ルーキスinオルトゥス ~奇術師の隠居生活~

ブロンズ

第一章:ログイン編

プロローグ:奇術師、閉幕す



 薄暗く、巨大なホールに、万来の喝采が鳴り響く。



 最後にして最高の一幕が。


 一大公演が終わりを告げ。


 壇上に立った唯一の人物は、たった一人へと視線を注ぐ無数の観客へ、堂々と向き合う。


 柔らかな笑みは仮面で隔たれ。

 見えるのは艶やかな唇と、蒼穹の如き青の瞳。

 後頭部で束ねられた金の長髪。

 それらが本物なのか、或いは偽物なのか。


 結局の所。

 この最後のひとときですら、素顔がおおやけにはされる事はなかった。

 


 ……舞台へ立つ者の名は、ルーキス。



 その男は、空前絶後の天才奇術師。

 彗星の如くこの世界に現れた彼は、引き込まれるような演技力と神懸かりな手品の腕で、瞬く間に世界を虜にした。


 この世界に踏み入れてから五年。

 それが長かったのか短かったのかは、本人のみぞ知るが。



「では、皆様。また、何処かでお会いしましょう」



「夢か、現実うつつか……はたまた別世界か。皆様の明日が、優しい夜明けで始まるように……!!」



 少なくとも、惜しまれていたのは間違いないだろう。


 なお止まぬ喝采の中でも。

 様式美となった挨拶は良く通り。


 彼は、ただ一人観衆へと深く頭を下げる。


 それは、幕が降ろされるその時まで続き。


 

 喝采が鳴り止むことは、決して無かった。




   ◇




「―――お疲れ様、ルミ」



 マネージャー兼秘書を務めていた女性。


 奇術師の相棒……サクヤ。

 彼女の声を受け、ようやく実感が出てきたのか、男は肩の力を抜き。



 たった一言、呟く。



「……これが、最後か」

「そうね、とても感慨深いわ。世界中を巡って、デビューした国で興行を終える。うん、カンペキ!」



 椅子に腰かける奇術師、その隣で。


 凛とした雰囲気を纏いながらも。


 子供のように喜びはしゃぐ女性。

 

 しかし、本当に。

 ルーキスは、その事務能力マネジメントスキルには舌を巻いていた。


 自分がここまで円滑に物事を進められたのは、一重に彼女のおかげだと。

 何度目か分からぬ感謝を覚えながらも、少しずつ声のトーンを戻していく。


 ゆっくり……ゆっくり。


 低い声から高い声へと。



「皆、笑顔だった。我々の……勝ちだ」



 そんな折に零れ出たのは、違わぬ歓喜。


 ……奇術師としての、最期の言葉で。



「えぇ、本当に。そして―――ふふっ……。貴方は、最後までわね? 元、奇術師さん?」



「あぁ、実に愉快だろう?」



 柔らかなソファへと身体を預けて。


 彼は、魔術師としての仮面を外す。




 現れた素顔は―――――女性のもの。




 故国が知れ渡っていることから。

 カツラなのではという推測が多かった金髪は、地毛で。


 青い瞳もコンタクトの類ではなく。


 全て、親からの貰い物。


 月見里やまなし 留光るみ

 それが、奇術師ルーキスの本名。

 同性であろうとも息を飲むような美麗な女性が、そこにはいた。


 が、しかし。


 彼女の持つ頭部と。

 男性的な体格は、非常に不釣り合いで……。



「―――っとと」



 彼女が身体を揺らしたことで、ソファからバラバラと落ちていく小道具。

 全てアドリブで、場に合った演出のみを行ってきた彼女の武器であり、同時に体型を誤魔化す小細工だ。


 仕草、骨格、喉仏。

 多くの差異はあるが、二足歩行である以上、変装は容易かった。


 少なくとも、彼女にとっては。

 事実として、女性説は一度として表に出ることは無く。


 それを知っているのは、この道に足を踏み入れる以前からの友人知人のみ。


 だが、知っていても慣れるのは難しいらしく。

 内部の人間であるサクヤでさえ、何度瞬間に立ち会っても目を疑っていた。



「ホント、魔法みたいね。良くその重みで軽やかにステージをべるわ。……特に、その脂肪の塊」

「道具に比べれば、これは軽い方さ」

「なぁに? 嫌みかしら……?」



 そういう訳ではない筈だが。


 若干棘のある冗談に、ルーキス……ルミは苦笑する。


 彼女からすれば。

 サクヤの、すらりとしたモデル体型も羨ましいものだ。


 とは言え、隣の芝は青いもの。

 平行線の話をするよりは、これからの事を話そうと彼女は考えた。



「―――サクヤは。これから、どうするんだい?」

「そうねぇ……」

「いつものかな?」

「……えぇ。暫くは、こっちでゆっくりしようかしら。せっかく数か月先まで先払いしてたのよ? 最高級ルームが勿体ないわ」



 本当に、この女性は……と。


 ルミは、思わず頬杖をつく。


 相棒は、学生時代から貧乏性が抜けないらしく。


 しかし、自分たちは二人三脚。

 名義こそ自分でも、別に彼女が期日までここを自由にするのは全く問題ではない。


 むしろ、謝礼としてはあまりに小さく。

 後日、改めて何か用意しようと考えた頭に、新たな情報が伝達される。



「ルミは、やっぱり。すぐ帰るのかしら?」

「うん、そうだね。何時までも手紙だけで皆とやり取りするのは味気がない。何より、傍で見守ってあげるのも隠居の身には乙な物だろう?」

「貴方、まだアラサーにもなってないわよ。それは隠居じゃなくて無職って言うの」



 それでもいいだろう。


 否、まるで良くない。


 両親にも、祖父母にも申し訳が立たない。

 いかに世界一の奇術師でも、恨み言を言いながら攻め立てる霊まではどうにもできないから。


 それは、宗教関係の専門家にどうにかしてもらおうと。

 ルミはゆっくりとソファから立ち上がり、服を着替える。


 反対に、サクヤは。

 ベッドを整えて、睡眠の準備に入っているようで。



 起きるのは何時になる事やら……と。



「――じゃあ。また、そのうち」

「えぇ。暫くしたら、私も帰るから。その時は、一緒に飲みに行きましょ? トワも誘って」

「そうだね。約束だとも」



 幼馴染に長い言葉は要らず。


 親友と言葉を交わし、ルミは部屋を後にする。


 束ねていた長髪は、糸のほつれた帽子へ押し隠し。

 地味な服に身を包めば、ホテルの最上層に迷い込んでしまった一般客にしか見えず。


 彼女の姿は景色に溶け込み。


 有象無象の闇へ消えていく。



「さぁ、帰ろうか。―――日本へ」



 抑揚のない声と、底の見えない無表情ながら。


 その青い瞳は、何処かワクワクの感情を隠しきれていなかった。

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