Chapter2: the Girl, called 'Silver Bullet'

2-1 不運な女


 とある、昼下がりのことだった。

 偉大都市の建設物は、それが一般市民の住むアパルトマンにせよ、スラム街に連なる雑居ビルにせよ、多くが黒い見た目をしているのが特徴である。空中に散布する砂塵粒子がこすれて、長い年月をかけて表面に付着した結果だった。

 そんな暗い摩天楼で形成される街で、真っ白な外観を保ち、陽光を反射する巨大な建物が存在する。

 一番街の中心地に君臨する、中央連盟本部である。

 偉大都市の基盤を担う権力者たちが指揮する、その特別な機関は、都市全体を支配するかのように、波状に広がる街の中心にそびえていた。


 そんな連盟本部の中層階の一室。

 PD研(砂塵粒子研究室)と札が貼られた部屋の最奥で、その少女は目を瞑っていた。

 彼女を円状に囲う機械は静かに稼働して、黒晶器官の内部の動きをシミュレータに投影し続けている。

 タイマーのカウントが刻々と進んでいた。

 六十分の経過を記録すると、ピコンと電子音が鳴る。機械の動作が終了すると、被験室に白衣姿の女が鼻歌交じりに入室した。

 幾何学模様のマスクを被った研究者は、いくつかのトグルスイッチを手慣れた様子で切り替えると、台座で横になっている少女の肩を叩いた。


「はい。定期検査終了だよ、シルヴィちゃん」


 ん、と被験者用マスクの下で声を発すると、シルヴィは気だるげに半身を起こした。


「……おはようございます、スナミさん」

「あら、寝ちゃってた? 被験も、半年も経つと余裕だね。どう、首周りはだるくない?」


 スナミと呼ばれた白衣の女が、大型の排塵機を再起動させながら聞く。


「少し重たい感じはしますが、とくに問題ありません」

「専用の強い薬液を使ってるから、あんまり順応しても良くないんだけどねー。もし、ちょっとでも体調不良があったらすぐに報告してね。調合を変えるから」


 スナミはモニターの結果を見て、手元のドキュメントに何本かチェックを入れる。そうしながら二重扉を指差して、シルヴィの退室を促した。

 シルヴィが被験室を出ると、研究者たちが棲みつく、荒れ果てたオフィスが広がっていた。

 理解不能なデータが載った紙に、用途不明の部品が詰まった段ボール。脚にガタが来ているデスクと、壁掛けのDメーター。半壊したダーツの的には、なぜか不細工なクマのぬいぐるみが額を貫いて固定されていた。


「いやー、おつかれ」


 追ってオフィスに戻ってきたスナミが、バタンと被験室の扉を閉めた。

 『※マスクの着用厳守。死んでも知りません』と注意書きされたホワイトボードがぐらぐらと揺れる。


「軽く結果を見たけど、とくに変化はないみたいだね。良好、良好。それじゃ、その被験用マスクは脱いじゃっていいよ」


 シルヴィはデザイン製のない、丸いかたちをしたマスクをはずした。

 腰まで届く銀色の長髪が、さらさらと零れ落ちた。

 シルヴィが頭を振るって目を開けると、色素の薄い瞳が現れる。見る者にどこか冷たい印象を与える、凛とした顔つきだった。


「シルヴィちゃん、なにか飲む? おすすめはこれだね。先月タイダラ室長が勝手に発明して勝手に置いていった、筋弛緩剤入りのかぼちゃジュース。肩凝りによく効くんだって」


 埃の被った冷蔵庫から、スナミはかぼちゃのラベルが巻かれた瓶を取り出した。

 そのどろりとした黄色い液体をジト目で見て、シルヴィが聞く。


「……おいしいんですか?」

「めちゃくちゃマズイよ! だれも飲まないから正直邪魔なんだ」

「いりません」


 即答して、シルヴィは壁のフックにかけていた自分のドレスマスクを手に取った。犬を模した毛皮のマスクを抱えると、手触りのいい表面を数度だけ撫でる。


「えー、そんなこと言わずに飲んでよ。その胸だと、黒晶器官とか関係なく肩が凝るでしょ」

「セクハラ発言ですよ、それ」

「女同士にそんな概念はないんだなー、これが」


 スナミがマスクをはずすと、くるくるした金髪の癖毛が現れた。人に奇抜な創作ジュースを勧めておきながら、自分は平然と市販の塵工飲料水を口にした。

 シルヴィが文句を言いたげににらんでいると、スミレは「あ、そうだった」と手を叩いた。


「さっき、ナハト警弐級から内線が入ってたよ。PD研の用が済んだら、第七執務室に来るようにって」

「警弐級が、ですか?」


 なんの用だろう、とシルヴィは首を傾げる。


「大変だねー。いちおう、検査日は非番ってことになっていなかったっけ」

「仕事ですから。呼び出しにはいつでも応えないとならないので」

「ね、シルヴィちゃん。わかってると思うけど、今から最低三時間は、間違ってもインジェクターを起動しちゃダメだよ。大切な黒晶器官が傷んじゃうといけないから」


 スナミの警告に、シルヴィはうなずきだけで返した。

 被験者がデータを採られる際は、長時間に渡って砂塵能力を発現させる関係上、黒晶器官を一時的に活性化させる特殊な薬液を投与されている。そのため、検査後は安静にする必要があり、インジェクターの使用に時間制限が設けられていた。

