Chapter1: Bocci, the Fire Place

1-1 終わりの街の情報屋


 遠くの景色に、偉大都市のネオンサインがおぼろげに映っていた。

 黒色と白色が同居して混ざる光彩は、この巨大な都市そのものを表しているようだ、とチューミーは思った。

 自分たちのような日陰者が生きる暗がりは、偉大都市の明るい場所で支配する権力者に隠れて、照らされないように息を潜めている。

 つい先刻、十番街の廃倉庫でひと仕事を終えたばかりのチューミーは、骨董品のようなバイクを走らせていた。行先は、人畜無害そうな顔をして平気で殺人をマネージメントする、顔見知りの情報屋の詰所である。


 二月の頭で、風当たりが凍えるように冷たかった。夜の街は大半の店が締めきっており、表には年度末のセールを報せる旗が立っている。来たる新年度を前に、どの小売店も熱心に商売をしている様子だった。

 偉大都市暦一四九年。

 この大陸で最大の都市が建設されてから、百年とさらに半世紀が経つことになる。

 偉大都市という命名をしたのがだれなのか、今となっては知る者もいなかった。一般常識としては、砂塵粒子が世界を覆ったことで旧文明が崩壊して以来、初めて興った秩序のある街だからと理解されている。

 大陸屈指の有能な砂塵能力者が集って作られたこの都市では、生活基盤の大半が砂塵能力に依存していた。燃料や食料、水や電力などの生活必需品は、特殊な砂塵能力で加工された塵工製品として流通しており、この都市の豊かさを象徴する代物だった。

 プロロロ、と間抜けな音を立ててカーブを曲がり、チューミーは十八番街の区画に進入する。派手な装飾をした大型バイクが猛スピードで抜かすと、排出口から塵工燃料の残りかすが噴いて、ぼわりと黒い霧を作った。

 偉大都市で最底辺の治安といわれる十八番街では、塵工麻薬や重度の砂塵障害で、すっかり頭のイカれた連中に絡まれることも珍しくなかった。中央街から離れれば離れるほど、偉大都市の夜は荒れていく。

 角を曲がり、雑居ビルの路地裏に着くと、路傍に駐輪した。

 チューミーはずっしりと重たいボディバッグを担ぐと、なんの看板も出ていない、怪しい見た目の地下階段を下った。

 ライトがぱちぱちと点滅する廊下をまっすぐに進むと、目玉の大きく膨らんだ猪のマスクを着けた男が、パイプ椅子に座って待ち構えていた。


「よぉ、あんたかい。黒犬さん」

「……。」

「いつ来ても、血のにおいが鼻を衝くな。そのどでかいカタナで、今夜は何人殺したんだ?」


 チューミーはなにも返さずに、ただ入店手形として、見知った情報屋の名刺を提示した。まともに会話をする気がない様子に、猪マスクは困ったように肩をすくめると、背後の扉を指差した。

