2-7 シルヴィ・バレトという女
サーティーン商店街の喧騒を遠くに聴きながら、チューミーはパートナーが戻るのを待っていた。
場所は雑居ビルの廊下。傍らには、昏倒する聖職者が三人、インジェクターを外されたうえで拘束されている。
可能であれば、チューミー自身が彼らに尋問をし、スマイリーに関するすべての情報を引き出したいところだった。しかし、今の自分に勝手な行動は許されていない。
嵌め殺しの窓の外では、シルヴィがビルの前で通話している姿が見えた。
シルヴィが使用しているのは、ベルズと呼ばれる、偉大都市に流通する遠隔通信装置だ。
基本的に、現代の機械通信が有線に依存しているのは、ひと粒ひと粒が微細な電波を放つ大気中の砂塵粒子が、電子機器の無線信号を妨害するからだった。
ベルズは、そんな砂塵粒子の電波を逆利用して通信を行う設計をされた、最新式の塵工デバイスだ。
便利な代物だが、一定の空中砂塵濃度でしか機能しないため、外でないと使用できないのが唯一の難点だった。
やけに長電話だったが、ようやくシルヴィはマスクから通話口を離した。相手に姿が見えないにもかかわらず、シルヴィはしっかりと一礼すると、ベルズを畳んだ。
戻ってくると、開口一番に言う。
「ナハト警弐級に簡易的な報告をしてきたわ。戻ったら、タイダラ警壱級も含めて今後の方針に関して話し合いがあるから、まだ休めないわよ」
「こいつらの輸送車は?」
「手配したわ。正規の手続きではないから、少し時間がかかるはずよ。しばらくしたら表に出ましょう」
シルヴィの声にはどこか元気がなかった。
それは先ほどのリストのせいに違いなかった。
「シルヴィ・バレト」とチューミーは口にした。
「偽名のようだとは思ったが、まさか本当にそうだったとはな」
ハァ、とシルヴィは大きくため息を吐いた。
腕を組んで壁に背を預けると、どこかうんざりしたような口調で言う。
「なぜ、わたしばっかり身の上を明かさなければならないの? フェアじゃないわ」
「話したくなければ、べつに話さなくても構わない」
チューミーは本心でそう告げる。
自分が秘密主義者である以上、相手に強制するつもりはない。
しかし、シルヴィは首を横に振った。
「そうも言っていられないのよ。スマイリーの動機はともかく、わたしがリストに載っていることがわかった以上、取れる手段の質が大幅に上昇するの。わかるでしょう?」
「ああ」
スマイリーが、リストの掲載人物の身柄を欲しているのはたしかだ。
とはいえ、現状スマイリーがどれほどの数・規模の犯罪組織と契約を結んでおり、現在はリストのだれが狙われている状況かはわかっていない。
リストには五十人以上の市民の情報が記載されているが、使える人員と時間に限界がある以上、全員を見張るのは現実的ではなかった。
ロウノたちが狙った社長令息のように重要度の高い人物は、ほかの人物よりも襲われる可能性はずっと高いが、代わりに彼らの多くは、中央連盟の関係者である。
スマイリーを粛清するために連盟関係者の身柄を使うことはできないという話は、あらかじめボッチから聞かされていた。
最高ランクのリスト掲載者であると同時に、粛清官の職に就いているシルヴィの存在は、極めて例外的、かつ幸運といえる。
「それは、ミラー家の者という身分を使って罠を張れば、スマイリーの契約者をおびき寄せることができるという話だろう」
「そのとおりよ。つまり、わたしをおとりに取るということね。その方向で検討するとナハト警弐級はおっしゃっていたから、十中八九、それで決まりのはずよ」
チューミーは、シルヴィの立ち姿をマスク越しの横目で眺めた。
――かのミラー家の令嬢、アルミラ・M・ミラー。
この広大な偉大都市でも有数の大富豪のひとり娘と言われれば、たしかにそうとしか見えない気品が漂っていた。
しばらく静寂が場を包んだ。
「……わたしが偽名を使って粛清官になったのは、半年前のことよ」
どうせ捜査の過程でバレるなら、と思ったか、シルヴィがぽつりと口にした。
「一年前に、わたしの両親……ミラー家の当主夫妻が殺されたのよ。当然、知っているわよね?」
チューミーは無言で肯定した。
ミラー家は、偉大都市の形成当初から中央連盟の中枢に座した、名家中の名家だ。
彼ら一族は非常に稀な、生産的な砂塵能力を有していた。
あらゆる無機物を塵工的な鉄鋼物に変化させる砂塵能力を用いて、偉大都市中の塵工製鉄品を扱う大企業を経営していた。
ミラー社の部門は多岐にわたるが、裏社会の市民にとってもっとも馴染み深いのは、
そのミラー家の当主夫妻が、自宅に押し入った強盗犯に殺害されたのが、今より一年前のことだった。
当時の紙面を大きく賑わせていたのは、チューミーの記憶にも新しい。
ただし娘がおり、さらには生存しているということは知らなかった。
ミラー社の経営権が当時の役員の手に渡ったという話は聞いていたため、ミラー家の者は皆殺しにされたのだと思っていた。
「生まれ名を変えたのは、身の安全のためか?」
「それもあるけれど、もうひとつは粛清官になるためね」
問いに、シルヴィは静かに答える。
「もともと、中央連盟の盟主というのは、粛清官にとっては雇い主に当たるから、そのままの名前だとなにかとやりづらかったの。タイダラ警壱級のご厚意で、そもそも市民権ごと新しくしていただいたのよ」
