2-6 vs司祭、ロウノ・バベルズ


 インジェクターを起動した直後、シルヴィはホルスターから特殊な形状のピストルを抜いた。

 隙間が極力省かれたデザインは、砂塵粒子の侵入による動作不良を防ぐ、現代の精密機械に共通する意匠である。

 シルヴィは流れるような動作でセーフティを解除する。

 MGC製の銃に特徴的な、銃口を塞ぐ鉄板がガシャンと開いた。そのままトリガーを引くと、塵工弾薬が弾ける独特の発砲音が轟いた。


 早撃ち――!


 これまでいくつもの銃撃戦を見てきたチューミーすら目を見張る、素晴らしい早業だった。シルヴィは狙いを定める時間すらまともに取らなかったが、放たれた弾道は正確にロウノに迫った。

 しかし、着弾はならなかった。


「バベルズ先生ェッ」


 奥から現れた人影がロウノを押したおした。弾は背後の薬棚に着弾して、錠剤とガラスの破片があたりに散らばった。

 増援の男――同じく聖職者の恰好をした、大柄な男――が、即座に立ち上がる。それから、手にしていた槌でシルヴィに襲いかかってきた。

 シルヴィは動揺しなかった。続けざまに男の眉間に弾を撃ちこもうとしたが、その直前、男の身体がぴたりと止まった。


「う、ウあ、ア」


 男がそんな奇妙な声をこぼして、槌を手放す。そのまま床に倒れこむと、びくびくと身体を痙攣させた。

 その奥。暗がりから、声が聴こえた。


「別室にいなさいと伝えたでしょうに、ミシマ」


 ざわざわ、と紫色の砂塵粒子をまとうロウノが立ち上がった。あまり密度の濃い砂塵粒子ではないが、禍々しい雰囲気を放っている。

 司祭、ロウノ・バベルズ。その能力は、捕えた聖職者の口から割れていた。

 麻痺の砂塵能力者。

 ロウノの操る紫色の砂塵粒子に触れた者は、即効性の経皮毒によってその動きが封じられる。その効果を身をもって証明したミシマという男は、まったく身体の自由が利かない様子だった。

 聖職者に似つかわしくない、武闘派の砂塵能力である。

 援護が必要と見たチューミーがいよいよカタナを抜こうとしたが、


「――動かないで。だいじょうぶだから」


 シルヴィがそう口にした。

 ロウノが前屈みになり、シルヴィに迫った。

 シルヴィはためらいなく、迎撃のための銃弾を相手の脚に向けて撃ちこむ。が、ロウノは接近に迷いがなく、自分の脚をかすめた弾丸にもひるまずに、一気に距離をつめきった。

 砂塵粒子の放出のために、バッと右腕をシルヴィに向ける。

 そのままの姿勢で、ロウノが告げた。


「――あの男は私に、不正鉄槌の女神の御業を与えました。正当に聖杯を。不正に毒杯を」


 しかし――

 奇妙な間が流れた。

 ロウノが、砂塵粒子を放たない。


「こ、これは……?」


 相手が異変に気づいた直後、シルヴィはピストルのグリップ下部を叩いた。

 銃身に沿うように折り畳まれていたナイフが、鋭利に光って現れた。ワンデバイスで近中距離に対応する、取り回しに優れた銃剣である。

 シルヴィはかがむと、伸ばされていた司祭の腕を拒絶するように刺突した。

 続けて、たんっ、と軽やかにステップを踏む。痛みに吼えるロウノの背後に回りこむと、シルヴィは長い脚で相手を蹴り飛ばした。

 ロウノが、血液の染みた手術台を巻きこんで倒れた。

 暴れる聖職者の背を、シルヴィが踏みつける。そのままロウノの首元に手を伸ばすと、細い指先でインジェクターを解除した。


「あなた、なにをしたのです……! なぜ、私の正義の矛が出ない……⁉」

「なぜかは、わたし自身もよくわかっていないわ」


 インジェクターを起動しているにもかかわらず、シルヴィの周辺には、砂塵粒子の姿が見えなかった。

 それでも、この女粛清官が非砂塵能力者ブランカーでないことはたしかだ。

 疑問に思うチューミーは、そのあとの言葉で真相を知った。


「ただ、わたしの傍では、あらゆる砂塵粒子は活動を止めて、姿を消すの。わたしの砂塵粒子も含めて、すべてよ。わたしの言っている意味がわかるかしら? わたしがインジェクターを起動したら、だれも砂塵能力を使用することはできないのよ」