 紺色の分厚い扉を開くと、不規則なリズムの旋律が聴こえてきた。ジュークボックス機能付きの排塵機が電子音楽を奏でているせいだった。

 個室に入ると、チューミーは左手首に巻き付けてあるDメーターを確認した。

 マスクをはずしても問題のない室内環境だが、チューミーはマスクを取る素振りすら見せずに、店の奥に進んだ。

 情報屋のサザキは、部屋を埋め尽くすバーカウンターに肘を突いて座っていた。

 くたびれたベージュ色のスーツが、店の光景に溶け込んでいる。事前に根回ししたのか、店内にほかの客の姿は見えない。

 素顔のサザキは、短く切り揃えた金髪に、レンズの厚い丸眼鏡をかけて、じっと天井を見上げていた。


「やあ、チューミー。どうぞかけて」


 サザキはうさんくさいほどに優しい声色で言うと、真隣りのカウンターチェアを手で差した。帯刀するカタナをカウンターに立て掛けて、チューミーは腰を下ろした。


「ご注文は?」


 重度の潔癖症患者のように、常に一心不乱にグラスを磨いているマスターが、ぶっきらぼうに尋ねた。


「ホットミルクを」と機械音声でチューミーが答える。「天然由来で頼む。膜が張らないように気をつけてくれ。それから、砂糖とストローを忘れずに」


 ぎろり、とマスターが上目遣いで睨んだ。お前はいつになったら酒を頼むんだ、とでも言いたげな目線だが、あいにく、酒も煙草も一切やるつもりはなかった。

 身体に悪影響な物質はきらいだった。


「直接会うのは、ちょっと久しぶりかな。きみのマスクの機械音声、少し聞き取りづらくなったね」


 サザキが、とんとんと自身の喉元を叩いた。


「最後に点検したのはいつだい? よければ、腕のいいマスク技師を紹介するよ」

「遠慮しておく。お前に頼むと余計なオプションが追加されて、無駄に金がかかりそうだ」

「はは、お見通しか」


 サザキはわざとらしく笑った。


「余計なオプションも、そう悪いものじゃないよ。どう? バイザーが光って夜目が利くようにするとか」

「特殊な機能なら、もうそれなりに積んでいる。マスク屋を変えるつもりはない」

「それは残念」


 まったく残念そうでもなく、サザキが言った。

 ドン、と叩きつけられるように、ホットミルクを淹れたマグが置かれた。

 チューミーは黒犬のマスクの口元を押して、防塵フィルターを取り外す。空いたハッチからストローを通せば、マスクをしたまま物を飲める機構だった。

 無塵設備室で育った天然牛の酪農ミルクは、塵工飲料よりも健康的とはいえ、味が薄くておいしくはない。砂糖を何杯も足すチューミーの様子をニコニコと眺めて、サザキが言った。


「チューミー。きみはまだ、その素顔を見せてはくれないんだね」

「今更、なにを言い出す?」


 現代の常識では、知人同士で席を囲む際は素顔を晒すことが暗黙の礼儀とされている。しかし、チューミーはその慣例に従うつもりはなかった。

 サザキは呆れたような口調で続けた。


「べつに、改めて不思議な人だと思っただけだよ。ぼくもこういう稼業をする身だ。これまでも身分を明かさない相手とは付き合ってきたけど、一年以上経っても、名前も顔も、声すらも明かさないきみは、はっきり言って異常だよ」

「仮にあんたが十年来の知り合いだろうと、俺はこのマスクを取る気はない」


 チューミーは、カウンターの向こう側を眺めながら答えた。棚に並んだ知らない銘柄の酒瓶が、ぼやけた間接照明に照らされていた。


「情報屋としてきみの出生を調べてみたけど、生まれたときからマスクを被っていたらしいね」

「さすがに頼れる情報網をしている」

「まあ、そういう冗談を返すようになってくれただけマシかな」


 チューミーの脇のバッグをちらりと見やって、サザキは続けた。


「それで? 今夜の首尾はどうだったかな」

「ぬるい連中だった。砂塵能力者もひとりだけだったし、普段よりも楽に済んだ」


 チューミーは、五人の生首と着用マスクを納めたボディバッグを手渡した。サザキ経由の依頼では、個人特定のために頭部と着用マスクを持ち帰る決まりだった。

 十八番街の情報屋として名を馳せるサザキは、偉大都市の裏社会から不都合な人物の抹消依頼を受けている。

 サザキが場所を調べて、チューミーが排除を実行するという分担だった。

 今回は、オージィが仲間たちと抜けた十六番街の多目的犯罪組織の首領が依頼主だった。名目は、「もともと部下だった男を自分たちの手で殺すのは忍びない」という話だったが、単に無駄な被害をいやがって外部発注したに違いなかった。

