3-2 最高の令嬢と、最高のパーティ
階下のパーティホールには、礼装を着こんだ数多の男女が入り混じっていた。
マスカレイドと題された、現存する旧文明の芸術的絵画に着想を得て、会場内は装飾されている。壁際の長テーブルでは、銀縁の皿に様々な料理が並んでおり、幾人かの給仕スタッフが参列者にカクテルを渡し回っていた。
本日夕方、この偉大都市会館で、ミラー家当主の死を偲ぶ会が開かれようとしていた。
Xデー、その当日である。
がやがやとした話し声を遠くに聴きながら、チューミーは腕時計に目をやった。
「なあ。まだ、かかるか? そろそろ開始時刻だが」
「もう少し待って。今、最終チェックをしているから。あなたも身なりを整えていて」
控室のなかからそんな返答がある。
チューミーは慣れないタキシード服をたしかめた。皺がなく、めくれているところもない。教わったとおり、ネクタイもきちんとしているはずだった。
チューミーの役割は、アルミラ・M・ミラーの側近である。
護衛や小間使いを務めるというのも不安だったが、なによりカタナを一時的にでも手放していなければならないのが気がかりだった。使い慣れたダガーとパーム・ピストルを、上着の内側に潜ませているだけである。
「お待たせ」
扉が開いた。主催者のシルヴィ――アルミラ・M・ミラーが現れる。
シルヴィが身にまとっているのは、黒色のゴシックドレスだった。
こういうことに疎い自分でも、服には相応の者がする着こなしというものがあることくらいはわかる。その観点でいうなら、シルヴィの背格好はまさしく一流の令嬢といった風貌だった。
なんというか、華々しいオーラがある。
チューミーは思わず、相手をまじまじと眺めてしまった。
「ひょっとして、なにかおかしなところがある? 姿見で確認はしたけれど、背中側はよくわからないのよ。侍女がいない礼装は初めてだから、不安だわ」
シルヴィがくるりとその場で回る。マットな質感の布が放射状に舞った。レース編みの胸元には、決して派手すぎない銀色のネックレスが輝いていた。
それ以上に光彩を放っているのは、シルヴィが持つ、全面が鏡張りのマスクだ。
ミラー家の伝統デザインのマスクは、ほんの少し動くだけできらきらと光りを反射する。
「ああ。大丈夫、だと思う……」
「だと思うって、頼りないわね」
「いや、だって。俺は、こういうことはよくわからないから……」
ぎこちない言い方で、チューミーは答えた。
この場にあるすべてが、自分とはまったく縁のないものばかりだった。
「まあ、いいわ。問題ないでしょう。行きましょうか」
シルヴィが先立って廊下を進んだ。
ここから先は、深窓の令嬢であるアルミラ・M・ミラーと、その付き人を演出する必要がある。
螺旋階段の上から、シルヴィがホールを見渡した。来客のひとりがこちら気づくと、話し声がどんどん静かになっていく。
全員がこちらに注目しても、シルヴィは階段を降りなかった。どうかしたのだろうか、とチューミーが見ていると、
「ほら、エスコートして。不自然でしょう」
そう小声で告げられて、思い出したように令嬢の手を取った。
シルクの薄い手袋と、厚手の黒いグローブが重なり合う。
ゆっくりとした歩調で下ると、シルヴィはいち段だけ残した場所で足を止めた。
その場所で、シルヴィは口を開いた。
「みなさま、本日はお集りいただき、誠に感謝いたします。わたくしは、現ミラー家当主、アルミラ・M・ミラーと申します」
透き通るような声が、会場に響き渡る。
「逝去から一年が経過しても、これだけ多くの方々に想っていただけて、父と母も喜んでいることと思います。ささやかながら、みなさまにはおもてなしをご用意させていただきましたので、夜の砂塵葬制までのお時間、どうか楽しく故人の思い出話をしていただければ、わたくしにとってそれ以上のことはありません。
生前、父はよく、こう言っておりました――」
シルヴィの挨拶の最中、チューミーはマスクに隠れて、こちらを眺める百余人の顔を見渡した。素顔とマスクで、半々ほどだ。マスクをしている人物はおそらく、自分と同じく要人の側近を務める者だろう。
シルヴィから招待状が送られた人間以外でも、中央連盟の関係者ならば自由に参列できるようにしていた。
とはいえ、着用マスクと素顔のほかに、塵紋で証明する専用のIDが必要となる関係上、このなかに誘拐犯が紛れている可能性は低いはずだ。