 シルヴィは一瞬だけこちらに目線を送った。

 その仕草で、今の発言が自分に向けられたものだとチューミーは理解した。ついで、独房でボッチが告げた言葉の意味にも得心がいく。

 だれも砂塵能力を使用できないということは、当然、味方も含まれるのだろう。適任のパートナーが見つからないという話も、納得だった。


「あ、悪魔め……!」


 床でうごめきながら、ロウノが声を荒らげた。


「女神の砂を、消す? ああ、なんという不届き者だろうか……教典に予言されし、悪魔の女か……!」

「黙りなさい」


 シルヴィが冷たい声で言った。


「自分の後頭部に銃を突きつける人間を悪魔呼ばわりするのは、悪手なのじゃないかしら?」

「女神の砂を消すなど、まったく嘆かわしい……! 自分がなにをしているか、わかっているのですか? 恥を知り、即刻、その力を封印するのです。さもないと」

「イカれた砂塵信奉者……黙れっていっているのが聞こえないの? それとも、身体に言い聞かせないとわからないかしら?」


 シルヴィはイラついているようだった。どうやら、砂塵能力に言及されることを嫌うらしい。

 シルヴィは、ブーツの踵でロウノの指を踏み抜いた。小枝が折れるような音がする。司祭が痛みに声を上げる。

 そのとき、奥の戸が勢いよく開いた。


「――粛清官! 先生から、離れろッ!」


 旧式のリピーターを構えた聖職者の女が、シルヴィに向けて発砲した。


「なっ――?」


 シルヴィは舌打ちをし、身を伏せようとした。

 事前の情報では、逃走した聖職者は二名と聞いていたから、これですっかり鎮圧したものだと思いこんでいたようだ。

 シルヴィは一瞬、被弾を覚悟したが――

 その前に、影が跳んだ。

 すぐさま両者の間に現れたチューミーが、カタナの刀身で相手の銃弾を防いだ。

 防弾の直後、チューミーは女聖職者に一気に詰め寄った。慌てる女聖職者の鳩尾に、問答無用で掌底打ちを叩きこむ。

 ごばり、とマスクのなかに血を吐いたのが、グローブ越しに伝わった。

 チューミーが手を放すと、女はその場に崩れ落ちた。

 瞬時の出来事に、シルヴィはあっけに取られながら言った。



「あ……ありが、とう……」

「礼はいい。そのまま、司祭を見ていてくれ」


 チューミーは女聖職者が出てきた部屋の向こうを確認した。手前の執刀室とは違い、生活に使っている部屋のようだ。

 縛りつけられた男が、床に転がっていた。

 マスクの下では口が塞がれているらしく、「んー、んーっ」とくぐもった声で訴えかけている。

 白衣姿を見るに、おそらくこれが闇医者なのだろう。そして状況的に、ロウノたちに脅迫されていたことは疑う余地もない。

 チューミーは闇医者の男のマスクを取ると、白髪頭の初老男性の素顔が現れた。栄養失調気味らしく、顔色がひどく悪い。チューミーは闇医者の口を閉ざしていたガムテープを乱雑に剥がす。

 げほげほ、と濃い咳を吐く相手に、チューミーはたずねた。


「司祭の親戚の医者だな? ひとつ聞く。こいつらがリストを持っているのを見なかったか?」

「リスト……? じ、塵工ロックがかかった、紙束のことか?」

「それだ。今すぐ場所を教えるなら、おまえの裏稼業に関してはいっさい見逃してやる」


 仮の粛清官とはいえ、その程度の現場取引は認められるだろうと判断して、チューミーはそう言った。

 その言葉に、医者は安心したか、肩で大きく息をはいた。

 それから、よろよろと部屋の隅を指差す。


「そこの、奥の箪笥だ。上から二段目に、女がしまうのを、見た」


 チューミーは言われた場所を確認する。なかには古びた服が畳まれていた。服を投げ捨てて掘りすすむと、底からリストが現れた。

 表紙のスマイルマークが、チューミーの心を荒立たせた。

 中身が白紙であることを確認すると、チューミーは手術室に戻った。

 ぶつぶつと呟くロウノに向けて、シルヴィが銃を突きつけていた。


「替わってくれ」


 簡潔にそう伝えると、シルヴィは渋々といったふうに応じた。油断して危険を晒した以上、あまり強気な態度ではいられないと思っているらしい。

 チューミーは、ロウノの頭の隣にリストを放った。

 

「ロウノ・バベルズ。インジェクターを起動して、この塵工ロックを解け。俺のパートナーの砂塵能力は聞いたな? お前の砂塵能力が発現するとはいえ、あらゆる抵抗は無意味だ」

