2-11 「チューミー・リベンジャーは死ぬ」


 中央連盟本部の地下で、シーリオ・ナハトは手元の資料に目を通していた。

 今回の粛清案件に着手して早々、ボッチが調べ上げたスマイリーのデータだった。秘密裏であるという性質上、あまり時間が取れないにも関わらず、資料には十分な量の考察がまとめられていた。


 シーリオが目を見張ったのは、他者に砂塵能力を与えることができるという、スマイリーの最大の謎を説明する記述が掲載されていることだった。

 読めば読むほど、眉唾な砂塵能力だった。にわかには信じられないが、現に能力の付与が行われている以上、疑う意味はあまりない。

 シーリオは、礼装の懐から薄い煙草の箱を取り出す。それから、金色のライターで火を点けた。偉大都市に数ある塵工嗜好品の中でも、喫煙はやめられなかった。

 白い煙を吐いて、シーリオは重い鉄扉に目をやった。


 現在、あの扉の向こうでは、ボッチがロウノに尋問を施している。

 隣室に拘束している、ロマ・ゼハラ、イウラ・ミシマという二人の聖職者に対する尋問はシーリオの担当であり、そちらはすでに完了していた。

 予期していたことではあるが、特に資料化が必要な情報は、両者とも所有していなかった。

 スマイリーと直接会ったことがなければ、砂塵能力の付与も行われていなかった二人には、情報源としての価値はなかった。

 それどころか、彼らはロウノの工獄での処遇を気にしてばかりで、自分たちの元教師が、かつてはどれほどの善人だったかをひっきりなしに主張しており、シーリオは聴くに堪えなかった。


 がしゃん、と扉が開いた。遥か長身の上司が姿をあらわす。

 シーリオは慌てて煙草の火を消した。

 ボッチはこちらを見ると、耐火性の特殊塵工素材のローブにつっこんでいた手を上げた。


「よォ。まだいたのか、シーリオ。報告は明日でいいっつったろう」

「警壱級よりも先に休むわけにはいきませんから」


 シーリオは立ち上がり、ボッチの椅子を引いた。

 ボッチは棺を傍に置くと、窮屈そうに座った。


「すまねェな、シーリオ。おれのわがままで、こんなコソコソした粛清案件を手伝わせてよ」

「いえ。私はサポート程度しかできていませんし、第一この件は、私も必要なことだと感じていますから。それよりも、いかがでしたか? ロウノ・バベルズは」

「ありゃ、時間を食いそうだ。もう何回かは試すが、そもそもスマイリーは自身に直接繋がるような情報は伏せていただろうし、あまり核心的な情報は増えねェと見ていいだろう」


 そうなるとロウノの部下二人も含めて、結局聖職者たちからいきなりスマイリーの喉元に迫る展開は望めないということだった。


「ま、そうはいっても司祭にはまだ利用価値はある。獄中自殺しねェように見張りを立てる必要があるな」

「承知しました」


 答えながら、シーリオは現状で割ける人員の数を頭のなかで確認した。

 相変わらず不自由な状況に、わずかな苛立ちを覚える。精神安定のための喫煙頻度が増えそうだ、と心中で思った。

 正式な粛清案件として動けないという状況は、想像以上に厄介だった。秘密裏に行わなければならない以上、ロウノを拘留している事実を外部に漏らさない、個人的な協力が見込める連盟職員が必要だった。

 せめて、もうひと組でも自由に使える粛清官がいれば楽だったが、犯罪率の上昇が著しい昨今、自分たち以外に動かせる部下がいるだけマシともいえた。

 出来損ないと揶揄される若い女粛清官と、外部協力者である犯罪者でなければなお良かったが、贅沢は言っていられない。

 現在、シーリオにはべつの正規職務が与えらえている。ボッチには、中央連盟上層部のどの人物にスマイリーの息がかかっているのか探りを入れる仕事があった。


「重要なのはスマイリーに関する情報そのものよりも、誘拐後の取引フローの確認ですね」

「それに関しちゃ、もともとチューミーがスマイリーの元契約者の生き残りから得ていた情報もあるから、司祭からは裏付けが取れりゃそれでいい。予定通り、明日から準備に入るぞ」


