第7話 インシデント

 翌日から、各自で現状ある素材やプログラム、仕様書を確認していった。

 矢切やぎりはとりあえずこれまで開発を請け負ってきたペルガモンで作成された仕様書を確認したが、正直いってどれもこれもあまり要領を得ない。

 矢切が見てすら、素人が作った仕様書かと見まがうばかりの低クオリティで参考にもならない。

 まずは実機で、現在まで実装されている箇所を確認すればいいかと、自分の開発環境でこれまでに実装されたゲームをプレイしてみることにする。


 矢切は姿勢を伸ばして改めて開発機材を接続したパソコンから『放浪戦記ガンファルコン』の開発中アプリケーションを起動させる。

 ニンテンドースイッチの開発機材は二種類存在し、単独では持ち歩けずに常時パソコンに接続して使うタイプと、製品版と同様に持ち運べるタイプのもの二種類がある。矢切に貸与されたのは後者だった。


 ニンテンドースイッチのコントーラーを握りしめる。

 さあ、どんなものか。

 あのアウラ・ハントを操作できるゲーム。

 クオリティに問題があって開発が遅延したという事情からあまり期待はできないものの、やはり好きな原作のゲームだけあって期待感を完全には抑えきれない。

 だが、ゲームを開始して数分と経たずにその高揚感は萎え果てた。

 矢切は心の中でため息をつく。

 本心はコントローラーをたたきつけてやりたい衝動にすらかられていた。

 (なんだこれは)

 怒りにも似た目で、途中で放ったゲーム画面を見つめる。

 徹頭徹尾クオリティが低い。

 ここまで徹底されると、わざとやっているのかと勘違いしてしまいそうだった。


 ゲームそのものは、主観視点――つまり、プレイヤーがコクピットにいる状態を模した画面を通し、アウラ・ハントを操作して、敵を倒していく3Dのアクションシューティングゲームといっていい。

 いわゆるFPS(ファースト・パーソン・シューティング)と言われるジャンルだ。

 コクピットを演出した画面には、耐久度やら何やらがゲージで表示されているが、せっかくのコクピット視点なのにそれとはまったく独立しているので浮き上がっている。


 アウラ・ハントの操作感が悪いのは致命的な欠点だった。

 操作のレスポンスが悪かったり、ピーキーすぎたりして、ストレスがたまる。

 コックピット視点のせいか視界も悪い。

 複雑な操作に辟易している間に、四方八方から敵が襲ってきて、あっという間にアウラ・ハントが集中攻撃を受けてゲームオーバーである。

 バグに邪魔されているわけでもないのに、ゲームとしてまともにプレイできない状態だった。


 いや、これは単純にそれ以前の問題が多すぎる。

 機体のモデルには質感が感じられないし、動きにもアウラ・ハントらしさが無い。

 まるでガチガチのロボットの様に向きを変え、ジャンプする。

 モーションと呼ばれる、3Dでのキャラクターの動作アニメーションのクオリティの問題だ。

 エフェクトのクオリティも低かった。種類が少ないうえに見た目の臨場感がまるで無い。

 他にも、ステージ選択や機体選択の画面のセンスが古く、いつの時代のゲームかと思えるほどのっぺりしているし、選択操作の順番にも違和感を感じる。

 製品レベルだと言えるのは一部のアウラ・ハントや背景モデルくらいで、それ以外の大半の要素は、商用ゲームとしてはまるで話にならない。

 

 ツッコミどころが多すぎてどこからつっこんだらいいやら、矢切は辟易した。

 他のスタッフも現状を確認しているらしく、ペルガモンのスタッフである林田はやしだがいるからか、直接文句を口にする人間はまだいないものの、あちこちで苦笑や舌打ちが聞こえてくる。


「これ、どうしたらいいんスかねえ」


 前戸まえとがひょいと矢切の方に顔を向けて、笑顔と不安が入り混じった顔を向けた。


「何から何までひどいな」


 と矢切は返した。

 だが、これを企画書の内容に沿うように、具体的にどう開発を進めていけばいいのか、具体的な方法は思いつかない。

 大体、矢切はこれまでというもの、ほぼ一プランナーとしての開発経験しか持ち合わせてはいないのだった。

 何かの大きな要素――ゲーム内のバトルやイベントのリーダーになったことすらない。だから、「自分以外のスタッフに指示を出す」という経験は、一プランナーとしてデザイナーやプログラマーに対してのものに限られ、チームを動かすための指示を出すという仕事はした事が無かった。


 矢切の二十年以上の業界年数でその経験がないというのは、プランナーの経歴として評価するなら底辺の極みといっていい。

 だから、今回の『HSG』で、出向の立場でディレクターのポジションに就かせるというのは、実はかなり無謀、というよりは、通常であれば考えられない人材配置なのである。


 矢切自身、プロジェクトそのものに対するやる気はあっても、それは一プランナーとしてできるだけ楽な仕事だけをこなし、責任や面倒ごとは、他の誰かに可能な限り押しつけ、「好きな版権モノゲームにスタッフとして関わった」という事実を他人に自慢したいという、承認欲求の発露としての動機しかなかった。


