第6話 オブジェクト群
ふつう、ひとしきり名刺交換の時間が終わった後というのは、あいさつで言葉を交わした後なので、多少は話しやすい空気というものが醸成されているものなんだが、と矢切は自分の経験を思い返していた。
十階にあるトリグラフの会議室の空気は、相変わらず硬いままである。
「改めまして、今作のプロデューサーを努めさせていただきます。株式会社ヘクトルの
席を立ち淡々とそう挨拶して軽く頭を下げた
スーツ姿にサラサラヘアで細身で細目で、いわゆるイケメンといっていい顔立ちだった。
その表情は柔和さを感じさせるが、どこか表情が読めないやつだと矢切は「警戒」の二字を頭に点灯させた。
「えーっと、次は私ですかね」
次に無精髭の男の横に座っていた男が立ち上がる。
倉庫にはいなかった三十代後半と思しき、眼鏡をかけた、神経質そうな小柄な男だった。
「えーっと、今回はプロジェクトマネージャーを務めます、トリグラフの
「トリグラフ所属で、今回はメインプログラマーをやる
矢切はやはり気に入らない。
苦手なタイプだと思った。
三十代後半といったところか。
百八十センチ以上はあろうかという巨漢で無精髭面。体も大きいが声もでかい。
顔に威圧感がある。
ジーズンに、黒いトレーナーを着て、袖を肘辺りまでまくり、その腕は何かで鍛えているのか格闘家を思わせる太さがあった。
「同じくトリグラフのプログラマー、
金矢とかいうやつよりも年下、二十代後半だろうか。
中肉中背で整った顔立ちをしているが、どこか不機嫌そうな表情である。
グレーのスラックスに革靴に白いワイシャツ、その上に黒いジャケットを羽織った出で立ちは、どこか近寄りがたさを感じさせた。
普段からジャケット着用というのは、開発現場にいて直接作業をするスタッフにしては珍しい服装といえる。
「お、同じくトリグラフの
明らかに緊張した面持ちのスポーツ刈りの若者。新人か。
ジーンズにチェック柄のシャツを着て、自信の無さそうな顔つきでこちらに不安を抱かせる。
特徴を言い表すのが難しい、似顔絵に描きづらいタイプだ。
「同じくトリグラフのプランナー、
隣の席の、髪型服装から言って軽薄そうな若者。
ジーンズは腰履きで、ロングTシャツに茶髪にピアス。
こいつと仕事をするのかと矢切は顔を少しだけゆがませた。
おまけに経験はまだ二年ときた。こいつも気に入らない。
「株式会社シヴァから出向してきました。デザイナーの
髪型は少しパーマをかけ、短くまとめている。
肥満傾向の人間が多いゲーム業界の中では目立つくらいの細身。
グレーのチノパンに白いTシャツ。
その上に黒い長袖シャツを上着代わりに羽織っており、どこか小洒落た、それでいてオフィスでの服装からは外れない着こなしを感じさせる。
だが、その表情は硬く、神経質そうであった。
「お、おなじく、シヴァのデザイナーの
白い長袖シャツの丈をジーンズの中に入れている男はものすごい勢いで頭を下げた。
鳥羽という男と同様、細身なのだがこちらはひょろっとして顔も青白く、気弱さを顔全体で表現している。
「どうもー
この男がペルガモンのスタッフか。
三十代後半、と矢切は見た。
しかし、元々の会社のスタッフが一人だけ? 他のスタッフは逃げ出してしまったのだろうか。
それにしても、ある意味、
長髪茶髪だが、そこには白いものが混じっているのがはっきりと分かるし、まだ二月だというのに、ロングTシャツの上にアロハシャツを着た出で立ちが、いっそうその軽さを強調してくれる。
「……オストマルクから来ました。プランナーの
自分の番になって、矢切はごく普通に自己紹介を終えた。
最初から余計なことを言って隙を見せるものではない。
「以上がこのプロジェクトのメンバーです」
そう初対面の挨拶を締めくくった嵯峨に、金矢が手を挙げた。
「あのー、もう一人プランナーがいるんじゃないすか?」
確かにオフィスには椅子が九つあったが、ここにいるスタッフは、嵯峨と後川を除けば八人である。
金矢の声の大きい質問に対して、嵯峨は皆にプリントアウトされた紙を配りながら答えた。
「プランナーでもう一人、トリグラフさんが契約した派遣会社から
伏野誠太郎。
矢切はその名前に心当たりがある。
昔、ケーニヒスティーゲルという会社に出向に行かされた。
確か、スマホのゲーム『トラップ&ダンジョン』だったか。
そこで同じチームになったプランナーだったはずだ。
当時はまだ経験数年の若手のプランナーで、真面目で素直で、プロジェクトリーダーの
自分に対する態度も丁寧で、悪印象はない。
だが、派遣会社から来る、ということは、ケーニヒスティーゲルは辞めたのだろうか。
