第3話 ゲームプランナー

 会社が入居しているビルに入って、オフィスのドアの前でセキュリティカードを取り出すころ、胃と心の重さが増す。

 ドアを開錠して中に入り、無言で自分の席へとたどり着く。

 時刻は九時五十五分。始業五分前だった。

 周囲の同僚も皆席にいて雑談を交わしている中、無言でパソコンのスイッチを入れる。

 矢切やぎりが最初に入ったタンホイザーで六年ほど経験を積んでから、後輩たちが別の会社へ転職したことに加え、当時の職場環境に不満を抱き、オストマルクへと転職したのは二十九歳の時だ。

 以来十五年の間、オストマルクでゲームプランナーとして働き続けているが、矢切にとって、会社はすでに居心地のよい場所ではなくなっていた。


 一般的にゲームプランナーというと、どんなゲームを作るのか、その企画内容そのものを考える仕事、というイメージを抱かれるが、それは半分当たりで半分ハズレというのが実態である。

 海外ではゲームデザイナーと呼ばれるが、日本ではそれに加えてゲームプランナーやプランナー、企画と呼ぶ会社も多い。

「こんな内容のゲームを開発する」という企画を立ち上げるのは、プロデューサーやディレクターといったポジションで、さらにはメーカーと呼ばれる大手企業の人間であることが大半だ。

 企画書を通して、ゲーム内容の大枠が提示され、こんな人たちに向けて、こんなゲームを開発をすれば、これだけ売れる、という見込みを立てる。

 それが紆余曲折を経て、実際に開発することが本決まりになれば開発が本格的にスタートするわけだが、企画書の内容だけではゲームは作れない。

 その内容を、具体的にどんな素材やプログラムが必要になるのかを見通して実装するために、『仕様』を決め、『仕様書』と呼ばれる設計図に起こす必要がある。


 そこで実際の開発現場で、企画書の内容を踏まえながらゲームを具体的にどう形作るかを考え、要素ごとに仕様書を作成し、実装まで現場を動かすのが現在のゲームプランナーの主な業務なのである。

 ゲームの大枠は決められているので、それを好き勝手に変更などできない。

 だが、それを仕様書に落としこむ際に、もちろんゲームとして面白くなるように工夫しなければならない。

 自分でゲームを好きな様には変更できないが、面白く仕立てなければならない。

 企画書に沿ってディレクターの意向をその都度その都度汲みながら、仕様を決め、他人の考えたゲームを実際に開発していく。

 それが、ゲームプランナーという職種なのである。


 ゲームプランナーとしての経験を積んでいくうちに、特定のパート、例えばRPGのバトル部分やイベントパートといった大きな要素のリーダーになり、やがてディレクターの指示を受けながら、全プランナーを統括するリードプランナーと呼ばれるポジションに就いたりする。

 そういった過程の中で、リーダーシップや企画センスに長けた者――あるいは会社組織上層部の覚えめでたい者も――はディレクターとなり、さらにそこでヒット作品でも担当することがあれば、より上のプロデューサーというポジションに上がっていくことになるのである。


 もっとも、日本国内だけでも六百社前後存在するといわれているゲーム会社の大半は、開発のみを請け負う中小企業ばかりだ。

 中堅規模以上のゲーム会社から、企画書に沿ったゲーム開発を請け負う事で事業が成り立っている。

 下請け、という業務形態だ。

 そんな会社ではディレクターになるのがせいぜいで、プロデューサーなどというポジションには就きようが無い。

 予算を持ち、その予算を使ってゲーム企画を立ち上げるのがプロデューサーなのだ。

 そのため、ゲームプランナーのキャリアとしては、一応プロデューサーが頂点、ということになるだろうか。

 ゲーム業界でも注目されるようなヒット作品でも出せば、ゲームクリエイターとして現場の仕事をしながらも、プロデューサー的な職分を兼務する様な人もいるが、それはごく限られた才能と実績を持つ人間しかいない。


