4-7 vsスマイリー


 モンステルの叫び声を耳にして、スマイリーは我に返った。

 興奮のあまり好き勝手にしゃべり続けていたスマイリーは、途中からだれも自分の話に耳を傾けていないことには気づいていたが、それでも口は止まらなかった。

 もともと復讐を行う夜はハイだったが、今夜は格別だった。

 まず、あのミラー家のひとり娘であるアルミラ・M・ミラー。彼女は極上の粛清対象であるのに加えて、ほかの者とは異なり、最後まで気丈な態度を貫いていた。彼女に復讐を果たすのは、きっと最高の経験になるだろうという予感があった。

 それに加えて、とくに復讐相手でもなかったのに、五年前にあれほど笑わせてくれたシンと運命的な再会ができた。

 果てしなく上昇するテンションに、自分の笑い声がうるさいな、とスマイリーが思った矢先だった。

 地響きのような叫び声が、あたりにとどろいた。

 それがモンステルのものだということに気づくのに、スマイリーは遅れた。

 なにせモンステルの声を聴いたのは、今度こそ本当に生まれて初めてのことだったからだ。

 大量の鮮血が飛び散って、よく知る場所――スマイリーとモンステルにとって故郷とすら呼べる生理学研究所の壁が、どす黒い血の色に染まった。

 背中が半分に割れるような傷が負いながらも、常識はずれの怪人であるモンステルは、いまだ致命傷には至っていないらしい。

 それでも、今の一撃が決定打に近いことは明らかだった。


「……まさか」とスマイリーはつぶやく。

「まさか――お前が負けるというのか? モンステル」


 だれが相手であっても、モンステルが近接戦闘で敗北するなどとは想像したこともなかった。

 モンステルに与えた、人体や物体の大きさを自在に操る砂塵能力は、自分たちが復讐劇に着手した際、スマイリーがいちばん初めに用意した砂塵能力だ。

 戦闘面・汎用性のどちらを取っても文句なしの一流といえる能力に、スマイリーは幾度となく助けられてきた。

 スマイリーは、この唯一信頼する友人を最強にするために、さらなる手段を講じた。巨大化するとその分だけ動きが鈍くなることが難点だったから、速度を補うだけの塵工体質を付与してくれる砂塵能力者を捜した。その能力者の少年は、遠い退廃都市ではした金をもらうために、その超稀少な能力を行使していた。

 そのつぎに、今度は逆に力が強すぎて反動でダメージを受けることになったから、モンステルの皮膚を強靭にできる砂塵能力者を捜した。それもまたうまくいき、そうして名実ともに最強の用心棒が生まれたのだ。

 そのはずが――

 今スマイリーの眼前で繰り広げられている戦闘は、とてもではないが信じられない光景だった。


 つねに冷静沈着なはずのモンステルが、黒犬マスクの粛清官を捉えるために、まるで本当に人間をやめたかのような獰猛さで四肢を振るう。

 相手は舞踏するように華麗に回避すると、モンステルの背後に回り、二本のダガーをモンステルに突き刺した。

 続けて、相手はパーム・ピストルを取り出す。

 掌を構えて何発も、零距離で弾丸を連射した。ダンッ、ダンッ! と響く鋼鉄の弾が、またもモンステルの体内深くに食い込んで、遠く離れた場所に立つスマイリーのところまで血を跳ばした。

