3-7 告白
ルプスフェイスの占領エリアの一室で、シルヴィはわずかな休息時間を得ていた。
連盟職員に指示を下すシーリオの声が、遠くに聴こえていた。
排塵機が正常に作動する室内だが、マスクがはずせる環境ではない。
つい先刻、砂塵嵐と見まがうほどの砂塵粒子が集合したことで異様に高まった空中砂塵濃度が、いまだ安全値まで下がっていないせいだった。
シルヴィは、みずからの首にそっと触れた。まだ、熱が籠っている。
シルヴィの砂塵能力には、判明していない部分が多い。
通常の砂塵能力者のように、インジェクターを使用したあと、自身の身体から溢れる砂塵粒子を操るという基本動作を、シルヴィは行ったことがない。自分の砂塵粒子すらも消え失せるという特性上、そうする術がなかった。
砂塵能力が、感情的な高ぶりによって威力や範囲、場合によっては内容までもが変化するのは周知の事実だ。
ただそうはいっても、あの現象はあまりにも度を超していると言えた。
もともと、自身の変わった砂塵能力のことが、好きではなかった。
わかりやすい武闘派の砂塵能力であれば、もっとラクに戦闘をおこなえた上に、パートナーに悩むこともなかった。
最後に組んでいた同い年の女のパートナーは、シルヴィの砂塵能力が原因で命を危険にさらしていた。シルヴィがみずからの効果範囲を見誤り、パートナーの砂塵粒子を消失させてしまったせいだった。
シルヴィのバイクに傷をつけた犯人もおそらく彼女だったが、シルヴィは文句を言うつもりはなかった。自分が悪いと思っていた。
未熟にも暴走してしまった自身への苛立ちと、作戦上殺すわけにはいかなかったマザーを死の直前まで追いやった自責。それに加えて、ふたたびパートナーに迷惑をかけた懺悔がシルヴィのなかで混ざり合って、落とす眼差しに影を持たせた。
部屋の扉が開いた。
重い足取りで、チューミーが入室する。
「シルヴィ。体調のほうはどうだ」
「……わたしは、大丈夫よ。あなたは?」
「俺も、特に問題はない」
ふたりはしばらくのあいだ、沈黙を保っていた。
シルヴィは、「俺」という相手の一人称について考える。
口調か、あるいは雰囲気の問題なのか。パートナーの性別が男性であることを、シルヴィは疑ったことがなかった。
どれだけ平静を取り繕おうと、その正体に興味が湧かないはずがなかった。
ただ、シルヴィにはその前に二点、どうしても言わなければならないことがあった。
「その、チューミー。さきほどは、本当にごめんなさい。わたしは、これまでのあなたの努力を、危うくすべて無駄にしてしまうところだったわ。わたしの、この妙な砂塵能力のせいで……もしそうなっていたら、わたしはあなたに顔向けができなかった」
「気にするな。少なくとも、俺は気にしていない。マザーは気が動転しているが、意志疎通はできる様子だ。命にも別状はないし、作戦は続けられる。結果的に、なにも問題はなかったんだ」
その声は、やはり普段通りの無機質な機械音声だったが、けっして冷たい声色ではないようにシルヴィには思えた。
「それと、もうひとつ」
「なんだ?」
「ありがとう。チューミー」
シルヴィは室内に掛かったDメーターをたしかめた。
徐々に下がりつつある針が、ようやく安全値を示していた。
シルヴィは、ミラー家の鏡張りのマスクをはずした。
熱と疲労感のせいか、目の下に濃い隈が浮かんでいた。
「あなたの言う通り、頭のどこかで、今日砂塵送りをしたことを、いつか強く後悔する気がしていたの。でも、さっき。なんだか、とても懐かしい感じがして……」
あの懐かしさの正体を探る。
粛清官になってから、シルヴィには頼れる人はいなかった。それは身分を隠しているせいでもあり、パートナーがいないからでもあった。
父親を思い出したのは、けっして父とチューミーが似ているからではなかった。ただ、人に頼って生きていたころの自分を思い出して、そこから想起されたのだった。
「この一周忌でやったことが正解だったかもしれない、って思えたのよ。だから、チューミー。本当に、ありが」
「それも、礼には及ばない」
「もう。最後まで言わせなさいよ」
「本当にいいんだ。初日に言っただろう。俺はお前と、まともにパートナーを組むと。だからお前を助けるときに、俺は見返りは期待していないんだ」
なんでもないように、チューミーはそう告げた。
その瞬間、シルヴィは、もしかしたら自分の最適なパートナーはこの人なのかもしれない、と思った。