 チューミーは一瞬、現場にいた十名の誘拐被害者について言及しようかと思ったが、やめておいた。依頼内容には関係なかった存在だから、報告の義務もない。

 女のひとりが衣類を脱がされている最中だったせいで拘束を解かれていたから、チューミーがなにをせずともあの場から逃走したはずだった。

 ジッパーを開いて中身を確認すると、サザキは満足気に頷いた。


「うん、いい感じに凄惨だ。報復を望んだ依頼主も喜ぶ。この頭は、スナダカ鳥の早贄にでもされるのかな」


 チューミーは枝に串刺しにされた頭部が、獰猛なハゲ鳥に啄まれる画を想像した。人がものを飲んでいる時に……、とマスクの下の顔をしかめる。

 反面、サザキは微笑みを浮かべたまま続けた。


「その様子だと、OZ・イジーは別段、に繋がるような情報は持っていなかったみたいだね」

「……まあな」


 オージィたちのような犯罪集団――新興の誘拐業者というのは、サザキが言うところの「彼」との繋がりが期待できる存在だった。

 奇妙な観察眼を持つサザキは、黒犬のマスク越しに落胆の相を覗き見たらしく、励ますように告げた。


「まあ、しかたないさ。欲しい情報というのは、棚ぼた的に落ちてくることも多いけど、基本的には地道な探索が実を結ぶものだよ」


 チューミーはため息をついた。同情よりもいらないものはなかった。欲しいのは、危険の伴う殺人稼業の十分な見返りである。

 その雰囲気を察したか、サザキは懐から一枚の封筒を取り出すと、机の上でスライドしてよこした。

 掃除の報酬は、日銭か情報だった。封筒が渡されたということは、今回は前者である。チューミーは封筒を手に取り、素早くなかを確かめた。

 なかには一銭も入っていなかった。

 なにかの手違いかと顔を向ける。

 チューミーの言葉より先に、取引相手が口を開いた。


「チューミー。きみはこの一年、優れた仕事ぶりを見せてくれた。ぼくにも仕事人としてプライドがある。きみの本当に欲しい情報をいつまでも与えられないのが口惜しくて、このごろは柄にもなく、その地道な探索に精を出してみた。

 ――それで得られたのが、この写真だ。その空の封筒に入れるといい」


 サザキは、懐から一枚の写真を取り出した。

 チューミーは、ガタンと椅子から身を乗り出した。


「まさか……の居場所が、わかったのか」


 サザキが目配せすると、マスターは磨いていたグラスを口惜しそうに残して、のそのそとした足取りで店の奥へと消えていった。

 その姿が完全に失せたのを確認してから、サザキは続けた。


「きみも知ってのとおり、スマイリーと契約している誘拐業者は、これまでも何度か確認できた。たしか、すでに首領が死亡しているケースが二件、行方不明のケースが一件だったかな。いずれにせよ情報の鮮度の関係で、契約組織からスマイリーに行き着くことはできなかった。首領以外の構成員は、そもそもスマイリーを直接見ることすらなかったようだからね」


 サザキは、姿の見えない犯罪者を楽しむような口調だった。

 チューミーの捜している仇敵――スマイリーと呼ばれる男は、どの組織にも所属せず、また自身では犯行に着手しない特殊な犯罪者である。

 その代わりに、いくつかの犯罪グループに接触して、偉大都市市民の誘拐を代行させていた。

 スマイリーの特徴は、自身の情報を横流しにした契約組織を即座に口封じすることだ。そのため、サザキから渡ってきた情報に従ってチューミーが動いた時には、往々にしてあとの祭りであることばかりだった。


「サザキ、前置きはいい。やつに接触が見こめるなら、俺はどんな情報だってかまわない。そのために、ずっとこんな仕事をしているんだ」


 チューミーは、サザキが指に挟む一枚の写真を凝視して続けた。


「今回は、やつの契約者か? それとも、やつが狙っている人物の身柄か?」


 ひさしぶりに進展が見込める状況に、否が応でも気がはやる。


「その質問でいうなら、前者だ。当然、すべて説明するよ。でも、その前に、ひとつ断っておきたい」

「なんだ?」

「今日を期に、ぼくはきみとの連絡は絶とうと思う。つまり、これでお別れだ」


 チューミーは黙った。

 特別な驚きはなかった。ただ、とうとうこのときが訪れたかと思っただけだった。

 サザキがスマイリーの情報を調べることを約束したとき、あるひとつの条件をつけていた。

 自分の身に危険が及ぶと判断した際には、その時点で契約関係を断ち切ると。保身を第一とするのは、情報屋という人種の基本的な姿勢といえた。


「ぼくとしても、きみのような優れた殺し屋とは長い関係でいたかったけれどね。でも、そろそろ潮時なんだ。わかってくれるだろう?」

「……ああ」

「さすが物わかりがいいね。――さて」


 サザキはようやく写真を表にした。

 そこにはダスト正教の厳かな祭服を着た、痩せこけた顔の男が映っていた。


「それじゃあ、説明するとしようか」


 サザキの持つグラスの氷が溶けて、カランと音を立てた。

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