 矢切はゲーム業界に入って二十数年になるが、そういったキャリアの面から見ると、その職務経歴は極めて彩りに欠けていた。

 最初にタンホイザーというゲーム開発会社にプランナーのアルバイトとして入ったが、すぐに自分の意見やアイデアが、そう簡単に採用されないことを知った。

 イメージを伝えれば、それでゲームを作ってもらえるものだと思い込んでいたが、とんでもなかった。プログラマーやデザイナーは仕様を決めろ、仕様書を作れと言う。

 だが、仕様とは何か、仕様書とは何か、矢切は理解していなかった。

 先輩たちの見よう見まねでそれらしいものを作ってはみたが、穴だらけで使えず、口頭でのやりとりを中心にして何とか仕事を進めたものの、同期や後で入ったプランナーたちが、それぞれ強みを発揮してはそこそこの結果を出しているのに対して、矢切はこれといった成果も強みも出せずに、他人から指示されたことをやってようやく仕事になっているという状態であった。


 ネットで調べる、という概念もまだ無かった時代である。

 インターネットはまだ発展途上の段階にあり、スタッフ全員のパソコンからネットに接続できるようになったのは、矢切が入社して二年後のことだった。

 それまでは、会社でもネットに繋げられるパソコンは一台のみで、使用時は許可制になっていたのだ。

 ステージの設計やバランス調整を行えば極端な内容にしてリテイクをくらい、ゲーム内のテキスト作成を任されると、当たり障りのないテキストか、意図不明なテキストになる。

 それらのリテイクを食らううちに、矢切はふて腐れた態度を取るようになった。


 数年を経て、後輩たちが次々と他社へ転職していく様を見て、自分が活躍できないのは環境のせいだと思い、今のオストマルクに転職したのは二十九歳の時だった。

 だが、オストマルクでも、張り切ったのは入社後すぐ、三ヶ月の間手伝ったゲームのデバッグの仕事くらいで、正式採用となり他のプロジェクトで開発の仕事に携わるようになると、途端にタンホイザーの時と同様、仕事でつまずく様になった。


 クライアントからこんな内容のゲームの企画書を作ってくれという依頼があれば、社内のプランナー陣で企画書を作成し、社内で提出案を吟味するが、それに採用されたことは過去一度たりともない。

 リードプランナーに就いたこともなければ、あるパートのリーダーを努めたことすら無く、これまで開発に携わったゲームタイトルは大小二十本。

 だがその職務経歴は、末端の一プランナーとしてのものばかりで埋め尽くされている。

 唯一、数年前に携わった、会社の看板ゲームクリエイター紺塔生雄の『アンバランスヒーロー』で、主人公の仕様など、プレイヤーキャラクターの仕様を任されたのがまだマシな方だが、当初は張り切って挑んだその仕事も、一人ではこなすことができずに結局他のプランナーの手を煩わせた結果に終わった。

 ヒット作に携わったことも無い。

 社内評価面談で、自分よりも年下の上司に言われることはいつも同じだ。


「もっと前に出て、自分から現場を引っ張ってください」。


 それに対して矢切が心の中で思うこともまたいつも同じだった。


 (冗談じゃ無い。前に出たら、色々な人間に利用され、自分が損をするばかりじゃねえか)


 それは本音の割合を残しつつも、実体は自分の仕事に対する自信のなさの現れだった。

 そうやってごまかし続けてきた。

 その結果として、矢切の社内での評価は、今や職能評価でも人となりについても超低空飛行で、言われなくても見下されているのを感じる。


 矢切が業界に入った時代は、ソニーのプレイステーションやセガのセガサターン、NECのPC-FXが発売されたころで、ちょうどゲーム業界の過渡期と言って良かった。

 ハードの性能が急速に上昇したことから、ゲームはそのボリュームも複雑さも日進月歩という言葉の生きた実例の様相を呈し、目新しいゲームが次々に発売され、一本のゲームが何十万本、時に百万本以上売れることも珍しくなく、それに伴って開発現場が扱う情報も作業量も膨大となり、開発現場は混沌とした場所が増えていった。

