2-3 いざ初仕事へ


 ダスト正教会の誘拐組織の構成員は、全員が同じ神学校の出身である。

 司祭の階級を冠する以前、ロウノは十七番街の神学校で教鞭を振るっていた。

 ロウノはそこで長年に渡り、教師として自らの歪んだ宗教観を生徒たちに教えこんでいた。

 本性のロウノはダスト教の正統派ではなく、いわゆる異端に属する宗派だった。

 説教の主な内容は、砂塵粒子の下に人類が平等になることを渇望するというものである。偉大なる砂塵を与えし女神の下では、人間同士の差など大したものではない。

 ロウノはこう説いた。およそこの世の悪というものは、すべて差別意識に集約されている。そして神聖な砂塵粒子を悪用して、貧富の差を生み出す人間を駆逐することこそが、自分たちの最上の使命だと。

 平たく言えば、偉大都市の中央街市民を敵対視しているというわけである。


 数年後、ロウノは一クラス分の生徒を自身の教会に集めると、伝道行為と称して、定期的な人さらいを始めた。

 狙う相手は、老若男女問わず、偉大都市の富裕層だった。

 格差社会の偉大都市に正義を実行する者がいることを知らしめることは、彼らにとって生涯をかけたミッションだった。なお、誘拐被害者の身柄を捌くことで得た対価は、迷える子羊たちに救うという名目で、すべてロウノが管理していた。

 聖職者たちの秘密の活動は数年に及んだ。単一の犯罪組織としては長寿だったのは、営利目的の犯行ではないゆえに、聖職者たちの結束が強く、グループの崩壊に繋がりがちな内部情報の売買が行われないためだった。

 そんな邪悪な聖職者たちに契機が訪れたのは、数ヵ月前のことだった。


 とある人物が、ロウノに接触してきた。

 どこから情報を得たのか、彼は聖職者たちの真の戒律を知っており、誘拐の実績と一枚岩である組織図に目をつけて、こんな契約を持ちかけてきた。


「このリストに掲載した人物と交換で、相応の砂塵能力か、相応の報酬金を与える」


 リストに載った人物の価値は何段階かランク分けされており、高ランクな人物ほど莫大な見返りが期待できるようだった。

 この男は、自分たちに砂塵能力を与えてくれる――

 悪魔的な魅力を放つ提案に、聖職者たちは目の色を変えた。

 だがすぐに、こう気づいた。この男は、どうやって砂塵能力を与えるというのか。

 砂塵能力の効果は、その人物の黒晶器官に依存する。

 だが黒昌器官という特別な組織は、現代医学では切除も縫合も行うことができない。つまり、手術による移植は不可能ということだ。

 であるならば、彼はどのような方法を採るのだろう。

 話半分のままに契約はなされた。そしてすぐに、男の言ったことが本当だということがわかった。

 実際に、彼らはリストの掲載人物の身柄を捕えることに成功した。

 そしてロウノとキリメカラという二人の聖職者は、それぞれ武闘派の砂塵能力を手に入れた。受け渡しの際は、砂塵能力をもらう当事者以外はけっして同席してはならず、またいっさいの他言は無用とのことだった。

 以降、彼らはこれまで以上に熱心に人さらいに励むようになった。スマイリーの報酬を得るため、血眼になってリストに載った人物を捜した。


 そしてつい数日前、下手を踏んだ。

 その日ロウノたちが狙った人物は、塵工燃料のトップシェアを誇る大企業、ルナティック・コープの社長令息だった。

 中央連盟に名を連ねる盟主の家族であり、つねにボディガードが付いていたが、捕まえるのが大変な分、見返りも大きい。

 時刻は深夜。場所は五番街、ミラーズ・シアター第二劇場の駐車場だった。

 観劇後、しばらく出演キャストと談笑していた令息が、ようやく助演女優の肩を抱いて外に出たころには、周囲にはすっかり人気がなかった。

 好機と見たロウノたちは、まずターゲットに付き従っていた使用人三名を奇襲した。それ自体はうまくいったが、ついでに始末しようとした女優が絶命前に発した、よく通る甲高い悲鳴は止めることができなかった。

 本来であれば、ロウノたちはそうしたアクシデントがあった際は、迷いなく計画を中断する。

 しかし、目の前にはスマイリーのリストに載った高ランクの男だ。

 欲望に目がくらんだ聖職者たちは、そのまま誘拐を敢行した。

 それがあだとなり、拠点であるダスト正教会に戻る前に、通報を受けて駆けつけてきた粛清官たちと交戦した。

 粛清官二名との戦闘で、実行犯十名の内、七名が死亡。二名が負傷して逃走。一名は、生きたまま捕獲された。

 身柄を拘束されたのはビンゼン・ルータという若い青年である。

 ビンゼンは、中央連盟に話す情報などひとつもないと息を撒いていたが、連盟職員のひと晩に渡る尋問の末に、上記の情報を割った。

 現場から逃走した二名のなかには、主犯であるロウノ当人が含まれている。

 根城としていたダスト正教会には、ボッチ・タイダラ警壱級がその足で向かったが、そこには生者はいなかった。そこにあったのは、無惨にも屠られた聖職者たちの姿だけだった。

