帰郷

山茶花

帰郷

 久しぶりに地元へ帰った。

 変わらない風景、家々。撤退したコンビニ、新しくオープンした雑貨屋。

 地元を散歩する人など皆無なため、知り合いと遭遇することもない。ルンルン気分で歩いていると、見慣れた道を自然と歩いていることに気づく。この道は小さい頃よく遊んだ公園へ続く道。意識するとわっと昔の思い出が蘇る。行きたい、そう思っただけで足が軽くなった。

 公園は半分が昔ながらのゲートボールが出来るグラウンド、もう半分に滑り台やブランコ、鉄棒がある。滑り台のたどり着く先は砂場。

 小さい頃、アニメで見た魔法陣を砂場に描いて遊んだ。どんな魔方陣だったか、確か簡単に丸に星とか、そんな感じ。十何年も入っていない砂場に足をつける。手で描くには不衛生で、近場に良さげな棒もない。行儀は悪いがそのまま足で描く。

 丸を書いて……


「おーい」


 誰かを呼ぶ男の人の声。

 公園の出入り口に立って片手をあげ、片手を口の横にたてて声が遠くまで届くような恰好。それで声をかけられたら誰でも気づく。

 男性は公園内に1人しかいない、私に声をかけていた。


「……先生?」


「おーい、久しぶりー」


 その人は小学校の頃の担任・井上先生。いつも笑顔で明るく、生徒の相談を親身に聞いてくれると評判だ。小学校では友達と遊ぶのに夢中で先生に話しかけることなんてなかった。また先生も友人と遊ぶ私はいじめや孤立とは正反対の子どもと見られていたかもしれない。記憶に残らない生徒だと思うが、あちらから声をかけて貰えるとは思わなかった。


「せんせーい、お久しぶりでーす」


 声を張り上げ手を振って答える。公園の中に入ってくると思ったが、入り口から動かない。


「そこは危ないぞー、早く帰りなさーい」


「? はーい」


 公園の何が危ないのか。子供が遊びまわっているわけでもない、不良のたまり場になっているなんて聞いたことがない。何に対しての警告なのか?

 ばっと勢いよく振り返っても、私の後ろに何もいない。ほっと安堵の息をつく。すると後ろからザッザッと遠ざかる足音。見ると先生は公園に入らず、そのまま去っていく。


「先生?」


 声が小さかったのか、先生は気づくことなく見えなくなった。生徒に寄り添ってくれる、優しい先生だったが、私が大人になり注意だけすれば大丈夫と思われたのだろうか。なんだか寂しく感じる。

 大型連休だというのに、人っ子一人いない公園。これはおかしい?

 錆びれた田舎だが、周りは住宅地。近くに学校も建っており、下校時に寄り道してこの公園で遊んでいる子供はちらほらいる。人口が少なくなっているとはいえ、公園で待ち合わせて遊ぶ子や親が休日出勤の子が遊びに来たり、普通はするものじゃないか?

 何故公園に誰もいない? ……ここに入っちゃいけなかった?

 私は鳥肌が立ってきた腕を必死に抑える。

 そんなことはない。この公園は昔よく遊んでいた公園。おじいちゃんおばあちゃんがゲートボールをするほど平和な場所。もしかしたら何か理由があって危ないのかもしれない。小学校の先生が言うくらいだから、意味があるはず。そう自信を納得させて公園を後にした。




 先生に会ったからか、自然と足が母校の小学校に向いた。

 休日だから先生はいない、はず。ちょっと緊張しながら懐かしの母校を目にする。色んな思い出が蘇る。不審者扱いされないかドキドキしつつ学校に近づく。学校には誰もいそうにないし、ここまで誰ともすれ違っていない。


