2-10 とある兄妹の、不満


 その兄妹が住む部屋は、貧相な造りをしていた。

 遠く離れる偉大都市とは異なり、この周辺は退廃的な密集住宅地にすぎない。

 塵禍以前の旧人類が残した廃屋を、外気中の砂塵粒子が入りこまないように、簡易的な補修を施した建物群である。

 そのため、建築上いびつな構造をしており、強風が吹くと、部屋全体がガタガタと震えた。


 部屋の隅にある、染みだらけのソファで、少年が眠りこけていた。

 よほど仕事疲れをしているのか、一向に起きる気配がない。

 少年が寝返りを打つと、くるまっていた毛布がするりと落ちた。

 ランは、そっと毛布をかけ直してやる。

 それから、昔に比べ、ずっと広くなった兄の背中に触れた。

 両親が死んで、もう何年か経つ。

 深刻な砂塵障害に罹って働けなくなり、まともな栄養も採れなくなると、父親はあっけなく逝ってしまった。

 あとを追うかのように母親も病に伏せて、間もなく世を去った。

 残されたのは、幼い兄妹ふたりだけだった。


 通常は、こんな退廃市街で子供ふたりが生き抜くことはできない。

 それでも、ただ生きていくどころか、両親の庇護下にいたころよりも、遥かに高水準の生活を送れるようになったのは、ひとえに兄の持つ砂塵能力のおかげだった。

 兄が言うには、偉大都市の中央街に住むエリートにも引けを取らない、とても稀少な砂塵能力だという話だった。いわく、商売に転用するには最適な砂塵能力だと。

 まだ十代の前半にもかかわらず、十分な砂塵量を生み出して操ることができるところも、兄の才能だった。

 兄がこうまで働き詰めるのは、ほかでもない自分のためだった。


「俺が、いつかランにでかい家を買ってやるから」


 口癖のようにそう言っては、よく笑っていた。

 偉大都市に移り住む資金さえ貯まれば、こんなゴミ溜めのような街を抜け出して、もっと安全な土地に移り住むというのが、兄の人生計画だった。

 その言葉を聞く度に、ランは複雑な気持ちになった。

 この大陸に、偉大都市の生活に憧れない子供はいない。まして兄は中央街に美しい家を買うと約束するので、少女のランが夢見ないはずはなかった。

 その反面、不満も感じる。

 ランは、兄の着古したセーターの襟に手をやった。

 めくると、黒晶器官のある辺りの皮膚が炎症を起こしていた。インジェクターを解除する際、自動的に注入される偉大都市製の塵工薬液を満足に補充しておらず、傷口に雑菌が入りこむためだった。

 ランは怒りを覚えた。

 ことあるごとに妹に贈物をするくせに、この人は自分のためにお金を使うことはない。ついこのあいだは、ランが欲しがっていた犬のマスクを買ってきた。その前は、緻密な意匠を凝らした胡蝶蘭の花の髪飾りときている。

 なまじ自分が喜んでしまうのがよくないのかも、とランは思った。しかし、必須の薬すら節約するというのは、絶対に向こうが間違っているという自信がある。

 ランはよほど、このばかな兄を叩き起こして叱りつけてやろうと思ったが、結局はぐっと我慢した。

 せっかく珍しく熟睡しているのだから、起きてからでいい。

 めくったセーターをそっと戻して、痛そうな炎症を隠す。


 いつか、なにかためになるものを兄にあげることがランの願いだった。

 もらってばかりいるのは、いくら兄妹でも心苦しい。ランは、非砂塵能力者ブランカーに生まれた自分をうらんだ。

 自分にも有用な砂塵能力があれば、兄を手助けできたかもしれないと思うと、行き場のない口惜しさを覚える。

 ランはインジェクターを起動すると、ごく少量の砂塵粒子は出るが、なんの効果があるのかまったくわからないたぐいの非砂塵能力者だった。

 ランは、壁にかかったカレンダーに目をやった。自分の誕生日が近かった。

 兄はおそらく、また自分になにかをくれるのだろう。

 そのときに、ランのほうもお返しでなにかをプレゼントすることに決める。

 高価なものでなくても、なにか喜ばれる物を、とランは考える。しかし、妙案が思いつく前に、強い眠気に襲われて、大きな欠伸をしてしまう。

 気づけば、夜も更ける頃合いだった。

 ランは毛布に入り込む。兄の温かい背中にぴっとりと身体を合わせると、かすかな寝息がランの耳に届いた。


 このままでもしあわせなのにな――とランは思う。

 それでも、どうしても偉大都市の暮らしに憧れてしまう自分が恥ずかしくて、赤い瞳をぎゅっと閉じた。

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