「困りますね、プランナーは工程の上流に位置するんだから、早めに仕様を決めてもらいたいんですが」
そう言った鳥羽を無視して、嵯峨は渡した紙について説明を始めた。
プロジェクトの概要が書かれている。
あらかじめ聞かされていた内容と大して相違はなく、目新しい情報は無かったが、素材の状況とスケジュールの説明が付け加えられた。
「現状あるアセットを説明します。モデルとモーション、背景については、ペルガモンさんが作成したものがおおむねあります。内訳はお渡ししたリストにある通り。エフェクトや2D関係の素材もあるにはあります。使い回せるものについては使い回していただいてかまいませんが、まあクオリティは低い。使えそうなのは一部の機体モデルと背景モデルくらいですかね、外注に出していたそうなので。それからシナリオもすでにありますが、ゲームでは実装されていません」
それから、BGMとSE(サウンド・エフェクト)も、外注会社に発注したものが一部はあることを付け加えると、嵯峨は紙から目を離し、全員を見渡してから、声のボリュームを一段階上げて続けた。
「クオリティうんぬんは今さらな話だと思うんで、とにかく納期優先ってことでよろしくお願いします」
ペルガモンのスタッフである
リストを見ると、モデルのはまだ半数以上が未完成。背景モデルは一通りそろっている。
だが、矢切は違和感を感じた。登場するアウラ・ハントの数が少ない。
『ガンファルコン』には多彩な機体が登場するだけに、総数三十二体というのは物足りない印象を受ける。
「次にスケジュールについて。約一ヶ後、三月末にアルファ版、九月末にオールインのベータ版、二ヶ月のデバッグを経て十二月末にマスター版というのがマイルストーンです」
嵯峨は、とりあえず現状ある素材と仕様とで、企画書に沿ったゲーム内容で、一~二ステージ遊べるものをアルファ版として提出することと、進捗は毎週末に報告書をセクションごとに自分宛に提出してほしいことを告げながらノートパソコンを片付けると、「それじゃあみなさんよろしく」と言って、さっさと帰ってしまった。
場の空気は硬さに加えて白けさが加わり、沈黙が流れた。
「さてと。機材とか、何か要望があれば金矢君を通して言ってください。じゃ、後はよろしく」
後川がそう言って会議室から出て行くと、後には最初からあの倉庫内のオフィスにいた八人の男だけが残った。
場に残った沈黙を破ったのは、金矢である。
「えーっと、とりあえずプロジェクトリーダーというかディレクター?を決めなくちゃと思うんですが」
金矢は髭面を矢切の方に向けた。
「矢切さんがプランナーのリーダーってことですよね? 進行、うまく仕切ってください」
巨漢の金矢から高圧的にそう言われると、矢切に瞬時に反感の情がわき起こる。
「えーっ、私なんですかねえ、特に聞いてないですけどねえ、トリグラフさんの現場で開発するわけだし、そちらで仕切ってもらったほうがいいんじゃないですかねえ。プランナーの方もおられることですしー」
前戸、という軽薄そうな男の方を見ると、彼はパッと笑顔を輝かせた。
「えっ、自分スか? いいんスか?」
だが金矢は首を振った。
「まだペーペーのこいつに仕切れるわけないでしょ。矢切さんが一番経験が長いでしょうから、お願いしますよ」
「誰でもいいですからできるだけ早く仕様書くださいよ」
鳥羽という男も冷淡に続けた。
「2D周りのリストがないんですけどそれから作ってもらえます?」
真上も言い、原と堀倉、林田はこの話題に関わる気が無いように黙っている。
冗談じゃねえよ、リーダーとかそんな面倒や役目はごめんだと矢切はいかにこの場を逃げ切るかを考えを巡らせる。
こうやっていつも責任のあるポジションからことごとく逃げてきた結果が今の地位なのだが、それを理屈では理解していても、頭と体の双方が拒否する言動をとってしまうのが矢切だった。
「まあとりあえず、伏野君が合流するまではやりますよ。面倒だけど仕方ない」
わざとぶっきらぼうに、不機嫌を装う。
現場では、舐められたら負けだ。
経験年数から言うと確かに自分が引き受けざるをえないが、それはあくまでも「やむをえず」引き受けてやったのだという印象を強く与えておいて、伏野誠太郎が合流したら、ヤツに押しつけてしまえばいい。
そう判断して、矢切はこの場を納めたのだった。
その後は、初日ということもあり、開発機材のセットアップやパソコンに必要なアプリケーションをインストールしたり、ゲーム開発用エンジンをインストールや既存のプロジェクトをバージョン管理用アプリでダウンロードするといった、開発環境の構築で終わった。
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