3-6 銀の心の針を揺らして
「そのおかしな武器と、インジェクターを解除するわ。両手をあげなさい」
チューミーが立ち去ったあと、シルヴィはマザーにそう告げた。
相手はいかにも不服そうに指示に従う。そうしながら、一連の誘拐騒動ですっかり見る影もなくなった、シルヴィのドレス姿をじろりと見やった。
「……あんた。本当に、アルミラ・M・ミラーなのかい?」
「ええ。なにか文句があるかしら?」
「ハッ。いや、その高慢ちきな喋りかたに、まごうことなきミラー家の、悪趣味なマスク。確認するほうが間違いさね」
がしゃん、と音がしてはずれた鍵爪が床に落ちた。
シルヴィはもう片方に着手する。
「文句だって? 大アリさ! まったく、今日の仕事は楽しみにしていたっていうのにさ。クソッたれな、中央街住まいの特権階級ども……それも、あのミラー家の愛娘を、頭のイカれたスマイリーに売り飛ばせるっていうんだから、今夜は息子たちと最高の晩酌がやれると思ったってのに!」
その言葉に、シルヴィは手を止める。
「……あなた。スマイリーが、どうしてわたしを狙っているか知っているの?」
「あぁ? んなこた、知らないよッ! ただ、やつに渡した人間は、死ぬよりもおそろしい目に遭わされるって話だからね。楽しみにしてたんだよ! なんなら金を払ってもいいから、スマイリーがあんたをどんな目に遭わせるか、間近で鑑賞したかったもんさ」
シルヴィは疑問を抱く。死ぬよりもおそろしい目に遭うという話も気になるが、それ以上にマザーの恨み節がふしぎだった。
「以前お会いしたことがあったかしら? いえ、少なくともわたしのほうに記憶はないわね。会ったこともない人間に、そんなことを言われる筋合いはないわ」
「ったく、自覚がない悪行ってのが、恐ろしいところさね……! あんたら中央連盟の人間が、大市法なんてトチ狂った法律と、粛清官の暴力を振りかざして、どれだけ好き放題やってきたことか! それとも、目に入れても痛くない箱入り娘は、不都合な真実は聞かされないで育ったかい?」
語るうち、過去の記憶でも呼び覚ましたか、マザーは荒々しい口調になった。
「この街を発展させたのは、あんたらじゃない……アタシの親父や旦那達みたいな、下請けの肉体労働者さッ! この土地に、偉大都市なんて大仰な名がつく前から、ミラー社の下の下の下の、そのまた下の子会社で、アタシらは奴隷みたいに働かされてたんだッ。今も昔も、まともな仕事と生活を信じて移住してきた非砂塵能力者は、騙されようが殺されようが、訴える先もありゃしないがねェッ!」
シルヴィは、マザーから奪った鉤爪を背後に放り投げる。
激しい剣幕で捲し立てる老婆の姿を、冷ややかに数秒見つめた。
「申し訳ないけれど、あまり興味のない話だわ。次。インジェクターを解除するわ。うしろを向きなさい」
「ハッ、興味ないと来たかい! そりゃ、中央連盟の特権階級連中は、アタシらみたいな下等市民のことはどうでもいいだろうねえッ!」
その冷静な態度が癇に障ったか、マザーはぎりぎりと歯軋りをする。
犯罪者の戯言など聞きたくはないと思うシルヴィとは裏腹に、相手はこう続けた。
「そんじゃ、どうでもよくない人間の話をしてやろうか! あれは、ちょうど一年前のことだったね? そうだよなァ、あんたはついさっき、砂塵送りをしていたんだから、間違いなく今日で一周年さ……あの、ミラー家当主の惨殺劇から!」
ぴたり、とシルヴィの動きが止まった。
「あの日の朝のことは、よく憶えてるよッ。これまで長く生きてきたが、新聞記事を読んで、あれほど笑ったのは初めての経験だったさッ!」
そこでマザーは、きゃははは、と子供じみた笑い声を上げた。
「このフロアの、一番上の奥の部屋! アタシの部屋の机にね、一枚の写真が飾ってあるんだ。少し値は張ったが、ありゃ、いい買い物をしたよ! 毎朝、ベッドから起きる度に目に入って、愉快な気持ちで一日を過ごせるからさ。なァ、アルミラぁ。いったい、それはなんの写真だと思うねェッ?」
「興味ないわ。いい加減、黙りなさい」
シルヴィの動揺を感じて、マザーはマスクのなかでニィッと笑い、告げる。
「――ミラー家夫妻の、惨殺死体の写真だよッ!」
その言葉で、シルヴィの背中に、じっとりと嫌な汗が浮かんだ。
