第2話 トランク

 夢を見た。

 実家の二階。掛け軸のある和室の六畳間に大きな机を囲み、その上でみんなでボードゲームの準備をしている。


 さあ、始めようや――

 最初は桃園の誓いからじゃけどいつものルールで?――


『三国志』をテーマにしたゲームだった。

 机の上には中国大陸の地図があって、みんながそれぞれ独立した君主になって最初の領土を決めて、ルールに則って人材を集めて、兵士を増やし、そして領土を増やすために戦を仕掛けてゲームを進めていく。

 多人数でやるから、どうしてもメモ用紙がこっそりと飛び交って同盟や裏切りが相次ぐ。


 ひどい時には一人が一度に四人に攻められて蹂躙じゅうりんされるなどということがあって、最初にやられた脇谷わきやは本当に泣いてしまってみんな反省したのだが、次に集まった時はもうそんなことを忘れてほかの誰かが集中攻撃の餌食えじきになって――。


「俺はぎっちゃんとこへ攻める!」

「俺も俺も」

「ワシも!」

「え、ちょっと待て俺んとこかよだいたいお前らルール守れよ一度に行軍戦闘できるのは一軍だけで――」


 そこで、目が覚めた。


 目覚まし時計がけたたましく鳴っている。

 午前七時。矢切やぎりは腕を伸ばして目覚ましを止めると、目を開けたまま天井を見つめた。


 あれは中学生のころか。

 小学校からの友人、中学からの新たな友人みんなでゲームに夢中になった。

 テレビゲームだけではなくて、三国志を題材にとった紙の盤面上で遊ぶシミューレーションゲーム、また、ゲームマスターという進行役の考えたストーリーに沿って、ファンタジーの世界で参加者が皆自分の分身であるキャラクターを作り、会話を通して物語を進めていくという、アメリカ発祥のテーブルトークRPGもたくさんやった。

 実家の二階の六畳間は、いつも皆が集まってゲームを楽しむ場だった。

 夢を反芻はんすうしながら、あの頃は本当にゲームが面白かった、いや、面白かったというより、今よりもずっと楽しかったと矢切は思った。


 今度はリモコンに手を伸ばして、テレビをつける。

 寝たままニュース番組を聞き流しながら、今のゲームは楽しくないと思ったが、すぐにその考えは消える。

 ゲームが楽しくなくなったわけではない、俺という人間がつまらなくなったのだ……。


 まだ覚醒していない頭でぼんやりとそんなことを思いながら、スマホに手を伸ばしてメモアプリを立ち上げて見た夢のキーワードを入力する。

 何をやっても長続きしない矢切だったが、ゲームのネタにでもなればと始めた、この『夢を見た時はその内容のキーワードをメモする』という奇妙な習慣だけは、ノートからスマホのアプリへと記録媒体の変遷を遂げつつ不思議と続いていた。


 三十分ふとんの中で出勤をためらってからもそもそと這い出る。

 緩慢な動作で顔を洗い、着替えてからインスタントコーヒーに砂糖をたっぷりと入れて飲みながらワイドショーを観ていると、もう八時三十分になった。

 千葉県某所に住んでいる矢切は、東京の会社のある最寄り駅まで電車通勤で五十分近くかかるが、始業時間が午前十時からなので、今の時間くらいに出れば間に合う。

 テレビのワイドショーは、あるお笑い芸人と女優との電撃結婚についての話題を流していた。

 民放はどこも同じニュースだ。

 つまらねえ。

 矢切はテレビを切ると、賃貸ワンルームマンションを出た。


 九時近くの電車でもまだ通勤・通学の人は多く、乗車駅から座れることはめったにない。

 だが、矢切は途中で人が下りて、座れる確率が高くなる車両の目星がついており、その車両に乗り込むのが常だった。

 ところが、同じことを考える人間は当然いるもので、矢切の目のつけた学生と思しき若者が座っている座席の前に、いつも同じ狙いで立ってくる中年サラリーマン風のスーツを着た男がそれまでに乗ってくるのである。


 (またこのおっさんかよ。うぜえ)


 自分も中年のくせに、矢切は心の中で毒づく。

 勤務時間も似たり寄ったりなのか、この中年サラリーマンとは帰りの電車すら同じになることがままあるのだった。

 さほど気にする必要もないはずなのだが、矢切はこの中年サラリーマンが気に障る。

 それでも乗る電車や車両を変えないのは、「このおっさんより俺の方がマシだ」と、彼を見るたびに根拠の無い優越感を感じるからだった。


 頭髪は側頭部以外がすでに禿げ上がっていて、明らかにメタボ体型の太鼓腹、くたびれたねずみ色のスーツを身につけ、手入れされていない先が反り返った黒い革靴にナイロン製の安いカバンを手に、いつも沈んだ暗い表情でぼーっと窓の外を見ている。


