六畳間の聖戦

安 幸村

第一章 残照

第1話 クリティカルパス

 一月中旬の週末、東京のある居酒屋の個室で始まった飲み会の話題が、今現在各自が携わっているゲーム開発のプロジェクトについての話に移った時に、矢切武やぎりたけしはこの飲み会に参加するのはやはり止めておくべきではなかったかと後悔し始めていた。


 一緒に飲んでいるのは、大学卒業後、アルバイトとして入社した中小のゲーム開発会社、タンホイザー時代の元同僚たち三人。

 矢切やぎりがアルバイトとして入社したのは二十三歳の時で、今年四十五歳だからもう二十年以上前になる。


 六年ほどでタンホイザーを辞め、オストマルクという別の会社に矢切が移ったのは、先にこの同僚たちが、次々と別の会社へ移っていったことが大きく影響していた。

 当時、仕事をうまく進めることができず、それは環境のせいだと考えた矢切は、会社が変われば自分はもっと活躍できるだろうと考えたのだった。


 タンホイザー時代、共に仕事をしていた彼らと年に一度集まる飲み会は、途中で途切れたり間隔は空くことはあるものの、何となく、という体で不定期に続いていたが、彼らと矢切とでは仕事について語る内容が大きく様変わりしている。


「んー、今は、去年から始まったブリュンヒルトと組んでのプロジェクトにかかりきりかな」

「ああ、噂のアレね。いけさんがやるならまたファンタジーものでしょ。キャラデザ誰なんすか、教えてくださいよ」

「それは勘弁してよー。まだ世界観作ってるところでさ」

「でもブリュンヒルトと組めるのはうらやましいなあ、今度僕にもあそこのプロデューサー紹介してくださいよ」


 愛生忠慶あいせいただよしが、そう言って超大手ゲームメーカーであるブリュンヒルトと仕事をしているらしい池祐樹いけゆうきをうらやましがった。

 いけは四十二歳、大手ゲームメーカーの子会社、アースグリムというところでディレクターのポジションに就いている。

 コンシューマ(家庭用ゲーム機市場)用のRPG(ロールプレイングゲーム)を開発する手腕に長け、すでに数本のスマッシュヒット作を手掛けており、『週刊ゲーム通信』の様な雑誌メディアにも何度も登場していた。


「なに言ってんだよ、自分の方が稼いでるくせに」


 池はビールを飲んでから愛生あいせいをからかうようにそう言った。

 愛生は三十八歳、タンホイザーを退社後数社を渡り歩き、今はソーシャルゲームの開発会社、ガルガファルムルのプロデューサーという地位を得ている。


 上場まで果たした会社が一時陥った倒産の危機を免れたのは、愛生が手掛けた美少女モノのソーシャルゲームが大ヒットしたからだと言われており、事実、ゲームへの課金はもとより、アニメ化やグッズ化といったマルチメディア展開も加わったその売上がもたらした利益は莫大なもので、今やガルガファルムルは業界での地位も確固たるものとなり、愛生自身の年収も二千万は下らないはずだった。

 彼が、このメンツの中での一番の出世頭と言っていい。


「まあ、ねえ。でも僕は、ほんとはもっとゲーム性の高いヤツを作りたいんですよ。『ゼルダ』の『ブレスオブザワイルド』みたいな。ただねえ、ウチはコンシューマは直接手掛けてないし、もう現場仕事はできなくなっちゃったし、そういう意味じゃ、池さんや和っちゃんの方がうらやましい」

「こっちはこっちでやっぱり苦労はあるでェ。今作ってるやつも大神おおがみさんは無理ばっかいうし」


 愛生と同い年の和田一わだはじめは、大阪にあるリューベックという中小の開発会社でディレクターを務めていた。

 リューベックは、規模こそ中小企業並みだが、高名なゲームクリエイター大神正司おおがみしょうじを擁し、特にアクションゲーム開発を手掛けさせれば業界でもトップクラスの技術を有すると評され海外のファンも多い。

