60話 VSモンステルⅠ
チューミーは、先の道を駆け足で進んだ。
研究所の内部構造は複雑だったが、この首輪が示す道標が自分の向かうべき場所を教えてくれていた。
最後に、観音開きの扉にたどりついた。
その先は、広大な部屋だった。閉鎖された当時のまま保存されていて、とくに強い怨念を感じさせる。
チューミーが入室するのとほぼ同時に、向かいの扉が開いた。
あらわれたのは、ふたりの人物だった。
片方の男は、この四年間、いちども忘れたことのないマスクをしていた。
その隣、対照的な巨漢は鉄製のマスクを被り、寡黙にたたずんでいた。
スマイリーは、ゆっくりと室内を見渡した。
こちらがひとりであることをたしかめると、
「やはり追跡者がいたか……。だが、よくよく考えるとそのほうが助かるな。きみたち、お上の許可を取らずに仕事をしているんだろう。ということは、きみたちさえ葬り去れば、われわれを追う者もいなくなるわけだ」
「スマイリー。――俺を、憶えているか」
チューミーはカタナを握りながら、相手に近づいた。
「俺はずっと……ずっと、ただお前を殺すためだけに……」
「いや、悪いが記憶にないな」
そう、あっさりとスマイリーが返した。
「アルミラくんの言葉に期待していたが、あまりおもしろくはない――無駄足だったか。ハハハ、まあいい。今夜、私は早急に着手したいことがあるのでね。悪いが、きみには早々に消えてもらおう――モンステル!」
スマイリーが指を鳴らすと、モンステルが突進してきた。
凄まじいスピードに、周囲に散らばっていたドキュメントが一斉に宙に舞う。風圧に帽子を押さえたスマイリーの隣から、一瞬でこちらの間近まで詰めてきた。
相手の薙ぎ払いを、チューミーはカタナで受け止めた。
まともに触れながらも、モンステルの素肌には、わずかな裂傷すら走っていない。
九龍アパートの戦闘時も、モンステルの皮膚はただ頑丈を超えた作りをしていた。
(……だとするならば)
チューミーは相手の肉体の秘密に仮説を立てて、次の行動を決める。
「ン、思ったよりも強そうだな。だが、粛清官ということはもう片方いるということだ。あまりそいつばかりに時間をかけてはいられない。モンステル、急げよ」
スマイリーの言葉を受けて、モンステルが首元に手をやった。
インジェクターを起動すると、白色の砂塵粒子があたりに広がった。
チューミーは、わずかに距離を取る。
モンステルの縮小の砂塵能力者であることは、先の戦闘で把握していた。
強力な砂塵能力だが、これまで観察したところでは、対象をじっくり包むことではじめて効果があらわれるようだ。
だとするならば、脅威はどちらかといえば小道具を取り出すことだといえるが、この場所であの規模の爆発を引き起こすとは考えづらい。
チューミーが出方をうかがうと、モンステルは近接戦を仕掛けてきた。
ビュッ、と空気を裂く正拳突きと同時に、モンステルは白色の砂塵粒子を器用に操って、こちらを捉えにきた。
チューミーは風車のように手元でカタナを回すと、風圧で砂塵粒子の動きを一時的に止めた。
モンステルの背後に回りこんで、広い背中に向けて刃を振るう。
こんどこそ、肉を裂いた感触がした。
ピピッ、と血が床に跳んだのを見て、チューミーは確信する。
モンステルの皮膚がなにかしらの塵工体質で硬質化しているとして、全身を鋼のように硬くしているはずがない。
インジェクター装置を注射する関係上、少なくとも首の付近は硬質化させるわけにはいかなかったはずだ。
であるなら、硬質化している範囲を特定する必要があった。
どうやら背後は無防備のようだ。それなら、いくらでもやりようはある。
モンステルが距離を置いた。
能力を使わずに、自分とやりあえる敵を怪訝に思っているらしい。
「ン。今、喰らったか、モンステル。速すぎてよく見えなかったのだが……おお、服に血が滲んでいるな。まさかこの場所に、ふたたびおまえの血が撒かれるとは……ハッハッハッ」
ひとり笑うと、スマイリーは質問した。
「――で、見た目に反して手強いのか? その小柄な粛清官は」
モンステルは正直にうなずいた。
そこでようやく、スマイリーは興味を抱いたらしい。こちらを見つめると、ふと思い出したように口にした。
「ン。ひょっとすると、きみがチューミーくん、か?」
意外にも言い当てられて、チューミーはわずかに集中力を乱した。
「ああいや、先ほどね。アルミラくんが、そんなようなことを言っていたのだよ。ハハハ、こうあらためて口にすると、なんとも奇妙な名前だが……チューミーくんという人物がこの私を殺しにくる、と」
その声を聞いていると、冷静ではいられなかった。
チューミーは跳躍すると、スマイリーめがけてカタナを振った。
自分たちのあいだに飛び出たモンステルが、その鋼鉄の腕でカタナを止めた。
スマイリーは驚いて、後ろ足で数歩下がった。
「おっと! ハハハ、すさまじい怒りだ。どうやら、ただ職務熱心な粛清官というわけでもないらしい。とすると……本当に興味が湧いてくるぞ。今夜はアルミラ君と遊ぶのにいそがしいはずだったが、こちらも気になるな。うーん、気になる。ハハハ、いいぞ。楽しいことで目白押しじゃあないか」
こちらの風貌を間近で観察して、スマイリーが続ける。
「アルミラくんの発言が虚構でないのだとしたら、きみは……私と、会ったことがあるのかね。しかし、いったい……いつ、どこでだ?」
モンステルと鍔迫り合いをしていたチューミーは、カタナに力をこめた。金属を鋸で引くかのようないびつな音を立てて、カタナが相手から離れる。
間髪入れずに、チューミーは返しの刃を振るった。
自分たち兄妹の未来を壊した当人が忘却していることに、行き場のないやるせなさと、喩えようもない憤怒を覚えて、そのカタナ捌きに鬼神のような威圧を与えた。
乱舞する黒刀は、今やあきらかにモンステルの反応速度を超えていた。
相手はせいぜい致命傷を防ぐのが限界であり、みるみるうちに削げてゆく肉が、モンステルの足元に血溜まりを作った。
「ハ、ハハハ、こいつは恐ろしいな! これではロクに話も聞けん」
スマイリーが、高笑いを上げて距離を取った。
「不本意だが、背に腹は代えられぬようだ。まあ、高ランクの黒昌器官は別室にある。おまえが全力を出して、すべて壊してしまっても構わんだろう――解放しろ、モンステル」
パチン! とスマイリーが指を鳴らした。
それを合図に、モンステルの砂塵粒子の挙動が変わった。
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