第10幕:ちょっと遠出のお買い物
【オルトゥス】を始めて一週間が経った。
つまり。
奇術師を引退してからも、ほぼ同様の期間が流れたわけで。
こちらの世界での無職生活にも、不本意だけど慣れが出始めてしまったし、ゲームの世界にもすっかり慣れた頃。
私に一本の電話が届いた。
それは、ある意味では最も待ち望んでいたもの。
電話が先か、幽霊が先か。
毎晩警戒していた身としては、救済の鐘の音だ。
「ルミ君かい? 遅くなって済まない」
「いえ、お電話ありがとうございます。お爺様にも会いませんでしたし、私は大丈夫ですよ」
「……なら、良かった」
おや、反応が芳しくない。
それに、若干疲れているような声色は。
もしかして。
もしかするのだろうか。
「私の方は餌食になってしまったが、流石に孫娘は可愛いと見えるな。次会ったら強制成仏させてやるつもりだ」
「返り討ちにならないよう、お気を付けて」
我ながら、どういう会話なのだろうね。
如何に祖父が偉大なる魔術師であっても、流石に化けて出るほどの力は…きっと、多分、恐らくないだろうに。
むしろ、こんな話をしている方が危ない。
本当に突拍子もない人だったし。
「ええ…と、それでだな。英語教師という事でどうだろうか。今年で二年目の教師がいるんだが、まだ少し心配でな。その補佐…副担任のようなものを頼みたいんだ。特別非常勤という形であれば、免許は必須でない事だしな」
巌さんも、そろそろ背筋に感じるものがあったのか、急に話題を転換する。
まあ、これが本題なので、こちらとしても有り難い限りだ。
フム…英語、ね。
それなら、得意分野だ。
何せ、世界中を旅した身。
公用語となるものを習得しなければ、生活するのも大変だった。
元々そちら側の人間だったお婆様からも色々と教えを受けたのだから、高校生に教える程度なら問題は無いだろうね。
ついでに、直伝の振り付けでも……。
「振り付けは教えなくて良いからね? 生徒が、英国貴族みたく気取って挨拶し始めたら困る」
「おや、エスパーですか」
「当時の生徒たちを思い出しただけだよ。思えば、何時も流行り事は元をたどれば君たち三人からだった。成績が上がるのは喜ばしいが、君のような生徒が量産されるのも困りものだ」
本人に言いますかね。
確かに、私は愛想が良い方ではないし。
良い生徒と言い切るのは、自分でも難しかっただろうけど。
「必要な物品は後程メールで送らせるようにするが…準備期間はかなり短い。大丈夫かな?」
「……もう、新学期が始まるんですね」
「ああ。私としても、忙しくなるよ」
理事長もやることが多いのかな。
イメージとしては、高そうな椅子に座っている感じだけど。
……そんなイスも。
私たちの悪戯で、色々細工をして。
すっかり馴染みになってしまったからね。
今も同じ椅子なら、挨拶しておく必要もあるかもしれない。……なんて、曲がりなりにも四月から教師になる人間がすることじゃない、かな?