それから、中央連盟の教訓や矜持というものをなにひとつ知らないはずの犯罪者が、それでいて誰よりも粛清官然としたパートナー観を抱いていることにおかしさを覚えて、シルヴィの頬がほころんだ。
「ただ、礼はいいが、疑問は残る。あれはいったい、どういう現象だったんだ?」
「……わたしも初めての経験だったから、現時点では推測しかできないのだけれど」
自身の砂塵能力を完全に把握していないことを恥じながらも、シルヴィは相手の疑問に答えた。
「砂塵粒子って、集合と消失の二つの性質を持つでしょう。砂塵粒子が神出鬼没に出現したり、消え失せたりするのは、どちらも砂塵粒子そのものが自然に発している、ある特殊な電波に感応しあっているらしいわ」
「それは、排塵機の仕組みの話か?」
この部屋の隅でも作動している、旧型の機械を指してチューミーが言った。
「そうよ。排塵機は、砂塵粒子を消失させる疑似的な電波を放出する機械よね。それと同様の現象が、わたしの黒晶器官の内部で起きている可能性があるの。それも、人工的な機械の電波よりも、ずっと強い効果で」
排塵機が消失させられるのは、あくまで可視化されない程度の低密度な砂塵粒子だけである。砂塵能力者がインジェクターを起動した際の、目に見えて集合した砂塵量を消せるほどの代物ではない。
つまり、シルヴィは天然の排塵機といえるのかもしれない。それも、機械とは比べ物にならないほど強力な。
「砂塵粒子に命令を下す電波には、消失のほかに集合のほうもあるわ。だからさっきの現象は、もしかしたらわたしの黒晶器官が……」
「消失ではなく、集合の性質を持つ電波を出した、ということか?」
「ええ。おそらく、そうだと思うわ」
そのうえで、無意識とはいえ、あの莫大な量の砂塵粒子を操っていたわけである。
あらためて、シルヴィは自分の能力の不可解さに呆れた。
「正直、理屈で説明されてもうまく呑みこめない。それは、本当に砂塵能力と呼べるのか?」
「タイダラ警壱級も、同じことをおっしゃっていたわ。彼みたいな研究者からすると、とても興味のある能力みたいね。わたしが週に一回、本部の研究室でデータを採られているのも、タイダラ警壱級の手配よ」
「そうだった。まさしく、ボッチの件だが」
そこで腕時計を確認して、チューミーが言う。
「あのかぼちゃ頭が、いまだに姿を現さない。シーリオも、どこか判然としない口ぶりだった。予定の零時まで、もうあまり時間がないというのに。いったい、どういうことなんだ」
以降のフェーズからは、向こうの連絡によっていつ本命の粛清業務が発生するかわからないため、ボッチも自分たちに合流するはずだった。
シルヴィは怪訝に思う。
通常であれば、ボッチがこういう状況で前線に立たないことはない。
連絡が取れないということは、なにかしら悪いトラブルが起きたとしか思えないが、あの怪人のような粛清官がやられる姿は、想像がつかなかった。
「……でも、タイダラ警壱級がいようといまいと、スマイリーはあなたが殺すのでしょう?」
その問いかけに、チューミーはカタナの柄を握り、ゆっくりと頷いた。
「チューミー。ひとつ、質問してもいいかしら?」
相手はとくに否定しない態度だった。シルヴィは続ける。
「あなた、顔がない、って言っていたわよね。なんだか、そういうたとえはしない人に思えて不思議だったけれど……ひょっとして、それはあなたの過去に関係するの? だから、あなたはそのマスクをはずさないの?」
シルヴィは、相手の小柄な体躯を見つめた。
触れたときの、しなやかな筋肉の奥にあった、柔らかい肌の感触を思い出した。
「答えたくなかったら、べつにかまわないわ。でも……ただの興味本位じゃないの。本当よ」
シルヴィの声色には、たしかにこの問いかけが、ただの興味本位の好奇心ではないことを窺わせた。
それがおそらく、彼女なりのまともなパートナーのありかたなのだろう、と伝わせる声だった。
だからか、部屋の片隅の暗い部分を見つめていたチューミーは、深く息をつくと、こう言った。
「この、顔は……この身体は、俺のものではない」
チューミーは、先ほど応急処置を施した傷を一瞥する。
そうしながら、覚悟を決めたように、その真実を明かした。
「四年前に、やつに殺された……俺の、妹の身体だ」
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