2-9 「コメントしないでって言ったでしょう」
中央連盟本部の第七執務室で、ボッチが巨大な椅子に背を預けていた。
その背後には、シーリオが直立して付き従っている。
対面する形になっているのは、凛とした表情に陰りが見えるシルヴィと、マスクを取らずに離れた場所で壁に背を預けるチューミーである。
特殊単独犯スマイリーの非正規粛清案件を行う、四人の粛清官だった。
すでに夜は更けており、大窓の外には偉大都市のネオンサインが広がっていた。
「ロウノ・バベルズ、およびほか二名の聖職者は、地下拘置所Dの三部屋に収容しています。現在は昏睡中ですが、とくに生命活動に危機するような外傷は与えていません」
シルヴィが、今日の仕事内容を報告し終える。
「状況は理解した。いや、よくやってくれたぜ。ご苦労だった」
ボッチが明るい口調で返した。
「ロウノもリストも部下も、余さず総取りが理想だったが、こうもうまく全部持って帰ってくるとはな。おまえら、初日にしてはうまくやっているほうじゃねェか?」
その質問には、チューミーが返した。
「どちらかといえば、事前情報が功を奏した形だ。よく知らないが、これくらいはやって当然なんじゃないのか?」
チューミーの口調に、シーリオが眉をひそめた。眼鏡の奥、きりっとした切れ目が光る。その侮蔑の色を帯びた視線は、もともとチューミーが粛清官から受けるものとして予想していた絵に近かった。
ボッチやシルヴィが変わり種なのであって、粛清対象である以上、この嫌味な顔をした男のように軽蔑してくるのが自然なのだろう、とチューミーは思った。
「シルヴィ。どうだ、チューミーとはうまくやっていけそうか?」
一応、上司として気を配る気はあるらしく、ボッチがたずねた。
「ええ。少なくとも業務には支障をきたさないよう、善処するつもりです」
「なんだオイ、固いなァ。趣味くらいは聞き出せたかよ?」
十三番街を発ってからこっち、シルヴィはやけに不機嫌そうだった。
「仕事上の付き合いですから、そうしたたぐいの質問はしていません。それに、かりにしたとして彼はなにも答えませんので」
シルヴィは、背後のチューミーを一瞥すらせず、そう返した。
そうしたたぐいの質問はしていない? とチューミーは首を傾げる。
上官の手前、そういうスタンスでいるつもりらしい。
「そうなのか?」わざとらしくかぼちゃ頭を傾げて、ボッチが言う。「よォ、チューミー。おまえ、趣味はなんだ?」
「入浴とカタナの手入れだ」
ボッチに答えるというのも癪だったが、ずっと不機嫌なままでいるシルヴィに対する、ちょっとした腹いせのつもりでチューミーは言った。
愕然とした表情でシルヴィが振り向いた。
「なんっで、警壱級には素直に答えるのよ……っ⁉」
「べつに。厳密には、今の質問はおまえからは受けていない」
「あなた、なにも答える気はないって言っていたじゃない!」
「それは言葉のあやだ。表面的な質問なら、いくつかは答える。それくらいはわかるだろう」
「あなたね? 自分のことをどう思っているか知らないけれど、正体不明にも程があるってわかってるのかしら? その変な機械音声のせいで、声色すら読めないんだから」
そこで、ボッチがけらけらと笑った。
「おまえらが妙な馴染みかたをしているってのは、よくわかった。ま、なんつーか、あまり心配はいらなさそうだな」
「――タイダラ警壱級。先に、例の話をしておいたほうがよろしいかと」
見かねるように、シーリオがそう提案する。
ふたりのやり取りなど心底どうでもいい、という口調だった。
「あァ、そうだった。ふたりとも、よく聞いてくれ」
デスクの上には、押収したスマイリーのリストが置いてある。表紙のスマイルマークには、ちょうど涙を流しているかのように血が飛散していた。
そのリストに、どしんと握りこぶしを置いてボッチが言った。
「もう一度確認するが。ここに、たしかにミラー家のひとり娘が載っていたんだな?」
「はい。間違いなく、アルミラ・M・ミラーでした」
シルヴィが答える。
ボッチは椅子から身を乗り出して、デスクに肘をついた。
「今後の動きに関しては、それぞれに説明していたよな。リストが入手できた場合は、その掲載人物の情報から、スマイリーの経歴と目的を割り出す。並行して、現在スマイリーと契約している犯罪組織をつきとめて、じわじわと迫る予定だった。もとより大々的には動けねェし、ある程度の長期戦は辞さないつもりだった」
