黒くて白い心

星あかり

第1話

ここはどこだろう。

気がついたらここにいた。全く見慣れない、でもどこかでみたことがあるような景色。

眩しいくらいの晴天の下、私は木で作られた椅子に腰掛けていた。目の前には昔読んだファンタジー小説に出てきたような、カラフルな布が垂れ下がっている屋台が並んでいた。たくさんの人が目の前を通り過ぎていく。家族や恋人同士で歩いている人が多いようにみえる。…よかった、聞き取れない言葉はないみたいだ。ゆっくりと立ち上がって周りを見渡してみた。どこかの街の中心なのだろうか。かなり広い街らしく、屋台がどこまでも続いている。目にかかるほど長くなった前髪をかき上げて状況を整理しようと試みた。


「ねえ、遊ぼうよ」


すぐ隣から声が聞こえた。…私に話しかけてるのかな?私ここに知り合いいたっけ…。いや、いるわけないよね…。そう思いながらもゆっくりと声の方を振り返ると、そこにはいかにも悪戯好きで気が強そうな少年が満面の笑みを浮かべながら立っていた。どうやら私に話しかけているようだ。私は見たことない少年さっと観察した。木に登って落ちるようなことでもあったのだろうか、左の眉の上の小さな傷が活発さを表していた。


「君は誰?」


「え?ボクの名前?…へへっ、〇〇だよ!」


まるで物語に出てくるような不思議な雰囲気を纏う少年だった。初めて会うはずなのに、なんだかずっと昔から知っている友達と話す感覚がする。今自分がおかれている状況に全く頭が追いついていなかったが、この世界自体が私の住んでいる世界とは違う、ということには目を覚ました時からわかっていたから、私はこの世界に抱いていた疑問を全て捨てた。たぶん、受け入れるしかないのだろう。いや、受け入れたかった。この世界の存在を信じたかった。この世界の流れに逆らわずに過ごしていたら、現実に戻らないで済むだろうか。


「じゃあ、〇〇。何して遊ぶの?」


そう言うと、〇〇は嬉しそうに笑って私の手を掴み走り出した。〇〇は街を案内してくれた。街には本当にたくさんの人がいて、個性が強いなと思った。声がとても大きい人、道の真ん中で寝てる人、思わず見つめてしまうほど美しい人、店で怒鳴り散らす人。思わず何度も振り返ってしまった人が何人もいる。もちろん、私のように目立たない普通の人もたくさんいるが。街の人は肌の色も服もバラバラで、まるで世界中の人が集まって一緒に暮らしているようだった。何故だかこの世界を怖いと思う気持ちはなくて、そんな見たことのない新鮮な景色がとても面白く、今の私には心地よかった。〇〇は街のことをよく知っているようで、大通りから細い脇道まで色々な場所に連れて行ってくれた。はじめは立ち止まることを知らないかのように歩き回る〇〇にとまどったが、気づいたらまるで子供に戻ったかのように私は〇〇と街を走り回った。

「ねえ、〇〇。〇〇は私のこと知ってるの?なんで私に話しかけたの?」

階段に座って、屋台で買った赤い果物を食べながら私は尋ねた。

「んー、わかんない!でも、なんか会ったことある気がしたんだー。話してるうちに思い出すかなって思ったんだけど、やっぱり思い出せないみたい!」

そう言って歯を見せて笑う顔が可愛すぎた。昔会ったことがあるかなんてどうでもいいかと思った。〇〇は見た目通りのヤンチャな少年だった。ちょっと、いやかなり悪戯好きだし、思ったことはなんでも言っちゃう子だなと思った。流石にあちこち連れまわされて疲れたけど、〇〇と遊ぶのは本当に楽しくて、現実、いや、前にいた世界の苦しみなんてすぐに忘れてしまった。子供相手であるからだろうか、話していてもいつものように疲れない。いつもはこんなに誰かと長く話すのはしんどいのに。…ちがう、思ったことをを全て口に出しているからだ。いつもはもっと考えながら話してるいるっけ。〇〇があまりに幼く、好き勝手言うから私もつい言いたいことを全て言ってしまっている。だからこんなにも気が楽なのか。


「どうしてあなたはここにいるの」


再び街を歩き回っていたとき、急に後ろから小さな声が聞こえた。

聞いたことがあるような声である気がして振り返ると、口元を黒い布で覆っている小柄な少女が私を真っ直ぐに見つめていた。誰だろう。全く知らない子だった。


「あなたのような心が白い人はここにはいてはいけない。ここは心が黒く染まってしまった人や、染まりかけの人が集まる場所。どうしてこの場所に来たの」


突然そんなことを言われたが、全く理解できなかった。心が白い?心が染まる?なんの話をしているのだろうか。そもそもこの子は誰だろう。とりあえず、一番気になったことを聞いてみることにした。


