第7話◾︎飼い主になれ駄犬
「うん。まぁ、ポーカーフェイスは上手い方じゃないか?」
ニックの親父……リード氏は顎髭を擦りながら下唇を突き出した。「君、表情筋動くか?」という余計な言葉を付け足して。
この親子は血の繋がりをこれでもかと主張するように似ていた。顔もそうだが、なにより口ぶりや仕草が似ているのだ。
若々しい口調は父親と言うより、アイツの兄なんじゃないかと思わせる。童顔も相まって、パッと見ると三十代に見える。だが五十代だ。
さてリード氏にチェスの教えを乞うたはいいが、既にリード氏は「もう十分だろ」と匙を投げていた。
「そりゃ、旦那様の方がポーカーフェイスは板についてる。あのお人はずーっと口角を上げて、何を考えているのか悟らせないんだ。ありゃあ仕事で身についたスキルだな」
リード氏は「毎日やってて分かるだろ、旦那様ってば凄いだろ」と旦那様を褒める。
俺はそれに頷きながら、だからこそ厄介だと眉を寄せた。
一朝一夕で身につけたものでは無いから、崩すのも容易では無いのだ。
リード氏は「そりゃあ旦那様と比べると分かりやすいよ」とカラカラ笑った。
「ディーは眉を寄せたり、少し眦を下げたり、旦那様よりかは分かりやすい。けどなあ、他の奴なら気づかない些細な変化だぜ? 十分だろ」
笑い飛ばした後、バシバシと遠慮なしに肩を叩く。俺はそれに口を尖らせて言った。
「負かしたいのは他の奴じゃなくて旦那様なんですよ」
リード氏はきゅっと目を丸くさせてまじまじと俺の顔を見た。その顔は幼く、ニックとそっくりである。
リード氏はパッと弾けたように破顔すると「馬鹿だなあ!」と笑った。
「馬鹿は好きだ! 俺も、俺の息子も馬鹿だからな! 仲間意識を持って懐いちまうんだ」
リード氏はぐり、と俺の頭を撫でた。身長を縮める勢いの、荒い手つきだ。
仕舞いに顔を寄せて顎髭を擦り付けてくる。擽ったいのを通り越して少し痛い。
けれども流石にニックの父親だ。じっと抵抗せずにいると益々楽しそうにリード氏は笑った。
「ディー、これでお前は俺らリードファミリーの仲間だぜ、仲良くやろうや!」
「仲間?」
「息子ってことだ!」
息子。
目を閉じる。
……アイツと血が繋がってるわけだ。妙に納得した。
おいニック、知らぬ間に俺とお前は兄弟になったみたいだぞ。いいのか、おい。良くないだろ。止めに来いニック。走って来い。そしていつものように尊敬する父親に照れ隠しの悪態をつけ。ぶち壊しにしろ。
想像のニックは「え、いーじゃん別に」とえへらえへら笑うだけだった。
よもや以前口にした冗談が本当になるとは。
無言でぴるぴると首を横に振っても、リード氏は「遠慮すんなよバカ息子!」と鼻の下を擦るだけだ。
「ディー、息子は親父の言うことを聞くもんだぜ。そらチェスをやろう! チェスだチェス!」
子供のようにはしゃぎながら準備を進めるリード氏に俺は肩を竦めながら「Yes Sir」もとい「Yes Daddy」と答えた。
「さ、俺が黒。お前さんが白だ」
渡される駒の色に、珍しいと目を細める。
ダムが相手だと俺はいつも黒を持つのだ。
だが今回はリード氏が相手だ。新鮮な気持ちになりながら、手の内で駒を転がす。ダムの物とは違い、年季の入った所々色が禿げている駒だった。
だらだらと会話をしながらチェスをする。二、三度続けて俺が勝ち、リード氏は「教えることあるか?」と首を捻る。
リード氏の腕前はニックの言っていたとおりで、ダムが言うほど卓越した技量は感じられない。かといって、とんでもなく弱いということもない。普通。うん、普通だ。
「にしても、ディーは典型的なポジショナルプレイヤーだな」
「なんすか、それ」
「知らないのか?」
チェスのやり方は知っているのに、とリード氏は胡乱な目で俺を見た。
「チェス自体、旦那様から教わったんですよ。守り方や攻め方の名前までは知らないです」
「なるほどなぁ。旦那様、チェスの相手欲しがってたしなぁ」
……やはり、チェスの相手が欲しくて俺を飼っているのでは?