 その新作はいつもゲーム関係のメディアで特集が組まれるのが常だった。

 和田わだは、その看板ゲームクリエイター大神の右腕とも言うべきポジションで、現場を支えている。

 今回の飲み会は、和田が出張で東京に来たことからこの機会にみんなで集まろうということで開催された飲み会だった。


「矢切さんはどないですか仕事の方は?」


 和田が矢切に話を振ってきたが、矢切は彼らの様に特に話せる大きなネタなど持ち合わせていなかった。

 何せ、彼はプロデューサーでもディレクターでもなく、開発現場の末端にいる一プランナーに過ぎない。


「俺は……、まあ、最近は紺塔こんとうさんのプロジェクトに関わったけどね。最近、新人プランナーがなってなくて苦労してるよ」


 矢切が所属しているゲーム会社、オストマルクには、業界ではそれなりに名前の知られたゲームクリエイターである紺塔生雄こんとういくおがおり、彼の立ち上げたスマホゲームのプロジェクトに参加していたのは事実だったが、末端の一プランナーとしてほぼ新人といっていい立場のプランナーたちと同レベルの仕事をしたというのがその実態だった。

 担当した仕事も、比較的難易度が低い項目に集中している。


「ああ、今は正直どこも人手不足やっていいますもんねェ、ウチも中途採用は随時募集かけてますけど、ええ人はなかなか来ませんし、新人どもはまだまだ使えへん連中ばっかりやし」


 和田が携わった仕事について深く掘り下げてこなかったのは、自分に気を遣ってくれてのことかどうか、矢切には判断がつかなかった。

 池や愛生も、最近の求人事情についての話題に乗っかって、互いに現場での問題のあるスタッフについて語り始めたが、その話題についても矢切は語るべき自分の知見というものをあまり持ち合わせてはいない。

「最近の若い連中は企画書や仕様書の書き方がなってない」、というくらいがせいぜいだ。

 他の三人は、すでに人を使って開発を進める立場であり、矢切とは課せられた責任も地位も異なる。

 話題が、求人動向から最近売れたゲームや業界各社の業績についての話題に及んでも、矢切は相づちを打ってはビールばかりを飲んでいた。


 ずいぶんと、差がついてしまった……。


 屈託のない笑顔で語り合う三人を見ていると、その思いはますます強くなる。

 三人はタンホイザーで働いていたころ、矢切よりも後で入社してきた後輩たちなのだ。

 デバッグ報告のやり方を教え、企画書や仕様書を書くコツを教えていたのは矢切だった。

 それが今、皆それぞれ別の会社で責任も権限もある地位につき、収入も大きく上がり、その自信は顔つきにも表れている。

 身にまとっている物も、明確な格差を感じさせた。


 プライベート一つとっても、池と和田はすでに結婚して子どももおり、愛生も今年結婚するという報告を飲み会の冒頭で聞かされたばかりだ。

 つい最近までモデルの仕事をしていたという相手の写真も見せてもらったが、溜息の出そうな美人だった。


 こんなはずではなかったという気持ちと、こうなって当然だとの気持ちが頭の中をぐるぐると駆けまわるが、矢切はいつも通り、いやいや俺は俺だ、俺はこれでいいんだと根拠のない自己肯定にたどり着いて、後は酒で負の感情を身体に流しこんでいった。


「どうですかね矢切さん、今年の巨人は?」


 話題は、いつしかじきにキャンプが始まるプロ野球の話になっていたらしい。

 ゲーム以外の趣味でプロ野球好きなのは、全員の数少ない共通点だった。

 池と和田は阪神、愛生は横浜がひいきのチームで、矢切は幼少のころから巨人ファンだった。

 やっと乗っかれる話題になった矢切は、当たり障りのない今シーズン期待の選手の名前を何人か挙げる。

 各チームの戦力分析で場は盛り上がったが、矢切はずっと気の晴れない気持ちのままで、他の三人と自分とを、地位で、収入で、業界での知名度で、身にまとっているもので、プライベートで、つまりは彼にとって重要な指標で比べてはその差で視線を落としていくのだった。


「アイツはもうダメだよ。連敗連敗で一つも勝てやしねェ」


 その池の発言が、矢切の意識をまた場へと引き戻した。

 池は数年前に、ドラフトで数球団が指名競合し、ある球団に鳴り物入りで入団した投手について、今年ダメなら首だろうという自分の見立てを話していたのだった。

 和田も愛生も同意する。


「そうやなぁ、結局一勝もできないまま引退、やろか。あんだけ騒がれて入ったのに、怪我のせいとはいえほんまプロの世界はわからんわ」

「まあ怪我で力を発揮できないまま引退、なんて珍しい話じゃないでしょ」


 三人はまた別の選手の起用法について話し出したが、矢切は中ジョッキを手にしたままじっと、すっかり泡の消えたビールを見つめた。

 冴えない中年になった自分の目が映っている。


 連敗、か……。

 一勝もできていないのは自分も同じだと矢切は思った。

 いくら俺は俺だと気持ちをごまかしていても、ゲーム業界における実績で、心から他人に誇れるものなど何一つないのは自分自身が一番よく分かっている。


 業界歴は二十年以上あるのに、ディレクターはもちろんのこと、リードプランナーの経験すらない今の自分の姿が、その証左と言えた。売れたかどうかに関わりなく、心から胸を張れる仕事をしたと言えるタイトルすら、ない。

