3-5 vs〝狼面〟首領マザー

 マザーの号令にともない、一斉に射撃が始まった。


「ちっ――!」


 チューミーはその場で大きく側転して回避する。が、広範囲に炸裂する弾丸をすべて避け切ることは敵わず、数発がかすった。

 裂傷から血が吹いたが、同じフロアの狼マスクに寄ると、その相手の首を撥ねる。そのまま物陰に身を隠して射線を切ると、手持ちのダガーを三本抜いて、一斉に投擲した。それぞれが狼マスクに命中して、相手を倒す。だが、まだ頭数は残っている。

 弾丸の嵐を回避しつつ反撃を行ってくる相手に、狼マスクたちの狼狽が伝わった。

 この留守番役の狼マスクたちは、どうやら手練れではないらしい。

 リロードのタイミングを読んで対処すれば、なんとか一体ずつ減らしていける――そう、チューミーが判断した矢先だった。


「なんだい、頼りにならない息子たちだねェッ! おい、アルミラを部屋に運んどきなッ!」


 マザーが握り拳で床を叩いた。

 焦げ茶色の砂塵粒子を床に伝えたあとで、マザーがどぷんと内部に潜りこんだ。三階から二階、二階から一階へと液状化した床を抜けると、一瞬だけ静寂が訪れ――

 その直後、前面の壁の向こう側から、マザーがこちらを目がけて飛び出してきた。


「こいつはッ、直接アタシが殺るッ! あんたらは、援護射撃に徹しなッ!」


 マザーは、いつの間にか両手に鉤爪を取りつけていた。

 ルプスフェイス――〝狼面〟の名が示すとおり、鋭利な爪が左右から迫ってくる。

 鍔迫り合いをする形となった。ぎりぎり、と互いに刃物を押し付けあう。至近距離で見るマザーの腕は、とても老婆とは思えない筋肉の塊をしていた。

 本来であれば即座に弾き返して、返しの刃で斬りこむところだったが、そうはいかなかった。

 チューミーには、マザーを殺すことはできない。

 このあとでスマイリーを相手に交渉してもらうためには、相手を生かしたまま無力化する必要があった。深手を与えることすらはばかられる。

 だが、マザーは斬らずに済ませるには隙のない戦士だった。

 ギィン、ギィンッ! と引っ掻いてくる鉤爪を受ける。

 わずかに見つけた隙をつき、カタナの柄で鳩尾を突こうとした瞬間、老婆の姿が床のなかに消えた。

 スマイリーによる能力付加を受けたわりには、ずいぶんと手慣れた砂塵能力者の動きだ。

 液状化した物体内を縦横無尽に移動すると、マザーは死角から現れて、こちらの首元を斬り裂こうとしてくる。

 突如、背後から、がちゃがちゃと銃を構える音を耳に捉えた。

 狼マスクの部下たちが、一斉に援護射撃を撃ってきた。

 すばやく側転して回避するも、その先には、床から半身を出したマザーが待ち構えており、こちらの着地点に大振りのクローを繰り出してきた。


「死に曝しなァッ!」

「ちっ……!」


 チューミーは空中でカタナを振って、峰の部分で靴底を二度叩いた。

 靴裏の仕込みナイフを出現させたチューミーは、身を回転させながら脚を伸ばして、相手の鉤爪を止める。絶妙なバランスで受けたはずだが、しかし予想外に長い鉤爪の先端が、こちらのふくらはぎに喰いこんだ。


「きゃはははははーーーーッ」


 プッ、と噴き出た鮮血を浴びて、マザーは高らかに笑い声を上げた。


「く、そッ……!」

「よくも、アタシのかわいい息子達を、ばったばったと殺してくれたねぇッ!」


 鉤爪で牙突しながら、マザーが叫んだ。相手の振りかぶる一撃一撃には、チューミーに対する怒気が籠っていた。


「この九龍アパートから、生きて帰れるとは思わないことさッ。黒犬マスクァッ!」


 じわじわと、戦況が悪化していく。

 まずい―― このままでは、押し負けることすら考えられる。

 場合によっては存分にカタナを振るい、相手の腕の一本くらいはもらう必要があるかもしれない、と考える。


(無傷で捕らえたかったが……背に腹は代えられない、か)