「事件を報せる記事では、殺害されたって情報以外は書いてなかったからね。どんな死にざまだったのか興味があって調べたら、連盟職員が横流しにした写真のコピーが出回っているって聞いて、わざわざ十八番街のブラックマーケットまで足を運んで、買い取ったのさッ!」
シルヴィの頸部、インジェクターの刺さる皮膚が、突如として沸騰したかのように熱を孕んだ。
「だれだか知らないがね、あの殺人をやったのは、まったくたいしたタマさッ! 教えてやるよ、アルミラッ! お前の父親はなァ、ミンチのがマシかっていう真っ赤な肉塊になって、その豪華な鏡のマスクごと、脳みそが破裂してたんだよ! お前の母親は、全身が解体されて、長い臓物はパーティの飾りみたいに壁にぶちまけられていたんだッ!」
「……今、すぐに、黙りなさい……! でないと、撃つわよ……!」
シルヴィは構えていた愛銃を、マザーの額に押しつける。
ただでさえ砂塵送りの儀を行い、普段よりもずっと哀愁の念が強い日だった。
両親の思い出は、シルヴィの奥深くにしまいこんでいる記憶で、だれにだって無遠慮に掘り起こされたくはなかった。特に、事件当日の話であれば尚のことだ。
怒りに震える手は、今にもトリガーを引きそうだったが、けっして撃つわけにはいかなかった。
マザーは、どれだけ挑発しようと殺されることはないと知っているせいか、嬉々として話を続けた。
「なァ、アルミラ! あんたは、事件のときにゃ留守にしていたから、両親の遺体は見ていないんだろ? 喜びな。アタシの部屋に行けば、いくらでも見られるよ! なんなら今、確認しに行ったらどうだい? アタシはこのまま、ここでおとなしく待っていてやるからさあッ!」
そのとおりだった。
当時、シルヴィは一番街に建つ学園に通っており、両親が殺されたと知ったのは、学校から帰宅してあとのことだった。
そのときには、すでに連盟職員の手によってふたりの遺体は回収されており、大量の血液が飛び散るリビングルームに、濃い死の空気が漂っているだけだった。
周囲の狼マスクの死体がかもす鉄分のにおいが、シ一年前の記憶を鮮明によみがえらせる。
連盟職員が見せた、血がべっとりと付着した両親のマスク。その、無惨に割れた鏡面に映っていた、あの日の無力な自分の姿を克明に思い出した。
「ハッ、ハァッ……ハッ……!」
とても平静ではいられず、シルヴィは過呼吸になったように、荒い息遣いを繰り返した。
その様子に、マザーは狂喜乱舞した。
「きゃはははッ。パパとママが恋しいかい、アルミラッ! 残念だったねえッ! 今日、あのままおとなしく誘拐されれば、きっとスマイリーが同じようにあの世に送ってくれたさッ! 十八番街の裏路地のゲロみたいな姿に変わった、あんたの両親のところにさァッ!」
「いや、やめて……。やめなさい……でないと、わたし……!」
目の前の老婆に、弾切れになるまで銃を連射してやりたい気持ちを、シルヴィは必死に理性でおさえつけた。
粛清官として撃つわけにはいかないが、ミラー家の娘として、家族を侮辱された報いは受けさせなければならなかった。
黒晶器官が、じんじんと加速度的に熱くなっていく。
シルヴィは思わず、首元を強く抑えた。まだマザーのインジェクターを取りはずしていない以上、自分がインジェクターを解除するわけにはいかなかった。
マザーの思惑はわかっていた。
実際に中央連盟の人間を恨んでいるのだろうが、それ以上に、見張り役のシルヴィに隙を作る意図で挑発しているということは、とうに気づいている。
これ以上うろたえるわけにはいかない。しかし、冷静な部分をぐちゃぐちゃに掻き消す、脳が割れそうな強い怒りが、どうしようもなく止まらなかった。
そして――――
感情が激流する最中、シルヴィは突然、なにかの糸が切れるような感覚を覚えた。
次の瞬間、周囲に異変が起きた。
シルヴィの身体を中心に、ゴォッと音を立てて、おびただしい量の砂塵粒子が集合する。
黒々とした砂塵粒子の大群が、一個の意志を持つ生き物のようにうねって、シルヴィの頭上で渦を巻いた。
およそ常識では考えられない、圧倒的な量の砂塵粒子である。
「なッ……なんだい、そりゃあ……ッ⁉」
マザーは慄いて、壁に背を張りつける。
「ハァ、ハッ……ハァッ……!」
シルヴィは、肩を激しく上下させて、荒い呼吸を繰り返した。弱々しく自分の肘を抱いて、ふらつく足が倒れこまないようにするのが限界だった。
