
メインプログラマーとしての知識や経験を偉そうに語るが、とにかく仕様書を作れの一点張りで、ゲームの改善には手をつけようとしない。
前戸はお調子者な上、あらゆる作業の判断や決断を矢切に丸投げしてくる。
こいつに自分で考えるという言葉はない。
前戸や
真上は業務中でも前戸の仕様書の作成や更新が追いつかずに手が空けば、全然関係ない作業やネット閲覧を始める始末だし、
誰も皆、自分から積極的に動く意思と意欲に欠け、この案件の終着点がどのようになるのか、まったく先が見えないのであった。
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