「私は心が白いの?」


「うん。真っ白ではないけど、白いほう。だから、ここにいてはいけない人。あちら側にたどり着いていたら、本当はもっと白かったのかもしれない。」


うん、なんの話をしているのかさっぱりわからなかった。


「えっと…、あちら側?どう言うこと?この場所以外にもこういう場所があるってこと?」


「うん。心が白い人が集まるところ。私はそこから来た。一緒に行こう。ここは悪い場所だから、長くいてはいけないの」


話についていけない。黒い布のせいで少女の表情はよくわからなかったが、まるで機械のように表情がまったく動いていないということは布の上からでもわかった。その少女に少し恐怖をおぼえた。ちらっと横に立っている〇〇を見たが、〇〇はただ黙ってその少女を見つめているだけだった。さっきまでの眩しいくらいの笑顔はどこにもなかった。そんな〇〇の顔を見た時、私はふと、この少女はこの楽しくて心地よい時間を奪いに来た悪魔の使者なのではないか、と思った。私を現実に戻そうとしているのだろうか。ここを離れたくない。この場所にずっといたいと思った。


「ごめん、言ってることがよかわからない。私は行かない。〇〇といる。心の色なんて知らない。ここは悪い場所だってあなたは言ったけど、ここはすごく賑わっていて明るい、いい街だよ。私はここにいたい。ここを離れたくない。」


そう言うと、少女はすこし困った顔をしたようだった。何故そんな顔をするのだろう。私がどこにいようと少女はには全く関係ないはずだ。


「どうして?どうしてここにいたいの?ここにいてはいけないの。心が黒くなってしまうの。人を傷つける人になってしまうかもしれないの。」


…どうしても私をここから遠ざけたいのだろうか。少しイライラしてきているのが自分でもわかった。間違いない。もしこの世界に味方や敵がいるのなら、この少女は敵側の人間だ。私はもう少し少女の話にのってあげることにした。


「黒い心の人は悪い人なの?」


「そう。とくにあなたの隣にいるその子。その子の心は真っ黒。今すぐ離れなきゃいけないくらい危険な子」


突然〇〇のことを言われて驚いて横を見ると、〇〇は私を見上げて少し悲しそうに微笑んだ。何故笑うのだろう。何故何も言わないのだろう。さっきまでの元気はどこへ行ったのだろうか。〇〇のその笑顔がなんだか何かを諦めているかのように思えて、胸を突かれると同時に、〇〇にそんな顔をさせる少女に腹が立ってきた。…〇〇は何かいけないことをしてしまった自覚がかるのだろうか。いや、〇〇はそんなことしない。〇〇と会ったのはついさっきだけど、〇〇がいいやつだってことだけははっきりといえる。〇〇は多分、犯罪とか人の悪口を言うとか、そういうことをしたわけじゃない。故意に悪いことをしたわけじゃないはずだ。それなのに〇〇はそれを責めらている。もし〇〇が悪いことをしたのだとしても、私は〇〇を守ってあげたくなった。


「どうして心が黒いってわかるの?〇〇は全く悪くないよ。ここの人全員がが悪い人ってこと?そんなわけない。確かに、この人危ないなって人もいたけど、私にお菓子をくれるような優しい子供もいた。店の人もみんな親切だった。心に色があるっていうのなら、あなたの方が心が黒いんじゃない?」


自分でも驚くくらいの冷たい声だった。なぜそんなことを言ったのかわからない。ただ、この場所で感じた自分の楽しいという気持ちはいけないことであると非難されているように感じて、言い返さずにはいられなかった。


「…心の色はここの人なら見ればわかるよ。ほんとに心に色がついて見えるの。赤、青、黄色、濃い色、薄い色。みんながそれぞれ違う色の心をもってる。その色が何を示すのか明確にはわかってない。でも、心が白いほど良い。これは決まってるの。そして一度色に染まってしまったらもう二度と白には戻れないの」


何を言っているのだろう。そんなことがありえるのだろうか。…いや、あってもおかしくはない。少女は嘘を言ってるようには見えなかったし、この不思議な世界ならなんでもありえるだろう。心が白いほど良いというのもなんとなくわかる。白色の心と黒色の心、どちらの心が綺麗かと言われたら当然、白い方だろう。だけど、私はどうしてもここを離れたくなかった。現実にだけは戻りたくない。私はむきになって言った。


「白が一番良いとは言い切れないじゃん!心に色がついてるってよくわからないけど、気持ちとか考えとかそういうものが影響してるんでしょ?白って何にも考えてないってことなんじゃない?自分の意見がないってことなんじゃない?ただ人に流されて大人しくしてる人が白い心を持ってる人なんだったら、そんな人が良い人なんだったら、私はそんな人にはなりたくない!

…そうだよ、黒は悪い色なんかじゃない!