 シルヴィの特殊な砂塵能力は、一概に武闘派とは呼べない。

 戦闘に活用する事態は可能だが、パートナーの足を引っ張る可能性が高かった。

 単身ならば問題ないが、パートナーと行動をともにする粛清官にとっては、短所の方が目立つ砂塵能力と言えた。

 スナミの言う「大切」という言葉も研究者としての意見であり、研究価値のある黒昌器官という意味にすぎない。

 直近の暗い記憶を思い出してしまい、シルヴィはわずかに首を垂れた。


「それにしても現場の人たちと違って、私は勤務中も暇でねー。サボりがてら、可愛い女の子とお茶でもしたかったけど、まあ仕事ならしょうがないね」


 中央連盟の職員にも種類があり、現場に出ることはない人物、たとえばスナミなどの研究者は、支援要員に数えられている。

 ある意味では、粛清官よりも狭い関門を突破しなければ就くことはできない職だが、当の本人はどうも遊び半分で勤めているようにシルヴィの目には映った。


「ナハト警弐級って、たしか時間とか厳しい人でしょ。検査の終了時間を教えちゃったから、早く行ったほうがいいかもよ」


 スナミは、デスクチェアの背もたれに極限まで寄りかかって言った。

 シルヴィは、自分の検査担当者に会釈して返す。


「わかりました。それでは失礼します」

「うん。それじゃ来週、また同じ時間によろしくー」


 ひらひらと振られる掌をよそ目にPD研を退室すると、シルヴィはその足で第七執務室へと向かった。





 

 連盟本部の中層は、主に粛清官が占領するエリアとなっている。執務室と呼ばれる部屋が合計で七つ並ぶフロアには、奇妙なほど人影が窺えなかった。

 第一から第七執務室には、最高階級である警壱級の冠を持つ粛清官が構えることになっているが、その実態は異なっている。

 往々にして、警壱級粛清官というのは自由人の集まりであり、与えられた権利を活用しない変わり者が多いからだ。

 なかでも、シルヴィの直属の上司であるボッチ・タイダラ警壱級は、その傾向が顕著だった。科学研究室長の肩書も併せ持つボッチは、PD研で研究者たちと遊んでいる姿を見ることのほうが多い。

 コツン、コツンとロングブーツの音を廊下に響かせて、シルヴィは似たような茶色い扉をいくつか通り抜ける。廊下の最奥、七と大きく彫られた扉の前に立つと、シルヴィは扉をノックした。


「バレトです。お呼びでしょうか」

「入れ」


 広い執務室の奥に、礼服を着込んだ細身の男性が椅子に座って書類を眺めていた。彼がちらりと顔を上げると、眼鏡の向こうの鋭い眼光が光った。

 シルヴィはドレスマスクを抱えて、相手の前に直立する。


「なにかご入り用でしょうか、ナハト警弐級」


 シーリオ・ナハトは、本来の執務室の主であるボッチに代わり、留守番を任されている若手の精鋭だった。

 シーリオの背後、一面の大窓の向こうに、一番街の閑静な景色が広がっている。緑が多く入り混じるのは、中央連盟本部の近くにある都市第一公園の森林だ。


「ああ。粛清案件に関して、通達事項がある」


 シルヴィが、細い眉をひそめた。

 先週、彼に呼ばれた時には、しばらくは特別な任からは解除する旨を通達されたばかりだった。


「先に述べておく。協力してもらうのは、タイダラ警壱級の業務のバックアップだが――今回だけは、特例で隠密に行ってもらう。任せる業務内容も特殊だ。大役になるぞ」


 ボッチの仕事を手伝うという話自体は、なんら問題はない。ただ、それを遂行するには障害がある。

 シルヴィは不安げに口を開いた。


「警弐級。ご存知のとおり、わたしには今はパートナーがおりませんが、それは単身で業務を行うということでしょうか?」


 原則、粛清官は二人一組で業務を行う。犯罪組織との内通や殉職率の低下防止の目的があり、厳守が義務付けられている制度だった。

 つい先日、シルヴィは組んでいた相手の強い希望で、二人目のパートナー関係を解除していた。

 そのため、現在はフリーの身であり、ともに行動する粛清官が存在しない状態だった。

 それは粛清官にとって任に就けないことを意味する。今のシルヴィに待機命令が下っているのは、まさしくそのせいだった。

 じろり、とシーリオが一瞥した。

 殉職や退官以外の理由でパートナー関係を解除される粛清官は、一般に不名誉であるとされている。それが一度ならぬ二度ということで、この生真面目な上官はシルヴィに対する偏見を隠さない態度だった。