シルヴィを取り巻く、怒気を具現化したかのような砂塵粒子の塊が、いずれ一本の線を伸ばして、ざわざわとマザーの身体を包み始める。
その、初めて見る光景に恐怖を覚えて、マザーは悲鳴を上げた。
「や、やめなッ……! ア、アタシを殺したらどうなるか、わかってんだろう⁉ おいっ! 早く、こいつを止めなッ!」
ざわり、ざわり、と粘度の濃い砂塵粒子が、ゆっくりとマザーの皮膚を伝う。
それは普段、マザーがインジェクターを起動したときにまとわる砂塵粒子とは、量も質もまるで異なっていた。シルヴィの周囲に集まっているのは、砂塵能力として発現する以前の、自然発生している砂塵粒子そのものだった。
真っ黒い砂塵粒子の塊が、磁場をゆがませるかのように周囲に多大な影響を与える。そして、広いフロア全体が、ガタガタガタと音を立てて震動し始めた。
---
チューミーがベルズを使用し、連盟本部の待機職員に連絡を入れ終わったあとのことである。
ルプスフェイスのエリアに戻る道の途中で、めずらしく地震が起きた。
一歩進むごとに、床から伝わる震動が強くなっていく。
――なにかがおかしい。
違和感を覚えて、急ぎ足でシルヴィのもとに戻った。
チューミーがフロアに戻ると、そこには驚愕の光景が広がっていた。
信じられない量の砂塵粒子が、暴風のように吹き荒れていた。
毎年、秋ごろに頻発する自然災害の砂塵嵐が、なにかの間違いで屋内に発生したかと思えるほどの、圧巻の光景だ。
ざわざわとすれあう砂塵粒子の中心には、どこか様子のおかしいシルヴィと、砂塵粒子に身体を巻き取られているマザーの姿が見つかった。
チューミーは階段も使わずに飛び降りる。
「シルヴィ。これは、いったいなにが起きたんだ……!」
こちらの声が耳に入らないのか、シルヴィは一瞥すらくれずに、身体を震わせている。
明らかな異常事態だった。
なにがどうなってこの事態を呼んだのか、まるで理解が及ばない。ただ、チューミーは直感で、シルヴィの砂塵能力に異変が起きていることを悟った。
「シルヴィ! 俺の声が聴こえるか!」
シルヴィに近づこうとすると、まるでこちらを拒否するかのように、ごわごわとした厚い煙のような砂塵粒子が行く手を阻んだ。
それでも無理に進むと、身体に重苦しい砂塵粒子がまとわりつく。
あまりの密度に、身体が思うように動かない程だった。チューミーがDメーターを見やると、空中砂塵濃度を表す針は振り切れて、完全に狂っていた。
「ギャァァアアアアアアッ!!」
そんな悲鳴が聴こえた。
マザーを囲う砂塵粒子が、その身体を蝕むように、ついには全身を包みこんだ。
黒い影の塊のような姿となったマザーが、その場にどしゃりと崩れ落ちる。
そのまま、マザーはのたうち回って苦しみ出した。これほどの砂塵量では、たとえマスクをしていても、細かな隙間から体内に入り込むことは容易に想像がついた。
このままではマズい――とチューミーは焦燥する。
今マザーになにかあれば、スマイリーを呼び出せない可能性が生じる。
そうすると、これまでの努力がすべて水の泡になってしまう。
「シルヴィッ!」
チューミーは、砂塵粒子の壁を力ずくで進んだ。
念のため、呼吸を止める。
濃霧のような砂塵粒子の向こうに、シルヴィの姿が見えた。
「ハァ……ハァッ。ん、ハァ……」
「俺だ、チューミーだ! シルヴィ、返事をしろッ!」
シルヴィの肩に手を置いた。
その身体は、まるで流行り病に罹ったかのような熱を持っていた。
「チュー、ミー……?」
シルヴィは朦朧としており、事態を把握していない様子だった。
「わたし、これ……どうなって……」
「シルヴィ、お前のインジェクターを解除する。じっとしていろ」
チューミーは鏡面のマスクの後部に手を伸ばし、シルヴィのインジェクターのスイッチに触れようとする。これがもしシルヴィの砂塵能力のせいだとしたら、インジェクターさえ解除すれば、この異常な現象は止まるはずだった。
しかし、こちらの手を払うかのように、シルヴィの頸部に厚い砂塵粒子の膜が張った。自分の邪魔をする者を拒んでいるかのようだった。
やはり、この砂塵粒子はシルヴィが無意識に操っているもので、なんらかの防衛本能が働いているように思われた。
(俺は、どうすれば――!)