 本気を出すために、くるり、とチューミーが手元でカタナを回したときだった。

 階上に広がる無数の扉のひとつが開くと、男の叫び声が屋内に響き渡った。

 全員が異変に気づいて、一瞬、戦闘の手を止めてそちらを見る。

 三階の回廊に、鏡張りのマスクを被ったシルヴィが出てきた。

 シルヴィの持つ、相手から奪ったらしいナイフからは血が滴っていた。どうやら、目覚めたあとで首尾よく見張りの狼マスクを倒したようだ。

 シルヴィは状況を確認するように、フロア全体を見やった。


「シルヴィッ!」


 そう叫ぶと、シルヴィがこちらを見た。


「あんの、バカ息子が……!」


 部下の犯したミスに、マザーは狼マスクの下でグルグルと唸った。

 自分の手でシルヴィを捕えるためか、マザーは液状化した床に潜りこもうとした。

 しかし、それよりも早くシルヴィは手すりを跳び越えて、一階に向けて跳躍した。

 風圧で暴れるスカートを抑えて、シルヴィがすたりと着地する。

 チューミーは素早くレッグポーチを開いた。なかに収めていたアパッチピストルとインジェクターを放り投げると、シルヴィはぱしっと受け取った。

 助かった――とチューミーは思った。

 シルヴィが加わるのならば、この場はどうとでもなる。


「チューミー。これ、状況はどうなってるのかしら? というか、ここは……ひょっとして、九龍アパートのなか?」

「ああ。詳しくは後で説明するが、まあ、婆さん以外は殺してもいい」

「そう? 了解」


 簡単に意思疎通を行うと、シルヴィはインジェクターを取りつけて、カチリと起動した。


「な、にィッ……? こりゃ、どういうことだい……?」


 マザーが当惑した。それも当然だろう。

 か弱いと思っていたミラー家の女が自力で脱出してきたうえに、銃を持ち、インジェクターさえ起動したのだから、意味がわからなくて当たり前だ。


「マザー、俺たちはどうすれば……!」


 うろたえる部下とは異なり、マザーはどうやら短時間で思考を整えたらしい。

 ふたたび鉤爪を構えると、こう叫んだ。


「いいや、やることは変わらないねッ! アタシは黒犬を殺るッ。アルミラはあんたらで捕まえなッ!」


 狼マスクの計五人が、一斉にシルヴィを囲いこんだ。

 シルヴィは、自分に掴みかかってくる相手をさらりと避けると、アパッチピストルのダガー部分で素早く敵の腹部を二回刺した。

 もうひとりの男が迫るのには、振り向くと同時に放った早撃ちで対応する。

 二度の銃声。その直後、ふたりの狼マスクが倒れた。


(やはりこいつは、かなりの銃使いだな――)


