2-4 サーティーン商店街


 十三番街の最大の特徴は、その特殊なライトアップによる夜景である。

 まるで提灯のような見た目の不思議な街灯が集まって、多彩な色を放つ光景は、偉大都市じゅうの市民に人気だった。

 チューミーが見上げると、薄紙を隔てて灯る光が、夜空に浮かぶようにして、うすらぼんやりと輝いている。

 すぐ隣で、幼女が「きれーい」と喜んでいた。周囲には、ほかにも家族連れやカップルがひしめいて、同様に光彩を見上げている。


「いつも思うが、このはでな光はなんなんだ……」


 黒犬マスクのバイザーにライトを反射させながら、チューミーが口にした。


「この街灯文化は、もう何十年も前に、当時の十三番街の名士が私財を投じて作らせたらしいわ。旧文明のお祭りの様子を撮った写真に感銘を受けたそうよ」


 とくに意味のないひとり言のつもりだったが、シルヴィの解説が入った。


「『塵禍』以前の人類は、みんなこういう場所で祭りをしていたのか?」

「うーん。それは、一概にそうとも言えないわね。旧文明って、偉大都市くらい大きな街が、大陸間にいくつもあったのよ。だからお祭りと言ってもいろんな文化があって、どれも異なる様子だったのよ。ただ、それでもこういう装飾は珍しいわね。きっと、その十三番街の名士は、どこかマイナーな地域の写真を見たんじゃないかしら」


 シルヴィもまた頭上の提灯の大群を眺めながら歩を進めた。

 サーティーン商店街には、街灯文化のほかにも、もうひとつ大きな特徴がある。

 屋内と屋外が交互に続く、奇妙な構造のアーケードである。

 定期的に頭上に現れる半透明の屋根は、疑似的な屋外を演出している。ただしそれでいて、あたり一面に張り詰められた排塵機のおかげで、内部の空中砂塵濃度は安全値を保っていた。

 つまり、極めて例外的なことに、十三番街では空の下でマスクをはずすことができた。それと同時に、偉大都市で唯一の露天飲食が可能なスポットでもある。

 食べ歩きという聞き慣れない言葉も、この十三番街が発祥地だった。


 チューミーは人混みを避けながら、前をゆくパートナーについていった。

 外にもかかわらず、すれ違う人々は素顔を晒して、塵工果物の砂糖漬けや、塵工甘味料を溶融した綿菓子、スナコイカの串焼きなどを手に抱えている。色彩が特有の夜景も相まって、場の雰囲気全体がチューミーに奇妙な非日常感を与えた。


「ねえ、そこの犬型マスクのお姉さん。よければうちでマスク占いしていかない?」


 カカシのようなマスクを被った男が、そうシルヴィに声をかけてきた。


「犬ってことは十一月生まれでしょ。都市暦何年生まれかな。曜日と日付を教えてくれたら、恋愛運と金運が上がるようにカスタマイズするよ!」


 ドレスマスクのバリエーションは絶大であり、細かな装飾を含めれば、まさしく千差万別のデザインとなる。

 しかし、それでも比較的に多い種類というものはある。

 それが十二種の動物をモチーフにしたデザインだ。

 一月から十二月に、それぞれ特有の守護動物が割り当てられており、その動物由来のデザインにすることで着用者の運勢が良くなると一般に信仰されていた。

 たとえば十一月生まれの人なら、犬のマスクを選ぶわけだ。

 シルヴィが客引きの男に顔を向けた。すると相手はシルヴィのマスクに興味を持ったのか、急にぐいぐいと寄ってきた。


「あ、それ。ガクトアーツ社のラグジュアリーモデルのオーダーメイド? うわすっげー、初めて見た。最高級品じゃん!」

「申し訳ないけれど、急ぎだから」


 先を行こうとするシルヴィを、男が通行止めする。

 一見したときの身なりの良さに声をかけたが、実際に高級モデルのマスクを着用していると知って、恰好の金づるだと思ったというところだろうか。


「ね、ね、それって内部のムーバブル構造はどうなってんの? やっぱり付け心地って安物とは違う? ちょっとさ、うちの店に入って見せてみてよ」

「失礼。忙しいのよ」

「そう言わずにさー、ねっ」

「そこの、カカシマスク」


 そこで、見かねたチューミーが声をかけた。


「面倒だからいちどしか言わないが、失せろ。俺たちは忙しい」


 変わった機械音声に、男が振り向いた。

 マスク占い師である男は、チューミーの使い古された黒犬マスクに注目した。

 黒犬マスクの片耳は欠けており、表面の塵工樹脂には無数の傷跡が走っている。マスクのダメージファッションというのもあるにはあるが、それにしてもみすぼらしい見た目といえた。


「うわあ。こっちのお姉さんとは違って、きみは明らかにマスクの替えどきだね。ボロボロじゃないか、みっともない。安くしとくからさ、替えていきな。うちは正規店だから、すぐに登録マスクの変更書類も用意できるし」


 マスク屋はシルヴィからこちらに標的を変えたらしく、てこてこと寄ってくる。


「ドレスマスクは素顔以上にその人の顔なんだから、ちゃんと気ぃ遣いなよ? で、犬ってことは、きみも十一月生まれでしょ。生まれ年を教えてもらえるかな。上げたい運勢は、まあ金運は当然として……オプションはつけてる? ちょっと、見せてもらってもいいかな」


