1-3 vs〝火事場〟のボッチ


 なぜ気づかれたのか――

 そう考えた直後、チューミーはすぐさま答えに気づいた。

 この教会に唯一、内部に進入するだけで出口に帰っていない、血染めの足跡がある。ほかならぬ、自分自身がのこした足跡だ。ボッチはそれに気づいたのだろう。

 すっ、と長い三本の指を立てると、礼拝堂に立つボッチが言った。

 

「同情するぜ。おれと出くわしたことが、おまえの人生最大の不運だ。だが、おとなしく投降すれば悪いようにはしねェ。いいか? スリーカウントだけ取るから、そのあいだに出てこい」


 チューミーは逃走経路を確認した。

 礼拝堂の出口までは、直線距離にして数十メートル。

 全速で駆け抜ければ、数秒とかかる距離ではない。向こうはまだ、こちらの俊敏さを知らない。逃げ果せる確率は低くないだろう。

 とはいえ、粛清官というのは二人組で動くものだということは知っている。教会を出た先にボッチの仲間が控えていないとは限らない。


(……どうする。ここで戦うか、それとも……)


 ボッチの指が、一本ずつ折れていく。

 迷っている暇はなかった。

 カウントがゼロになる間際、チューミーは腰のダガーを抜くと、扉を蹴り開けた。ボッチのかぼちゃマスクに向けて、全力でダガーを投擲する。

 その結果に目もくれず、チューミーは出口に向けて疾走した。

 内部の廊下を走り抜けて、教会の外に飛び出す。

 警戒していたほかの粛清官の姿は、あたりに見えない。

 そのまま、チューミーは逃走を図った。薄暗い礼拝堂で遭遇した関係上、ともすればマスクデザインすら把握されずに済んだかもしれないとさえ思ったが、


「よォ、逃げんなよ」


 そう、背後から声をかけられた。

 ゴォッと激しい音が鳴る。チューミーの背中に、悪寒が走った。

 考えるより先に横転すると、暗闇を照らすオレンジ色の炎が一直線に伸びた。

 教会を囲う門を塞ぐように、ゴウッと火柱が立った。ボディスーツ越しの肌に、急激に高熱が伝わった。


「お、よく避けたなァ。――いい反応だぜ、黒犬マスク」


 低い声が聴こえて、チューミーは振り向いた。

 教会の入口で、炎の明かりに照らされながら、粛清官がこちらを見据えていた。

 

「だが、おれを前にして、逃走は最大の悪手だ。これまで、おれの眼前から生きたまま逃げ切ったやつはひとりもいなかった。死んで逃げたやつはいたがな……。逃げようとすれば、おまえもそうなるんだ。投降も、今ならまだ間に合うってことにしておいてやってもいいが、どうだ?」

「クソ……!」


 チューミーは、赤い砂塵粒子をまとわせるボッチの姿と、門のそばで燃え盛る炎を相互に見比べた。すでに退路は絶たれている。

 自分の身体能力であれば、門を飛び越えることは可能だったが、今の爆炎を見るに、背を向けた逃走が許されないことは明らかだった。

 それでも、投降だけはあり得なかった。


(……やるしかない、か)


 チューミーは手慣れた武器を抜いた。

 けっして傷つかないように作られている愛用の塵工刀は、されどボッチの放つ奇妙な圧を前に、どこか普段より頼りない錯覚を与えた。


「ほう。フッフッ、カタナか。古風だな、いいじゃねェか」


 ボッチは深みのある声で笑うと、その左腕をこちらに向けて構えた。


「戦闘は、逃げるよか百倍いいが……後悔の度合いは、より増すかもしれないぜ?」

「俺は……こんなところで、立ち止まるわけにはいかない」


 冷えた空気と、熱された風が同居する闇のなかで、チューミーはそう言葉を返した。放たれた機械音声に、ボッチは一瞬、興味を抱くかのような仕草を見せた。


「そうか? そんじゃあ、来いよ。遊んでやる」


 ボッチはふたたび、こちらに向けて爆炎を撒いた。

 チューミーが側転して避けると、もといた場所に火柱が立った。直接焦がすかのような爆熱が伝わってくる。


(〝火事場〟のボッチ。こいつ……⁉)