 スマイルマークのマスクが、血の涙を流す。

 その血を拭ったときに、スマイリーは、自分がもう十秒も笑っていないことに気がついた。

 もはや戦況は、完全に相手に向いているといっていい。このままではモンステルが倒れるのは時間の問題とさえいえた。

 自分が笑い続けるためならば、スマイリーはなんだってする自負がある。

 あってはならないことだが、もしモンステルが戦闘で負けるならば、スマイリー自身がなにか策を練らなければならなかった。

 ふと、スマイリーは熱い視線を感じた。

 顔を向けると、幽鬼のような雰囲気を持つ復讐者が、モンステルの身体を削りながらも、こちらを凝視していた。

 ――つぎはお前だ、と言わんばかりの激しい形相が、相手の被る黒犬マスクの下に浮かんでいることは、わざわざ推して量るまでもなかった。

 まさか、何年も前に自分が笑いの対象にしただけの少年が――今は少女が――モンステルを追いつめるほどの人間に育っているとは思いも寄らなかった。

 しかし、後悔は先に立たない。

 彼にも弱点があるのではないかと考えて、スマイリーは過去の記憶に潜った。

 そして――ひとつ、ある策を思いついた。

 すぐさま行動に移らねばならない。モンステル

 スマイリーは近くに落ちていた鋭利なガラスを手にすると、来た道を引き返すことにした。

 それに気づいた敵が、スマイリーに迫った。

 けっして逃がしはしないとでもいうかのような俊敏な動きは、しかし苛烈な攻撃を何度もその身に受けて、なお絶命していないモンステルが塞いだ。


「いいぞ、モンステル! そのまま、少し待っているといい!」


 そう残して、スマイリーは息を切らしながら駆けていく。

 走るなどという行為はただ疲れるだけでなにも笑えないはずだったが、スマイリーははやくも期待に笑い声を上げていた。

 これは一種の賭けだった。

 だが成功すれば、この危機を打破できる。それどころか、スマイリーの人生で最大級の笑いが見込める、たったひとつの冴えた手段とさえいえた。


 ---


 立ち塞がるモンステルの攻撃は、ここにきて当初のキレを取り戻していた。

 スマイリーを追うことに気を取られていたせいか、初めて、モンステルの指先がチューミーの肉体に届いた。

 ざしゅり、と奇妙な音が響いた。

 チューミーの腹が、抉られたかのような穴を空ける。

 しかし、それでもチューミーは止まらなかった。背後に回ると、居合の形でモンステルを横に一閃する。

 どさり、と倒れたモンステルを飛び越えて、チューミーは相手の跡を追う。

 一本の廊下を駆ける小柄な体躯からは、ボタボタと鮮血が零れ落ちた。もともとの疲労や傷もあり、本来であれば、とっくに活動は止まっている状態のはずだった。

 それが気にならなかったのは、真っ黒い感情に全身が支配されているからだった。

 あらゆる思考が黒く塗れていて、ただ、激しい怒りだけが苦しかった。

 スマイリーを殺せば、この苦しみから解放されると思った。

 チューミーは、復讐以外にはなにひとつの目的のない人形のように駆動した。


 スマイリーが逃げ込んだのは、この扉の向こうだ。

 チューミーはカタナを構えて、開くと同時に斬りこむ決意をする。

 なにがあっても、斬る。どんな障害があろうが、必ず斬るつもりだった。スマイリーを斬り殺しさえできれば、あとは死んでもよかった。

 四年間、毎日のように温めた憎悪が、行先を求めて暴れ回っていた。

 ダンッ! と扉を蹴り開けた。急に雰囲気が変わり、明るい室内だった。

 その奥に、スマイリーの姿を認めた。

 チューミーは、あらかじめ描いていたイメージを沿うように、最後の力を振り絞り、相手に斬りかかろうとする。

 だが―—

 刃は、止まった。

 スマイリーが、シルヴィの首にガラスの先端を押し当てていた。


「おおっと」


 驚いたスマイリーが動揺して、鋭利なガラスがシルヴィの肌に突き刺さる。

 ツー、と一筋の血が漏れた。


「危ないな。そのカタナを、捨てたまえ」

「ダメよ、チューミー……!」


 シルヴィが声を張り上げた。


「斬りなさい! わたしのことは構わず、はやく!」


 スマイリーが、より深くガラスを沈めた。

 徐々に肉が裂かれていき、シルヴィが苦痛の声を上げた。


「ハッ、ハァァッ……ハァッ……」


 怒りのせいか、痛みのせいか、チューミーの荒い呼吸が室内を響いた。

 深く呼吸すれば、肺が強く躍動し、モンステルからもらった腹の傷が、大量の血を漏らした。


「チューミー、あなた……」


 その深い抉り傷に、シルヴィが戦慄した。

 チューミーのカタナの先端が、ぶるぶると震えていた。

 なにを賭しても殺すことに決めた相手が、すぐ目前にいる。

 自分がこのままカタナを振れば、それで悲願は達成される。

 これまでのすべてが、今日このときのためにあったことに間違いはなかった。

 だが、シルヴィの被るマスクに映るランの身体が、シルヴィとランの二人をどうしようもなく重ねさせた。

 ランを思い出せば、その分だけ心を狂わせるような自責が募り、その分だけ美しい過去の情景が想起されて、その分だけ今の自分の存在を否認したい感情が生まれて、それらすべてが合わさって、復讐心が際限なく燃え盛った。

 斬れ――と心中で叫ぶ。

 スマイリーの無惨な死以外に望むものなど、なにひとつないはずだろう――!

 それでも――どうしても、シルヴィを巻きこんで斬ることはできなかった。

 からん、と音が響いた。

 チューミーの手元を離れたカタナが、床に落ちた音だった。

 シルヴィが、絶句した。

 しばらく、時間が止まったような沈黙が場を包んだ。


「ハ、ハハ、ハハハ、ハハハハ、ハハハハハッ!」


 静寂を破ったのは、耳をつんざくようなスマイリーの笑い声だった。


「よかった、ああ、よかった! なにがよかったって、きみのことを思い出せて、本当によかったよ、シン君! あの日、妹を助けるために笑えるくらいの狼狽を見せたきみの姿を思い出せなければ、とてもこんな手段は思いつかなかった。アルミラ君が、なにやらきみと深い関係であることを教えてくれていたのも、幸運だったな。ハ、ハハハハ! あー、ひさしぶりに……いや、はじめてか? こんな、滝のような汗をかいたものだ。―—モンステル!」


