第1幕:隠居への一歩目




 日本までは、飛行機で約12時間。


 空港に降り立てば、空は真っ暗。


 交通量の少ない道路。

 私は、荷物の少ない控えめなキャリーバッグを引いていく。


 残りや忘れ物は、後日サクヤが送ってくれるだろうし。

 

 むしろ、心配はそちらでなく。


 祖父母から受け継ぎ。

 昔ながらの日本家屋である自宅は、今頃どうなっているやら。


 管理人さんはいる筈だけど。


 庭の草花は、当然に荒れている事だろうし。

 室内も、数年来の埃が重なり。



 ………………。



 ………………。



「およそ、そんな感じ……かな?」



 少なくとも、最後に帰ったのは数年前で。

 最初にしなければいけないことが大掃除であることは決定的だね。


 それを想像すると。

 精神面でも、くるものがあって。


 くたくたになりながら、街道を歩き。

 適当なタクシーを捕まえたところで、運悪く携帯が控えめに震える。


 タクシーの中で電話するのはマナー違反ではないけど、一応声はかけるのが良識のある客。



「運転手さん。電話、良いかな?」

「えぇ、勿論です」



 愛想の良い男性に了承を貰い。

 画面を確認すると、会いたいと思っていた友人の一人からだった。



「―――トワから? こんな真夜中に……なんだろ」



 そのうち、コチラから連絡しようと思っていたけど。


 向こうからの方が早かったというのなら是非もない。


 定期的に連絡を取り合う仲。

 そうそう声を忘れる筈もないけど、やはり聴覚に訴えかける友の言葉は安心できるもので……。



『ルミが帰ってきた……! ヤッター!!』

「声が聞けて嬉しいよ、トワ。疲れているなら、ゆっくり休んだ方が良いね。それじゃあ」



 訂正、凄くうるさい。


 子供のように良く通る声は、それだけ耳への負担も大きい。


 彼女、トワは大企業の社員だね。


 元々、国内では有名だったけど。

 ここ数年で更に一回り……世界的に有名になってしまった身だし、忙しいのだろう。


 そう結論付け。

 

 私は、流れるままに携帯をポケットへ―――



『待って、待って? 今のなしだ。ほら、ルミの冒険大成功祝いがしたくて』



 ……ふむ……フム?


 別に、大冒険はしていないけど。


 恐らく、興行生活の終了を祝してくれているのだろう。


 十年来の親友の一人だ。

 独特な感性なのは昔からで、今更気にするようなことでもない。



「まぁ、良いか。して、お祝いとは?」

『家に着いてからのお楽しみだ! !』



 ほほーーう。


 実に興味深い。


 着いてからの楽しみが一つ増えてしまったね。

 特に、「またな」という言葉。


 あのニュアンスは、またそのうち会おうという感じではなく。

 家で待っているという意味に聞こえてならず。


 身体をブルリと振るわせるのは、寒さか怖気おじけか。


 確認を忘却の彼方へと追いやり。


 私は、ゆっくり……ゆっくりと。


 深く息をつき、座席へ身体をもたげる。



「―――運転手さん」


「はい?」

「お金は気にしなくて良いから、遠回りしてくれないかい?」

「……はい、畏まりました」



 ああ、そうだとも。


 危ない匂いしかしなかった。



 ……………。



 ……………。


 

 そして。



 目の前には、古風な木造の邸宅。

 屋根は瓦葺かわらぶきで、敷地も車の乗り入れが楽に出来るほど広い。


 これが、私の名義で残っている家だけど……。


 そう、問題なく着いてしまったので。


 仕方なく鍵を開けて、自宅へと入る。


 庭の草花は綺麗に整えられていて。

 真夜中でも、違和感はまるでなし。


 ……ならば、屋内の様子は?