そのとおりだ。当初は、そんな正攻法の捜査を行う予定だった。
「が、ここにきて、おれたちはまったくべつの有効なカードを持っていたことが判明したわけだ」
「アルミラ・M・ミラーの身柄を使って、スマイリーを釣り上げるという話だろう」
チューミーが口を挟むと、ボッチは頷いた。
「その通りだ。確実性・迅速性どちらを取っても、シルヴィを使った囮作戦が、現状で最良の手段なのは間違いねェ」
シルヴィは、淡い色をした瞳をリストに落としていた。
その心情は、外からはうかがえなかった。
「とはいえ、懸念点はある。おれ個人の権限で割ける人員は、可能な限り回すつもりだ。だが囮作戦っつーのは性質上、どう足掻こうが不確定要素が多く混じる。シルヴィ、それでも問題はないか?」
その質問に、シルヴィはいささか心外そうに目を細めた。それから、毅然とした態度で言った。
「警壱級。わたしはもう、盟主の娘ではありません。あなたの部下の、ひとりの粛清官です。ご命令とあれば、どれほど危険な仕事でも受けます」
しばらく、ボッチとシルヴィは互いに見つめ合った。
ボッチのかぼちゃ頭に彫られた空洞は、相手の真意を量るように沈黙していたが、いずれ詫びるように目線を落とした。
「そうか。――いや、悪かったな。べつに、ガキ扱いしているわけじゃねェよ。ただ、リスクがあるってことは説明すべきだと思っただけだ。おまえがその決意なら、おれから言うことはねェよ」
そのとき、デスクの電話が鳴った。シーリオが受け取った。
「ナハトだ。……承知した」
シーリオは受話器を抑えると、ボッチに告げた。
「地下からです。拘留室で、ロウノ・バベルズが目を覚ましたようです」
「いいタイミングだ。すぐに向かうと伝えてくれ」
シーリオは電話口に向けて簡潔にその意を伝えて内線を切った。
ボッチが立ち上がった。広い室内に、急に塔が立ったかのように、その長躯がそびえた。
「さて。まずはスマイリーと契約していた司祭が、どれだけ情報が吐くかだな。詳細が判明次第、それに対応した囮作戦を立案する。さっそく明日から準備を始めるぞ」
部下三人の同意を知ると、ボッチは満足そうに頷いた。
「それじゃ、今日は解散しろ」
シルヴィが一礼し、踵を返す。
話は終わりのようだ。
「あァ、そうだった。シルヴィ、チューミー、ちょっとこっちに来い」
ボッチが手招きする。なにかと思って近づくと、ボッチは思い切り腰を折って、チューミーの喉元に回る首輪を確認した。
ついで、シルヴィの腕輪も観察する。
両方が問題なく作動中であることを確認すると、かぼちゃ頭が言った。
「シルヴィ。万が一ランプが消えることがあったら、いつでもいい、即刻おれに報告しろ」
「承知しました」
「んじゃ、今度こそ行っていい。ふたりとも、よく休んでおけよ」
チューミーはボッチが持つリストから眼を離さずに、しばらくその場に佇んでいた。シルヴィに声をかけられてようやく動き出したが、これからロウノを尋問する粛清官の仕事に、後ろ髪を引かれる思いだった 。
---
連盟本部の入り組んだ道を、ふたりは連なって歩いた。
時おり、天井に張り巡らされたダクトから、ごうごうと音が轟く。
壁に埋め込まれた大量の排塵機の稼働音も加わり、館内はあまり静かな環境というわけではなかった。
シルヴィが先導して、チューミーを案内していた。
このフロアには、一部の粛清官に割り当てられる私室があるという話だった。シルヴィも本部住まいだという。
「昼も思ったが、どうしてこの建物はこうも入り組んでいるんだ?」
チューミーがたずねる。と、シルヴィはちらりと振り向いて説明した。
「何十年か前に、物を増やすというか、複製する砂塵能力者がいたらしいわ。中央連盟の職員が増えて本部が手狭になった時に、その人に増築を頼んだら、こういうことになったみたい。この層は、とくにその影響が顕著ね」
シルヴィの話では、そうした建築系の砂塵能力者のせいで、偉大都市にはほかにも同様の特徴を持つ建物が何棟か散在しているという話だった。
「なるほど。いいな、物知りは」
「これくらい、中央連盟の人間ならだれでも知っているわよ」
