第4話◾︎差異を作るなら斯様に
使用人として挨拶をして、順調に日々は進んでいく。
はたして付け焼き刃の知恵がどこまで通用するのかと戦々恐々としていたが、存外俺は他の使用人らと馴染んでいた。
「ディーってさ、やっぱ旦那様と顔が似てるから雇われたの?」
そう尋ねたのは歳若い男のニックだった。
ニックの家は代々この屋敷の使用人として仕えているらしく、ガキの頃からこの屋敷にいるらしい。
本名はニコラス・リード。
皆からニックと呼ばれていることに慣れすぎていて、アイツは自分の本名をころっと忘れ、ニック・リードと名乗った。最早愛称が本名で、本名が愛称のようなものだった。
ニックはブラシでガシガシと床を擦りながら俺の返答を待った。
「……顔、ですか」
「そ。お前と旦那様の顔すげー似てるじゃん」
「はぁ」
確かにここへ来て初めて鏡を見た時、アダムの顔と少し似ているとは思ったが。
俺は自分の頬に手を当てながら首を傾げる。
……ニックがそこまで騒ぎ立てるほど似ているとは思えなかった。
「あれかなー。やっぱ、運命感じちゃったのかなぁ。お前、前はどこいたんだっけ」
「前は……もう既に没落してしまいまして……暇を貰ったところを旦那様に拾われたのです」
「ふぅん。フェルツのとこかな」
「そこでは無いのですが……」
濁すと、ニックは軽く「あっそ」と受け流した。
俺が以前働いていた場所に、さして興味が湧かなかったのだろう。デタラメを口にしているこちらとしては有難かった。
ニックは床から視線を外して顔を上げ「ンなことより顔だよ顔!」と騒いだ。
「目の形もよく似てるし、鼻のパーツも、口の位置も似てるんだぜ? ちょっと笑ってみろよ。絶対似てるから」
面倒だな。
思うが、働き始めは大人しくしていろと命じられたから、俺は渋々口の端を上げて笑顔を作る。
「うわ。本人じゃん」
「本人ではありませんが……それほど似ていますか?」
「ちょー似てる」
生き別れの兄弟だったりして、とニックがへらへら笑う。
悪気があるようには見えないが、酷い冗談だった。コイツの親父がいたら、顔を青褪めてニックを殴っていただろう。
そもそも俺の親は貧民街を彷徨くロクデナシだ。屋敷の前当主とは関わりどころか、その影を拝むことすら出来なかっただろう。
愛人になんてなれるわけがない。まして、子を孕むことなんざ……馬鹿げている。
「滅多なことを言わないでください」
「冗談だよ。冗談。……にしても、旦那様の脱走率上がったのは困るなぁ」
「脱走率」
「旦那様、ああ見えて、意外と……仕事がお嫌いなんだよ。面倒になったら使用人の格好して逃げ出すんだぜ」
……使用人の格好をして逃げ出すのであれば、そりゃあ脱走率が上がっただろうな。
俺は眉間のシワを揉む。頭が痛かった。
なにせ顔のそっくりな使用人の俺がいるのだから、見分けがつかない周りがアダムを捕まえられない事は想像に易い。
よもや逃げ出すために俺を飼ったのでは無いだろうな、とすら思った。
「せめて背格好が違えばなぁ」
「……後は髪型を変える、とかでしょうか」
「ンな短い髪でどう変えるんだよ」
「装飾品を付けるとか」
「使用人が付けるわけにもいかないだろ? まさか旦那様にお願いするわけにもいかねぇし!」
「それもそうですね」
結局、不本意ながらも旦那様の逃亡に力を貸すしかないらしい。
俺は埃を拭き取りながら、気に食わねぇな、と思った。
だからその夜、チェスの時間に尋ねてみた。
「なぁ旦那様」
「ん?」
アダムと俺の二人だけなので、元の口調で話しかける。アダムは煙草の煙をくゆらしながら返事をする。
