3-3 砂塵送り
あたりが真っ暗になったころに、パーティはお開きとなった。
エントランスで最後の来賓を見送ったあとで、チューミーとシルヴィは互いに目配せした。
ケータリングを片付けるスタッフに声をかけて、裏手から墓地に向かうと告げる。
外に出ると、チューミーはポケットのなかでベルズを操作した。
登録済みのシーリオにかけて、ちょうど三度のコールで切る。すぐさま折り返しがかかり、同様に三回だけ端末が振動した。
――計画に変更はない。つまり手はずどおり、偉大都市会館の外、都市第一公園には相当数の連盟職員が配置されている。
東西南北の出入り口の他、この二番街に隣接する一番街、三番街、七番街、九番街、十番街への各ルートに見張りを立てているということだ。
いざ誘拐が実行された際には、誘拐犯を泳がせて活動拠点を突き止める体制ができあがっている。
司令塔となるのはシーリオである。ボッチは、このフェーズを踏まえた上で訪れる、本番の粛清業務までは動くことができなかった。
チューミーは出入口でシルヴィに傘を差すと、揃って歩き出した。
砂塵送りは、基本的には遺族しか参列しない。
いよいよ本命のタイミングだ。ここからは先は、いつ狙われてもおかしくない。
周囲は緑に溢れ返っていた。
都市第一公園は、中央街に新緑の色を彩るシンボル的なスポットだ。
中央の噴水広場にはカフェテリアが構えられていたが、すでに閉店時間を迎えているらしく、店内は暗かった。
花壇で囲まれた小道が、北東方面に続いている。遠目、密集する樹木の向こう側にやけに淋しい場所がみえた。そこが墓地だった。
雨天な上に外灯が少なく、あたりは暗い。周辺にはだれの姿も見えなかった。
墓地に進入すると、シルヴィは、ミラー家の先祖が代々眠るという墓石の前で立ち止まった。
鏡張りのマスク越し、墓碑を見つめる。
一年前に殺害された当主夫妻の名が、一番下に刻まれている。
遠くに、品のいい身なりをした、老女とその息子のような二人組が散歩するのが見えた。チューミーは動向を探る。二人ともフードを深くかぶっており、着用マスクは判明しなかった。
シルヴィが墓石の上部の取っ手に触れた。スライドさせると、蓋の部分が開く。内部には小さな箱が納められていた。
ミラー家の家紋が刻まれた箱。
そのなかに、シルヴィの両親の遺灰が詰められていた。
「お父さま……お母さま……」
傘のなかで、シルヴィが小声で口にした。
雨の音に立ち消えそうなささやきは、すぐ傍に立つチューミーでさえ聴き取れるかどうかという声量だったが、その悲哀を感じさせるには十分だった。
上空に、自然発生して風に舞う、砂塵粒子の集合体が覗けた。
渦巻くように高く舞う砂塵粒子に向けて、シルヴィは手元の遺灰を放った。
きめ細かい粒の連なりは、空中でさらさらと交じり合うと、暗い曇天の下、宙に向けて飛び去った。
砂塵葬制によって、死者の肉体は地中に還り、死者の魂は宇宙に還る。
この世界を覆う、神性の砂塵粒子に溶けこんで、無限の回廊から、最後のしがらみが解き放たれる。
そのシルヴィの砂塵送りの儀に、チューミーは目を奪われた。
いつどこから誘拐組織に狙われるかもわからない状況にもかかわらず、周囲に払う注意が、ほんの一瞬だけ薄れてしまった。
それは、美しい光景だった。
シルヴィの小刻みに震える肩は、だれに心中を吐露するでもなく、ただ見る者に、まるでときが止まったような、止水感覚を与えて、無言の悲痛を伝えた。
その姿は、つい先ほどまで演じていた、舞踏会で偽の笑顔を振り撒くアルミラではなく、ただ生家の親を想い、死を気丈に受け止める、ミラー家の娘が本来持つ、気高い素性であるように思われた。
ミラー家を復興させるという、先ほどのシルヴィの言葉を思い出した。
たしかに自分たちは、互いにだれかの仇のために生きて、今はふたりとも名前を失っている。ただ、その本質はまるで異なる。
シルヴィにとって、復讐は手段だった。
チューミーにとって、復讐は目的だった。
そこには無限の隔たりがあることに気づいていたが、わかったうえでどうしようもなければ、どうしたくもなかった。
そして、そうした自分を見つめる目線は、現在から過去へ向けられるだけだった。
そこに、未来に向かう要素はひとつもなかった。
慣れない思考に妙な虚しさを覚えて、チューミーはわずかに目線を落とした。
二度、風が吹いた。一風は、渦を巻いた砂塵粒子を掻き消し、二風は、箱に少量残っていた遺灰を完全に払った。
チューミーは周囲に気を戻した。
雨は分刻みで強さを増しており、いつの間にか横殴りの天候となっていた。
先ほど目に入った老女と息子は、すでに墓地に入ってきている。
よろよろと歩く老婆の手を引いて、雨のなかをただ散歩しているかと思えば、シルヴィの背後で止まり、話しかけてきた。
「――どなたを、送られたのですか」
老婆が顔を上げた。リアルな造形をした、狼形のマスクが目に入る。その周辺には焦げ茶色をした砂塵粒子が、ざわざわとうごめいていた。
来た――!