 (想像以上に面倒なプロジェクトに入れられちまった)


 矢切は舌打ちをわざと聞こえるように響かせながら席を立ち、トイレへ行くためにオフィスを出た。

 歩きながら考えるのは、「どうやって今のゲームを立て直すか」ではなくて、「どうやって今の一ヶ月をやりすごすか」であった。

 一ヶ月経てば、伏野ふしの誠太郎せいたろうが合流する。

 その後は、彼に面倒ごとを押しつけてしまえばいい……。


 いつからか、こんな考え方をすることが当たり前になっていた。

 仕事の質もレベルも上がりようはずもない。


 (ちっ、今月末にアルファ版のROMロム出しだったな。まあ、アレだな。適当に素材リスト作ってる間に、他の人には現状のまずいところを各自修正していってくれって感じか)


 便意のままトイレに入ったものの個室は満室。

 やむをえず階段を通って上のフロアのトイレに入った。

 個室は三室とも『空』を示していたので一番手前のドアを開けたが、そこは掃除用具入れとして使われている様だった。

 便座にも『使用禁止』の張り紙が貼られている。

 また舌打ちをした彼の耳に、入り口の扉が開く音と共に話し声が聞こえてきた。


「そういえば例のプロジェクト始まったんですねえ、あの、ガンファルコン」


 反射的に矢切は外に出るのをためらった。


「ああ、始まったよ、どうなるかねえ」


 この声には聞き終え覚えがある。

 プロジェクトマネージャーの後川あとかわという男だ。

 トリグラフは、このビルの二階と三階、さらに離れて十階を借りている。

 十階は総務課と社長室と応接室、会議室。

 二階は開発室と会議室と倉庫で、三階にも開発室と会議室がある。

 後川は、この三階に席があると聞かされていた。


 矢切は出て行く間を失して、黙って立ったまま会話に耳を傾ける。


「依頼はヘクトルからだけどな。敗戦処理のプロジェクトだけどどうにかならないかってお願いされて。ペルガモンの社長にも泣きつかれた。あそこの社長とウチの社長は古くからの知り合いだからな。ただあそこはもうだいぶヤバイぜ」

「それにしてもあのメンツで大丈夫なんですかねえ。基本、ロースキルっていうか……ウチのアサイン先がなくてあぶれた連中でしょ?」

「ウチの連中だけじゃないよ。他の連中も、各社の中の『使えない奴ら』だよ。俺は社長がこのプロジェクトの話を振られた場にいたんだ。中小のゲーム会社のえらいさんの集まりでなあ。ウチもまとまった人は出せる状況にないって論法で渋ってたんだが、各社、あぶれてる連中なら出向に出せるかもって話になってな。期間の割に金はもらえるし、あぶれたスタッフのアサイン先としちゃちょうどいいってことになった。ただ問題はここからだよ、絶対、無事マスターアップできないって。なんせ、使えないやつらの集まりだからなあ」

「後川さんいいですよね、社長と仲が良くて。社長と飲む時、僕も今度連れていってくださいよ」


 後川の考えておくわという勝ち誇った声とドアを開く音と共に、話し声は遠ざかっていった。

 矢切は床に唾を吐きたい気分だった。


 (使えないやつらの集まりだと?)


 会話から、明らかにそれはトリグラフのスタッフのことだけを指すのではなく、チーム全員のことを指していた。


 (冗談じゃねえ、俺はまだ本気を出していないだけだ)


 そう思いながらチームの面々を思い起こすと、使えないやつら、という言葉の印象と実態の間にさほど差はないかもしれない、という危惧が生まれる。


 (くそ。ろくでもないプロジェクトに回された)


 矢切は本当に床に唾を吐いてやろうと顔を下に向けたが、『掃除用具入れ』と書かれた紙が落ちていて、その手書きで書かれたへたくそな文字に目を奪われながら、「使えないやつらの集まり」という声が頭を何度も巡るのを止めることができなかった。


 自席に戻ってからも「使えないやつらの集まり」というあの声は、矢切の頭にずっと残り続けている。

 心のどこかで、オストマルクでの自分の評価は低いという自覚はあっても、それが他人によって言語化されたことで、改めて自分のスキルやセンスといったゲームプランナーとしての評価を再認識せざるをえない。

 そこでこれまでの自分の仕事での立ち振る舞いや、努力の方向性について思いが至り、反省につながればよいのだが、あいにく矢切やぎりたけしはそういうタイプの人間ではなかった。

 もとより、そういう人間であれば、会社での地位や評価ももう少し別のものになっていたはずである。


 (俺はまだ本気出してないだけだ。ガチでやればちゃんと結果を出せるんだ)


 そう考えるのが、矢切武という男であった。


 (やってやる。俺の本当の力を見せてやる)


 矢切は、拳を握りしめた。

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