 ひっそりとしていて、人の気配はなく。

 数年空けていたとは思えないほど埃の類が見られず、毎日掃除をしていたかのように綺麗な廊下を歩き、リビングへ。


 この時点で、狐につままれたような心境なのに。


 目に入ってきたのは、堂々と鎮座する巨大な箱。


 こうなれば。

 危ない仮説が脳裏を過るもので。



「よもや―――直接入っては?」

『ないない。抱き枕にされるからな』


 

 いないらしい。

 

 繋ぎなおした通話からは、否定の声。

 一昔前の、「プレゼントは私♪」とかいうヤツでないことは分かったよ。


 もしもそれをされたのなら、彼女には抱き枕としての任を果たしてもらうのも良いだろう。

 不法侵入の罰としては甘いものだ。



「―――で……これは?」



 目の前には、光沢のある丈夫な箱。


 それを、警戒しながら開くと。

 その中身は、私でも知っている最新技術の塊。


 これが指すものは、つまり……。


 ああ、そういう事だったんだね。



『ジャーン! どうだ……!』

「ありがとう、トワ。まさか、お小遣い稼ぎをさせてくれるとはね」

『………へ?』



『―――ぁ! いや、違うぞ!? 転売用じゃない!』



 あぁ、違うんだ。


 これは、彼女が開発を務めたゲーム機。

 現在、日本中で話題となっているフルダイブ型のVRゲームハード。


 通称、【ON】だね。


 現時点で出回っているのは十万台ほど。

 あまりの人気さゆえに、転売ですらほとんど出回ることは無く。


 てっきり、小金を稼がせてくれるのかと。



『隠居したら、色んな事を楽しみたいって前々から言ってただろ? この世界なら、それが叶うぞ!』

「……ふむ。ソフトは?」

『勿論、わが社の売り上げトップ! 【オルトゥス】だ!』



 えぇ……と、ちょっと待っててね。


 いま簡単に調べるから。


 全て説明してもらうのも申し訳なく。

 箱のすぐ傍、ソフトが梱包されているであろうもう一つの荷物を手に取り。


 付属品の説明書を開いていく。


 ……はい、はい。なるほどと。


 ファンタジー系統。

 剣と魔法の正統派ロール・プレイング・ゲーム。

 好きな種族と好きな職業、膨大なアイテムの組み合わせは、貴方の望みがきっと叶う。



 世界の起源オルトゥスに向かって。


 大冒険を楽しみましょう―――と。



「このキャッチコピー、考えたのは?」

『勿論私だ!』



 道理でハイテンション。


 でも、ファンタジーか。


 劇の参考にいくらかの文献や小説を読んだことはあるけど。

 実際に、自身でそういったゲームをやったことは無いね。


 それが、最新のVRとなれば猶更で。

 興味よりも、不安の方が勝ってしまうよ。



「やってみれば、わかる。本当に物凄いんだぞ? これは。他社のソフトなんて、絶対に使えなくなること請け合いだ」

「……まあ、そこまで言わなくても興味はあるし、やってみるけど」


「それで良い。何より、ルミにピッタリの職があってだな?」 



 ……………。



 ……………。



 簡単な手ほどきと解説を、開発者の一人に受けながら。


 ゲーム機本体を広げて。

 私は機器の類をセッティングしていく。

 元々の準備が良いからか、あまり苦労せずにできそうだね、これ。


 機械音痴ではないけど。

 ちょっとは手間取ると思ったんだけど。

 