 中小企業の、出世と無縁の冴えないサラリーマンだろう、見たところ結婚指輪もしていないから独身に違いないと勝手に決めつけたうえで、自分も大して変わらない境遇であることは無視して、俺はまだ禿げてないしクリエイティブな世界で仕事をしている、このおっさんとは違うのだと矢切は口元をゆがませるのだった。


 学生はいつもの駅で電車を降りていき、矢切はそら来たと座ろうとしたが、降りようとする乗客たちにもまれてしまい、その間に中年サラリーマンに席を先に取られてしまった。

 内心舌打ちをしながら、ヒマをつぶすためにスマホを取り出すと、しかめ面で起床時に起動させたままのメモアプリを見る。

『夢 実家 三国志 テーブル 集中攻撃』。

 なんだこりゃ、と矢切は今朝寝起きにメモした内容に首を傾げたが、キーワードを見直していくうちに、見た夢の内容を思い出していった。

 そうだ、実家で、皆で三国志のゲームをやっていた夢だ。なぜ急に、あんな夢を見たのか皆目見当がつかない。

 中学生のころか……。


 山口県の都市部で、当時、矢切を含めて六人のグループは、ほぼ毎日、学校帰りに矢切の家の二階の六畳間に集まっては、それぞれ色々ゲームと名の付くものを持ち寄っては皆で楽しんだものだった。

 挙句、自分たちでゲームなど作ろうともしないのに、将来はみんなでゲーム会社を作ろうぜと学校帰りに笑いながら語り合った。

 高校進学後も毎日とはさすがにいかなくなったものの、週末に集まるゲーム会はずっと続いたが、高校三年になると集まる機会は激減し、卒業を契機として皆バラバラになった。


 一九九二年、三人は地元の国立大学へ進学し、二人は就職して公務員になった。

 矢切もまた、東京の三流私大に何とかひっかかって上京することになったが、大学でもゲーム三昧の日々を送り続けた。

 友人たちとは帰郷した際、年に一、二度くらいのペースで集まりはするが、だんだんゲームをする機会は減っていき、音信不通になった者もいる。


 矢切自身は、相変わらずスーパーファミコンはもちろん、大学四年の時に発売されたプレイステーションやセガサターンに夢中になり、ゲーム開発者になりたいという夢を現実化するべく、企画書の作成に没頭した。

 プログラマーを目指さなかったのは、これまでパソコンの所持経験が無く、大学の授業で触った程度でプログラミングの素養が皆無であったことと、自分の企画を商品化したいという思いが強かったからである。


 同時に、故郷の友人たちと顔を合わせる機会もゲームをする機会も減ったことをひどく寂しいと思ったが、就職活動を開始するころになって、やっと自分以外の友達は、もうゲームから『卒業』したのだと悟った。

 会うたびにゲームに熱弁をふるう自分を、うっとおしくすら感じていたかもしれないと思った。


 矢切自身はそれでもゲームへの熱意は冷めないまま作り手になるべくゲーム業界への道を志し、新卒での入社はかなわなかったものの、プランナーのアルバイトとしてタンホイザーという中小のゲーム開発会社に採用され、一年後に正社員へ昇格した。

 他の友人たちは皆、就職した者は出世し、大学卒業後大学院に進学した者もいれば、大企業に就職した者もいた。

 集まる機会は数年に一度になり、矢切はそこで、もうゲームの話をしなくなった。

 中学でゲームに狂いだしてから、もう三十二年。

 今や友達は皆それぞれ家庭を持ち、立派な社会人として社会の中核を担っている。

 集まる機会は、もう無い。


 今朝見た夢が、過去を反芻はんすうさせている間に、電車は矢切が降りるべき駅に着いた。

 車掌のアナウンスに慌てて電車を降りる。

 駅の中を人波にもまれながら、彼はいつも以上に孤独感を味わっていた。

 皆で遊んだあの六畳間。

 楽しかった時間。

 だが皆はもうその場にいない。


 夢が再確認させた自分の孤独をかみしめ、矢切は会社への道を歩きながら、俺だけが子どものままで、俺だけがあの実家の二階の六畳間に居続けているのだろうかと思った。

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