何度も思ったことをまた思う。
そしてあの、のっぺりとした笑みを貼り付けるダムの顔を思い出して、意図が読めねえなあと嘆息する。
リード氏は「棋風だよ。ポジショナルプレイ、タクティカルプレイがよく聞く言葉かな」と簡単に説明した。
「ポジショナルプレイは陣形を考えて慎重に駒を運ぶプレイスタイル。タクティカルプレイは攻撃的な、駒を切り捨てる事を厭わないプレイスタイルだな」
「はあ」
「どっちがいいとかは無い。肌に合う方をやりゃいい。俺はタクティカルの方がやりやすいな」
ああ、捨て身過ぎねえかと思うプレイスタイルは確かにタクティカルプレイに当てはまるのだろう。少なくともポジショナルプレイには見えない。
「旦那様の指し方はどうだろうなぁ」
「序盤からわざと不利な展開にしたり、結構無茶苦茶やってますよね。あれ、タクティカルプレイですか?」
「そうとも言いきれないんだよなあ」
寧ろ俺相手にはポジショナルプレイばかりだ、とリード氏は口にする。
「以前言ってたが、心理学を組み込んでるらしい」
「チェスに?」
「そう。あのお人とやってると、精神的に揺さぶられて、催眠を受けているみたいな気分になる。きっと心理学の要素なんだろうなあ」
リード氏の言葉には俺にも心当たりがあった。
あの時の、あの戦法は心理学のあの法則を利用しているのだな。そんなふうに見当がつく一手がぽつぽつと思い浮かぶ。まんまと術中に嵌っていたらしい。
しかしそれを意識しても、きっとダムにとっては意識を逸らすことだって容易だろう。気がつけば罠にかかっている。
「あのお人には敵わねえよ」とリード氏が夢でも見ているような心地で呟いた。そうだな、と俺も頷く。春の夢みたいな人なのだ。
「しかしあれだな。ディーはホント無表情だな!」
「……ポーカーフェイスを身につけたいんで」
「ハハ、無表情ばかりがポーカーフェイスじゃない。旦那様は笑顔がポーカーフェイスさ」
確かに。
いつも薄笑いを浮かべて、そのクセに目は笑わずじっと観察するように視線を投げかけている、あのダムの喰えない顔を思い出す。
あの顔は確かに、何も読み取らせようとしないポーカーフェイスだ。
「それに無表情が続けば続くほど、些細な変化が目につきやすくなる」
「……、?」
「俺も分かってきたな。うん。お前、長く対戦するほど不利になっていくタイプだ」
タン、置かれた位置はより一層攻撃的で、挑発的な一手だった。
負けじと応戦するも、戦局は一気に劣勢になっていく。講じた策は尽く裏目に働く。
「さっき言ったとおり、無表情だけがポーカーフェイスじゃない。不利な時に笑え。良い時に顔を顰めろ。その方が相手にお前の意図を悟らせない」
「……つまり?」
「チェックメイトだな」
指をさされ、盤上を見る。
指摘されて初めて気が付く。
確かに、どこにも白の生きる道が無い。
あれほどのめり込むように指していたのに。いやだからこそ、相手の勢いに呑まれたのか。
いやそんなことよりも。
「なあ、今の、なんだ? 凄い畳み掛け方だった」
「ハハ、そうかあ?」
「検討したい。な、この時こう打った時、既にあの陣形を考えてたのか?」
スパスパと駒を動かしてその時の盤を再現する。リード氏はなにやら複雑そうな顔で俺を見た。
「ディー、続けてみろ。その後駒はどう動いた?」
「……あ? こういって、こう、こうだろ」
「覚えているのか? 全て?」
「……あー、昨日のやつまでなら。旦那様とやったのも覚えてる。けど一昨日からは自信が無い。」
「覚えているのか! 昨日のゲームも!」
リード氏は子供みたいに顔をぺかぺかと輝かせて笑った。
「凄い記憶力だ! お前のそれは力になる!」
「はあ……」
リード氏は「そうだ。この記憶力を活かして、」となにやら呟いて俺の顔を見た。
「お前、旦那様になれ」
真剣な目で真っ直ぐと俺を射抜くものだから。だから、俺は、「はあ?」とドス黒い声を出して距離を詰めた。
散々気をつけていたのに。つい、被った猫を剥いで、ガラ悪くリード氏に詰め寄ってしまった。
それでも俺を息子と呼んだリード氏は、さっぱりした顔でカラカラ笑うだけだった。
「旦那様の指し方を真似ろ。顔もそうだ。暫く俺が相手になってやるから、お前は前の日の旦那様のやり口で俺に勝て」
それを聞いて、俺は思わず眉間を揉んだ。
脳内にハッキリとしたダムの幻覚が現れたのだ。
ダムの幻覚は「犬が飼い主を真似るのか、見物じゃないか。俺も見に行っていいか?」と言ってはアハアハ笑って俺を煽った。
