第4話 デタッチ

 一月最終週の月曜日。

 始業時間になり、矢切やぎりは企画書を作成するフリをして、ネットのサイト回覧をだらだらと続けていた。

 前のプロジェクトが終わり、次の所属プロジェクトはまだ決まっていない。矢切にしてみれば願ったり叶ったりの状況だったのだが、お昼休み前になって企画課課長の田無忠敏たなしただとしに呼び出された。

 次の仕事に関する話か。

 はたまた説教タイムか。

 いずれにしろ、これまで呼び出されていい話だったことは一度も無いので、矢切は内心胃を重くしながら会議室のあるフロアへと赴く。


 会議室ではすでに田無たなしが席に座っていて、不機嫌そうな表情で矢切を待っていた。

 田無は三十代後半、長く会社の看板クリエイターである紺塔生雄こんとういくおを補佐していたが、数年前の組織改編に伴い、紺塔に変わって企画課の課長に昇進した。

 それまでは紺塔こんとうの言うことに唯々諾々いいだくだくの体で、単なる伝言板でしかなかったはずの彼は、紺塔の支配下から脱してからは我が世の春を謳歌おうかするようにその態度は大きくなっている。


 開発現場での実務はもちろん、会社がとってきた案件を企画書に起こしたり、プロジェクト化するべく、適切な人材にその仕事を振る手腕はそれなりにあって、決して無能な男ではないのだが、過去、紺塔の伝言板でしかなかった田無が課長になったことが矢切には不満でそれが態度に出てしまうし、田無は田無で、矢切のことを見下しているのみならず、快く思っていないのは明白だった。


「お疲れ様です、矢切さん」


 矢切が着席するのと同時に田無はノートパソコンに目を落としながら、紙を一枚差し出した。

 そこには、テキストのみで、あるプロジェクトの概要が書かれている。


「あなたの次の仕事だけどね、そのプロジェクトをお願いします」

「はぁ」


 矢切は気の抜けた返事をしながら、渡された紙片に目を通す。

 プロジェクトコードは『HSG』。

 作家の露木陽炎つゆきかげろうの小説を原作とし、今から三十年も前にアニメ化され、三年前にアニメがリメイクされた『放浪戦記ガンファルコン』のゲーム化。

 他の会社の知的財産をゲーム化する、いわゆる『版権モノ』である。

 ハードは家庭用ゲーム機であるニンテンドースイッチ。

 3Dのコックピット視点によるロボシューティングゲーム……。


「これって確か数年前に雑誌で発表されたやつですよね」


 田無はうなずいてから、事情を説明した。


「制作はヘクトル。開発はペルガモンという開発会社が担当していたんだけどね、クオリティ的にも進捗しんちょく的にもよろしくない状況が続いて、ヘクトルはもうプロジェクトそのものを中止しようとした。ところが、原作とアニメの版権を持つ盤古社ばんこしゃとの契約上の問題から中止にはできなかったみたいだ。ヘクトルが開発を引き継いでくれる会社を探してたけど、手を挙げてくれる会社が無かったみたいでね、そこでいろんな会社から人を出して何とかしようということになった」


 ペルガモンという開発会社は聞いたことがなかったが、ヘクトルといえば多くの漫画やアニメの版権を抱えており、それらを多数ゲーム化してきている大手ゲームメーカーである。

 今までオストマルクとのつきあいは無かったはずだ。

 ヘクトルならば、取引のあった開発会社は多いであろうに、どこも積極的に手を挙げなかったのは不思議だと矢切は思った。


「ゲームの中身はオーソドックスな、3Dフィールドでの主観視点によるシューティング。モデルやらステージやらといった素材はこれまでの作成分がそれなりにあるそうで、期間は七ヶ月。それで何とかある程度体裁の整ったゲームに仕立ててほしいと」


 七ヶ月とはずいぶんと短い。

 素材もゲームもある程度できているからだろう。

 だが、矢切も業界歴だけは長いので、納期の短さはどうしても難易度の高い仕事になりがちなことを皮膚感覚でわかっていた。

 それとは別に、矢切は渡された紙のある文言に目をして、表情をゆがませる。


「出向ですか」


 出向は嫌だ、面倒くさいと矢切は思った。

 見下されていても、環境的になれているオストマルクにいる方が、気が楽なのだ。


「私はこれまでも二度出向に行ってます。ちょっと今回は勘弁してもらえないですかねぇ、みたいなー」


 自分の要求を出す時、顔をゆがめ、冗談風に言ってしまうのが矢切のクセだった。


「いやー悪いけど他のプランナー陣はみんなもうアサイン先が決まっててね悪いけどお願いされてください」


 句読点を付けずに一気に言い切った田無に、(うそこけこの野郎)と矢切は心の中で毒づいた。


「開発そのものはヘクトルのスタッフとやるんですか」

「いや、ヘクトルからは担当のプロデューサーが一人だけ。あとの開発スタッフは、ペルガモンはもちろん、いろんな会社から出向してもらってチームを作るそうだから。まあ連合軍チームということで」