 誘拐の失敗、および中央連盟に捕まった失態を知り、件の人物が手を下したと思われる。

 なお、教会で見つかった遺体の数は十四体だったが、ビンゼンの話では犯行グループは二十五人のはずであり、現場から逃走した者を加えても数が合わないようだ。

 教会にロウノの遺体がなかったこと、リストが存在しなかったことは確認済みである。


 ---


「問題は、彼らに依頼した人物――通称スマイリーに関する決定的な情報を、ビンゼンは持っていなかったことね」


 連盟本部の地下へと続く階段を下りながら、シルヴィが言った。


「末端構成員のビンゼンは、直接スマイリーと会っていなければ、彼がロウノに渡したとされるリストも目にしていない。ロウノは、部下にさえスマイリーの話をすることを恐れていたけれど、それでも唯一漏らしたのは、妙に笑う人物らしいということだけみたい」


 妙に笑う。という言葉に思うところを感じて、チューミーは黙っていた。


「ロウノは紛失や盗難を恐れて、スマイリーのリストは肌身離さず携帯していたらしいわ。わたしたちの直近の仕事は、逃走中のロウノの身柄の拘束、および可能であれば可読状態のリストを手に入れることね」


 当然、リストには塵工ロックが掛かっていると考えていい。契約者であるロウノには生きてインジェクターを起動してもらう必要があった。

 シルヴィが階段の先の扉を開けると、連盟本部地下の巨大な駐車場に出た。

 いかにも高性能そうな自動車を何台も通り過ぎると、奥の駐輪ゾーンに至る。


「あなたもバイク移動なのでしょう?」

「ああ」


 用意周到なことに、ボッチは移動用の脚を貸してくれていた。

 チューミーはレッグポーチから鍵を取り出して、伝えられていたナンバーのバイクを探す。すぐに見つかった。手前に停まる黒い大型バイクは、シートの位置さえ下げれば、小柄なチューミーでも乗用できそうだった。