けれどもきっとリード氏の提案した方法は、俺の足りない部分を埋める、良い練習になるだろう。
「…………やる」
気は進まなかったが、あの人を負かすためなので。
なので、俺は一日に二度は必ずチェスをすることになった。昼の休憩時間にリード氏と、夜にダムと。
チェス漬けの毎日だなあと思うも、あの人を負かすために弱音は吐いてられない。
そしてリード氏とチェスをやることはダムに報告していたし、望むならどういう風にゲームが進んだのかも再現してみせた。
「はあ、なるほどなぁ。確かにこの打ち方は俺がよくやる奴だ」
「そう。昨日もやってた奴だ」
「よく覚えている。……そう、そうだな。このやり方もやる。ディー、よく見ているじゃないか」
「伊達に何度もアンタと指してねぇよ」
「ハハ、そうか」
笑う声に反して、ダムはくっと目を伏せて苦々しい顔を作る。そして溜息を吐き出して、心底嬉しそうに言った。
「Goodboy」
全然、嬉しくはなかった。
口では褒めるくせに、ダムは珍しく眉を寄せて虫の居所が悪そうな顔をしたのだ。
よもや褒め言葉はただの皮肉で、よくもやってくれたな、と言外に責め立てているのだろうか。
「……なぁ、俺、なんかしたか?」
思わずそう尋ねる。
きっと情けない顔をしているだろう。それに構わず、ダムに擦り寄る。
ダムは暫くじっと俺を見つめ、「ふぅん。全くのデタラメという訳では無いのか」と零した。
「7-38-55のルールを知ってるか?」
「7……3……何?」
それは俺の失態に関係する言葉なのだろうか。
寄ったシワを揶揄うように、ダムは指でトス、と眉間をつついた。
「メラビアンの法則だ」
当然知らない。
黙して話の続きを促す。ダムは資料を見ているわけでもないのに滔々と淀みなく説明する。
「視覚情報、聴覚情報、言語情報が矛盾していた場合、どちらの情報を優先するか。実験した結果判明した法則、ルールの名前だ」
「結果、どれが優先されたんだ?」
「言語情報が7%、聴覚情報が38%、視覚情報が55%の割合で優先されるらしい」
「……はぁ。それで?」
「要は、さっきの俺だ」
さっきの俺。
不機嫌そうな顔で「Goodboy」と褒めるダムの事だ。
意図を理解した俺は堪らず髪を掻き乱し、呻くように声を絞り出す。
「……おいつまり、さっきのあれ、実験か?」
にやっと笑って顎を引く。
「まぁな」
軽々しい頷きにいよいよ力が抜ける。
「視覚情報と言語情報、どちらを優先するのか。結果、お前は俺の表情を気にした。法則に従って視覚情報を優先したんだ」
「体のいい玩具にされた事は理解した」
うんざりした声を出すと、ダムは笑いを含んだ声で「拗ねるなよpuppy」と甘ったるく俺を宥めた。
「少しな、確認したかったんだ」
この法則が正しければ、多少は、計画が上手くいくだろうと思ってな。
そんなことを煙を吐き出しながら言ったダムに、目を細める。
「計画?」
三日月のように唇に弧を描いて、なんてことなさそうにダムは告白した。
「俺がサボるための計画だ」
話を聞くと、俺を替え玉に据えて、自分は仕事をサボるという、穴だらけの計画だった。
「メラビアンの法則を前提に動くとするだろ? となると例え言動に違和感があったとして、俺はお前を演じられるし、お前は俺を演じられる訳だ。人は視覚情報を優先するらしいからな」
「……飛躍しすぎだ」
「まぁな。俺もそう思う。だが拡大解釈をすると、俺の言ったことは可能になる」
「拡大解釈してちゃ意味ねーよ」
この人は、どうしてこう。
決して馬鹿でも愚かでも無いはずなのに。時々大真面目に馬鹿になりたがる。
「頓挫するだろ」
「そうか? ……どうだ、賭けるか?」
「賭けない」
チップでもなんでも、ひとたび賭けてしまえば俺の負けは確定である。計画は上手くいってしまうだろう。
なにせダムは豪運の持ち主なのだ。賭けになった時点でダムは勝つのだ。
よもや計画が上手くいくようにそんなことを言ったのでは無いだろうな。あのダムの事だ。さもありなん。
「……絶対、失敗するからな」
「ハハ、いいな、燃える」
反対すれば反対するほど、成功しそうで。まるでカリギュラ効果を引き起こしたいみたいだな、と自分でも思ってしまったのだから、救いようがない。
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