「懐かしー」


 班を作って登校した。昇降口は開いていたが、流石に入ることはしない。

 ふと近くの学校の壁を見ると、2メートル辺りから壁に梯子が設置されている。子供が悪戯に登れないようになっているのだろう。

 不思議と気になり、辺りを見回すと脚立が置かれている。脚立にのぼると、梯子に手が届いた。学校の外壁をよじ登る。こんなところにくるなんて初めてだ。

 登り切ると、まだ学校の半分。広いベランダに出た。学校は3階建てで、2階より3階の方が部屋数が少ない。

 ベランダから2階の室内に入れるドアがあった。ドアノブを捻るとまっすぐに続く廊下。不安なんて微塵も感じずに進む。

 同じようなドアがあり、開けると今度は中庭に繋がっていた。懐かしい。狭いベランダですぐ脇に梯子がある。この梯子を登れば屋上だ。私は梯子に手をかけて半分ほど登る。


「おーい」


 ドキッとした。こんなところを見つかってしまうとは。

 声のした方を向くと、3階の教室から身を乗り出す大人2人。先ほどあった井上先生と、もう一人は知らない、年を取った偉そうな先生。校長先生か教頭先生あたりだろう、2人は険しい顔をしている。


「危ないから降りなさーい」


「そこは入ってはいけないですよー」


 バレてしまった。井上先生が学校にいるとは思わなかったが、先生だから居て当然か。

 どうしようか悩む。このまま上に行かなきゃいけない気がする。けれど先生に止められている。


「早くしなさーい」


 ここは学校。先生の言うことを聞かなければならない。

 もう生徒ではないが、やっていることは危険行為。学校の屋上なんて行ったことがない。いつも鍵がかかっていて生徒は入れない様になっていた。それは危ないから。そして私が今いる場所も、もし誤って落ちてしまったら、ベランダに引っかかればいい方だけど、最悪中庭に真っ逆さまに落ちることもある。

 下を見ると、慣れ親しんだ中庭に恐怖した。


「登っちゃダメですよー」


 先生の言うことは正しい。

 私はゆっくりと梯子を降りる。特に目的もなかったし、屋上を目指すのはやめよう。梯子を降り始めると、2人の先生は良かった、と安堵の顔をしてどこかへ去ってしまった。

 ここに来るのだろうか。私は説教されるのではないかと不安になりその場からすぐに移動した。




 学校内を彷徨い歩く。

 今日は懐かしいところをよく巡っている。散歩でここまで来ることはなかなかない。

 小学校の時どこによく行ったか、思い返してすぐに出てきたのは図書室。20分休みや昼休みになるとよく通っていた。手塚治虫の漫画や間違い探しの絵本など、友達と一緒に読みあった記憶がある。

 カウンターに司書さんはいない。休日に来る生徒なんていないから当たり前か。すっかり低い位置に並んでいる本棚を品定めするように眺めて歩く。

 小学生の本とは言えない分厚い本や絵本のような本、昔読んだ人気がある本など様々。あっちの棚は小学生の頃あまり理解できなかったが、頭の良い友達が読んでいた。今なら私でも理解できるかもしれない、そう思い本の背表紙を眺める。昔と同じように、この棚はぶ厚い本がぎっしりと並んでいる。


「?」


 その中に一つ、背表紙に何も書かれていない本がある。皆に読まれる本だから触ったり日焼けして文字が消えていくことはある。だがこの本はそうではなく、最初から書かれていないような気がした。

 なんだろう、と手に取るも、表紙にも何も書かれていない。モスグリーンの渋い布張りの本。気になって中をぱらっとめくってみる。


「呪いを解除する、方法?」


 なんだこれは。

 そんな本が小学校の図書館にあるなんて思ってもみなかった。けれど子供心をくすぐる、ちょっと不思議な本。きっと恋のおまじないなどが書かれている本なのだろう。大人になった今、こういうことは信じていない。おまじないを試すくらいなら、周りに笑われてもいいから行動すればよかった、と後悔しているくらいだ。

 なんて書かれているのだろうか、ちょっと気になって内容に目を落とす。


1.学校の屋上に登る

2.その時止めてくる人がいる、その人は無視する(呪っている相手)

3.屋上から室内に入る

4.所定の位置に用意したものを置く

5.呪いが解除される


 目を見張ってまじまじと見つめる。本当になんだこれは。これでいうと、私は井上先生に呪われている?