 リラックスしているからかな。

 静かな部屋は、とても……あ、忘れていたよ。



「で、結局は何処にいるんだい?」



 本当に人の気配がしないので。

 家の中でないのは分かったのだけど、それなら何処にいるのだろうかと。


 組み立てながら、先程からの疑問を口にする。



『もちろん会社だ。サクヤに帰国の話を聞いて急いでプレゼントの準備をしたんだが、急用が入ってな。あと、家の中にいたら身の危険があっただろうから』



 流石、親友。


 勘の良い社畜さんめ。


 正解のご褒美に、そのうち酔い潰して抱き枕にしてあげよう。




   ◇




 ―――あれから時間が経ち。


 トワに勧められた私は。

 まんまとベッドに横たわらされて、襲い来る未知の感覚に身を委ねてしまっていた。


 本当に、彼女は商売が上手く。 


 気付けば真っ白な空間に居て。


 目の前には、小難しい利用規約。

 騙されたと気付いたときには既に遅かったようで。


 しっかり目を通した後。


 ちゃっかりサインをしてしまった。



「これで、良いのかな?」



 名前を文字ってきゃらねーむを作り。

 追って表示された文字を読み込んでいく。




『種族をお選びください』




 もう、後戻りはできない。


 だって……。


 私は、こんなにもワクワクしているのだから。


 人生で一度も体験しなかった、不思議な感覚。

 浮遊感があるのに意識ははっきりしていて、現実では横たわっているので何処か心地良い感覚。


 暫くこのままでもいい位だ。

 きっと、ここには戻ってこれないだろうから。


 ……でも。

 システムとはいえ、待たせるのは申し訳ないね。


 そう考えて。

 改めて、目の前のパネルと向き合うけど。



「種族―――ね? はてさて」



 キャラメイクで選べるのは四種類。

 表示されるのはイメージキャラクターと簡単な概要。


 組み立て中に聞いたトワの話では。

 ゲーム内では、既にいくつかの新種族への方法とやらが発見されているらしいけど。


 ここにあるのは。

 私でも知っているような、メジャーなファンタジー種族ばかりで。



 ……いや、最後のはオリジナルかな?






人間種ヒューマン


最多種族です。

初期スポーン地域は【人界領域】に存在する交通網に栄えた【通商都市:トラフィーク】

自由に冒険を楽しみたいプレイヤー向け。

ボーナスはありませんが、多くの職業適性、無限の可能性を秘めています。


戦闘系:ボーナスなし




妖精種エルフ


僻地で隠遁する希少種族です。

初期スポーン地域は【秘匿領域】の【妖精都市:エデン】固定となります。

里を出て冒険に出る事も可能なので、気の向くままに世界を楽しみたいプレイヤー向け。


戦闘系:魔力・俊敏にボーナス




小人種ドワーフ


大陸各地に分布する種族です。

初期スポーン地域は【人界領域】の重要都市からランダムに選ばれます。

これでもかと白兵戦闘を遂行したい人や、職人気質のプレイヤー向け。


戦闘系:筋力・魔防にボーナス




半魔種デミディア】*初期ロット限定


人間種と魔族の混血です。

初期スポーン地域が【魔族領域】の重要都市になります。

国家で成り上がりを夢見るプレイヤー向け。


戦闘系:魔防・魔力にボーナス


 




 初期の開始地点もバラバラなんだ。


 私自身に希望があるとすれば。

 自由に遊覧するのが良いから……よく分からない半魔種以外かな。


 あと、戦闘系のボーナスというのも。


 今は、余り考えなくて良いだろうね。


 その予定は、まるでないから。

 


「うーーん、人間種で良いかな? ゲームだし、老衰はしないさ」



 特にこだわりもないし。


 無難に、一番上にあるアイコンを選択。

 こういうのは、なってから楽しみ方を考えるのも乙だ。


 しかも、私は人間種歴20数年。


 他の種族にするよりも、多くのアドバンテージを取れる……かもしれない。



「次は―――戦闘系の一次職と、生活系の二次職?」






【一次職:戦士】

筋力や体力、スピードなど、スタイルを生かした多様な戦闘を行えます。派生先は主武器によって変化するので、好きな戦いを楽しみましょう。白兵戦闘を楽しみたいのなら、迷わずコレ。


