第9幕:リンゴ売りの無職
「ああ、業務用ダダンボールで二箱欲しいんだけど」
「え゛ぇ!? ちょっと待ってくれ!」
「こっちはバラ売りで三個お願い」
「俺は一箱で大丈夫だから。…ダダンボール置き手伝おうかー?」
―――凄い盛況だ。
先の宣伝が、それ程効いたかな。
ダダンボールと言うのは、頑丈な箱。
誰もが想像するような段ボールとほぼ同一のものと思って良い。
でも、世界感的に段ボールは存在しないから、こんな珍妙な名前の箱を指す名称として使われているんだろうね。
本物が出回ったのは、18世紀に入ってかららしい。
私も、手品でお世話になったことが沢山ある。
とても使い勝手が良くて。
隠れるのにも、最適なんだよ。
「在庫まだありますか?」
「おおう! 大丈夫だ。もってけドロボー! ……ふぅ、休む暇も――お?」
あ、スキマ時間が出来たみたいだね。
彼の視線がこちらに向いた頃を見計らって声を掛ける。
「店主くん。随分忙しそうじゃないか」
「――ルミエか! ちょっと手伝ってくれねえか!? 忙しくて敵わねえんだ」
随分信用されたものだね。
忙しいのは、喜ばしい事。
しかし、商売においても。
忙しすぎるというのは、時として苦悩を呼ぶ場合がある。
昔、テレビで宣伝されて人気店になった隠れた名店が、あまりの心労に店を畳んでしまった…というのを見たことがある。
ここが同じ末路を辿るのは困るね。
まだ、満足できる程食べていないんだ。
「では、並べる仕事を手伝おうか」
「助かる!」
看板娘は初体験だ。
…いや、流石に娘って年じゃないかな。
箱を並べながら。
時に運搬を任され、時に握手を求められたり、会話を求められたり。
どうやら、本当にNPCたちの噂話と言うのは大きく広がるようで……同時に、プレイヤーも色々なところから聞きつけてくるのだと理解した。
「
「また格好良い姿見せてくださいね!」
「ああ、ありがとう。でも、私の職業は【道化師】だから、もっと滑稽であるべきなんだよ?」
認識の齟齬があるわけではない筈なんだけど。
彼等は、文体で敬遠されそうな
その方が好意的な感じがするし。
「また、噴水広場の方で練習したりする予定だから、気が向いたら足を運んでみてね」
「「はーい!」」
小さな子供も、可愛いね。
【オルトゥス】の対象年齢的には、下限は12、3歳程なんだけど。
NPCまでは制限する必要がないからか、まだ十代にもなっていないような少年少女も、ちゃんと生活していたりするわけで。
この子たちのためには、ゲーム時間でお昼頃とかが良いのかな。
お祭りでもあるまいし、夜中に来れるはずがないだろうから。
満員御礼、大盛況により開け放たれた扉。
道行くNPCやプレイヤーたちからも声を掛けられながら、私たちは次々に物品(ほぼ一種)を売り捌いていくことになった。
◇
「……ふう。店主君は、何時もご苦労様だね」
「ちげぇよ!! どっかの異訪者が集客しまくるからだろうが! ……俺としちゃ大歓迎だが…なぁ。このままだと専門店になるな、これは」
それでもいいと思うけどね。
リンゴ専門店なんて、実に愉快じゃないか。
ようやく閉店の掛札を入り口に下げた店主君と向かい合い、背もたれのない椅子に腰かける。
「従妹さんのとこの在庫は、大丈夫なのかい?」
気になるのは、それ。
ゲームとは言え、これ程のリアルさだ。
他の店でも買ってみたけど。
どこか、味が違うんだよね。
それさえも多様性、本当に凄いゲームだと舌を巻くところなのだろうが。私にとっては、この店の品種が一番という事だ。
もしも枯渇なんてしたら。
卸せなくなってしまったら、私自身が困ってしまう訳で。
次は不買運動でも展開してみるのはどうだろうか、なんて考えが頭を過ってしまう。
「いや、それは問題ねぇ。【秘匿領域】から直送だからな」
「……む。それは?」
【秘匿領域】は、確か
だけど、私は行ったこともないし、それ以上の情報を知りえる機会がなかったので、店主君に問いかける。
彼は一瞬首を捻り…頷く。
そのまま「知らねえか」と言って詳細を語ってくれた。
「秘匿領域っつうのは希少種族の住んでる地帯なんだが、とにかく土地が肥沃で広大だからな。短期間で多量の青果が収穫できて、むしろ供給過多になってやがんだ。……まあ、この辺じゃ俺の店くらいだがな」
「……それって、まさか」
では、この店の果実がよそよりも圧倒的に美味と感じたのは。
そして、この店主の従妹さんというのは。
「君も、そうなのかい?」
「……ちろっとな。身体的特徴には表れてねえが、妖精種の血が入ってる」
何ともはや。
まさか、そんなバックストーリーがあったなんて。
もしかしてだけど、彼等NPCと仲良くなって話を掘り下げていくと、特定の隠しイベントとかも発生するんじゃないかな。
店主君も、その何割かは希少種族……妖精種の血縁で。
それは、何というべきか―――
「全然似合わないね」
「おいコラ」
だって、筋骨隆々で。
髪も眉毛も濃い黒色の大男だ。
眉目秀麗とされて「妖精」なんて言葉で表現される彼らとは似ても似つかない。
勝手な言い分になってしまうけど、吟遊ブラザーズとやっていることが逆じゃないのかな。
いや、むしろ。
妖精さんとかいう芸名でブレイク狙い?