それは会館の業務スタッフも同様である。
それでも、ここから先は確実なことはなにひとつない。チューミーは可能な限り、来客たちの顔を記憶することに努めた。
挨拶の締めにシルヴィが一礼すると、スタッフがグラスを運んだ。事前に手配していた、ノンアルコールカクテルだった。
シルヴィが合図をすると、来賓全員が乾杯した。
そうして、ミラー家の元当主を偲ぶ会が幕を上げた。
ホールの端に構えていた生バンドが、流麗な音楽を奏で始める。食器の重なる金属音がするのは、人々が立食式の食事に手を付け始めたからだった。一周忌の会とはいえ、パーティであることには違いなく、全体的に明るく行う趣向のようだった。
「あれが、ミラー家の……」
「そうよ。例の、あの事件の」
「あの生き残りの娘……?」
途端に賑わい出した会場に紛れて、そんな会話が耳に入る。
憐憫と興味が絡み合った、好奇の視線。それを浴びても、シルヴィは平然とした様子だった。
従者であるチューミーにミラー家のマスクを持たせると、人混みに向けて歩き出す。
これより数時間の間、シルヴィは主賓として挨拶回りをする必要があった。
向こうから、ひとりの男が駆け寄ってきた。やけに太った、禿げ頭の男である。
燕尾服を着込む中年は、たった十数メートル駆けてきただけで息を切らすと、シルヴィの前で深々とこうべを垂れた。
「アルミラお嬢様……!」
「これは、ミナカタ様。ご無沙汰しておりますわ」
シルヴィはスカートを指先で持ち上げて、優雅な一礼をした。
「ああ、誠にお久しぶりでございます。あの日よりお嬢様がどうお過ごしになられているか、案ぜぬ日は一日たりともありませんでした……!」
「どうかお顔を上げてくださいませ、ミナカタ様。ご心配おかけしたこと、お詫びいたしますわ」
ミナカタという名前に、チューミーは聞き覚えがあった。
しばらく思考して、思い出す。現在のミラー社の社長の名だ。
シルヴィの父親が死んだ後、その地位を継いだ人物である。口ぶりからして、シルヴィがアルミラとして生きていたころから親交があるようだった。
ミナカタは、シルヴィの顔をまじまじと眺めた。濁った瞳を何度もまたたくと、ごくりと生唾を飲んだ。
「しばらく見ぬ前に、また輪をかけて美しく育たれましたな。澄んだ瞳、麗しい銀髪などは、先代様と瓜二つで……まったく、いけませんな。年を取ると、涙もろくなります」
「ミナカタ様は、お変わりありませんのね。いつまでも、若々しくあられて」
「はっは、お嬢様もお人が悪い。この禿げ頭を捕まえて、なにをおっしゃいますか」
からからと笑うミナカタに合わせて、シルヴィは手の甲で口元を抑えると、上品に笑った。
その表情に、チューミーはどこか違和感を覚えた。これまで何度か目にした、どこかあどけない微笑とはまったく異なる表情だ。
目が笑っていない、という表現は間違っている。
むしろ、どこからどう見ても自然な笑顔なだけに、それが完成された技術的な表情であるように感じた。
「それにしても、つくづくご立派に成長なされた。お嬢様はこの一年、どのようにお過ごしだったのですかな」
「一番街の隅に家を買って、休んでおりましたの。お聞かせするには恥ずかしい話ですわ。あと少しだけと思っているうちに、これだけ長い時間が経ってしまいましたもの」
「あれだけのことがあったのですから、無理からぬことです。第一、今夜砂塵送りができるほどに回復されたのなら、それは必要な休息だったということですぞ」
ミナカタは、わざとらしく目をすぼめると、いかにも感傷に耽るような声で、
「しかし誠に、先代様にはお世話になったものです。今こそ、その御恩をお返しするときに違いありませぬ。お嬢様、この老いぼれにできることがあれば、どんな些細なことでも頼ってくだされよ」
「まあ、本当ですの? それならわたくし、新しいドレスが欲しいですわ」
「それくらいのことなら! ガクトアーツのデザイナーに依頼して、百着でも二百着でも、今度送らせましょう!」
ほかの来賓が数人、タイミングを見計らって会話に混ざった。
チューミーは知らないが、どの人物もミナカタと同様に、偉大都市を牽引する大企業の関係者であることに違いなかった。
パーティは滞りなく進行しているようだった。
だれもシルヴィの背後に佇むチューミーを気にかける者はいなかった。
ミナカタの付き人を筆頭に、その他の使用人らしき人物もみんな無言を保っている。