シルヴィは三又の通路を左折した。どこも同じ道にしか見えず、チューミーは覚えられるか不安に思う。
チューミーは、さきほど気になったことを質問した。
「あのかぼちゃ頭と、なにかあるのか?」
「どういう質問かしら?」
「いや。さっき、すこし確執がある感じだったから」
シルヴィの銀色の瞳が、意外そうに丸まった。
「ふぅん。だれにも興味ないような態度のわりには、案外よく見ているのね」
特に否定するでもなく、シルヴィは続けた。
「タイダラ警壱級は、
その言葉に、チューミーは同意する。
〝火事場〟の実力が噂にたがわないことは、その身をもって体感した。チューミーのカタナをいとも簡単に弾いた近接戦闘能力と、自身の砂塵能力を活かした中遠距離の火炎放射は、だれが相手でも脅威であることに間違いなかった。
また、ボッチが捜査面にも優れているのも事実だ。チューミーの経歴をすぐに割ったのも、ロウノの潜伏先に見当がついていたのも、ボッチの情報力があってのことだろう。
「だからこそ、不思議に思うのよ」とシルヴィは言った。
「どういうことだ?」
シルヴィは簡単にあたりを見渡した。長い廊下にだれの姿も見えないことをたしかめると、こう小声で続けた。
「つまり、タイダラ警壱級は、わたしがリストに載っていることを、あらかじめ知っていたんじゃないのかってことよ。無理やりあなたのパートナーにして、わたしを今回の仕事に加えたのも、そのせいかもしれないわ」
まさか――とチューミーは思ったが、口にはしなかった。
たしかに、偶然にしてはうまくできている。
ゆるやかなスロープを下ると、等間隔で扉が並び立つ場所に至った。
どの部屋にも鍵穴は見当たらない。代わりにあるのは、第七執務室と同様の手帳で解除するロックシステムである。
一三号と数字が刻まれた部屋の前で、シルヴィが立ち止まった。
「ここが俺の部屋なのか?」
「わたしの部屋よ」
シルヴィが粛清官手帳を挿しこむと解除音がした。
シルヴィはドアノブに手をかけると、回す前に振り向いて、いかにも不本意そうに述べた。
「そして、あなたが寝泊りする部屋でもあるわ。……残念なことに」
「まさか、同室なのか……⁉」
別室があてがわれるとばかり思っていたが、どうやら違うらしい。
たしかに相手からすると、自分はけっして目を離すべきではない立場だ。とはいえ、この仕事に携われている限りは、脱走するつもりはまったくない。
ボッチもそれは知っているだろう。そのうえで、どうしてこんなことを、と思う。まさかこれも悪ふざけのつもりだろうか。
「どうしてあなたのほうがいやそうな反応するのよ。失礼ね」
むっとした様子でシルヴィが言う。
「いい? 余計なものにはいっさい触れないように。というより、そうね、なにをするときでもわたしの許可を取ること。それと……」
「それと?」
「わたしの部屋に関して、なにもコメントしないこと」
シルヴィが扉を開けた。
パチリと電気をつけると、ふしぎな光景が広がっていた。
膨大な量の所有物が、ごった返しになっていた。
いたるところに陳列されたインテリアや楽器類に、壁をそっくり覆う巨大な本棚を埋め尽くす、大量の本。
豪奢なキャビネットには磁器のティーセットや、意味も用途もわからない、おそらくは旧文明の骨董品と思われる置物が所狭しと並べられている。
隙間なく立て掛けられた何枚かの絵画も、同様に旧文明の芸術品のようだった。わずかに開いたクローゼットからは、色とりどりの衣類が覗けた。
部屋の隅に敷かれたクロスケットには、何丁もの銃が並べられていた。手入れの最中なのか、分解されたピストルの傍らに、ウエスとガンオイルが添えられている。
様々な趣味が入り混じる、混沌とした室内を眺めて、チューミーが言った。
「おまえ、整理整頓って言葉、知っているか……」
「コメントしないでって言ったでしょう」
恥ずかしそうにシルヴィが顔をそむけた。
「努力してるのよ。でも、どうしたって持ちものが部屋の容量に収まらないの。あまりじろじろ見ないで」
シルヴィが、部屋のなかにある扉を開いた。
「あなたはこの部屋を使いなさい。よかったわね。もとは二人用の部屋だから、浴室もべつよ」
チューミーはなかを確認した。