考えながらも、相槌は欠かさず。
「ええ、楽しくなりそうです。――期間の方は、承知しました。元々追われているような仕事など存在しない身なので、問題は無いかと」
「…そうか。では、直接会えるのを楽しみにしているよ」
……挨拶をして、電話が切れるのを待つ。
と、同時にやって来るメールは、彼の秘書である
巌さんの教え子の一人で。
とても優し気な紳士さんだ。
この迅速ぶりは。
相も変わらず、事務能力が天元突破しているね。
私の親友といい勝負……と言いたいところだけど、贔屓目ありにしても年季の差という点で、向こうの方が勝っているかな。
「さあ、必要なものを揃えに行こうか」
気分も乗ってきたことだし。
ちょっと、遠出するとしよう。
近いうちに車も買って、こっちの運転に慣らして…ああ、とても忙しくなりそうだね。
身支度を整えて。
私は、家を出ることにした。
◇
むかし通っていた。
そして、務めることになる学校。
電車で通勤する距離にある学び舎。
いま居るのは、その最寄にあるショッピングモールだ。
少し遠出ではあるのだけど、行きつけが無くなってしまった以上、暫くはここにお世話にならないと。
都合よく、近くにスーパーが出来ればいいんだけどね。
あの付近はやや郊外だし、およそ希望的観測な可能性だ。
―――にしても。
「…安くて簡単、ミルフィーユ鍋か。ちょっとリッチにトマト鍋か」
実に難しい。
今日は鍋ものの気分なんだけど、果たしてどうすべきか。
こってりとしたバラ肉の誘惑に、あっさりとした優しい味。…そして、〆に楽しめるリゾットや雑炊。
何と素晴らしきことだろう。
古ものの食器は何故か綺麗だったから。
洗い物も、その日の分だけで良い。
新生活は至れり尽くせ入りだったわけだ。
「でも、数年で結構変わるものだね。時代の趣味というのもあるだろうけど、私が学校帰りに冷かしていた店は軒並み無くなっていたし」
学生時代に遊びに来ていた場所。
多くのテナントが入れ替わり、当然、知人もいなかった。
だから、もし視線を感じたのであれば、それは別の意味を持った人たちが多いだろう。
こちらに戻ってきたことで、そういったものは多くなった。
だから、今回は対策済みだ。
服装は地味なものを選び。
使い慣れた帽子で髪を隠す。
サングラスというのは逆に目立ってしまうから掛けなかったけど、もしも物珍しいという理由で注目はされるなら、瞳の色くらいだ。
それくらいなら、気にするほどでも…。
「……ない筈なんだけど、なんでかなぁ?」
感じるもの、未だに多く。
どうしてなのだろうか。
食料品を抱えて広い通路を行けば、多くの視線。
首を捻りながらも、特に実害があるわけではないのでそのまま歩き。
年配の女性をエスコートし。
階段を悠々とのぼり。
元気そうな女の子とすれ違い。
さて次は何処へ。
……なんて、周りを見渡した時だ。
「二人ともー! こっちに…………え?」
背後で、声がする。
つい今しがた、すれ違った女の子だ。
「……あの。――もしかして、ルミねぇ?」
震える声で、私の名前を呼ぶ少女。
知人以外ではあり得ない行動。
その声と、面影。…そして、彼女の様子は視覚ではなく、嗅覚で認識したように思えて。そんな芸当が出来るのは。
私の知っている限りでは、ただ一人。
懐かしさと暖かさを感じながら、振り返る。
「本当に、どうなっているんだろうね? その嗅覚は。久しぶり、ナナミ」
「――ルミねぇ!!」
飛び込んできたのは、花の咲いたような笑顔。
図らずして、何もない所から芽吹かせるという芸当をしてしまった。
笑顔は星の数ほど見てきたけど。
これほどまで向けられて嬉しい笑顔はそうない。
「ルミねぇ! 本物のルミねぇだ!!」
がっしりと抱きしめられ。
身動きが取れなくなる。
食材の避難最優先だ。
……いや、困ったね。
何百と脱出マジックを披露してきた私だけど、このハグは振りほどくことが出来ない。こうも早く会えて、私自身も凄く嬉しいから。
何度も名前を呼ばれながら。
その髪を撫でていると。
当然ながら、更に視線を集めてしまっている訳で。
声で居場所を探り当てたのか、彼女の連れと思わしき男女二人がこちらへと歩いてくる。
「――七海?」
「七海ー、先に行ったら困るって何度も……何やってんだ?」
ああ、知っている二人だとも。
何年経っても、三人は仲が良いみたいで。
一人は、茶色の髪でメガネを掛けた、優し気な風貌の少女。
もう一人は…背が伸びたかな? 昔とは違い、長身になっているけど、真面目そうで、しっかり者の印象を与える黒髪の少年。
成長しようとも、その面影が消えることは無く。
なんの偶然かは分からないけど。
同時に会えて、本当に嬉しいね。
「二人も、久しぶりだね。エナは美人さんになっちゃって」
「え? 貴方は――!」
「………! もしかして」
流石に、忘れられたなんてことは無いだろうけど。
色々と服装とかを弄っているから、すぐにはピンと来なかったかな。
「ユウトは…ああ、荷物持ちだね? 私よりも大きくなってしまって。逆に、見下ろされる方に回ったんだ」
「「――!!」」
そして、確信に至ったのか。
一本ではなく、三本。
現れた笑顔は、とても眩しく、優しい。
本数こそ少ないけど。
十分に花束と言って良いんじゃないかな。
「「ルミ姉さん!!(ルミねぇ!!)」」
続いて、飛び込んでくる幼馴染。
三人に拘束されるというのは、かなり窮屈だけど…あれ?
