1-2 ダスト正教会
サザキのもとを離れて、チューミーがその足で向かったのは、偉大都市の南方にある四番街だった。
一番街から三番街までの、偉大都市の上流階級が集まる中央街にこそ数えられていないが、比較的に閑静な区画のはずれ。
チューミーは、古い石造建築の教会の様子を外からうかがった。
周囲一体は空き地であり、だれの姿も見えない。三角頭の屋根の上に、自然集合した黒色の砂塵粒子がさらさらと流れているばかりだった。
門に彫られた女神像のレリーフに触れてみると、革のグローブ越しに、冷たい石像の感触が伝わる。
ここを訪れるのは初めてだったが、ダスト正教会の存在自体は知っていた。
砂塵粒子を信仰する宗教は数あるが、なかでもダスト正教は歴史が古い。
掌から砂塵粒子を放出して、地球に振り撒く女神の肖像が、この宗教のシンボルだ。額にも瞳を持つ複眼は、彼女が人知を超えた存在であることを体現していた。
つまり、人知を超えた存在が、人知を超えた物質である砂塵粒子を人類に与えたことを意味している。
この世界に砂塵粒子が現れたのは、今より数百年ほど前に遡るという。
宇宙より飛来したとされる、この不思議な物質が人類に与えた影響は、ひとえに破壊と再生の二つに尽きるといってよい。
「塵渦」と呼ばれる、旧文明崩壊の大災害に関する資料は、そう多くは残されていない。それはおとぎ話のように後世の人々に伝承されて、真偽の確かめられない説話として、今を生きる人々に理解されていた。
いわく、当時の人類の九割以上が死滅したのは、単に砂塵粒子が人体を蝕む有害物質だったせいとも言われれば、過去の文明の人間が依存していた機械通信の電波を妨害されて、大恐慌が勃発したとも言われている。
だが、旧文明が終焉に至った最大の理由は、もっとシンプルだ。
それは、砂塵能力――。黒いビー玉のような見た目をした、人体頸部に宿る黒昌器官に砂塵粒子を摂りこむことで、未知の能力を操る人々が現れたことである。
現代では、才能という言葉は、一般にその人の砂塵能力の有用性を指す。
砂塵粒子が現れる以前は、人間の能力の違いが、せいぜい僅かな身体性能だったり、頭の回転率だったという話は、まさに過去と現在を分かつ圧倒的な違いといえる。
そんな旧文明の常識のなか、突如として与えられた砂塵能力によって、それまで社会的に弱者扱いされていた者や、悪意のある者が強力な力を得た際に及ぼした影響は想像に難くない。
昔、チューミーが読み聞かされた塵禍に関する絵本が、一人の男が強大な砂塵能力で大津波を呼び起こす表紙をしていたことは、今でもよく覚えている。
かくして、砂塵粒子の出現によって未曽有の大混乱が生じて、過去の文明は完全に崩壊するに至った。結果、人類は暗黒の時代を迎えたが、それから長く時間が経った末に、こうして再び文明を築いている。
そして過去とは反対に、今ある文明というのは、ほぼすべてが砂塵粒子のもたらす恩恵に依存していた。偉大都市の生活基盤の大半は、砂塵能力によって支えられている。無論、文化や宗教すら例外ではない。
破壊と再生の砂塵粒子は、日常に座する御神体として、多くの人間の畏怖と尊敬の対象となっている。
ダスト正教は、人知を超えた力を持つ砂塵粒子を、たかが人間風情が無遠慮に利用することを禁じるという宗教だ。
そのため、砂塵粒子を人為的に利用する機材の存在を否定する戒律があった。
経口摂取せずに体内に砂塵粒子を採りこむインジェクター装置や、人工的な電波を発して砂塵粒子を消失させる排塵機などの、生活必需品の利用すら厳格化されている。
そのせいか、ダスト正教の聖職者には砂塵粒子の毒にあたって、精神や肉体に支障をきたす砂塵障害という病に罹っている者も多い。
砂塵能力を使用したければマスクをはずし、砂塵の持つ毒素を享受した上で使用しろなどという教えは、信仰心の薄いチューミーからすると正気の沙汰とは思えなかった。
(まあ、ほかの連中がなにを信じて、どう行動しようと勝手だが……)
チューミーがここを訪れた理由は単純だ。
このダスト正教会の人間が、聖職者という立場を隠れ蓑にして誘拐業を行っているという、サザキの情報のためだ。
チューミーは今いちど周囲の状況を確認する。
見張り番すらおらず、広がるのはただ静寂のみだ。建物の裏手も確認してみたが、勝手口のたぐいは見つからなかった。
正面から行くしかないようだ。
入口に戻ると、両開きの扉に手をかけて押しこむ。
教会内部の冷たい空気が、ボディスーツ越しの肌を刺した。電灯が消えているせいで、長い廊下は一寸先すら覗けなかった。
