Chapter3: Chase the Smile!

3-1 お熱いのがお好き


 ロウノの捕獲から数日が経過した、昼過ぎのことだった。

 チューミーはマスクをかぶった顔をあげて、相手に首元がよく見てるようにしていた。

 目の前では、チューミーの首輪の表面に、シルヴィが腕輪を接触させている。

 シルヴィの服装はラフなパンツルックで、赤いフレームの眼鏡をかけていた。シルヴィは室内では疲れ目防止の眼鏡を着用することが多かった。

 しばらくすると、キュインと音が鳴る。シルヴィは腕輪を離すと、赤いランプが点灯していることを入念に確認してから言った。


「もういいわよ。座っても」


 チューミーは従い、部屋の中央にある丸テーブルの椅子に腰かけた。

 今の儀式は、ボッチに指示されていたものだ。

 一日に二度、腕輪と首輪を同期させる必要があるらしい。

 塵紋で装置同士を繋いでいる関係上、接続が切れないようにする必要があるとのことだった。

 チン、と電子音がして、シルヴィは調理用排塵機からティーポットを取り出した。

 蔦と花が絡まるペイントがされた、瀟洒な装飾のカップに注ぐと、紅茶のかおりが室内に広がった。

 シルヴィは深茶色の椅子に腰かけると、音もなく啜った。いい出来だったらしく、ほのかに笑顔を浮かべる。


「あなたも飲む?」


 うなずくと、シルヴィは対になっているカップに注いで、こちら側によこしてくる。

 チューミーは角砂糖をいくつも投入すると、ストローを挿しこんだ。

 マスクのフィルターをはずして、紅茶がすこし冷めたころに、慎重に口に含んだ。

 これまで飲んできた塵工飲料の紅茶とは質が異なり、妙にくっきりした味だった。


「なんだこれ、うまい」

「それはなによりだわ。マナーはなってないけれど」


 シルヴィは呆れ返ったような口調だった。

 マスク越しに茶を飲んでいるせいだろう。


「よければ、お茶請けにかぼちゃクッキーを食べてもいいわよ。いただきもので、量が多いのよ」


 シルヴィは缶入りのクッキーを開けると、金縁の皿の上に置いた。

 クッキーの表面のかぼちゃマークの柄が気になってチューミーは聞く。


「だれがくれたんだ?」

「タイダラ警壱級よ。ときたま差し入れに来てくださるのよ」

「……これ、まさかやつの自作なのか?」

「これはおいしかったから、おそらく違うと思うわ。タイダラ警壱級のお手製のは、その、もっと味が独特だから」


 どうやら、ボッチの作る物はまずいらしい。


「それより、あなた好きなんでしょう? 甘い物。遠慮しないで食べなさいよ。ほら。ほらほら」


 クッキーを一枚だけ手に取り、シルヴィが押しつけてきた。少し前に、チューミーが第七執務室で饅頭を取っていったのを覚えていたらしい。


「いらないから、やめろ……」


 正確には、食べてみたかったが不可能だった。チューミーはストロー越しに紅茶を飲みながら、いずれ隙があればくすねようと考えた。


「変な人ね。意固地にならずにマスクをはずせばいいのに」


 そうしたほうが楽でしょうに、というような言い方だった。

 シルヴィはクッキーをほんの少しだけ齧ると、さきほどからしたためていた手紙の続きに戻った。

 長いペンをさらさらと走らせて、流麗に文字を連ねていく。

 書き終わると簡単に読み返してから便箋を折り、Mの字の封蝋で綴じて、すでに出来上がっている手紙の群に加えた。

 その隣には、つい先日の新聞が折り畳まれていた。

 一面の見出しには、「元連盟盟主・ミラー家当主の子女、砂塵葬制を施行」と書かれている。

 ミラー家夫妻の殺害事件以降、公の場からその姿を失せていた一人娘、アルミラ・M・ミラーが大々的な弔いの会を開くという内容の記事だった。

 日付は数日後、事件発生から丁度一年が経過した一周忌である。

 場所は二番街、偉大都市会館のパーティホールを貸し切って使用する予定だった。

 これは当然、今回の作戦の一環だ。

 秘密裏で進行している粛清案件とは思えないほど、シルヴィの囮作戦は大きなニュースとして報道されていた。

 新聞のほか、ラジオやシティTVの報道番組などでも取り上げられている。

 ミラー家当主殺害事件が衝撃的だっただけに、一周年という期に話題がぶり返しているようだった。

 シルヴィが、眼鏡をはずして言った。


「それにしても、警壱級はよく、この短期間にこれだけ噂を広められたわね。でも、こうまでする必要があるのかしら?」


 二十通ほどになった手紙をまとめて、ふぅと一息つく。

 シルヴィがつらつらと書いていたのは、弔いの会に招待する者への私書だった。


「だが、これで確実にお前の身柄を狙っている者たちの耳に入る。アルミラ・M・ミラーの身柄は数少ない最高ランクだ。おまえを狙う者は必ず現れるだろう」

「ええ、そうね。そうだと思うわ」

「……やはり、不安か?」


 どこか元気のないシルヴィに向けて、チューミーがたずねる。

 するとシルヴィは数度、首を横に振った。


「そうでもないわ。ナハト警弐級も現場に加わる以上、誘拐組織の行方すら追えないなんて事態にはならないはずだから。それにタイダラ警壱級はああおっしゃっていたけれど、なんだかんだで十分な数の連盟職員は配置されるはずよ」