 スマイリーが叫ぶと、チューミーの背後から物音がした。

 もとのサイズに戻ったモンステルが現れる。

 どうやら、あれだけの傷でもまだ死ななかったらしい。モンステルは、凄まじい執念でチューミーの身体を叩きつけた。

 なにを許しても、スマイリーを傷つけることだけは許さないというような、強固な意志を感じさせる力だった。


「やはり、まだ生きていたな。そうだ、当たり前だ。お前が死ぬはずがないのも、私が窮地に陥るはずがないのも当然だ。いや、どちらも失念していたよ。さすがにちょっと、スリリングだった。まあ、これはこれで、笑えるがな。ハハハハハ」


 スマイリーはほとほと疲れ果てたかのように、空いた椅子に座った。

 それから、伏せるチューミーを見下ろして言った。


「それにしても、ようやくまともに会話ができるな、シン君。きみが復讐者であることは明らかだが……だからこそ、少々残念な気がしなくもない」


 その質問に、チューミーはなにも答えなかった。

 致命傷を負った腹部から流れる血が、床に静かに広がっていく。


「いや、正直を言うとね。この行動は、分の悪い賭けでもあったんだ。もしきみが、本当に完璧な意味での復讐者だったのなら、アルミラ君ごと、私を容赦なく斬るはずだったからな。ただ、あのときにあれほどの兄弟愛を見せたきみの魂が、きちんとその器に入っているならば――根本のところで、きみが中途半端な復讐者でありうると、そう私に気づかせてくれたんだ。やはり、人間には魂があるのか……いや、素直に認めるよ、シン君。きみは、気高い存在だ」


 そこで、スマイリーは肩を震わせて大声で笑った。


「そして、その気高さゆえに負けたんだッ! ハ、ハハハハ、ハハハハハハ! こいつは傑作だよッ! 今日の日記は凄まじいことになるぞ! ハハハハハハッ」

「チューミー、どうして……」


 シルヴィの声にも、チューミーは反応しなかった。

 スマイリーはひとしきり笑うと、シルヴィのほうを向いて言った。


「アルミラ君。私は、約束は守る男だ。きみに告げた言葉を憶えているかな? きみの考えられる、あらゆる精神的苦痛の上をいくという言葉を。まあ、約束したはいいものの、きちんと思いつくか自信がなかったのだが……それも今、解決した。ハ、ハハ、ハハハ! まったく、今日はすべてが最高にハイに回ったな。―—モンステル!」


 パチンッ! と指を鳴らす高い音がした。

 モンステルが動いた。

 シルヴィが拘束されている椅子ごと、雑にチューミーの隣に倒した。

 衝撃に拘束が解ける形となったが、シルヴィが行動する前に、モンステルが上から押さえつける。

 すぐ間近で、シルヴィは表情のうかがえない黒犬マスクを見た。


「チューミー……!」


 その顔に向けて呼びかけたが、こちらを見ているのかいないのか、それすらもわからなかった。

 カチリ、と音がした。スマイリーがインジェクターを起動すると、錆びた合金のような色をした砂塵粒子が、その身体から溢れ出た。


「さて――アルミラ君。きみの乗り移る先は、まあどう見ても致命傷だが……それでも、あと少しは生命活動が続くだろう。そしてその数分間は、私のこれまでの復讐でも、もっとも美しく、もっとも嬉しく、もっとも楽しく、もっとも笑える時間だと確信しているよ」


 その言葉に、シルヴィは戦慄した。

 シルヴィは相手がなにをしようとしているのかを悟り、必死の抵抗を見せる。

 その様子に、スマイリーは歓喜した。


「やめなさい、スマイリー! そんなことは、ぜったいに許せないわ!」

「まだだよ、アルミラ君。震えるのはまだはやい。肝心なのは、そのあとだよ。きみが彼の身体に移ったあとで、私がどうすると思う?」


 こらえるような笑い声を漏らして、相手は続けた。


「正解は――きみの目の前で、きみの本来の身体を……そして、なにやらきみの大切な人の魂が入った身体を……きみの両親の遺体を混ぜ合わせたような、凄惨な姿に変える、だ。いかがかな? それ以上の演出はないだろう! ――ああ、楽しみだ。それを眺めるきみの心中を想像すると、笑いが止まらない……ハ、ハハハハハハハハハハ」


 スマイリーが右手と左手の人差し指を立てた。

 ぞわぞわした砂塵粒子が、チューミーとシルヴィの頭部を包み込む。

 マスクの表面が、うごめく砂塵粒子に包まれる最中、シルヴィは叫び声を上げた。

 それは粛清官としての声ではなかった。純粋な恐怖におびえる、十代の娘の悲鳴だった。視界がバチバチとした彩光に包まれはじめて、シルヴィは我を失いかける。

 その声に被さるようにして、スマイリーの狂喜の笑い声が重なった。

 あと少しのところで、シルヴィは父と母の名前を呼んで、錯乱のなかで泣き出しそうになっていた。


 しかし。

 シルヴィが、そうならなかったのは――意識が暗転していくとき、黒犬マスクを被った復讐者の指が、ぴくりと動くのを見たからだった。

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