相手がすでにインジェクターを起動している、と気づいた途端、
「お嬢様から離れろッ」
傘を投げ捨てると、チューミーはそう叫び、老婆に掴みかかろうとした――が、老婆が地面を叩きつけた途端、その姿が瞬時に消えた。
何事か、と思ったときには、すぐ隣にいたはずのシルヴィすらも、声もなく失せていた。シルヴィが肩にかけていた絹の羽織り物が、ひらひらと舞って落ちる。
驚愕する間もなく、チューミーの下半身が、とぷんと地中に呑まれた。
まるで地盤沈下を起こすかのように、雨に濡れた地面は一切の硬度を失っており、ゼリー状の柔らかい土台へと変貌していた。
(これは……物質を液状化する砂塵能力……⁉)
「悪いが。ミラー家の令嬢は、俺たちがいただいていく」
老婆と行動していた男が言った。
その手はMGC製の消音銃を持っている。下から覗きこむ形となり、チューミーは相手のフードの下が、老婆と同様に狼マスクであることに気づいた。
狼マスクが三発、雨の音に隠れて発砲した。
プシュップシュッ、と放たれた銃弾は、まずチューミーの胸部に一発、着弾する。続けて腹部にも二発。
礼装の下に巻いていた防弾性の塵工素材が受け止めて、本物の血を詰めた糊が弾けた。
「ぐァッ……」
小口径とはいえ、まともに喰らい、衝撃に声を漏らす。チューミーは絶命に模した痙攣の後、ぴたりと動きを止めた。
狼マスクは、こちらのシャツに広がる赤色をほんの一、二秒眺めた。
中央連盟に名を連ねるような名家の付き人は、粛清官に勝るとも劣らない武闘派の砂塵能力者であることが多い。やけにあっけなく排除できたことを意外に思ったようだったが、いずれ消音銃を懐にしまうと、フードを被り直して走り去った。
チューミーの身体が、軟化した地面にずぶずぶと沈んでいく。奇襲性が高い砂塵能力は誘拐向きな上に、こうして自動的に死体を隠蔽することすら可能なようだった。
どこかへ消えた老婆は、いまだインジェクターを解除していないようだった。長時間持続する砂塵能力ではないらしく、チューミーは自身を包む地面が徐々に硬く戻っていく。だが、それでも合図があるまでは動くわけにはいかなかった。
ごく短い間が、妙に長く感じた。
周辺の見張り役が誘拐犯たちを見失っていないことを心から祈った。
ポケットのなかでベルズが振動した。
チューミーは弾けるように身体を起こすと、ぎりぎりで軟らかさを保っていた地面から這い出た。
ベルズの通話ボタンを押すと、通話口から声が聴こえた。
『私だ。通話に出たということは死んでいないな?』
シーリオだった。
「ああ。十全に動ける」
『実行犯がバンに乗りこんだようだ。すぐさま規定地点に来い』
「承知した」
チューミーは影のように墓地を駆け抜けて、西口に向かった。
予定の場所には、黒い大型車が停まっていた。
運転席にはシーリオが座っていた。後部座席には、チューミーの愛刀と、シルヴィの愛銃が置かれていた。
チューミーが乗りこんだのを確認すると同時、シーリオはアクセルを踏んだ。
週末ということもあり、中央街の道路は往来が激しかった。
「現場で確認済みの情報があれば共有しろ」
シーリオがバックミラー越しにこちらをみて言った。
シーリオは、真ん中で一刀両断されたような、無機質な白いマスクを着用していた。マスクにはオプションを追加しているのか、コードが伸びてベルズと繋がっているようだった。
「俺が見たのは、老女と男の二人組だった。老婆はおそらく、物を液状化する砂塵能力者だ。砂塵粒子が触れた地面が、ゼリー状になった。シルヴィはそれでなかに引き込まれたようだ。もうひとりの男は、インジェクターは起動していない。両方とも、着用マスクは狼だ」
早口でそう告げながら、チューミーは窮屈な礼装を破り捨てた。
車は中央大通りを北に走行していた。そうなると、向かう方向は七番街や九番街のほうである。さらに進むと、犯罪者が
誘拐犯の動向を追跡しているのは、周辺ビルの屋上で張っている多数の連盟職員だ。シーリオは運転しながら通話して、誘拐犯のバンの位置を確認している。
連盟職員との通話をいったん区切ると、こちらにたしかめてきた。
「貴様、実行犯の片方は老婆と言ったか?」
「ああ」