 シルヴィは、当日のタイムスケジュールと周辺見取り図、人員の配置現場をまとめたドキュメントを手に取った。

 スマイリーの喉元に迫るために、シルヴィには実際に誘拐組織に連れ去られてもらう必要があった。

 Xデー当日、誘拐組織を追って拠点を把握し、スマイリーを呼び出す。

 この一年でチューミーが得た情報では、スマイリーは協力者と共に取引現場に現れて、誘拐被害者を引き取っていくようだった。

 その際に、対価として金銭を求めた者には金を置いて、砂塵能力を求めた者は誘拐被害者とともに連れ去っていく。

 砂塵能力を望んだ者が、どこでどのようにして能力を与えられるかという情報は、ロウノはいまだに吐いていない。ボッチは、そもそもわからないように工夫されているはずだと述べていた。


 上官二人とは、しばらく顔を合わせていなかった。

 シーリオはほかの正規業務があり、かつ内々で囮作戦の準備を行い、水面下で人員を手配するのに手いっぱいの様子だった。

 ボッチは上層部の動向を調べるほか、スマイリーのリストの掲載人物の法則を探っていた。選定基準に謎が残るリストが紐解ければ、その方面から判明することがあるはずだった。

 シルヴィはシルヴィで、ミラー家の令嬢としての前準備があり、暇を持て余しているのはチューミーだけという状況だった。

 やることがない以上、日課のトレーニングしか行うこともなかったが、室内でカタナの素振りをしているとシルヴィが目くじらを立てるから、それすらも満足にできなかった。

 来たるXデーが待ちきれず、チューミーは浮足立つ思いだった。


「さて、この手紙を速達で投函しないといけないわね」


 シルヴィが立ち上がる。

 監視役のシルヴィが移動するということは、自分もいっしょに行動する必要がある。チューミーが立ち上がると、シルヴィは思い出したようにぽんと手を叩いた。


「――あ、そうだったわ。あなたがXデー当日に着る衣類を用意していただいたから、それを試してもらわないと」


 シルヴィが扉付近に積み込まれたダンボールから、いかにも高級そうな光沢を放つ、黒い礼装を取り出した。

 Xデー当日、チューミーはミラー家の従者として、シルヴィに付き従う役割である。当主の葬制ということもあり、正装は必須事項だった。

 服を受け取って別室に行こうとすると、シルヴィが止めた。


「待ちなさい。どうせ、ボディスーツの上に着るのでしょう? ここで着替えなさい」

「なぜだ?」

「目を離すべきでないからよ。当たり前じゃない」

「俺に、脱走するつもりなど毛頭ないというのに……。第一、あの部屋では逃げようもないだろう」


 チューミーはため息をつく。

 同室で過ごすということもあり、食事と入浴のほかは、睡眠時すらもマスクを着用したままの生活だった。さすがに息苦しいものがあり、ひとりになれるときはなりたいものなのだが。


「それでも、信用できないのよ。まあ、あなたのことが少しでもわかれば、ちょっとは信じてもいいけれど?」


 こういう話運びでは、シルヴィはいつもこちらの正体を探ろうとした。

 そう言われるとなにも言い返せず、チューミーは胸元に刺繍が施されたシャツを羽織った。つるつるとした肌触りのスラックスに足を通して、タキシードを羽織る。

 胴回りに少し余裕があったが、厚手の防弾ジャケットを下に仕込むことを考えると、おそらく適正サイズのはずだった。


「あつらえたようにぴったりね。タイダラ警壱級に正確なサイズでも伝えたの?」

「いや、そんなことはしていない。というか、これ、ボッチが用意したのか……?」


 チューミーは絶句した。

 あのかぼちゃ頭、本当に眠っているのだろうか、と思った。

 最後に、ネクタイが出てきた。つけかたがわからず、適当に巻くと蝶結びになった。テーブルに肘をついて眺めていたシルヴィが笑った。


「ふふ、斬新なファッションね」

「つけたことがないんだ……笑うな」

「それは失礼。教えてあげるから、言うとおりにして。まず、一回なおしなさい。それで左と右を、だいたい三対一くらいの長さにするのよ。そうしたら、裏地の印の部分で交差させて……違うわよ。それでは上下が逆になるでしょう」