 連敗プランナー。

 そんな言葉を頭に浮かべて、矢切は泡の無い気の抜けたビールを黙って飲みほした。


「それじゃあ、秋には招待状出しますんで、来年の式にはぜひ出てくださいよ。パートナーの知り合いの声優さんとか芸人さんとかも呼ぶんで」

「マジかよー、そりゃ楽しみだわー」

「行くわ行くわ、あ、あとさー、コミカライズ担当した漫画家さんも呼んでくれへん? 俺ファンやねん。プロデューサーやったらいけるやろ!」

「はは、無茶言ってやるなよ」


 飲み会はお開きになり、店の入り口の前でまた愛生の結婚式での再会を約束して四人は別れた。

 池と愛生はそれぞれタクシーを拾い、和田は近くの高級ホテルへと去った。

 矢切は一人、夜の雑踏の中を駅へと歩いていく。


 新年を迎えてもう一ヶ月が経過しようとしている。

 寒い。

 両手を上着のポケットにつっこんで、矢切は背中を丸めて視線を落としたが、目につくのはメタボ体型の自分の醜い腹周りだった。

 ボサボサの髪に顔の肉は黒縁眼鏡にまでやや食いこんでいる。

 ダイエットにことごとく失敗してきたので、もう今はあきらめて好きなものを好きなだけ食べる生活に落ち着いた。

 どうせ、飲み食いするくらいしか楽しみは無いのだから。


 金曜の夜。人通りはまだまだ多く、賑やかな喧噪けんそうに満ちていた。

 恋人同士と思われるカップルを目にするたびにうらやましく思う。

 普段なら気にならない飲み会帰りらしいサラリーマンの集団。

 学生サークルの集団と思しき面々。

 すれ違うどの人もどの人も、皆自分よりも幸福そうに見えた。

 矢切は子どものころからゲームが好きで、いつしか自然に、自分も将来はゲームを作る仕事をするのだと思っていた。


 子どものころ一番好きだったゲームは、ファミコン時代のソフト『ドラグーン・クエスト4』。

 ラスボスを仲間達と協力して倒し、世界を救った。

 他の仲間たちは皆それぞれ帰るべき場所、待ってくれている人がいる。

 でも、主人公の勇者は何もない。

 故郷は壊され、待つ人もいない。

 だが、そこへ光があふれ、物語の最初に勇者を逃がすために身代わりになった幼なじみの女の子が蘇り、抱きあったところで仲間達が集まっていて――。

 そう、勇者もまた、最後にようやく報われたのだ。

 今のゲームの様なボイスも無く、ドットで描かれた小さなキャラクターたちの、テキストすらない物言わぬあのエンディングに涙をにじませ、たまらなく感情を動かされた。


 あんなゲームを作る人になりたいと思い、ゲームに狂い、ゲーム、ゲームで生きてきて、気がつけば矢切武は四十五歳になっていた。

 人生の折り返し地点を過ぎたと言っていい。

 俺は将来どうなるのだろう。

 このまま今の会社にしがみつき、年を取っていくのだろうか。

 社内での評価は低く、プライベートでもゲーム以外これといった趣味もなければ恋人ができたことも無く、結婚はとうの昔に諦めた。


 それでも――と、矢切は思う。


 せめて、一作だけでもいい、メディアに紹介され、ゲームファンたちから注目されるようなタイトルを自ら手掛けてみたい。

 心から自分のゲームだと誇れるモノを作ってみたい。

 そして、皆から作り手として認められたい。


 そのイメージと現実の自分との間には恐ろしく大きな隔たりがある。

 異世界、とすら言っていい。

 ビルのネオンと車のライトが絶え間なく輝く夜の街の中、矢切はうつむいたまま歩いて、駅に入る前にふと夜空を見上げた。

 星は見えないが、丸い月だけがはっきりと見えて、その光を矢切はつかの間、じっと見つめ続けた。

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