「その件に関しても、タイダラ警壱級が根回しをして下さったようだ」

「パートナーが見つかった、ということですか?」

「そういうことだ」


 いささか答えにくそうに、シーリオは返した。


「ですが、警壱級。現在は人手不足で、しばらくは代役が見つからないとお聞きしていましたが……」

「言っただろう。警伍級には、特殊な業務を任せると」


 シーリオは大型のエグゼクティブデスクの引き出しから、一冊のファイルを取り出した。表面にはSECRETと書かれたシールが貼られている。


「――説明する。警伍級、マスクを着用しろ」


 命令に従い、シルヴィは犬型のマスクをかぽりとかぶった。

 シーリオが、礼装の内側から白銀色のマスクを取り出した。中央で一刀両断されたような、目立つデザインの薄型マスクである。シーリオは舞台俳優のような仕草で着用すると、シルクの手袋越しの指を立てて、インジェクターのスイッチを押した。

 カチリ、と起動音がする。それと同時に、シーリオの全身から、淡い水色の砂塵粒子が放出された。

 シーリオはファイルを開くと、その表面にみずからの砂塵粒子をまとわせた。

 白紙の表面に、徐々に文字が浮かび上がっていく。

 偉大都市に流通する、砂塵能力者専用の機密アナログドキュメント。

 通称、塵工ロックである。

 それぞれの砂塵能力者が出す砂塵粒子には固有の電波があり、指紋のように人によって異なることから、一般に塵紋と呼称されている。

 このアナログドキュメントは、特殊な塵工技術で製紙されたファイルであり、所有者の塵紋に感応して、伏せられている内容が浮かび上がる仕組みだった。

 書面が発現したのを確認すると、シーリオは迅速にインジェクターを解除した。


「中身を見るといい。そこに記載された人物が、しばらく臨時のパートナーとなる」


 ファイルを手渡されて、シルヴィは内容を確認する。

 その人物が掲載されたページには、大きくクリミナル(犯罪者)の赤い判が押されており、いくつかの罪状がリストアップされていた。

 一番上に書かれた項目、粛清官反逆罪、の文字が目についた。

 動揺しながら、シルヴィはたずねた。


「これはいったい、どういうことでしょうか?」

「つい先日、タイダラ警壱級が捕らえた、今回の粛清案件の重要参考人だそうだ。詳しい事情は聞かされていないが、警壱級は今回の件に限り、その犯罪者を手駒として登用する心積もりのようだ」

「それは、つまり……」


 シルヴィの言葉に、シーリオは頷いた。


「そうだ。――仮身分の粛清官として迎えて、その者を業務に加えるということだ。警伍級には、その犯罪者とともに行動してもらうことになる」


 思わず、シルヴィは言葉を失った。


「まったく、警壱級の御酔狂には困りものだが……しかし、あの方のことだ。この采配にも、なにか明確な利点が存在しているのだろう」


 この若い上官も、どうやら頭を悩ませている様子である。つまり、悪い冗談というわけではないらしい。

 まさか、と言いたいところだったが、その前にシルヴィは思い直す。

 ありえる話だった。破天荒な性格をした長躯のベテラン粛清官は、定石通りの仕事をしないことで有名だった。

 しかし、だからといって疑問は残る。

 かりにのっぴきならない事情があったとして、こんな危険人物と組まされて、自分の身はどうなるのだろうか、と思った。望んで就いた危険な職とはいえ、正面の敵に刺されるならともかく、背後の味方に命を狙われる覚悟はできていなかった。


「安心するといい、バレト警伍級。タイダラ警壱級は、リスクに関しても考えて下さっている。犯罪者と手を組むからといって、好きに行動させるつもりはないそうだ。その者が由来することで、警伍級に危険が及ぶようなことはない、と断言しておられた。彼がそうおっしゃるなら、その点において間違いが起こることはないだろう」


 シルヴィは黙ったまま、ボッチの着用するかぼちゃマスクを思い浮かべた。

 なにを考えているかわからない人物だが、けっして悪い上司ではないと思っていた。ついこのあいだ、パートナー関係が解除されたばかりのときも、深刻に捉えていたシルヴィの目の前で、無遠慮に笑い飛ばす姿に救われていた。

 それとも、あの態度はブラフで、本当はまともにパートナーすら組めない部下を厄介払いするつもりなのだろうか。いや、まさかそんなはずはない。

 しかし、それにしたってこれは……


「追って、警壱級から直接説明があるそうだ。いつでも呼び出しに応じられるように、準備を整えておけ。それと、わかっているだろうが、今回の件はくれぐれも内密に」


 上官の言葉に力なく頷いて、シルヴィはもういちどだけ、書類に視線を落とした。

 やけに情報の少ない犯罪者だった。姓名欄や性別欄は空白で、素顔の写真も見当たらない。唯一判明しているのは、その着用マスクのみである。

 写真に映る、不吉な黒犬マスクと目が合うと、シルヴィはどうしても先行きに対する不安が隠せなかった。

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