 男が、黒犬マスクに向けて無遠慮に手を伸ばしてくる。

 チューミーは素早く腕を伸ばすと、逆にカカシマスクの首元を掴んだ。


「なっ……?」

「俺の身体に、気安く触れるな……」

「ぐッ、な、なんだ、おまえ! この……っ!」


 マスク占い師が暴れるが、チューミーは相手を放さなかった。

 大切な黒犬マスクを悪く言われて、腹が立っていた。どれだけ傷つこうとも、修繕が可能な限りは使い続けるつもりの、替えのきかないマスクである。

 時間がないということもあり、チューミーはそのまま相手を締め落とそうとして、指先に力を籠めた。


「やめなさい」


 そのとき、シルヴィの制止が入った。手元の腕輪を見せつけるようにして掲げている。しかたなく、チューミーは相手から手を離した。

 カカシマスクは首を押さえると、噛みつくように言った。


「げほっ、ごほ……! この、ボロマスク野郎。いきなり、なにしやがる!」

「はぁ。……しょうがないわね」


 シルヴィはため息をつくと、紫色のコートのボタンをぱちぱちとはずした。カカシマスクに向けて、なかの制服の胸元に留めている緑色のエンブレムを示す。


「えっ。しゅ、粛清官……⁉」

「しっ、騒がないで。このまま黙って別れれば、それでいっさいは不問よ。いい?」

「も、もちろんです、はい! し、失礼しましたァッ」


 マスク占い師は大急ぎで店の奥へと逃げこむと、凄まじい勢いでガラガラと店のシャッターを下ろした。小競り合いが起きたこともあり、まわりの何人かがこちらを注目していた。フン、と鼻を鳴らして、チューミーは先を行った。


「問題行動ね」


 すぐ隣に追いついて、シルヴィが言う。


「急ぎなんだ、仕方ないだろう」

「一般市民が相手なのだから、穏便に済ませなさい。つぎに同じことをしたら、本当に起爆するわよ」

「わかったよ。もうしない」


 目的地は、この通り沿いの薬局が目印という話だった。

 性急に歩を進めるチューミーに、シルヴィがたずねた。


「ところで、あなた、十一月生まれなの?」

「どうした、急に」

「いえ、べつに。さっきのマスク屋さんが言っていたから、なんとなくよ」

「まあ……なんだっていいだろう」


 個人情報を漏らすつもりはなく、チューミーはぶっきらぼうに答えた。


「おまえこそ、十一月なのか?」

「四月よ。わたしは、マスク占術のたぐいはあまり信用していないから。犬を選んだのは、単にこれがいちばんかわいかっただけ」

「珍しいな。女はだいたい、占いが好きなものだと思っていたが」

「ずいぶんとステレオタイプな偏見ね。なおしたほうがいいわよ」

「嫌いなのか?」

「占い自体は嫌いじゃないわ」


 なんなんだよ、とチューミーは思った。


「ただ、マスク占いっていうのは、もとはマスク製作企業のガクトアーツ社が始めた企業戦略なのよ。もっともらしく旧文明の文化を持ち出しているけれど、十二動物は干支って言って、本来は生まれ月じゃなくて、生まれ年に対応するものなの。だから、要は嘘っぱちね」

「なぁ。どうして、そんなことを知っているんだ?」


 単純な疑問だった。つい先ほども、シルヴィは奇妙な豆知識をすらすらと語っていた。気のせいでなければ、どこか口調も楽しげである。

 シルヴィが返答に詰まった。

 話しすぎた、とでも言うように顔を背けて、小声で言う。


「す、好きなのよ。偉大都市の歴史とか、旧文明の文化を調べるのが。べつに構わないでしょう」


 言われてみると、先ほどからシルヴィは、怪しい骨董屋などに熱心な視線を注いでいた。店頭に並び立つ、用途不明の錆びた機材や、色褪せすぎてまともに読めそうもない大判本、独特な意匠の古びた置物なんかが気になるらしい。


「……オタク趣味というやつか?」

「黙りなさい」


 言い放ち、足早にシルヴィが歩いていく。

 その先、安物の塵工服薬品を並べた薬局に至ったところで、二人は足を止めた。薬局自体には入店せず、その脇の路地に入り込む。

 サーティーン商店街を取り囲んでいるのは、おびただしい数の雑居ビルである。

 その合間に潜りこむと、途端に人だかりが消えた。ゴミ捨て場を通り過ぎて、一羽のスナダカ鳥の死骸が転がる路地を抜ける。

 その先に、無数のビルが密集する空間を見つけた。

 だれの姿も見えないが、どこからか目線を向けられていることにチューミーは気づいた。歓楽街の一部である以上、ここら一帯のビルの内部にも、なんらかの店舗が出店しているのだろう。ただし表通りとは異なり、塵工麻薬の小売店や売春斡旋の施設など、あまり白昼堂々とは商売できない連中がたむろしているはずだった。


「……情報では、このあたりね」

「ああ」


 シルヴィが左腿のホルスターの留め具を外した。インジェクターに不備がないかたしかめる。チューミーは、人混みを通るのに邪魔で手に持っていたカタナを、普段の抜刀しやすい位置に戻した。

 マスク越しに目配せすると、二人はある一棟のビルの昇り階段に足を踏み入れた。

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