…いや、これは。
感じる重みは二人分で……一人少ない。
ユウトは…男の子だしね。
遠慮するのは良く分かる。
でも、ね。
それはそれで、私が寂しいじゃないか。
「ユウトも、おいで?」
「いや、俺は……」
「私がさせてほしいんだ。お願い、できないかな?」
デパートの往来ではちょっとアレだけど。
ゆっくり、ゆっくりと。
目の前までやって来た彼の頭を、昔のように撫でる。
でも、数年見ない間に彼は私よりも身長が大きくなってしまったようで。ちょっと手を伸ばさないといけないね。
悔しくも、その成長が喜ばしい。
「久しぶり。身長も伸びたし、格好良くなったね」
「……ルミねぇは、変わらないな」
「うん、そうなんだよ。でも、困りごとがあってね? ちゃんと色々隠しているのに視線を感じて…おかしいよね?」
「ルミ姉さん、それ……」
「多分、これのせいじゃない?」
―――ああ、そっちなのか。
優斗の横から、再び飛び込んできたナナミ。
興行生活をしていた頃はあの手この手で対策をしていたけど、もう締め付ける意味はないから、そのままにしていていたんだよね。
だから、やけに視線を感じたわけか。
本能的な欲求だし、それもしょうがないのだけど…本当に?
「そうなのかな。二人はどう思う?」
「……恐らくは」
「俺は、ノーコメントで。というか聞かないで?」
「優斗は残念だねー。こんなに素晴らしいものを堪能できないなんて。ああ、この自然な柔らかさと甘い香りが……ほれほれ」
頬ずりする七海。
その様は、抱き着き癖のある親友に重なって。
…トワは、大丈夫なのかな。
昔は、「最低一日一回は抱き着かないと死んでしまうぅぅ」なんてアホみたいなことを言っていたんだけど。
今では立派なキャリアウーマン様だ。
卒業したとみて良いのだろうかね。
「ルミねぇ、どうにかしてくれ」
視線を逸らす優斗。
こんなものを見せられれば、誰だって恥ずかしくなるものだ。
彼のご要望通り、私はナナミの肩を抱き、ゆっくりと身体を離していく。
「こら、ユウトが困っているだろう? それに、公衆の面前でやることではないよ」
「…そういう事なんですかね?」
「違うと思うが、俺的には助かったから問題ない」
「ルミねぇも相変わらず緩いし、これは何時でも楽しめる……よね? 引退したんだから、もうどこかに行ったりしないよね?」
もう広まっているし。
知っているのは当然か。
声のトーンがみるみる下がり。
ナナミは、声を潜めて聞いてくる。
その表情は、先ほどまでとは真逆で。
不安そうに縋るような目で見られると、私は弱いんだ。
「言っただろう? 次に会った時は、もう何処へも行かないって。だから、何時でも会いに来てほしいな。家の傍に健康ランドもあるよ?」
「……ふふっ」
「――うん! 絶対に遊びに行く!」
「久しぶりに、特等席でアレを見たいな。友達も、紹介していいか?」
「もちろん歓迎だよ。三人の友人なら、きっと仲良くなれる筈だからね」
でも。
紹介されなくても、すぐに会えるんじゃないかな。
何せ、私が通勤することになるのは、君たちの学校だ。
ここで話しても良いんだけど、ビックリさせたいというのが第一なので、ウズウズする気持ちを抑えて三人を見回す。
「取り敢えず、連絡先をお姉さんに教えてくれないかな?」
その問題をどうしようかと考えてたんだよ。
ここで会えたのは、僥倖以外の何ものでもないね。
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