 感心しながら、チューミーも加勢するためにカタナを構えた。

 そうはさせまいと、マザーが動いた。


「バカだねッ、このアタシを忘れてんのかいッ? 黒犬マスク!」


 マザーが、ふたたび液状化させた床のなかを通り抜けようとする。

 が、それは不可能だった。シルヴィの能力範囲内において、今のマザーはただの鉤爪を装備した非砂塵能力者にすぎない。

 床にもぐりこめなかったマザーは、その場でぶざまに転がった。

 そのあいだ、チューミーは豪快にカタナを振るい、残りの狼マスクを血祭りに上げた。マザーの砂塵能力さえ封じられたなら、残るは雑兵だけだった。

 シルヴィが、マザーに銃を向ける。

 背中を併せて、チューミーもカタナを突きつけた。


「終わりね」

「終わりだ」


 声が重なった。

 起き上がったマザーは、残されたのが自分ひとりしかいない状況に、さすがにうろえたようだった。

 首元に触れているのは、インジェクターの故障を疑っているためだろう。


「こりゃ、いったいどういうことだいッ⁉ 偽物……いや、間違いなくミラー家の一人娘だったはずさッ。罠⁉ それとも……」

「どちらも合っているわよ。わたしはミラー家の一人娘で、かつ罠ね」

「マザー、いくつか確認する。よく聞け」


 マザーの首筋にカタナを這わせて、チューミーは質問した。


「お前がアルミラ・M・ミラーをさらったのは、スマイリーと契約しているからだな?」

「スマイリー……! そうかい、あんたの目的は、やつかい……!」


 チューミーはほんの少しだけカタナを押した。

 首の皮膚に溶けこむように、刃が進入する。

 肝が据わっているのか、マザーは痛みに声を上げることはなかった。


「イエスか、ノーかで答えろ」

「……イエス、だよッ!」


 明確な言質が取れて、チューミーはようやく安堵する。かりにこれが別件の誘拐だとすれば、目も当てられなかった。


「ああ、まったく、ドジを踏んだねッ。このアタシが、耄碌もうろくしたもんだよッ……」

「マザー。誘拐の成功を装い、本来の手はず通りにスマイリーに連絡しろ。おとなしく従えば、このカタナがあと十センチ進むことはない」


 マザーは周囲に目をやった。

 狼マスクの死体群と、充満する血のにおい。逆転の手立てがないことは明らかであり、マザーは舌打ちをして言った。


「わかったよ……ッ! わかったから、その刃物をしまいなッ」

「スマイリーからの連絡予定時間と、取引手順を答えろ」

「今日の、ちょうど零時さ……! きっちり零時に、固定回線で連絡が来る。アタシが出てから、誘拐したやつに交代して通話してから、取引の話に移行するのさ」


 ロウノから聞いた内容と変わらない。

 簡易尋問だが、信憑性はあると見てよかった。

 零時となると、あと一時間ほどは余裕があることになる。想定よりも時間の猶予が見こめた。

 第一の正念場は越えたが、まだ気を抜くことはできなかった。

 むしろ、本番はここからだ。

 動こうとすると、チューミーは足元がふらつくことに気づいた。

 九龍アパート内の追跡で、思った以上に体力を消耗していたようだ。


「チューミー。あなた、大丈夫? 脚に怪我をしているじゃない」


 心配した声でシルヴィが聞いた。


「傷口から砂塵粒子が入りこむと良くないわ。応急パッチは持っている? 見張りはわたしが替わるから、あなたはまず止血しなさい」

「ああ。悪い……」


 チューミーはレッグポーチから医療パッチを取り出した。塵工薬液の塗布された包帯を巻くと、裂傷からじんわりと血が滲んだ。

 傷を直視できず、チューミーは顔をそむけながら処置を施した。

 マザーにはまだたしかめなければならないことがあったが、先決なのは途中で別れたシーリオへの連絡だ。

 応急手当が済むと、チューミーはベルズを取り出した。


「マザー。どこか近くに、外気に触れられる場所はあるか?」


 いくら途方もない広大さでも建物内であることには変わりなく、ベルズを使用するには屋外に出る必要があった。

 ふてくされたように、マザーは答えた。


「アタシの、うしろ。二階に昇って、奥から手前三番目の扉から、またべつのブロックに進める。その廊下の突き当たりの部屋は、老朽化した壁に穴が空いていて、だいたい外と同じ空中砂塵濃度さ」


 さすがの迷宮具合らしい。だが、さしあたりは把握した。


「シルヴィ。少し、この場を頼めるか」


 そう頼むと、シルヴィがうなずいた。チューミーは疲労した足取りを隠さずに、その場から移動した。

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