 ボッチがかぼちゃ頭をぐるりと回す。太い骨がバキバキと鳴る音が、暗い室内に響いた。


「しかし不幸中の幸いは、こんな状況であいつを拾えたことだな。どうやら、おれにもまだツキがあるらしい」

「あの、犯罪者ですか……」


 シーリオは、無礼な態度の黒犬マスクを思い浮かべた。


「そういや、おまえはシルヴィと違って、チューミーについてあれこれ聞かねェな。気にならないのか?」

「彼が何者だろうと、私はどうでもいいですから。問題さえ起こさなければ、それでかまいません」


 シーリオは、くい、と細い縁の眼鏡を持ち上げた。それから、手元のドキュメントに再び目を落とす。

 あの人物を起用した有用性は認めるが、シーリオはどうしてもリスクに目をつむることはできなかった。


「ま、おまえがなにかと不満で、不安なのはわかるぜ」


 心中を言い当てられて、シーリオは萎縮する。


「いえ、警壱級の取られた選択に異論があるわけではないのですが……」

「安心しておけ、シーリオ。ことスマイリー粛清の件に関してだけ言えば、チューミーがだれよりも信頼が置けるのはたしかだ。そんじゃそこらの職業意識が高い粛清官なんかじゃ、束になってもあいつの熱量には及ばねェよ。シルヴィの安心を買う意味で首輪をはめはしたが、本来は抑止装置すら必要ないくらいだとおれは思っている」


 やけに自信のある口調だった。

 自分の上司兼パートナーの審美眼を、信用していないわけではない。

 それでも、とシーリオは思う。

 犯罪者を駒にして使うのは、どう考えても荒業だ。

 荒業というなら、いくら警壱級粛清官といえど、いちど認可がはねのけられた案件を独断で進めている状況そのものが問題である。この状況で、かりにあの黒犬マスクが致命的な問題を起こした際には、無視できない大ごとに発展する恐れがある。


「警壱級。これだけは、確認させていただきたいのですが」


 鋭い眼光でボッチを見据えて、シーリオがたずねる。


「あの犯罪者は、今回の件が完了次第、即時粛清する方向でお考えですか?」


 かぼちゃ頭の空洞と、目があった。

 ボッチは一拍置いてから、ごく平坦な声で返した。


「あァ、そうだな。スマイリーの粛清が済んだら、チューミー・リベンジャーには死んでもらうつもりだ。というより、おれの読みが正しければ、おれがなにをせずとも、チューミーという人間は消えることになるだろうぜ」


 どこか含みのある言い方だった。

 とにかく、そう明言してもらえてシーリオは安心する。

 作戦途中の殉職を装うのか事故に見せかけるのかは不明だが、底辺の犯罪者ひとり殺すなどわけもないことだ。シーリオは話を本題に戻した。


「件の囮作戦の件ですが、現状でなにかご指示はありますか」

「ああ。偉大都市会館のパーティホールについて、予定表と会場の見取り図を用意しておいてくれねェか」


 偉大都市会館というのは、中央連盟が管轄する二番街の公的施設である。

 パーティホールと聞いて、シーリオはなんとなく、ボッチの思惑を察する。

 たしかに、長く身を潜ませていたミラー家の令嬢が復帰するには、相応の舞台が必要となるはずだった。


「ミラー家の当主が殺害されて、厳密には丸一年は経ってねェよな?」

「ええ。あと一、二週間ほどで、ちょうど一年だったと思いますが」


 シーリオは、ミラー家当主殺害事件が発生した当初の騒乱を思い出す。

 中央連盟の盟主が殺害されるという異常事態を受けて、数ヵ月に渡り、月割りの粛清案件のノルマが倍増していた。

 一年前の今ごろ、シーリオはボッチとともに、何晩も寝ずに犯罪者を粛清し続けていた。その裏で、ボッチがミラー家の令嬢を部下として迎える準備を平行していたと知ったのは、それからずっとあとのことだった。

 シーリオはあのときほど、この上司の底なしのバイタリティを感じたことはなかった。


「そうか。だったら、決行日も決まりだな。当日は忙しくなるぜ、シーリオ。スマイリーの契約犯罪者から、一気に大元まで釣り上げるぞ。

 Xデーは――ミラー家当主の一周忌だ」

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