従者というのは影と同義であり、主の背後で口を閉ざしているのが最大の仕事のようだった。もっとも、変声機械を使用している関係上、チューミーからすれば、口を開く必要がない状況は大歓迎といえるが。
どうでもいい世間話が飛び交う会話を聞き流しながら、チューミーは時おり、シルヴィの横顔をちらりと見た。
シルヴィが人々に振り撒く偽りの笑顔が、なぜだかどうしても気になった。
それから一時間ほどした後、シルヴィは人々の輪から抜けた。
化粧直しという名目で、一時的に控室に戻る。
チューミーもなかに入った。机のうえには、着替え類と化粧品に加えて、囮作戦の動きをまとめた資料が置かれていた。計画に変更がある場合は、このタイミングで指示が追加されているはずだったが、とくに変わりはなかった。
個室に入ると、シルヴィはあからさまに肩の力を抜いた。窮屈そうなドレスの裾を持つと、鏡台の椅子に腰かける。それから、静かにため息を吐いた。
「大変だな、アルミラお嬢様」
そう声をかけると、シルヴィはくすりと一笑した。
「べつに、これくらいは慣れているわよ、使用人さん」
そう答えつつも、どこか浮かない表情だった。緊張した様子は、後に控えている本番を憂慮しているからだけではない様子だった。
シルヴィは、強張った肌をもとに戻すかのように頬を摩った。それから、何度か咳を払う。普段よりも何オクターブか高くしていた声の調子を戻すためのようだった。
「わかってはいたけれど、父や母の話は、どの人もあまりしなかったわね」
たしかに、どの人物も故人に関する話はそこそこに、ミラー家の娘の現状を聞き出そうとしていた。たとえ生前に交流があったにせよ、他人からすると一年前に死んだ者より、今生きている娘のほうがずっと興味があるようだった。
「やはり、嫌いなのか? 社交の世界というのは」
「妙な質問ね。わたし、どこか変だったかしら?」
「いや、変ではなかった。むしろ、ものすごく自然だったが……」
言いながら、チューミーは自分の感じていた違和感の正体に気づいた。
それはつまり、どちらが本当のシルヴィなのだろうか、という疑惑だった。
シルヴィとアルミラでは、雰囲気も佇まいもまるで異なる。それでいて、どちらも一個の人間として確立されている。
「なんだか、あなたって抜け目ないというか……よく見ているのね。まあ、そのとおりかもしれないわ。アルミラでいることは、疲れることも多かった。五歳で社交デビューしてからというもの、淑女かくあるべき、というマナーを叩きこまれたから」
シルヴィは薄い色をしたリップを塗ると、唇を擦り合わせるように口を動かした。
「でも、これは勘違いしないでね。社交が苦手だっただけで、生まれの家の誇りはあるわ。粛清官になったのだって、その誇りを取り戻すためなのだから」
シルヴィは鏡越しに自身の顔を見つめた。鏡の向こうでは、アルミラの服装をした女が、シルヴィの顔をしていた。
「それはいつか、アルミラに戻るということか?」
「その通りよ。過去を全て払拭することができた時、わたしはまたアルミラに戻って、この手でミラー家を復興させなければならないの。たとえ、どれだけ時間がかかろうとも。そのためには、なんだってする気よ」
そこで、互いに口を閉ざした。
壁にかかったDメーター機能付きの時計が、カチカチと針を刻んでいた。
偉大都市会館は、二番街の広大な都市第一公園のなかにある。
そして都市第一公園には、中央連盟関係者専用の墓地がある。
パーティが終了したら、シルヴィは来賓を送り届けたあと、その足で墓地に向かって砂塵送りを施行する予定だった。
「……この後の、本命だが。さした護衛もなく連盟関係者が自然に外を出歩くには、砂塵送りをするしかないのはたしかだ。だが、お前は本当にそれでよかったのか?」
その質問に、シルヴィは鏡越しに、こちらの黒犬のマスクに目をやった。
「それは……それは、本当は両親の仇を取れた後にできればいちばんだったわ。でも、仕事だもの。しかたないでしょう」
「だが、そうはいっても……」
「あなたが心配することではないわ。余計なお世話よ」
こちらを振り向いて、シルヴィがぴしゃりと言った。
「わたしはね、ひと一倍努力しないといけない立場なのよ。この砂塵能力のハンデがあるから。だから、囮作戦だろうと砂塵葬制だろうと、なんでも文句なくこなして地位を上げていかないといけないの。そうでないと、それこそ両親の仇が取れないわ」
