烏賊墨《イカスミ》

 障泥烏賊アオリイカ


 カタカナではお馴染みの、釣り界隈では人気の烏賊。

 障泥あおりとは馬具の一つ。馬に乗り込むためのあぶみと馬のわき腹との間に下げた、馬を守るための革製の泥よけである。

 馬を駆けさせるとき正面からの風を受けてバタバタとなび障泥あおりの動きが、障泥烏賊アオリイカの泳ぐ様子とよく似ているのでこんな名前がついたとのこと。



 苦節3年、過去に2度ほど釣り上げたきり、釣りの度に仕掛けを投げ入れるも全く音沙汰がなかった烏賊を、先日久々に釣り上げた。

 秋イカのそれらしく、足先まで七寸半(22センチほど)の程よい大きさであった。

 仲間も称賛してくれて、自分も顔は控えめに心中狂喜していた。


 刺身がすぐ思い立った。しかし、久々の釣りで疲れ切っていたので帰宅後すぐ喰う気にはならず、ワタを取っての下ごしらえだけしておき冷凍庫へ。


 翌日夕方、カチコチになったイカを保存袋ごと水を張った鍋で予め解凍しておき、今宵の調理にかかる。夢に出てきたアレを作るのだ。


 軽めの油をひいたフライパンに保存袋から取り出したイカをキッチン鋏でジョキジョキ切り、エンペラもゲソも香ばしく焼いていく。白い身にたちまち紅が入る。


 焼けるイカの香りは冒涜ぼうとく的である。イカ焼きの屋台で何度足を止めたことか。あの香りに惑わされ、気がつけばビールとともにイカ串をタレでベチャベチャにしながら頬張りグビリグビリとビールが止まらない──。

 イカの香りにはどうしても逆らえない。


 ンと思いつつ一番小さな一切れをつまみ食いする。

 噛みしめるたびに旨味が爆発する。海の香りと焼けたイカの香ばしさが共演し、これだけで口福を感じる。


 二口目を意思で抑え込み、醤油をかけて逸品を完成させる事もぐっと我慢してレトルトのミートソースを投入。しっかりと火を入れる。


 ワタから外しておいた墨袋。真っ黒なイカ墨を赤の海原へ投入する。

 諸々我慢していたのはをするためだったのだ。

 あっという間に赤が黒に変わる。指についた墨を舐めると、これも旨味の塊である。


 すずりの中のような色合いになったフライパンへ、予め茹でておいたスパゲティを投入。

 黒い体積が増える。それと共に芳しさが増して、食欲を増大させる。

 わざと少しだけ焦がすように混ぜ合わせ、満を持して大皿へ。


 店に行けばある程度の値段はする、イカスミパスタ(大盛り)の完成である。


 大皿に少ししか乗せず、洒落たワインと共に提供するようなお洒落なイタメシ屋など知ったことか。イカ・ビール・大盛りの三種の神器、コレを喰らうために諸々我慢したのだ。


 ──いただきます。


 フォークなど使わず箸で掴む。

 ハネに気をつけながらバクリと口に入れる。

 まず感じるのはトマトの酸味。続けてイカ墨の暴力的なアミノ酸が口いっぱいに広がる。

 ひと噛みする度、小麦の甘みとイカの甘みがタッグを組んで口内蹂躪を始める。サクフワのイカの身とモッチリとしたパスタ、この2種類だけなのに、歯と顎が喜びの上下運動を止めない。

 奥底にあるひき肉の旨味も感じつつ、ビールを流し込む。


 グビリ、グビリ、グビリ、──


 叫びたい気持ちを抑えつつ、まだたっぷりある大皿の中身に果敢に挑む。


 チュルリ、モグサク、グビリグビリ

 チュルリ、モチモグ、グビリグビリ

 チュルリ、モグモグ、グビリグビリ──


 あっという間に食べ尽くす。

 残ったソースは食パンで拭うのがお作法。


 ごちそう様でした。


 また次も釣り上げることを誓いつつ、


 ──今宵はここまで。

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