チューミーが肯定すると、シーリオは考えこむような一拍の後、
「ひょっとすると、ルプスフェイスか……」
とつぶやいた。聞いたことのない組織名だった。
「なんだ、それは?」
「マザーと呼ばれる、老いた母親を中心とした大家族の犯罪組織だ。全員がウルフデザインのマスクを着用している。数年前に粛清案件に上がったが、そのときはマザーを含めて半数ほどは取り逃がす結果となった。私の記憶が正しければ、マザー自身は
ということは、そのマザーという首領は、スマイリーの能力付与を受けた人間である可能性が高い。
朗報だ。想定していた最悪の事態――スマイリーとは関係のない別件の誘拐事件という線はかなり薄くなる。
(この道の先が、やつに続いているかもしれない――)
そう思うと、チューミーは自然と前のめりになった。
しばらく、車はそのまま走行していた。今のところ、追跡は順調のようだ。
だからこそ、チューミーはいやな第六感が無視できなかった。
スマイリーの契約者が実行している以上、なにも起こらずに拠点を把握できるとは思えなかった。偉大都市のネオンサインが急速に過ぎゆく景色を見ながら、このまま追跡が途絶えないことをチューミーが願ったとき、悪い予感が的中した。
「――ちっ」
職員から連絡を受けたシーリオが舌打ちした。チューミーには聴こえない小声で、通話口の向こうの相手が焦った口調でなにかを述べていた。
「掴まっていろ……!」
いったん通話を切ると、シーリオは突然アクセルを全開に踏んだ。豪快に反対車線に躍り出ると、目の前のトラックが大きくクラクションを鳴らした。
シーリオは正確な運転技術で車と車の間を抜けると、そのまま驀進を続けた。どうやら、このままバンに追いつこうとしているようだった。
「いったい、どうした? なにがあったんだ」
「厄介な話だが、進行方向で予測する限り、連中の活動拠点が
そこで車はちょうど、九番街の区画に入った。遥か向こう、海沿いの手前に、暗がりにぼぅっと佇む巨大な建造物が現れた。
九龍アパートとは、偉大都市の形成過程で建設された、この都市最大の集合住宅建造物のことだ。
増築を繰り返されて大きく膨らんだ構造であるほか、建築関係の砂塵能力者が内部に手を加えた結果、内部はもはや完全な迷宮と化しているという話だった。
その複雑さは、長く住んでいる者でさえ、完全には全貌を把握できていないと聞く。犯罪や売春の温床で、数々の犯行グループが潜伏しているが、下手に部外者が入りこむのは、蜘蛛の巣に飛びこもうとする蝶のようなものらしい。
「九龍アパートだと……? だとしたら、この場合はどうなる? 連中の拠点を割るというのは」
問いに、シーリオが苦々しい口調で答えた。
「こうなると、もはや隠密の追跡をしている場合ではない。多少あからさまだろうと追いついて、直接やつらを拘束する必要がある」
ふたりの懸念点は、九龍アパートの持つ性質のためだ。
九龍アパートは、その内部がひとつの独立した街のようになっている。つまり、活動拠点を割るという行為の定義が変わった。
今、ふたりは九龍アパート内部のどの区画が相手の拠点なのか把握しなければならない。当然、建物の外からでは動向を窺うことはできず、直接入りこんで追跡するしかなかった。
追跡を悟られない以上に、敵を見失わないほうが先決の状況に切り替わったということだ。
バンは九龍アパートの内部へと侵入していった。
無数にある入口の傍に乱暴に停車すると、総計八人ほどの狼マスクが降りていくのが見えた。そのうちのひとりは、ぐったりと気絶した様子のシルヴィを抱えていた。
シーリオの車もまた、九龍アパートの足元まで迫った。
真下から見上げる九龍アパートは、もはやひとつの建物と呼んでいいかも判断のつかない、山のような大きさをしていた。
「追跡手段はどうする?」
「大枠に変更はない。私か貴様のどちらでもいい、連中の活動フロアを割り出し、首領を無力化する」
ようやくの出番だ――
チューミーはカタナに巻いていた布を取ると、柄を力強く握って答えた。
「承知した」
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