 その威力に、チューミーは驚きが隠せなかった。

 明らかに、噂以上の火力といえた。ボッチが腕の先から生む火炎は、まるで空気ごと燃えるかのように揺らめいて、周囲を容赦なく燃やしていく。

 肌寒い季節であることを忘れさせる高温に、強い焦りがあわさって、黒犬マスクのなかの額にどっと汗が流れた。だが、ひるむわけにはいかなかった。

 いつ、粛清官の応援が来るかもわからない。

 一対一でも苦しい相手だというのに、増援がきたら詰みもいいところだ。

 早急に決着をつける必要がある。が、無策に飛びこむことはできなかった。


(――おそらく、やつの弱点は懐に入られること。そして、攻撃の合間に隙が生まれることだ……)


 自身も熱傷のリスクが生じる以上、至近距離で使える砂塵能力ではないとチューミーは推測する。

 なにより、これだけ高エネルギーな砂塵粒子を操るなら、いかに化物のような相手であれ、そう何度も連発ができるわけがない。いちどに放てる砂塵粒子の量には、どんな能力者にだって限界があるものだ。

 それは、この粛清官だって例外ではないだろう。


 つぎに、相手の火炎放射を避けたタイミングが仕掛けどきだ。

 そう判断し、チューミーはじりじりと距離を詰める。


 ボッチが羽織る黒いローブの懐に手を伸ばした。

 大口径の二連銃を取り出すと、強烈なマグナム弾を放ってくる。

 飛び道具――! だが、ただの銃弾くらいならば問題はない。

 チューミーは正確に弾道を捉えると、弾丸をカタナの刀身で防いだ。

 真っ向から銃を弾いたことに、ボッチは感心するように口笛を吹く。それから、間髪入れずに火炎を放った。銃撃は、ただの布石のつもりだったのだろう。


(――今だ!)


 チューミーはタンッ、と側転する。その回避動作の最中に、ダガーを抜くと、相手の心臓部に向けてすばやい動作で投擲した。

 ボッチが半身だけを軽く捻る。相手の背負う巨大な棺が、刃を苦もなく弾いた。相手の持つ身体的な反応も、十分に速い――が、そのときにはすでに、脚に最大限の力をこめてチューミーは跳躍していた。

 袈裟斬りを図り、宙を舞うチューミーに向けて、


「――浅はかだな」


 と、ボッチはいかにもつまらなそうに口にした。

 直後、ボッチが左腕を構える。

 瞬間、嫌な予感を覚えて――土壇場で、チューミーは体勢を変えると、空中でカタナを硬い地面に刺しこんだ。

 急ブレーキを踏むように空中で動きを変えると、ぎりぎりのところで相手の放つ火炎を緊急回避した。

 受け身を取って着地する。即座に立ち上がったが、ボディスーツ越しに帯びた熱傷に身体が悲鳴を上げていた。

 

「ほう、空中でそこまで動くか……面白ェ。黒犬マスク、本業は軽業師か?」


 ボッチの足元から周囲にかけて、パチパチと音を立てて炎が揺れていた。

 かぼちゃ型のマスク越しに表情は見えないが、この相手が涼しげな顔をしていることは推し量るまでもなかった。

 反面、チューミーはマスクの下で驚愕に瞠目していた。


(ボッチ・タイダラ粛清官……こいつ、なんてバカげた能力者だ……!)