「女神に誓い……粛清官に、中央連盟に、腐敗に、協力など……」


 相手が言い切るのを待たず、チューミーは容赦なくカタナの切っ先でロウノの背を抉った。薄皮を剥いで、冷えた刀身で背骨をなぞると、ロウノは身悶えて苦しんだ。


「ぎぃ、アァ……ッ」

「自死でもしない限り、お前はもう俺から逃れることはできない。だが、お前には死の道を選ぶことはできない」

「な、なに、を……」

「お前の口ぶり。さも殉教を畏れないかのような言動だが、俺の目はごまかせない。お前はいざとなれば、なにを捨て置いても保身を選ぶ。お前の犯罪も、ただ信仰心を盾にして劣等感を昇華しているだけだ。ちがうか?」


 チューミーはロウノの身体を蹴り上げた。仰向けにしたロウノの首元を掴み、その黒犬マスク越しに相手を見据えた。


「く、黒犬は、災いをあらわす、凶星の証……。ああ、お前は、あの男と、同じ狂気……同じ形相をしている……絶望に笑う、あの男と……」


 あの男。同じ形相。という言葉に、チューミーは引っかかりを覚える。

 しかし、今はそんなことはどうでもいい。


「もういちど言う。今、塵工ロックを解除しろ。お前を拘置所や工獄に連れ込めば、無理やり砂塵粒子を出させる環境など、いくらでも作ることはできる。いいか? 俺は、お前がこの先どうなろうと、塵芥ほどにも興味はないんだ。逆に言えば、俺の言うことに従いさえすれば、とくに悪い扱いもしない。なにがおまえにとって得なのか、よく考えろ」


 人間味を感じさせない、無機質な機械音声は、嘘や脅しではなく、ロウノの処遇に関して、本当にいっさいの興味がうかがえない声色であり――傍らで聴いていたシルヴィの背が、冷たさにぞっとした。

 ぐったりとするロウノは、傍に倒れる二名の聖職者と、二名の粛清官にあらためて目線をやった。それから、諦めたように、小さく頷いた。

 ロウノが緩慢な仕草でインジェクターを起動する。

 紫色の砂塵粒子をまとわせて、傍らのリストの表面に触れた。

 塵工ロックはいちどの解除につき、およそ十数分程度しか効果が持続しないが、代わりにひとたび文字が現れさえすれば、発現者の状態に関係なく可視状態を保つ。

 可読状態に変わった瞬間、チューミーがロウノの首筋に手刀を見舞った。

 ロウノが気絶する。


 なによりも興味のあった手がかりを、ようやくチューミーは開いた。

 なかには、総計五十人ほどか、さまざまな偉大都市民の情報が羅列されていた。

 欠けている項目も目につくが、名前や年齢や家族構成、素顔や着用マスク、住所や職業といった基本情報は、大半が埋まっている。備考という形で、砂塵能力の内容が記されている者さえいた。

 ぱらぱらとページをめくっていくと、うしろのほうに、ロウノたちが誘拐未遂を起こした社長令息の項目が見つかった。

 これがスマイリーのリストということで間違いはないだろう。

 詳しい分析は後にするとして、チューミーは改めて周辺環境をたしかめた。

 無力化した三人の聖職者と、道端の石ころのように存在感を消そうとしている闇医者。扉の外では、銃声を聞きつけて野次馬に来た者たちが顔を覗かせていたが、こちらと目が合うと、そそくさと消えていった。

 とくに問題はない様子である。


「粛清官というのは、拘束具のたぐいは持っているのか?」


 シルヴィに向けてそうたずねる。

 と、相手はジャケットの内ポケットに手をつっこんだ。


「手錠があるわ」

「貸してくれ」

「自分でやるわよ」


 シルヴィは屈むと、気絶するロウノの背後に腕を回して手錠をはめた。

 チューミーは手術台に置いてあった布巾で、カタナの付着したロウノの血を拭き取った。そうしながら、ふと思い出したようにシルヴィに告げた。


「そういえば。お前の砂塵能力だが、正直を言うとおどろいた。あんなのは見たことがない」

「どうもありがとう。でも、珍しいだけよ」


 シルヴィは不愛想に答えた。


「わかるでしょう? あなただって砂塵能力を使用できないから、ロクに戦えないわ。だれの能力でも無差別に無効化してしまうから、わたしはチームプレイには向いていないのよ」


