45話 仮面の告白
ルプスフェイスの占領エリアの一室で、シルヴィはわずかな休憩時間を得ていた。
排塵機が作動する室内だが、マスクがはずせる環境ではない。
つい先刻、砂塵嵐と見まがうほどの砂塵粒子が集合したことで高まった空中砂塵濃度が、いまだ安全値まで下がっていないせいだった。
シルヴィは、みずからの首に触れた。
まだ、そこには熱が籠っている。
砂塵能力が、感情的な高ぶりによって威力や範囲、場合によっては性質までもが変化しうるというのは周知の事実だ。
ただそうはいっても、あの現象はあまりにも度を超していると言えた。
もともと、自身の変わった砂塵能力のことが好きではなかった。
わかりやすい武闘派の砂塵能力だったら、能力に頼って戦闘ができたし、パートナーのことで思い悩むこともなかった。
最後に組んでいた同い年の女のパートナーは、シルヴィの砂塵能力が原因で命を危険にさらしていた。シルヴィがみずからの効果範囲を見誤ったせいだった。
シルヴィのバイクに傷をつけた犯人もおそらく彼女だったが、シルヴィは文句を言うつもりはなかった。自分が悪いと思っていた。
未熟にも暴走してしまった自身への苛立ちと、今回ふたたびパートナーに迷惑をかけた懺悔の念がシルヴィのなかで混ざり合って、落とす眼差しに影を持たせていた。
部屋の扉が開いた。
重い足取りで、チューミーが入室してきた。
「シルヴィ。体調のほうはどうだ」
「……わたしはだいじょうぶ。あなたは?」
「俺も、とくに問題はない」
ふたりはしばらくのあいだ、沈黙を保っていた。
シルヴィは、「俺」という相手の一人称について考える。
口調か、あるいは雰囲気の問題なのか。パートナーの性別が男性であることを、これはシルヴィは疑ったことがなかった。
しかし、これはシルヴィにとっても不本意なことだったが、さきほどの接触で、シルヴィには理解できてしまったことがあった。どれだけ平静を取り繕おうと、その正体に興味が湧かないはずもない。
ただ、シルヴィにはその前にどうしても言わなければならないことがあった。
「チューミー。さきほどは、本当にごめんなさい。わたしは、これまでのあなたの努力を、危うくすべて無駄にしてしまうところだったわ。もしそうなっていたら、わたしはチームのだれにも顔向けができなかった……」
「気にするな。少なくとも、俺は気にしていない。マザーは気が動転しているが、命に別状はないし、作戦は続けられる。結果的にはなにも問題はなかったんだ」
その声は、やはり普段通りの無機質な機械音声だったが、けして冷たい声色ではないようにシルヴィには思えた。
「それと、もうひとつ」
「なんだ?」
「ありがとう。チューミー」
シルヴィはDメーターをたしかめた。ようやく安全値を示していて、シルヴィはミラー家の鏡張りのマスクをはずした。
「助けてくれたことだけじゃないわ。あなたの言うとおり、頭のどこかで、今日砂塵送りをしたことを、いつか後悔する気がしていたの。でも、さっき。なんだか、とてもなつかしい感じがして……」
あの懐かしさの正体を探る。
粛清官になってから、シルヴィには頼れるひとはいなかった。
父親を思い出したのは、けして父とチューミーが似ているからではなかった。ただ、人に頼って生きていたころの自分を思い出して、そこから想起されたのだった。
「今日やって正解だったかもしれないって思えたのよ。だから、チューミー。本当に、ありが」
「それもかまわない」
「もう。お礼くらい最後まで言わせなさいよ」
「本当にいいんだ。初日に言っただろう。俺はお前と、まともにパートナーを組むと。だからお前にかんすることで、俺は見返りは期待していない」
なんでもないように、チューミーはそう告げた。
その瞬間、シルヴィは、もしかしたら自分の最適なパートナーは、まさにこのひとなのかもしれない、と直観した。
「ただ、疑問は残る。あれはいったいどういう現象だったんだ?」
「……わたしもはじめての経験だったから、今は推測しかできないのだけれど」
自身の砂塵能力を完全に把握していないことを恥じながらも、シルヴィは相手の疑問に答えた。
「砂塵粒子って、集合と消失のふたつの性質を併せ持つでしょう。砂塵粒子が神出鬼没にあらわれたり、消え失せたりするのは、どちらも砂塵粒子そのものが自然に発している、ある特殊な電波に感応しあっているらしいわ」
「それは、排塵機の仕組みの話か?」
この部屋でも作動している機械をチューミーが指した。
「それも同じことよ。排塵機は、砂塵粒子を消失させるための電波を放出する機械よね。自然界では、砂塵粒子そのものが同じ現象を起こしているの。そしてさらに、それと同様の現象が、わたしの黒晶器官の内部で起きている可能性があるの。それも人工的な機械の電波よりも、ずっと強い効果で」
排塵機が消失させられるのは、あくまで可視化されない程度の低密度な砂塵粒子だけである。砂塵能力者がインジェクターを起動した際の、目に見えて集合した砂塵量を消せるほどの代物ではない。
そう考えると、どういった状況の砂塵粒子さえも消せるというシルヴィの能力は、単純な上位互換といえた。
「砂塵粒子に命令を出す電波には、消失のほかに集合のほうもあるわ。だからさっきの現象は、もしかしたらわたしの黒晶器官が……」
「消失ではなく、集合の性質を持つ電波を出したということか?」
「ええ。憶測ではあるけれどね」
そして無意識とはいえ、あの莫大な量の砂塵粒子を操っていたわけである。
あらためて、シルヴィは自分の能力の不可解さに呆れた。
「正直、説明されてもうまく呑みこめない。それは本当に砂塵能力と呼べるのか?」
「タイダラ警壱級も、同じことをおっしゃっていたわ。彼みたいな研究者からすると、とても興味のある能力みたいね。わたしが週に一回、本部の研究室でデータを採られているのも彼の手配よ」
「そうだった。まさしくボッチの件だが」
そこで、チューミーは思い出したようだった。
「あのかぼちゃ頭がいまだに姿をあらわさない。シーリオも、どこか判然としない口ぶりだった。予定の零時まですぐだというのに。いったいどういうつもりなんだ」
以降のフェーズからは、ボッチも自分たちに合流するはずだった。
シルヴィは、怪訝に思う。
通常、ボッチがこういう状況で前線に立たないことはない。
連絡が取れないということは、なにか悪いトラブルが起きたとしか思えないが、あの怪人のような粛清官がやられる姿は想像がつかなかった。
「……でも、タイダラ警壱級がいようといまいと、スマイリーはあなたが殺すのでしょう?」
その問いかけに、チューミーはゆっくりと頷いた。
「チューミー。わたしのほうこそ質問してもいいかしら」
とくに否定しない態度だったから、シルヴィは続けた。
「あなた、自分には顔がないって言っていたわよね。ひょっとして、それはあなたの過去に関係するの? だから、あなたはそのマスクをはずさないの?」
シルヴィは、相手の小柄な体躯を見つめた。
「答えたくなかったら、べつにかまわないわ。でも……ただの興味本位じゃないの。本当よ」
シルヴィの声色はあくまで真摯なものだった。
それが伝わったからか、部屋の片隅の暗い部分を見つめていたチューミーは、深く息をつくと、言った。
「そうだ。この顔は……この身体は、俺のものではない」
チューミーが、先ほど応急処置を施した傷を一瞥すた。
そうしながら、覚悟を決めたように、ようやくその真実を明かした。
「四年前にやつに殺された……俺の、妹の身体だ」
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