シルヴィ・バレトの名義で正規市民の身分証を持つということは、ミラー家の令嬢は、今や身分的には完全に別人に生まれ変わっているということだった。
人間ひとりを新しく生み出す行為を秘密裏に行うのは、いくらボッチでも難儀しただろうな、とチューミーは思った。
「お前の正体を知っているのは、あのかぼちゃ頭だけなのか?」
「ええ。それと、パートナーのナハト警弐級の二人だけね。そのほかに知っている人はいないはずよ。かなりうまく偽造した市民IDを用意していただいたから」
シルヴィが、手元のDメーターを覗いた。空中砂塵濃度が安全値を示していることを確認すると、犬型のマスクを外す。
「でも、この通り名だって完全な偽名というわけでもないのよ。シルヴィって、ミラー家の子供がもらう幼名というか、愛称みたいなものなの。全員、髪が銀色だから」
シルヴィが、指でさらりと銀髪を
薄暗い雑居ビルのなかでも、その光彩が煌めいた。
「だから、わたしが大切なのは、どちらかというと名前よりもこの髪のほうね。この銀髪は、生家との繋がりを示す……わたしの、プライドなのよ」
チューミーはシルヴィの両腿に巻かれた、機能別の四丁の銃に目をやる。
すべての銃に、MGCの刻印がされていた。
砂塵粒子が侵入するせいで動作不良が頻発する武器をこれだけ持つのは、撃つべき銃で、撃つべきときに、撃てない事態を避けるためなのだろう。
「粛清官を志望したのは、両親の敵討ちのためなのだろう。捜査は進展しているのか?」
チューミーが聞いた。すると、それまではどこかやわらかな表情を浮かべていたシルヴィが一転する。冷ややかな顔色になって答えた。
「なによ、ずいぶんと踏み込んでくるのね。自分のことはなにも明かさないくせに」
言われてみると、たしかにその通りだった。
あまり深く関わる気がなかったにしては、質問しすぎていた。
シルヴィが怒ったような口調で続ける。
「そうだといったら、なにかしら? 盟主の娘が粛清官をやっているなんて、おかしな話だとでも言うの?」
「べつに、そうは言わない。ただ、粛清官を使える身分だったなら、本職の者に任せて待つほうが自然だと思っただけだ」
「わたしは、人に任せているうちに、いずれあの事件が風化するなんてことになったら耐えられないの。それはきっと、あなただって同じなのでしょう? 復讐者さん」
意外な言葉に、チューミーは顔を上げた。
シルヴィは壁から背を離すと、数歩だけこちらに歩み寄って続けた。
「気づかれていないとでも思った? 減刑の恩赦まで辞してスマイリーの粛清に加わるなら、それ自体があなたの目的だなんて当たり前の話だわ。そして、仕事でもないのにだれかがだれかを殺そうとする動機なんて、いつの世もひとつよ」
こちらを見透かすような銀色の瞳に、チューミーは顔を逸らした。
「さて、不本意だけれど、わたしは自分のことを話したわよ。だから、今度はあなたの番」
「そんなルールがどこにある……」
「ルールじゃなくて、これはマナーよ」
シルヴィが、黒犬マスクの内側を覗くように、まじまじと観察した。
不可解な殺人現場を調べるような、怪訝な目つきだった。
「チューミー・リベンジャー。あなたは何者で……いったい、だれの仇を取ろうとしているの?」
チューミーは、こちらを追い詰めるように迫ってくる相手から脱した。廊下の照明が当たらない位置まで距離を置くと、その暗がりに身を隠すように屈んだ。
「悪いが。なにを聞かれても、俺は答えられない」
「フェアじゃないわ」
非難するような細目で、シルヴィが睨みつけた。
「あまりこう言いたくはないが、今のはお前が勝手に話したんだ」
「あなた、たしかに言ったわよね。わたしとまともにパートナーを組むって。最低限お互いを知ることは、そのまともさに含まれると思うわ」
「なにを言われようと、俺はなにも答えるつもりはない」
「それなら、百歩譲って、マスクを取るのでも許してあげるわ。本名を教えるのでも」
それがいちばんの論外で、チューミーはそっぽを向いて無視する。
その仕草に、シルヴィが下唇を噛んで言った。
「ああ、一方的に知られるのって、なんだか無性にムカムカするわ。好きなこともバレたし……」
「なあ。どうして、そうも俺を知りたがる?」
落ち着いた雰囲気のわりに、この女粛清官が好奇心旺盛な性格をしていることはなんとなくわかったが、それにしても、こうまで突っかかってくるのは妙だと思った。
「市民権すら持たない、ただの一犯罪者の俺のことなど、どうでもいいはずだろう?」
そうでもなくとも、短い付き合いのはずだった。
シルヴィが、答えに詰まったように目線を逸らした。
それから、極めて小声でこう漏らした。
「…………能力が……」
「なんだ?」
「……わたしと能力が合う人なんて、初めて会ったのよ。だから……」
言い切る前に、そのささやきが潰えた。自分でも感情がうまく処理できていなさそうな素振りに、マスクの下でチューミーは目を細めた。
シルヴィはしばらく黙っていたが、本日幾度目かの深い嘆息のあとでマスクを被り直すと、腕時計に目を落とした。
「そろそろね。表に出ましょう」
明確に疲労感の募る声色だった。
チューミーはうなずくと、聖職者三人を運び出すために立ち上がった。
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