情報屋の、マスクにライト機能をつけるかという冗談を思い出しながら、チューミーは一歩踏み出した。
そのとき、ぴちゃり、と水の音を聴いた。
なぜ――と、足元を覗く。血の池に、足を踏み入れていた。
締まりかけの入口に向け、突風のように吹いた風が、生温かい血の匂いを運んできた。いちど意識してみると、教会が死の雰囲気に包まれているのは明らかだった。
一本道の廊下には、死体が連なっていた。身体がいびつに変形した、聖職者の死体の列である。
遅かったか……。
そう口内でつぶやいて、死体の様子をうかがった。
ダスト正教に戒律指定された、環を象った砂塵粒子が描かれたシンプルなマスクをはずす。すると断末魔を叫んだまま硬直したらしい、青年の死相が現れた。
慎重に、それでいて性急に十体ほどの死体を横目に過ぎると、重厚な扉に至った。
そのさきには、円構造をした、大部屋の礼拝堂が広がっていた。
もとは美麗な造りをしていただろう内装が、見るも無惨に半壊している。粉々に破壊された木彫りの長椅子に、半身の欠けたダスト正教の女神像。叩き割られた祭壇と、衝撃を受けてひびの入った壁。
そして、またも大量の死体。
廊下のものと合わせて、総計十五人ほどの殺人のようだった。
どの死体も、不自然な死に様をしていた。雑巾を絞るかのよう雑に捻じ曲げられた肉体の死因が、圧死なのか窒息死なのかも判断がつかない。
チューミーはレッグポーチから、サザキに受け取った写真を取り出した。
司祭、ロウノ・バベルズ、三十六歳。裏で拉致を行う聖職者であり、スマイリーと契約を結んでいたという犯罪者が、無表情にこちらに目を向けていた。
サザキに情報が渡ったということは、この聖職者たちからスマイリーの情報が漏洩したことだ。この虐殺の動機は、その報復だろう。
天井の採光窓から月明りが投射されて、礼拝堂全体を淡く照らした。
そのとき、タイルの床の不思議な模様に目が付いて、チューミーは膝を折ってたしかめた。
奇妙な足跡だった。およそ人間の足とは思えないほど巨大な足跡が、不規則に散らばっている。どういう形であれ、現場で手がかり発見したのは初めてだった。チューミーは血の足跡の縁を指でなぞると、教会内部の探索のために立ち上がった。
広い教会だが、内部はシンプルな構造をしていた。一本線の廊下と礼拝堂のほかには、奥の小部屋から地下への梯子が降りているだけだった。
地下室は一面がクッションで覆われていた。チューミーが指で叩くと音が消失する。どうやら、地下は誘拐被害者の監禁に使われていたようだ。
大量の保存食品が置かれた棚や衣類の入ったキャビネットを中心に、チューミーは、とある物を探した。
スマイリーのリスト。
そう呼ばれる手がかりが存在していることは、これまでの追跡活動で知っていた。スマイリーが契約相手に渡している、誘拐対象の身柄を掲載したリストだという話だった。目下、チューミーが求めている物的証拠である。
スマイリーのリストが手に入れば、必然的にスマイリーに近づくチャンスも増える。
しばらく探索を続けた後、チューミーはマスクのなかで深く息を吐いた。
サザキの話では、今回の件は非常に鮮度の高い情報とのことだったが、結局は連中に先回りされてしまっていた。
(今度こそ、近づけたかと思えば……)
普段は抑えこんでいる、自分を支配する黒い感情が顔を出す。
チューミーは、自身の首元にそっと触れた。
最後にインジェクターを起動したのは、もうずいぶんと前のことだった。あの局所注射のもたらす痛みすら、今は懐かしく感じる。チューミーはしばらく、そのままの姿勢を保って、くすぶった感情が沈静化するのを待った。
そのときだった。
がたん、という物音を捉えた。
弾けるように反応する。音の出所は、死体が積み重なる礼拝堂、地上階だった。
――まさか殺人の実行者だろうか。
とっさにそう思うが、その線は考えづらかった。安っぽい放火魔でもあるまいし、犯行現場に戻ってくるようなことはしないだろう。
いずれにせよ、この目で確認するしかなかった。チューミーは梯子に手をかけると、音を立てないように昇った。
地下室から出ると、小部屋の扉のガラス越しに、礼拝堂を注意深く覗きこんだ。
礼拝堂の中央に佇む、異様な長躯の男が見えた。二メートルを遥かに上回る身長と、鎖を巻いて背負う、十字架の彫られた特大サイズの棺。
なにより特徴的なのは、なにかの祭日で見かけるような、かぼちゃ型のはでな大型ドレスマスクだった。
(あいつは……)とチューミーは息を呑む。
(ボッチ・タイダラ粛清官……?)