 改めて嫌だと矢切は思った。

 環境のこともあるが、開発現場では人間関係がとにかく面倒くさい。

 ゲーム業界はクセの強いヤツが多すぎるのだと矢切は自分を差し置いて、そういった予断をすでに持つに至っている。


「出向先はメインの受託会社で、プログラム部分を担当する会社、トリグラフ。来週の月曜日からはそちらに出社してください」


 最初に仕事を受けたペルガモンではないところで仕事をするのか。

 トリグラフは名前くらいは知っているが、場所はどこだろう。

 通勤時間が長くなったら嫌だなと矢切はさらにうんざりした。

 それから田無は、こちらへの出社は出向期間が終わるまで不要なこと、日報のメールは毎日田無宛てに送ることなどの事務的連絡を終えると以上ですと言った。


「あなたはこれまでにも出向経験があるから心配していませんではよろしく」

「どうも」


 句読点をつけない心のこもらぬ発言に、棒読みの返事で返してから、矢切は会議室を後にした。

 自分の机のあるオフィスへ戻りながら、出向の面倒くささ、気の重さとは別に、矢切の心には少なからぬ胸の高鳴りが生じている。

 実は、矢切は『放浪戦記ガンファルコン』の大ファンなのであった。


 SF小説『放浪戦記ガンファルコン』。作者は露木陽炎。

 未来宇宙を舞台に、人類が三つの勢力に分かれて互いに宇宙を統一すべく争い、謀略と戦争の嵐が吹き荒れる中、多彩で魅了的な登場人物たちが織りなす戦略や戦術、人間の業、その進歩のあり方は何かまでを問いかけてくるこの作品のアニメ版に、矢切は中学のころに出会い、夢中になった。


『ガンファルコン』の世界では、『アウラ・ハント』と呼ばれる人型機動兵器が登場する。

 レーダーに反応しづらいステルス性を有し、様々な武装や形態を持った多種多様なアウラ・ハントは、軍事的世界観の中に初めて人型機動兵器を盛りこんだ秀作として話題になった。

 それらアウラ・ハントの中でも、『ガンファルコン』という特殊な機体のパイロットを主人公にした物語である。


 小説はSFファンの間でコアな人気を保っているに過ぎなかったが、矢切が中学生のころにアニメ化されると、これが大ヒットした。

 アニメ版に夢中になった矢切はすぐに小説やプラモデルを買い始め、すっかりと魅了されたのである。

 当時の放送を録画したVHSのビデオテープは今でも実家に保存しているし、関連書籍も買いあさり、数年前に出たブルーレイのセットは即予約して手に入れた。


 マルチメディアという言葉などかけらも無かった時代のコンテンツではあるが、小説からアニメ、プラモデル、関連書籍、CDなどは多数発売されたものの、ファミコン時代から今現在に至るまで、なぜかゲーム化は一度もされたことがなかった。

 ファンたちの噂話レベルの話ではあるが、「作者の露木陽炎がゲーム嫌い説」、「作者がゲームは好きで、だからこそ中途半端なゲーム化は許さない説」の二説があり、どうやら後者が真実らしかった。

 最初にアニメ化されたころの、ファミコン全盛期ならいざしらず、プレイステーションが『4』に至る今まで一度もゲーム化されたことがないのだから、そのこだわりは相当なものがあるのかもしれない。


 ところが、数年前に『放浪戦記ガンファルコン』が再アニメ化された際に、メディアミックス戦略として合わせて初ゲーム化される事が発表された。

 そこには原作者・露木陽炎の談話も掲載されており、今までは自分のこだわりがあってゲーム化を拒んできたが、自分はもはや老人であり、死ぬまでに一度くらいは己の作品がゲーム化されたところを見たくなったとのことだった。


 当時はついにゲーム化されるのかと、矢切も期待を膨らませていたのだったが、あれから公開された情報は皆無で、画面写真すら公表されたことがない。

 そのまま三年が経過している。

 アニメの方も人気が振るわなかったのか、業界でいう一クール、物語としては三分の一までのところで終了した。

 原作アニメが古く、ファンが多くいるため、ターゲットユーザーと呼ばれる想定顧客の母数は多いはずだが、アニメのリメイクでうまく新規ファンを獲得できなかったうえ、ゲーム開発もどんな事情かは不明だが、遅延している。


 あまりうまみのある仕事とは言いがたい。

 だが、久々に、コンシューマのゲームが手がけられる。

 それに旧作はもちろん、リメイクのアニメ版も良い出来でブルーレイセットを購入するほど、矢切は今も『ガンファルコン』が好きだった。

 それだけに、出向とはいえ、このプロジェクトにアサインされたことは、幸運だと思える。


(あとは、いかに現場で楽な仕事をするか。それだけだな。ほかのスタッフ連中が押しの強いヤツばかりじゃなければいいが)


 開発現場では、やっかいな仕事や難易度が高そうな仕事は極力関わらないように立ち回る。

 それが矢切の生き方だった。

 そんなことを続けているから、信用も実績も得られないのだが、彼にとって大事なのは、もはや一日でも長くこの業界で、できるだけ楽をしておいしい仕事に携わりつつ会社に居座って生きていくこと、ただそれだけなのであった。

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