なにをすれば止められるのか、まったくわからなかった。
これまでの経験から解決策を探ろうとするも、こんな異常事態は見たことがない。
焦りばかりが募る。
このままでは、マザーの命だけではなく、シルヴィすらもその身を焼き焦がすようにさえ思えた。
思考が、ぐるぐると巡った。
チューミーの頭のなかに、いくつもの悪手が過ぎる。なんとかしてシルヴィを気絶させようかとも思ったが、この状況では自信がない。砂塵がシルヴィを守るようにして吹き荒れているなかで、そんな手段がうまくいくとは思えなかった。
いくつかの過去の映像が、チューミーの脳裏に何枚も連続で投射された。
兄妹ふたりで過ごした、退廃都市での生活。
貧乏ながらもしあわせだった時代と、それがぜんぶ壊れてしまったあの日。
この街を目指して旅をして、十八番街の情報屋に接触して、殺し屋稼業をしたすえに、教会で粛清官と出くわした、最近の出来事。
それから……それから、シルヴィの微笑みを思い出したときに、チューミーはようやく、ひとつの手段を思いついた。それは、ともすれば意味を成さないかもしれず、下手をすると逆効果になる恐れすらあった。
それでも思いついたのはそれだけで、迷う時間も、躊躇する猶予もなかった。
さらに一歩だけ、チューミーはシルヴィに詰め寄った。
周囲の荒れ狂う砂塵粒子が、ふたたび拒否するように壁を形成しようとする。
「シルヴィ。――大丈夫だから、俺に任せてくれ」
そう話しかけると、マスク越し、シルヴィと目が合った。
こちらの声が聴こえたのか、ざわざわと道が開けていく。
ほんのわずかにためらったあと、チューミーは相手を抱き締めた。首を交差させて、右手はゆっくりと背中を摩り、左手は黒昌器官の宿る首筋に触れる。
呼吸を荒げていたシルヴィが、衝撃に息を止める。
それは過去、最愛の妹が癇癪を起こしたときに、いつも宥めていた方法だった。
最後のほうは、これだけでは落ち着かなくなっていたが、それでも常套手段として使い続けていた。
それはほかでもなく、彼自身がそうすることを望み、好んでいたからである。
遥か昔に失ったはずの、生温かい人肌の感触が、グローブとボディスーツ越しに、チューミーの内部の深いところに、じんわりと伝わった。
分厚い黒衣は、戦闘に適した格好であること以上に、身体のラインが出ないように考慮した服装だったが……
それでも、これだけ強く触れ合えば、その柔らかさを隠し通すことはできない。
「そう、だったの……」
接触で気づいて、シルヴィは重なりあうマスクから首を離した。
それから、間近で黒犬マスクを見つめた。
チューミーには、マスクの向こうで、相手がふっと笑ったように思えた。
その直後、とめどない砂塵粒子の騒音が消えた。
先ほどの砂塵粒子の集合が嘘だったかのように、瞬時にその姿を失せる。
厳密には、消えたわけではない。目に見えない、普段の極小サイズのひと粒ひと粒に分散していっただけだ。
二人を覆っていた厚い壁のような膜も、マザーの全身を包んでいた渦も、そのどれもがまぼろしのように消えて、急な静寂が訪れた。
ほんの少しだけ名残惜しさを覚えながら、チューミーはゆっくりと身体を離した。
踵を返して、マザーの状態をうかがう。死にかけの蛙のような風体だが、息はあるし、気絶にも至っていない様子だった。
遠くの扉が開いた。バタバタという足音とともに、シーリオに加えて、十数名の武装した連盟職員たちが現れた。
増援の到着に、差し当たりの安心を覚えて、チューミーはその場で脱力した。
掌には、シルヴィの身体の暖かさと、ランの懐かしい肌の感触が混ざり合って、いつまでも熱が残り続けていた。
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