「乗り物まで支給してもらえるって、つくづく妙な話だわ」

「べつに、ただ仕事に必要なだけだろう」


 車体を引き出す時、チューミーはとなりに停まっている純白のバイクに、なにか尖ったもので引っ掻いたような傷が走っていることに気がついた。

 事故の跡というより、人為的に傷つけられた様子だった。ダメージはタイヤにまで及んでおり、前輪も後輪も萎んでしまっている。

 チューミーはとくに気にも留めなかったが、そのバイクに目を釘付けにしたシルヴィが、茫然としていた。


「どうしかしたか?」

「……いったい、だれが……」


 そうつぶやいて、シルヴィは黙りこくってしまう。


「これ、お前のなのか?」


 こくりとシルヴィがうなずいた。

 だれがやったのか、なぜやったのかは、こちらにとってはどうでもよかった。

 チューミーの唯一の懸念は、急いで向かわないと到着予定時刻に間に合わない可能性があるということだけである。


「弱ったな。それでは走行できない。スペアはないのか?」

「ないわね」

「ほかに空いている乗り物は? 俺がバイクを借りているということは、適当な車もあるだろう」

「おそらくあるけれど、申請に少し時間を取るわ。それに、今回の業務の特性上、手続き面にはアクセスしないほうがいいのよ」

「そうすると……」


 チューミーは自分用に用意されたバイクをあらためて見た。

 馬力の出そうな大型の車体は、十分に二人乗りが可能な代物だった。


「俺が、ひとりで向かうしかないか……」

「面白い冗談ね。お腹がよじれそうだわ」


 言葉とは裏腹に冷たい声だった。

 あながち冗談のつもりでもなかった。可能であれば、チューミーはだれとも身体的な接触はしたくない。それでも、背に腹は代えられない場面というのはある。

 それは向こうも同様のようだった。

 神妙そうに腕を組むシルヴィは、いずれ腹を括ったように顔を上げた。

 シルヴィはバイクの後部座席に取っ手があることを確認すると、こちらに向けて掌を開いた。


「キーをもらえるかしら。わたしが運転するから、あなたは後ろに座って」

「俺が操縦する」

「起爆スイッチを押すわよ」


 チューミーは鍵を手渡した。


「心配しないで。バイクの扱いには自信があるから」


 シルヴィが車体を引き出した。塵工燃料の残量メーターは満タンを示している。

 シルヴィはエンジンキーを回して勢いよくクラッチを切ると、マスク越し、こちらをにらんで言った。


「言っておくけれど、身体接触は厳禁だから」


 平然と無茶を言う女だ、とチューミーは閉口した。


 ---


 時刻は夕暮れを過ぎて、厚い雲がかかる空が、辺りに暗く影を落としていた。

 自分たちの目的地である十三番街は、連盟本部からは比較的近い位置にある。

 一番街から南方面へ下り、四番街と五番街を隔てる大通りを走行すると、向こう側に街灯が連なる通りが見つかった。

 偉大都市最長・最南端の区画、十三番街である。

 十三番街のランドマークであるサーティーン商店街は、これもまた偉大都市最長を誇る、有数の繁華街だった。

 その全長は一.三キロにもおよび、端から端までが、怪しげな店舗や出店がひしめいている。

 安物のマスク屋に、拾得物や盗品に適当な値札を貼って売りつける雑貨屋。

 旧文明の遺品や模造品を謳った骨董屋に、偉大都市印の正規の塵工製品を横流しする業者。それぞれの店に呼び込む喧騒が、遠く離れていても聴こえてきた。


「これ以上は進入できないわね」


 賑わう人通りを眺めながら、シルヴィはサーティーン商店街の路上にバイクを停めた。抜き取ったキーを当然のように自分の懐にしまいこむ。

 わざわざ文句も言わずに、チューミーは下車した。

 言うだけあって、シルヴィの運転は丁寧だった。

 正体不詳の犯罪者に腰を掴まれずに済むよう、細心の注意を払っていたのだろう。混んでいる道で、車のあいだを縫うようにして高速走行してきたわりには、安定感があった。


「言い忘れていたわ。エンブレムをはずしておきなさい、面倒が起きるといけないから」

「面倒?」

「わたしたちは、あまり無闇に身分は明かせないのよ。こういう場所に粛清官が混じると、今に戦闘が起きるんじゃないかって市民がパニックになったり、ちょっとでもうしろめたいことがある人は走って逃げたりするから。だから一般市民の多い人混みのなかでは、隠すかはずすかするのが基本なの」


 なるほどな、とチューミーは思う。たしかに、道中で騒ぎが起きたせいでターゲットに逃げられたら元も子もないだろう。


「それより移動中、わたしの背中にずっとなにか当たっていたのだけれど?」

「ああ、それはたぶんこいつの柄だな」


 チューミーは愛用のカタナを持ち上げた。たった数日のあいだ没収されていただけだが、やはりこの塵工刀が手元ないと落ち着かなかった。


「あなた、普段それを扱ってるの? ずいぶんと重たそうだけれど……」

「そうだ、カタナで思い出した。すっかり伝え忘れていたが」


 チューミーは、カタナに巻いていた包帯を解きながら聞いた。


「戦闘は、すべて俺が担当するということで構わないか?」

「もちろん構うわ」

「構うか……」

「当たり前でしょう。あなたは偽物だけれど、わたしは本物の粛清官なの。むしろ、わたしのほうがひとりでいいくらいだわ」


 やけに強気な物言いだった。

 チューミーはあらためて相手の風貌をたしかめる。

 物腰や歩き方で、訓練を受けた人間であることは伝わる。ボッチの評価を信じるなら、粛清官として戦闘能力が足りないということはないはずだった。

 ただ、そうはいっても若い女である。長い銀髪をそっくり納める、耳の垂れた犬のマスクも、いかにも女が好みそうなファンシーなデザインだった。

 偉大都市を訪れて以来、長く裏社会に身を置いていたチューミーからすると、あまり頼りになるようには見えない。

 しかし見た目に関係なく、暴力に影響するのが砂塵能力というものである。

 そう、肝心なのは砂塵能力だ。

 ずっと聞きあぐねていたが、ともに行動する以上、たずねないわけにはいかなかった。


「あなたの考えていることはわかるわ。わたしの能力についてでしょう」


 シルヴィはサーティーン商店街の入口にかかるアーチと、それを飾る色とりどりの照明を眺めて言った。


「教えるには早いわ。というより、あまり話したくないの」

「初対面の相手に手のうちを明かしたくないのはわかるが……」


 チューミーが引き留めるように言った。


「どんな砂塵能力者かも知らないまま行動するのは、さすがに危険だ。系統や概要だけでも構わない。ちなみに、俺は――」

「あなたも、べつに教えてくれなくていいわよ。ターゲットに接触したら、わたしがひとりでやるから。わたしは……規則だからパートナーと組んでいるだけで、本来なら、単身のほうがずっと向いているのよ」


 そう話すシルヴィの口調は、どこか寂しげだった。どうも得心がいかなかったが、もうこの件に関しては終わり、という相手の態度に、それ以上はなにも言えなかった。


「では行きましょうか」


 シルヴィはアーチを潜ると、商店街の人混みに呑まれていった。

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