きっと、色々なことを考えた人も黒になるよ!確かに悪いことも考えた人もいるかもしれない!けど、そのあとその考えを否定したかもしれないでしょ?そしたらその人の心の色はどうなるの?真っ白には戻らないでしょ?そうやって色々考えて黒くなってしまった人もいるはずでしょ?いや、絶対にいる。あなたはその人を悪い人というの?!」


突然の大声に少女はびっくりしているようだった。自分でも小さい子にこんな大声を出したことに少し罪悪感はあったけど、後には引けない何かが自分の中にあった。


「…それでも本当に悪い心の人だっている。あなたは色々考えて黒くなった人がいるかもしれないって言ったけど、良いことしか考えなかったら心はそう簡単に黒くはならない。黒くなるにはそれなりの理由がある。」


静かな声でそう言われると、何も言えなかった。確かにそうかも知れないと思ってしまった。私は子供の頃によく使っていた絵の具を思い出していた。黒くなるには何色も大量に混ぜる必要がある。そしてそれは純粋な白にはけして戻ることはできない。一度染まったら終わりなのだ。…何も言い返せない。

……それでも。

そうだとしても。

なぜか私はどうしても諦めたくなかった。

諦めてはいけない気がした。


「…黒くなってしまったなら何度も白を足せばいい。百、悪いことをしたなら、一万でも十万でも良いことをすれば良い。また間違えてしまうこともあるかも知れないけど、それでも白を重ねていけば、はじめの真っ白にはなれなくてもすごく白に近い色にはなれる…

うん、むしろその方が真っ白よりいいと思う。ただの白なんてつまらないから。

…それにね、人間は一人一人違う生き物だし、間違えることも当たり前だから。心の色はいくらでも変えられるよ。

諦めなければ、信じていれば、きっと理想に近づける」


そう言った途端、世界が白くなり始めた。

どういうことだろう、視界が白く濁っていく。何が起こったのかわからず、あたりを見渡すけど、周りの人は言い合う私たちをただ不思議そうに見ているだけで世界に異変が起きた様子はない。ただ、私だけが異変に気づいているようだった。

…私がこの世界から消えかけている、そう気づいたときには少女は目の前から消えていた。


「…ありがとう」


横で〇〇がつぶやくように言った。

結局、〇〇は私と少女が話している時一言も言葉を発していなかった。ただずっと私たちを見守っていただけだった。


「ボクの味方でいてくれて、ありがとう。ボクを肯定してくれてありがとう」


そう言って〇〇は微笑んで、涙を流した。

どうしてお礼を言われたのかわからないし、泣いている理由もさっぱりわからなかった。でも、そう言って笑う〇〇のその笑顔がすごく綺麗で、本当に心からの感謝だと伝わってきた。











ベットで目が覚めた時、私の頬は何故か濡れていた。


なんだか別世界に行ったような夢を見た気がする。不思議な少年と少女と話したような…

いや、もしかしたらそれは夢でなかったのかも知れない。魂が体から抜け出して、本当にその世界に行っていたのかもしれない。そう思えるくらい、リアルな感覚が残っている。

…それに、現実逃避をしたくなるくらい私の心はかなり沈んでいたから。なんて表現したらいいだろうか。もし、色で例えるとするなら黒と言っていいくらい希望を失っていた。すごく疲れていた。私の別世界に行きたいという願望が、短い間叶えられたのかもしれない。


いつからだろう、間違えることが怖くなったのは。

人に流され、自分の意思をもっていても口に出せない自分がどうしようもなくいやだった。少しでも人を傷つけたくなかった。でも、自分が正しいと思う振る舞いを続けているうちに、本当に自分がしたいことがわからなくなっていた。この世界から逃げ出したいと毎日願っていた。周りに合わせて我慢するのは限界だって自分でも気づいてた。気づいてて、どうすることもできず、正解を探し求めていた。誰かに肯定して欲しかった。ありのままの、自分を受け入れて欲しかった。自分の心を殺して良い振る舞いをし続けて、自分が違う道を歩かないように正義を守り続けてるのは辛かった。


諦めなければ、信じていれば、きっと理想に近づける。


それは自分が確かに夢で言った言葉だった。

この言葉だけは何故かはっきりと覚えている。その夢は、もしかしたら神様が見せてくれたのかもしれない。私に勇気をくれたのかもしれない。

もう今はあの少年や少女の顔も名前も思い出せない。けど、あの少年や少女も私と同じようにあの世界に誘い込まれたんじゃないかって思う。ふと、その世界で私が誰かの心を救っていたらいいなと思った。


長い前髪を切って髪を結んだ。

前髪を切った時に気づいたが、左の眉の上の小さな傷はもうすっかりと見えなくなっていた。

棚にの上のマスクに手を伸ばして、止めた。

もう長いこと、外に出る時はいつもこの黒いマスクをつけていた。でも、今日はなんだかつけたくない気分だ。


さて、どこへ行こうか。

今なら自分の気持ちを大切にできる気がする。

私の心の色が、少し変わった気がする。

実際、心に色なんてあるわけないけど。

でも、もしあるとしたら、これだけはわかる。

きっと私の心は世界中のどこにもなく、私だけの色だろう。


そう考えながら窓の外を覗くと、子供の頃からある大きな楓の木が風で心地良さそうに揺れていた。


ああ、そういえば前にこの木に登って落ちたこともあったっけ。

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