能力適正

白兵:C  射撃:D  器用:D 

攻魔:E 支魔:E  特魔:E


備考:【勇者】への近道




【一次職:狩人】

手先が器用で、隠密に特化した職業です。主な武器は短剣や弓などの奇襲を狙うものが好相性。もっとも適性があるのは妖精種ですが、他種族の場合、別の可能性が開けるかも。


能力適正

白兵:D 射撃:C  器用:D 

攻魔:E 支魔:E  特魔:E


備考:一撃! ロマン砲が多数……




【一次職:術士】

超常の力を扱うための基本職です。多くの種族と好相性で、派生先も膨大なので、自分だけの最強構成を模索しましょう。仲間を巻き込まないように注意。


能力適正

白兵:E 射撃:E  器用:D 

攻魔:D  支魔:C  特魔:E


備考:派生先選びは慎重に。小人ドワーフさんはご遠慮ください






 一次職―――うん。


 下にスクロールしていくと。

 【僧侶】や【盗人】など、まだまだ存在していて。

 膨大な選択肢の中から、自分が最も惹かれた職を選べるというのは、実に夢があることなのだろうけど……。


 興味、かなーり薄いね。


 戦闘なんてもっての外。


 私は、これで平和主義なのさ。

 先日までそう呼ばれていたからという理由で、【術士マジシャン】を選ぶのも違う。


 何せ、これは笑わせるよりも恐怖させる側だ。



「適当に選んでも良いのだけど―――んう? これは……?」

 


 最下段まで検閲し。

 目を留めたのは、最後に表示された職。






【一次職:無職】

選んだ人は、穏やかな暮らしをしたいものと思われます。無職は、きっと貴方が満足するまで付き合うでしょう。もし、自堕落な日々に別れを告げたいのなら、重要都市に設置された【職業斡旋所ヘロウワーク】へどうぞ。


能力適正

白兵:E  射撃:E  器用:E 

攻魔:E  支魔:E  特魔:E


備考:考え直しましょう。家族が泣いています






 いや、訂正だ。


 職ではないね。


 適正がなく、これといって強みも書かれていない。

 言わば、私のようにゲームは楽しみたいけど、戦闘は避けたいという面倒なプレイヤー向けに宛がわれる暫定職なのだろう。 


 それにしても、説明が辛辣だけど。


 ひとしきり全職業を見て考えて。


 やはり、戦闘系を習得する必要は……ないかな?


 戦うために始めたわけではないし。


 そうと決まれば、やることは一つ。



 【無職】を取得っと。



 ……無を取得。

 さぞや、隠居の身に相応しい事だろう。



「ふふふっ。案外、楽しいものだね」



 敬遠していたわけじゃないけど、疎遠だったのは間違いなく。

 ゲームというのは良い物だ。


 こういうのって。

 始める前のクリエイトが、一番楽しいって聞くからね。



 ―――さて、ようやくお待ちかね。



 目的の、二次職決定といこう。

 先程までと違い、明らかに心が躍っているのは、彼女トワの残した言葉に、惹かれるものがあったから。


 二次職は、初期だけで数十と種類があって。

 戦闘職よりも圧倒的に多様な職業が存在する中で、私が探していたのは……。



 あった、コレだ。



道化師ジャグラー



 道化……これは、言うなれば手品師。

 

 人を驚かせ、笑わせるための職業だ。



「無職の道化師―――か。うん、いい響きだ。そうしようじゃないか」



 役に入り込むのが大好きな私からすれば。

 こういうのは大歓迎。

 嬉々として、この怠惰な放浪者を演じ切って見せようじゃないか。



「そうと決まれば早速――いや。ちょっと待とう」



 開始ボタンを押そうとして。


 ふと、指が止まる。


 よくよく考えれば、今日は寝ていないじゃないか。

 向こうとこっちでは時差があったというのも大きいけど、飛行機の中では安心して熟睡する事も出来ず。


 どこか深夜のテンションといった感じで。


 これでは、いけないね。


 せっかくトワがプレゼントしてくれたのだから。

 まともな精神状態で始めねば不作法というもの。

 


 ……………。



 ……………。



「よし、今日は寝よう」



 真っ白な部屋の中。

 説明書通りに手を振ると、メニューが開かれて。


 一昔前に流行ったというジャンルのように。

 ログアウトが出来なくなるというようなこともなく。


 気が付けば、私は新品のベッドに横たわっていた。


 数秒かからないなんて、随分と。


 そして。

 背中に感じる柔らかな感触。

 新品であることからも分かるけど、こんなベッド―――うん。


 寝心地は、非常に良いけどね?


 勿論、私は買った覚えもなく。



 請求書、貰わなきゃ。



 あと、防犯カメラの購入と、自宅セキュリティの見直しも。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る