たしかに、ひとつの独立した部屋のようである。薄暗い部屋には、簡易的なベッドや机が置かれていた。メインルームと同様に物は多かったが、生活に使用していない部屋なのか、どちらかというと物置のような印象を受ける部屋だった。
奥の戸を開けると、清潔なユニットバスが見つかった。
こじんまりとはしているが、簡単なアメニティのたぐいは揃っている。施錠もできるようで、文句のない仕様だった。
浴室を隅々まで調べていると、様子を見ていたシルヴィが言った。
「ふぅん。嘘ではなかったのね」
「なにがだ?」
「さっきの、入浴が趣味って話よ。普通、そんなに入念にチェックしないわよ」
相手がじろじろと、あらためてこちらの姿を観察してくる。
そのとき、相手の瞳に、ベールの向こう側を見抜こうとするかのような、妙な神秘性をチューミーは感じた。
自分の身体をそっくり覗かれるようで、居た堪れない心持ちになる。
すると、くすくすと笑い声が聴こえた。
チューミーが目をやると、シルヴィは手の甲を口元に当てて、かすかな笑顔を浮かべていた。
「なにが、おかしい……」
「いえ、あなたの趣味がお風呂ってだけで、ギャップがあって面白いけれど……マスクを着けたまま湯船に浸かるところを想像したら、なんだかおかしくて。あはは」
その笑顔に、チューミーはある既視感を覚えて、思わず目を奪われた。
記憶の奥底に大切にしまっている、めったに取り出すことのない宝物のような、誰かの笑顔と交差する。しばらく言葉をうしない、茫然としてしまった。
「? どうかしたかしら?」
きょとんとした顔で、シルヴィが言う。
「ああ、いや……」急に現実に戻ったように、チューミーは額を抑えた。「なんでもない。とにかく、浴びてもかまわないか?」
「許可するわ。部屋はこちら側から施錠をするから、武器は全部解除して。上がったらノックしなさい。睡眠中は、ベッド上で拘束させてもらうわ。文句はないわよね?」
くるりとシルヴィが踵を返した。銀髪があざやかに舞う。
「それじゃ、ごゆっくり。チューミー・リベンジャー」
パタン、と扉が閉まった。
---
チューミーは、空中砂塵濃度を確認して、マスクを脱いだ。
厚手のグローブをはずして、おそるおそる、頬に触れた。
柔らかいはずの白い肌は、どこか硬く、強張った感触を指先に残した。
開いた扉の向こう、洗面台の鏡面に、暗い室内に佇む小柄な体躯があった。
顔から上が、靄がかかったように、暗闇に塗れている。
疲れが蓄積しているらしく、両肩にずっしりとした重さを感じた。幾度か頭を振るうと、長時間マスクを被っていたせいで、わずかに傷んだ毛先が首筋を刺激した。
――長く、意味のある一日だった。
存在を知ってから、ずっと求め続けたスマイリーのリストに、ようやく手が届いた。偶奇から得た、仮初めの粛清官の冠が、ようやく仇敵に続く道へと自分を導いている。
自分の足元では、スマイリーと直接契約を交わした者から、今まさに情報を引き出している粛清官がいることを意識すると、すぐさま駆けつけたいと思ったが、その感情を殺した。
焦るにはまだ早かった。機を待たなければならない。
チューミーは、去る日のことを思い出す。
けっして鏡と目を合わせないように、浴室に向かった。
鏡を見ると、非難めいた表情ににらまれて、自分の心を蝕むからだった。
戦闘以外の用途を一切排したボディスーツには、血が張りついている。体型を隠す厚手のインナーにさえ、
早く全身を洗い流したい、と思った。
正確には、入浴は趣味ではない。
趣味というものが物を楽しむという意味なら、今の自分にはそんな慣習はひとつもない。
大切な身体についた穢れを落とすのは、責務であり、一種の贖罪だった。
蛇口を捻り、湯を張る。
撥ねる水流が泡沫を生む様子を見ながら、チューミーは扉を隔てた向こう側にいる、臨時パートナーの微笑を思い出した。
どうあっても、夢のなか以外で覚えるはずのなかった郷愁の念は、胸中を素手で掻き乱されるような、得も言われぬ感情を喚起した。
チューミーは、この四年間、ただのいちども笑ったことはない。
肚の底に宿る、黒い復讐の情念だけが、今の自分が信じられる、たったひとつの真実だった。
それ以外には、なにもない。
なにもないのに、と思った。
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