 そんな馬鹿な、けれど何故、公園にいた先生が、休日の学校にいる? ……おかしい。これはおかしい。

 私は本をもとに戻してすぐに図書室を出ようとした。そこで目に入った、パソコン。の脇にある、パソコンを拭く用の比較的綺麗な白い雑巾。とっさにそれを手に取り、図書館を後にした。




 廊下は一直線に見通しがいい。井上先生に見つかったらどうしよう、そんな気持ちでこっそり歩く。私が次に来たのは家庭科室。料理を作ったり、手芸をした記憶がある。

 音を立てない様にドアを閉め、中を散策する。目的の物はすぐに見つかった。

 ハサミと待ち針と針と糸。これで用意するものがそろった。

 雑巾を折り曲げ、長辺の角を1か所待ち針で留める。その状態で雑巾を開いてしわを伸ばす。そしてなるべく綺麗な円を作るようにハサミで余分な個所を切り落とす。綺麗な円が出来るようにもう一度待ち針で留めて針と糸で縫う。


「……出来た」


 誰にも見つからずに用意することが出来た。ほっと息をつく。けれどまだ安心できない。慎重に廊下を歩いて元来たベランダまで戻る。誰か見張っているかなと思ったが、誰もいない。

 梯子にかける手がじっとりと汗ばむ。中々一歩が踏み出せず、辺りをきょろきょろと見回す。ばれているんじゃないか、また登ったら見つかるんじゃないか。中庭に面している分、色んな所から見えやすい。また止まれと言われる。けれど止まってはいけない。本に書かれていたことを胸に刻み、梯子を登った。


「はあ、はあ」


 緊張と運動不足で息が切れる。なるべく早く登りきった。今度は声をかけられることはない。なんでだろう、再度見回しても誰もいない。もしかして、一度注意したからもう登らないと思ったのかもしれない。私も図書室であの本を見つけなければ、登るような危険行為はしなかった。

 初めての屋上はただっぴろいコンクリートの上にいるなとしか感じず、子供の心をどこに忘れてしまったのかと問いかけたくなる。

 息が整う前に立ちあがり、屋上から学校内に入る。学校の内部から屋上に行くときは、階段を登ると屋上へのドアがあり、鍵がかかっていて開かない、というのが普通だ。だが屋上から中に入ると、階段があるはずが普通の室内になっている。教室でもない、なんだか祭壇の様な宗教チックなものを感じる。こんなところが小学校にあったのか。不思議な雰囲気が漂っている部屋だ。

 中央に丸い台座が置いてある。おそらくここに用意したものを置けばいいのだろう。私が作った円形の雑巾はサイズを測ったりしなかったが、何故か台座とぴったり合った。

 これで私がするべき行動は終わった。入ってきたドアから祭壇を避けてまっすぐ進んだところに、またドアがある。恐らく帰りようの扉だろう。私は吸い寄せられるようにそのドアを開けた。




 いつの間にか家にいた。

 テレビを見てのんびりくつろいでいる。色々とおかしいと思ったが、無事に家に帰ることが出来た。緊張と不安と、様々な葛藤に押しつぶされそうな冒険は終わった。

 お茶を飲もうとすると、携帯電話が鳴る。誰だろう、と思っても番号が表示されていない。知らない電話番号からかかってきたら基本出ない。けれどこの電話は出なければいけないと本能が警鐘を鳴らしている。


「……もしもし」


『呪いはキャンセルしますか?』


 名乗りもしない、けれど電話に慣れている女性が唐突に切り出してきた。


「……え、呪い?」


『はい、あなたに届く呪いをキャンセルいたしますか?』


「届く、呪い?」


『左様でございます。そのために行動されましたよね?』


 誰にも見られていなかったのに、この女性は知っている。私が学校で呪いを解く方法を行ったことを。


「……はい。キャンセルで、お願いします」


『かしこまりました。このお電話にて受付させていただきましたので』


 失礼いたします、と一方的に電話を切られた。

 最後まで女性が誰なのか聞けずじまい。事務的な電話に一種の組織性が垣間見えたが、聞かない方がいいのだろう。

 ふと気づいた。本に書かれてあった方法、あれは呪いを解除する方法と言うより、呪った相手に返す方法だった。

 と言うことは、井上先生に呪いが返ってしまったと言うことになる。何で呪われたのかは分からない。けれど私は呪いを返した。私が呪われることはない。

 漠然と感じていた恐怖が過ぎ去り、私は本当の意味で安堵した。




 それは夢であった。私は地元にも帰っていない。

 都会のボロアパートのベッドで目が覚めた。

 懐かしい、とても長い夢を見た。それは日常のようでいてどこか歪んでいた。私に降りかかる呪いを返すことが出来たから、目を覚ますことが出来たのかもしれない。

 先生がその後どうなったのか、連絡はまだない。

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