 口頭で説明されてもわからずに、チューミーは困惑した。シルヴィは「もう、仕方ないわね」と言って立ち上がった。


「わたしがやってあげるから、覚えなさい。どういう形であれ、ミラー家主催の会に出てもらうのだから、たるんだ格好はわたしが許さないわ」


 シルヴィはネクタイを奪い取ると、しゅるりと解いた。


「それはありがたいが……あまり、この身体には触れないでくれ」

「し、失礼ね! だれも触らないわよ。もう、なんなの? 本当に」


 シルヴィがやけに手慣れた仕草で結んだ。最後にきゅっときつく締められる。

 

「すまない、助かる。おそらく覚えたと思う」


 そう告げたが、反応がなかった。結び終わっても、シルヴィはネクタイから手を離さずに、どこか放心するような顔をしていた。


「なんだ、どうした?」


 訝しんで聞くと、シルヴィははっと我に返った。


「いえ……すこし、昔を思い出していただけよ。父のタイを、よく結んでいたから」


 シルヴィは机の上に置いている、MGC製の銃器に目をやった。

 ロウノとの戦闘時に使用していた銃剣である。シルヴィは所有する銃をどれも大切にしている様子だったが、とくにその銃剣を特別視しているようだった。


「……ひとつ、聞いてもいいか」

「なにかしら?」

「お前の銃の腕だが、粛清官に就いて半年という割には、異様に優れていないか? これまでも銃使いは大量にいたが、あれほど正確に早撃ちをする人間は見たことがない。なにか、特別な訓練法でもあるのか?」


 コツがあるなら知りたいという意味の質問だった。

 シルヴィの早撃ちは、一朝一夕で身につく技術とは思えなかった。

 チューミーには、射撃のセンスはほとんどない。いくらか練習した時期もあったが、結局はまるで使い物にならなかった。

 使用するパーム・ピストルも、零距離射撃用である。


「あら。なにかと思えば、またお得意のお世辞?」

「違う、本心だ。そもそも俺は人生で、世辞なんて使ったことはない」

「ふーん……? まあ、いいわ。乗せられてあげる」


 少し気を良くしたような口調でシルヴィが答えた。


「答えは単純ね。粛清官になるずっと前から、銃器にはなじみがあったのよ。わたしの父は、ミラー社の事業でも、特に銃器部門に力を注いでいたの。どこか子供っぽい人で、メカニックが好きだったのよね。父は旧文明時代の複雑な機構を、現代の砂塵環境で機能するように設計し直すことが趣味で、経営の合間を縫ってデザインしていたの」


 シルヴィは、銃剣の表面を撫でるように触れた。


「このアパッチピストルは、父のデザインで、要は形見ね。護身訓練という名目で、自宅の射撃練習場で、いつも一緒に撃っていたのよ。だから子供のころから、わたしはずっと射撃が趣味なの。今でも目をつむると、庭いっぱいに広がる、鉄と火薬のかおりを思い出すわ」


 それから、そっと銀色の瞳を閉じた。どこか懐郷に浸るような様子だった。

 チューミーは、アパッチと呼ばれた銃に目を落とした。

 その傍らの新聞の、砂塵葬制という単語が目についた。

 期待していた回答ではなかったが、シルヴィの両親を想う様子に、チューミーは新たにもうひとつの疑問を覚えた。

 しかし、そちらは口にはできなかった。


 Xデーでは、誘拐組織が犯行に出る明確なタイミングをこちら側で用意していた。

 パーティホールでは、中央連盟の関連者や要人も訪れる関係上、粛清官をはじめとした強力なセキュリティ体制が敷かれる。そんな状態で犯行に及ぶ可能性は低い。

 だからこそ、シルヴィがひとりでいることが自然なタイミングを設けていた。

 それが、イベントの主たる目的である砂塵葬制だった。

 一般には砂塵送りと呼称されるその行為は、現代の伝統的な家族葬である。

 砂塵粒子に向けて故人の遺灰を放つ行為は、上流階級であろうと下流階級であろうと大切にされている、告別の儀式だった。

 砂塵送りには、残された者が死者との決別を受け入れた際に行うという、儀礼的な意味があった。ゆえに、故人の死から一周忌や三周忌、長いと十周忌……人によっては、生涯行わない者もいた。

 ミラー家の場合は、今回の一周忌ということになる。

 砂塵送りがもっとも適切な手段という話になったとき、ボッチは言い出しづらそうな雰囲気だった。いくら仕事のためとはいえ、死者の鎮魂を業務に組み込むことに、さすがのボッチも打診を躊躇っているようだった。

 しかし、シルヴィはさして迷う風でもなく上司の提案を受け入れていた。


 Xデー当日、シルヴィは仕事のために、その大切な砂塵送りの儀を行う。


 それで本当にいいのだろうか、とチューミーは疑問に思う。

 シルヴィが目を開いた。

 外出の用事があることを思い出したのか、チューミーに対して礼装を脱いで当日まで吊るしておくように告げると、急いで準備に取り掛かった。

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