 シルヴィは、どこか諦念を感じさせる声色だった。

 チームプレイに向いていないというのは、転じて粛清官に向いていないという意味でもあった。かといってシルヴィがインジェクターを起動しないと、ほかでもない自分自身を守る手段がなくなってしまうはずだった。

 なるほど、とチューミーは思う。シンプルだが、むずかしいジレンマだ。

 シルヴィが自身の砂塵能力について言及したがらないのは、まさしくそれが原因で問題を起こしてきたからだろう。

 先ほども、シルヴィはぎりぎりまでインジェクターを起動しなかった。もし使わずに済むなら、それがいちばんだとでも思っているのかもしれない。

 ただし、こと自分と組んでいる今だけは別のはずだった。


「珍しいだけでもないだろう。優れた砂塵能力だ」

「驚いた。見かけに寄らず、お世辞がうまいのね」

「世辞じゃない、本心だ」

「しつこいわね。あまり触れられたくない話なのよ。媚を売るつもりならべつの方法にしなさい」

「そうじゃない。俺は、非砂塵能力者だから」


 こともなげに言って、チューミーは慣れた仕草で納刀した。


「俺は、戦闘の際にインジェクターを必要としないんだ。だから、お前の砂塵能力の影響も受けない。ボッチの見こんだとおりだ。俺たちなら、能力的には噛み合うだろう」

「ちょっと、つまらない冗談はやめなさい。あなた、タイダラ警壱級とまともに戦闘したって聞いたわ。それにさっき、あんな遠くから詰めて、空中の銃弾を止めていたじゃない。あんなの、なにか特別に身体を強化する砂塵能力でもないと」

「あれは俺の素だ。まあ、カラクリがないわけではないが……」


 シルヴィは閉口した。たしかに、こちらがインジェクターを起動していなければ、砂塵粒子をまとわせてもいなかったことを思い出したのだろう。


「そ、そのカラクリって、なんなのよ……」

「それは言えない。だが、今の話は本当だ」


 チューミーは、いまだに拘束されていない二人の聖職者を指差した。弾けるように反応して、シルヴィが止まっていた手を再開する。

 そのあいだに、チューミーはリストの中身を再確認した。

 これまでにいちどだけ、リストを手にしたことはあった。しかし所有者がすでに殺されていた関係で塵工ロックが解除できず、中身を確認することはできなかった。

 スマイリーがここに掲載された人物の身柄を狙っているということは、これを手掛かりに、スマイリーの目的や居場所に行きつく可能性が見こめる。

 ボッチの手に渡る前に、可能な限り自分の目で確認しておきたくて、チューミーは急いでページをめくった。さいわい監視役のシルヴィは、なにかを思い悩んでいる様子で押し黙っている。


 リストを眺めるうち、チューミーはとある違和感に気づいた。

 掲載されている人物に、まるで統一感がない。

 年齢や性別、社会的な地位はおろか、あまり有用性が高いとは言えない砂塵能力者のみならず、非砂塵能力者までもが誘拐の対象として設定されていた。

 リストは後半に向かうごとに、噂に聞く「高ランクな人物」が連なっていた。チューミーも名を聞いたことのある、偉大都市内の有名人が多かった。

 最終ページに載っていたある人物を目にして、チューミーはふと手を止めた。

 その人物は、全面が鏡張りの特徴的なマスクをしていた。家族構成は両親が逝去、兄妹はなし。前住所は一番街の一等地で、現住所は不明。

 備考欄には塵工製鉄品の大企業、ミラー社の社長令嬢と書かれていた。

 素顔の写真では、銀髪の少女が父親に抱きついて、満面の笑顔を見せている。

 強烈な既視感だった。チューミーは振り向くと、臨時パートナーに声をかけた。


「なあ。ちょっと、マスクを取ってみてくれないか」

「……なによ、やぶから棒に。お断りするわ」


 そう答えながらも、シルヴィは一応Dメーターを確認した。先ほどまでインジェクターが起動されていた関係上、空中砂塵濃度はいまだに危険値のままだった。

 チューミーはリストの最終頁をシルヴィに見せた。


「気になることがあるんだ。この少女だが、やけにお前に似ていないか?」


 マスク越しでも、相手の動揺が伝わった。

 どうやら知っている写真だったらしく、シルヴィはリストをひったくるようにして奪うと、該当欄をじっと眺めた。


「そんな、どうして……」


 少女の名は、アルミラ・M・ミラーとあった。


「どうして……わたしが、載っているのよ……!」


 最重要人物に名を連ねるその人物は、ほかでもないシルヴィ・バレト当人だった。

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