ボッチの全身をすっかり覆い隠すローブの胸元で、その所属を体現するエンブレムが怪しく光っていた。
偉大都市内の秩序維持を担う公的機関、中央連盟。
その子飼いの精鋭集団を、一般に粛清官と呼称する。
粛清官は、この街の暴力機構だ。
偉大都市内の浄化、犯罪者の粛清活動を生業としており、裏社会の者のみならず、一般市民からも畏怖の対象となっている。
無論、チューミーのような偉大都市の暗部に生きる者からすると、もっとも出会いたくない相手といえた。
なかでも、ボッチ・タイダラという粛清官は、偉大都市じゅうに名の知れた有名人物だ。それは、単に見た目が悪目立ちしているせいではない。ひとえに、ボッチの持つ砂塵能力と、その能力由来の異名のせいである。
〝火事場〟のボッチというあだ名は、ボッチの砂塵能力が火炎であるという噂に由来している。
それも単に発火性の砂塵粒子を操るだけでなく、あらゆる戦場を火事場に変えたうえに、みずからはその火中で平然と活動する、怪物のような男だと聞いていた。
粛清官がきたということは、どこかから通報でもあったのだろうか。
チューミーはその自分の考えをすぐさま否定する。仮に通報があったとしても、ボッチほどの大物が出張ってくるはずがなかったからだ。
だとすれば。
(中央連盟も、現在スマイリーの足取りを追っている……?)
そう考えたほうが自然だった。
もろもろ推察の余地はあったが、チューミーは思考を中断する。
目の前の問題は、粛清官をどうやりすごすかだった。
この場で姿を見られれば、犯行容疑の濡れ衣が着せられるのは間違いないだろう。
あるいは、かりにこの場の殺害が自分の仕業ではないと証明できたとして、チューミーが連中にとっての粛清対象であることに変わりはない。
なにがあっても、ここで捕まるのだけは避けなければならない。
チューミーは、自分がいる小部屋の内部構造を今いちど確認する。
教典の詰まった小さな本棚と、古びた祭服が詰まった籠のほかにはなにもない。
袋小路である以上、来た道を引き返すほかに出口はなかった。
チューミーは息を潜めたまま、相手の出方をうかがった。
暗い礼拝堂にひとり立つボッチは、とくに捜査する素振りすら見せず、じっと虚空を眺めている。その制止具合は、ともすれば電源が落ちた機械のようにも映り、チューミーがいぶかしんだころになってようやく、前触れもなく動き出した。
ボッチは、周囲をぐるりと見渡した。
潰れた祭壇、半壊の女神像、砕けた長椅子、死体、血だまり、奇妙な足跡を順に目にして、最後、こちらのいる小部屋に、そのかぼちゃ頭のマスクを向けた。
つぎの瞬間、ボッチは首元に手を伸ばした。
カチリ、とインジェクターを起動する。
(なに……⁉)
予想外の行動に、チューミーは反射的にカタナの柄を握った。
ボッチの身体の周辺に、ざわざわと砂塵粒子が溢れ出た。ボッチの操る赤色の砂塵粒子が、当人を中心にとぐろを巻くようにまとわりついた。
それから、ボッチは口を開いた。
「そこに潜んでいるやつ……いることはわかっている。出てこい」
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