 粛清官には、それぞれ五つの階級が振り分けられている。

 ボッチの冠する警壱級は、数いる粛清官のなかでも最上位であり、偉大都市全土に数人しかいないことは、この街の常識だった。

 その戦闘力が伊達ではないことは知っていたが、それにしても異様だといえる。


(なぜ、こうも休みなく火炎を出せる? なにより、今のやつの攻撃は……)


 夜空の下、ふたたび朱色の炎が盛った。続けざまに放射される炎を避けながら、チューミーはボッチがまとう赤色の砂塵粒子から目線を離さない。

 観察を続けるうち、脳裏に過ぎった疑惑が、徐々に確信へと変わっていった。

 こと砂塵能力において、ありえないということはありえない。とはいえ、一定の決まり事のようなものはある。

 いかに強力な砂塵能力者といえど、砂塵粒子の放出頻度には限界があるものだ。

 ボッチは今、その法則を無視している。

 ――だとするならば、とチューミーは考える。疑うべきは常識ではない。相手の持つ能力のほうだ。


「フッフッ、いい身のこなしだ。それほどの身体能力の持ち主は、粛清官にもめったにいねェ。だが、いつまでも避けられるわけじゃない。そうだろ? 黒犬マスク」


 相手の言うとおりだった。

 際限なく撒かれる炎が、着実にこちらの安全地帯を減らしている。

 ボッチは、どうやら計算して炎を放出していたらしい。

 避けられても、それがいずれ相手を詰ませる炎として機能する――すなわち、こちらを包囲するような火事場が形成されていた。

 気づいたときには周囲に燃え盛る壁が立ち、チューミーは追いつめられていた。


 あたりに、砂塵粒子とは異なる黒いもやが立ちこめていた。

 周囲の可燃物が好き放題に燃えて、有毒ガスを生み出しているのだ。

 ドレスマスクには、砂塵粒子の吸引を防ぐ特殊なフィルターが備わっているが、完全な気体であるガスなどは一般的な機能では防げない。

 呼吸の回数を意識的におさえながら、チューミーは狭い足場で相手の火炎攻撃を避け続けた。脳に酸素が行き渡らず、徐々に思考が霞んでいく気がするが、それでも勝つための算段は立てねばならない。


 この相手には、謎がある。

 炎を避け続けながら、チューミーは相手の砂塵粒子の動きから目を離さない。

 最大の疑問は、ついさきほど、ボッチの間近で火炎を回避したときのことだ。

 チューミーはいまだ、ボッチの操る砂塵粒子が火炎に変容する、まさにその瞬間を目にはしていない。

 こちらと同じ火事場に置きながらも涼しい様子のボッチをにらみ、こう思考した。


(もし、やつの砂塵能力が火炎ではないとしたら……)


 勝機はそこにしかなかった。

 いずれにせよ、これ以上防戦一方ではいられない。

 相手の放つ火炎にはインターバルがない。ダガーによる牽制を足がかりにして距離を詰める手段も、この相手には通じなかった。

 だとするならば、残された方法はひとつだ。

 ――肉を切らせて骨を断つこと。相手の火炎を喰らうことを前提にして、その首を刈り取らなければならない。

 しかし、それはチューミーにとって相当の覚悟が必要なことだった。

 だれであっても、まともに火炎を受けたくないのは間違いないだろう。

 だが、こと自分に限っては、比ではないほどにダメージを嫌う。

 チューミーがもっとも耐えがたいのは、この身体が傷つくことだからだ。

 それでも、残された勝機はそこにしかない。


「きゅうに動きが悪くなったな、黒犬マスク。もう、限界か?」

「……ハァッ、ハッ……!」


 呼吸が苦しい。雪崩のように流れゆく水分のせいで、乾きが全身を包んでいる。

 そのせいか、ほんの一瞬、こちらの回避行動がにぶった。

 ボッチはその隙を見逃さなかった。ゴワッ、と走った炎が、肢体に絡みつく。


「ぐ、ああぁぁぁッ!」


 激痛のあまり、絶叫を上げた。

 だが、熱傷よりも鋭い痛みが、自分の心に走るのを感じた。


「……お前。……俺の、なによりも大切な、この身体を……」


 ぎろり、とマスクの下の双眸を見開いて、相手の姿を睨んだ。

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