これがギャップ燃えなのだろうか。
……萌えだっけ?
昔、トワが「燃えるのはエルフの森だけ~」でとか言ってたね。
「うーん、血縁と言うのは不思議なものだね」
「美形な妖精様じゃなくて悪うござんした。だけど、これでもモテた方なんだぜ?」
へえ、そうなのかい。
少しばかり拗ねてしまったようで。
そっぽを向く店主君。
でも、「モテた」なんて言う割には嬉しくなさそうだね。
察するところ、一番振り向いてほしい人が、見てくれないってところだろう。さっきの会話で、確信するものがあったし。
あまり冷かすつもりはないけど。
まあ、ちょっとくらいなら…。
「従妹さん、可愛いでしょ」
「――! 何だよいきなり!」
「隠さなくて良いさ。私は、人間観察が大得意なんだよ? そういう関係になりたいと思うのは、当然の欲求だし」
「……ルミエ、マジで何者なんだよ」
「ただの無職な道楽主義者さ。ちょっと、誰かの笑顔が見るのが好きなだけでね」
でも、首を突っ込みはしない。
それはあくまで彼の問題であって、興味本位で部外者が踏み込んでいい物ではないから。
機会があるのなら。
相談くらいは、何時でも乗るけどね。
「出会って10日程度だぜ? 見透かされてる感がすげぇよ」
「不快な思いをさせてしまったかな?」
「……いや、むしろ気が軽くなるのが怖ぇんだ。ルミエは、この都市に来る前まではどこで何をしてたんだ? どう足掻いても、俺じゃそんな風に育つ気がしねえよ」
この都市に来る前…ね。
それは、どう言えばいいものか。
現実の世界では、すでに引退した身にも拘わらず…いや。自分で決めて、その世界から身を引いたのに、未だこの世界では【道化師】で。
トワに薦められたとはいえ、やっぱり私はこれが大好きなのさ。
その過程を。
あえて言葉で表現するのなら…そうさね。
「ちょっと、世界を騙す愉快な仕事をね」
「言い方ァ!? 例の職業関係なんだろうが、もっと他に有るだろうが!」
間違ってはいないよ?
「ったく。……この後の予定は?」
「ちょっと教会図書館で調べ物。それから、噴水広場の方で練習でもしようかな。戦わない身としては、投げ銭が嬉しくてうれしくて」
「……投げ銭、ね。ルミエなら、もっと大稼ぎできんじゃねえのか?」
おや、嬉しいことを言ってくれるじゃないか。
そう言ってもらえるのが、一番の喜びだよ。
でも、こればっかりは現実とも一緒。
私が出来るのは。
このくらいが、丁度良いんだ。
「今更だけど、あんまり本職にはしたくなくてね。これでも、隠居してきた身なんだ。だから、必要最小限の清貧な生活が良い」
「そうなのか」
そんなんだよ。
強すぎる光は、目を焼いてしまうから。
月光のような…。
優しく、寄り添う光が一番なんだ。
…かつて出した結論を胸の中で再確認していると。
店主君が遠慮がちに、ちょっと恥ずかしそうに問いかけてくる。
「じゃあよ。……うちで、下宿しねえか?」
「ほう」
「ずっと宿屋ってのも維持費が大変だろ? うちなら、偶に手伝ってくれりゃあ他は自由だ。丁度空き部屋もあるしな」
…下宿。
VRゲームの世界で、ね。
それは、なんて面白い体験だろうか。
確かに【道化師】をやるために、いろいろな道具を買い揃えないといけないから、アルはささやかながら節約をしたい。
あと、他の都市にも行ってみたいし。
帰る場所があるっていうのは、とても気分が温かくなる。
「…どうだ?」
「好きな人がいるのに女を~」
なんて、揶揄うのも良かっただろう。
でも、私たちの間柄はまだそんなに強固に構築された物じゃないから。それを言うのは次の機会にして、恥ずかしそうに確認する彼に向き直る。
まあ。何にせよ。
まだ暫くは、この数奇な出会いによる縁は続くようで。
「よろしく頼むよ、ノルド君」
「………覚えられてないんじゃねえかと密かに思ってたぜ?」
「ははは、まさか。物覚えは良いんだ」
そんな訳はないだろう。
まだこれからだけど、君程この世界で親しい友人は居ないんだし。
でも、やっぱり。
―――フレンド、欲しいね。
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