 ゲーム業界の仕事が過酷であるというイメージが付いたのはこのころであろう。


 まだ若い業界である。

 きれいなワークフローも何もない時代。

 複雑化する業務と人間関係の中を、センスや技能、あるいはコミュニケーション能力で、うまく泳いでいった者たちが業界の重鎮となり、高額な報酬と地位を得られたが、そうなれなかった者たちの数の方が圧倒的に多い。

 憧れだけでゲーム業界に入り、現場で現実を知り、「違う」と感じた者たちは業界を去った。


 今や、もうハードは当時と比較にならないくらいの進歩を遂げ、分業制も進み、矢切がゲーム業界に入ったころに業界にいた人間たちは、出世し、それなりのポジションに就き、会社組織の中核を担う者も出ている。

 反面、出世もできずスキルもなく、かといって現場を去る選択もできない者たちは、そのまま業界の底辺にくすぶり続けている。

 矢切もまたそんな一人だと言えた。


 結局、プランナーの実務各種において、矢切は「経験からオペレーションに関する知識がある分、新人よりマシ」な程度の評価しかされていない。

 二年もあれば新人に抜かれてしまうレベルだ。


 (今更始まったことじゃない)


 矢切自身、心のどこかでもう自分自身に諦観しているところがある。

 だが、この年齢で再就職は厳しいし、この業界での職務経歴しかない自分が他業種に転職できるなど絶対にありえないし、今更アルバイト生活など御免こうむりたかった。

 せめて定年まで、何とかこの会社にしがみついてやる。

 強いていえば、それが矢切武という男の目標であった。


「矢切さん、ちょっといいですか?」


 同じチームのプランナー稲毛寛太いなげかんたが話しかけてきた。

 後輩のプランナーだが、もう三十過ぎのベテランで、今のチームではリードプランナーのポジションにある。


「ええと、次のDLC(ダウンロードコンテンツ)、内容をアナウンスするための仕様が必要になるんですが、みんな作業が詰まってるもんで、矢切さんにお願いできないかと思って」

「あー」


 生返事を返しながら、矢切はパソコンで、作業中のファイルを開きながら答えた。


「悪いな、俺も今やってる作業が手一杯なんだ」


 その矢切の返答に、稲毛いなげの丸い眼鏡の奥の目つきがキツクなる。


「……それ、どんな作業ですか?」

「ほら、納品物の仕様書だよ。最新版に更新しろって言われてたろ」


 矢切の言っていることは事実ではあったが、通常なら五日もあれば終わるであろう内容に、彼はもう七日を費やしていた。

 もちろん意図的に。


「そっちの方は遅らせても構わないのでDLCの方やってもらえませんかね」

「いや、中途半端にしちゃうと後から大変だからな。悪いけど他の人に頼んでくれ」


 その矢切の返答に、稲毛はため息をわざとらしくつくと、じゃあいいですと言って去って行った。


(冗談じゃない、余計な仕事を抱えこむなんて損するばかりだ)


 前の会社にしろ、今のオストマルクにしろ、面倒な仕事は誰かに押しつけるという風潮が、プランナー陣の間にある。自分がやりたいと思う仕事や楽な仕事、見返りが大きそうな――話題作や有名な版権モノゲームーなど――であれば、皆積極的に関わりたがるのだが、地味な仕事や、作業の落としどころが見えない難易度の高い仕事は敬遠しがちである。

 それでも、程度というものはあるのだが、矢切はこれまでどんな仕事をしても褒められたことも認められたこともなく、返ってくるのは否定とリテイクの指示ばかりで、それならばもういっそ仕事をできるだけ抱えない方がいいという結論にたどり着いてしまったのである。

 仕事にダメ出しをされ、次は改善しようと行動するならまだ見込みもあるのだが、矢切の言葉にも行動にも、その意欲は見受けられないのであった。

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