ミラー家当主の殺人事件は、まだ解決していない。
先ほどのパーティホールの会場でも、一部の連盟関係者は粛清官の怠慢を批判することで、生き残りの娘を慰めようとしていた。
それは粛清官であるシルヴィにとっては逆効果の批判だったが、シルヴィはそんなことはおくびにも見せない態度で、ただ相手の言葉にうなずくばかりだった。
「本当に、問題はたくさんあるのよ。でも、なによりパートナーがいないことには、粛清官は話にならないわ」
シルヴィのうんざりするような口調は、だれに怒るでもなく、強いて言うならば、自身に怒りを覚えているようだった。
チューミーは壁に背を預けて、しばらく黙っていた。それから、口を開いた。
「シルヴィ」
「……なにかしら?」
シルヴィは不機嫌そうに返事をした。
それから、初めて名前を呼ばれたことに気づいたからか、遅れて眉をひそめた。
「お前の砂塵能力は、特異性であっても奇襲性であっても、かなり有用な部類に入る。たしかに砂塵能力者とは行動をともにしづらいだろうが、本来であれば、相手がお前に合わせて然るべきなくらいだと俺は思っている。だから、あまり自分を卑下する必要はないんじゃないか」
そう正直に言うと、シルヴィは目を丸くした。
ぱちくりと何度か瞬いて、突然こちらから顔を逸らした。ほんのわずか、チークではない赤みが頬に浮かんでいた。
「……あなた、お世辞は言わないって話だったわよね」
「ああ」
「それなら……素直に受け取っておくわ。どうもありがとう」
シルヴィは、アルミラではないほうの笑顔を浮かべて言った。
「それにしても、あなたはふしぎな人ね。わたしがこれまで見てきた犯罪者には、あなたみたいな人はいなかったわ」
否定はしなかった。
素顔はおろか、声すらも隠す人物がそういるとは自分でも思えなかった。
シルヴィがおもむろに立ち上がった。予定していた休憩時間の終わりが近かった。
「ねえ。あなたのほうはどうなの? チューミー・リベンジャー」
再び全身をチェックしながら、そうシルヴィはなんでもないように聞いた。
「なにがだ?」
「あなたは、この仕事が終わったらどうするつもりなのよ?」
その質問に、チューミーは固まった。
相手の問いが飲みこめないわけではなかった。
この仕事が終わるということは、スマイリーを殺すということである。
それはつまり、復讐を遂げたら、という意味だった。
そして、復讐者としての自分の存在価値がなくなるという意味でもあった。
(……この仕事が終わったら、どうするか)
頭のなかで答えを探したときに、それは濃霧に呑まれるように、まるで先が見えない思考となった。
「そんなこと、考えたこともない。というより……考えることが、俺にはできない」
無意識のうちに、チューミーはそう口走っていた。
「なによ、それ。この先も生きていくのだから、考えられないわけがないでしょう。それとも、どうせ工獄に入れられるのだから、考える意味がないということ?」
「いや、違う。そういうことではない。ただどうしても、想像ができないだけで……」
まったく要領を得ない言い方に、煙に巻こうとしているとでも思ったのか、シルヴィは明るい表情から一転、へそを曲げたように言った。
「あらそう。あいかわらず、なにも教えてくれる気はないのね。いろいろ聞いてくるわりに、自分はマスクすら取らないの、あまり良くないと思うわよ? まあ、わたしの言葉を聞く耳なんて、持たないかもしれないけれど」
「……違う」
「違うって、なにがよ?」
「俺は、このマスクを取らないんじゃない……取ることができないんだ。顔が、ないから」
シルヴィは怪訝な顔になった。日が落ちて肌寒くなってきたからか、シルヴィはクローゼットに用意していた黒い羽織り物を手に取ってから、振り向いて言った。
「どういうことかしら? なにかの暗喩?」
それ以上、チューミーは答えなかった。
シルヴィはほんの少しのあいだ思案していたが、やがてゴシックドレスのゆったりとした袖を捲り、時間をたしかめた。
「いけない、そろそろ時間ね。戻りましょう。わたしのマスクを忘れないでね」
「ああ……」
チューミーは首肯した。
このXデーを契機に、事態は大きく動き出す。
成功のために余計な考えは一切いらないはずだった。ミラー家のマスクを手に取ると、再び使用人の役に戻った。
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