こうして一日に一度、アダムと俺はチェスをする。その時他の使用人は部屋から退室するのだ。
アダムはじっと俺を見つめ「待たないぞ」と釘を刺した。
「違ぇよ。チェスの事じゃない」
「なんだ。早く駒を進めてくれ」
「質問があるんだ」
「ほう?」
トンと駒を置く。
そしてアダムの目を見ながら「使用人の服を来て逃げ出すって話は本当か?」と尋ねた。
「どこでそれを……いや分かった、ニックだろう」
「違ぇよ。噂好きな女。名前は知らねぇ」
「庇わなくても、あいつが一番のお喋りで噂好きな事は知ってる」
呆れたようにアダムが嘆息した。
主人にバレてんじゃねぇよ、と思いながら、アダムの反応からして話は本当らしいと悟る。
アダムが駒を進める。くたびれた動きだった。
俺はにやにやと笑みを浮かべながら駒を進める。
「サボタージュとはねぇ。よろしくないんじゃねぇかご主人サマ?」
「勿論、よろしくない」
「開き直るなよ」
「よろしくないが、書類の数が多くてな……流石の俺も参る。脱走は俺の息抜きと思ってくれればいい」
「逃がしたら三日は姿を消すとも聞いたぜ」
「ニックめ」
忌々しそうにニックの名前を呟き、アダムも駒を進める。
盤上の展開はよろしくない。こりゃアダムが勝ちそうだなぁと思いながら、なんとか凌ぐために駒を進める。
「それでよ、俺のところに文句が来ても面倒だから、違いをつけようと思うんだ」
「ふぅん? 具体的には?」
「装飾品。付け外しが楽なものがいい」
「首輪か?」
「論外だな」
なんであの部屋の外で首輪をしなけりゃいけないんだ。
アダムを睨むと、アイツはくつくつと喉奥で笑い「ジョークだ」とわざとらしく肩を竦めてみせた。
「あからさまに分かりやすいのがいい」
「……いっそ顔を隠すか?」
「隠す?」
アダムの言葉に顔を上げる。
トンと駒を置く音が聞こえた。
アダムはにたりと笑って「チェックメイトだな」と告げた。盤上を見ると、確かに、打つ手は無かった。
「……はー、また負けた。一度も勝てない。アンタ、チェスを生業にして屋敷をでかくしたわけじゃないよな?」
「まさか」
「これだけ負け無しなら、商売にだってなるぜ」
「所詮遊びだ」
駒や盤を片付けながら「で、顔を隠すってどういうことだ」と尋ねる。アダムは上機嫌に「そのままの意味だ」と返した。
「仮面を被るといい。普段からあからさまに、お前だと分かるようにするんだ」
また突拍子も無いことを。
そう思ったが、アダムの目に浮かぶ色にどこか見覚えがあり目を細める。
……もしや、首輪を付けない犬への躾では無いだろうか。
その考えは当たっているような気がしてならない。
アダムの目を覗く。キラキラと高揚の色が奥底から湧いてきている。
次第に首輪の色を選ぶ飼い主のような顔に見えてくるのだから、この男はどこまでも俺の飼い主で、俺はこの男の犬なのだなぁと思った。
そして俺は趣味の悪い仮面を着けて過ごす事となった。
「おはようございます、ニック」
「ヒッッッ」
ニックはさっと顔を青褪めて自分の体を抱き締めた。まるで殺人鬼に出くわしたようなリアクションだった。
「お待ちください。叫ばないで!」
「ッッッ、……叫ばない。叫ばないぜ俺は。俺は冷静な男だからな。叫ばない。ああ、叫ばないとも!」
慌てて言うと、悲鳴をなんとか喉に押し込めながらあせあせと弁明するようにニックは早口で捲し立てた。
そしてウロウロと視線を彷徨わせた後「……あー、もしかして、ディー?」と小さく訊いた。
「ええ。ディーです」
「怖すぎるだろ」
「仰る通りで」
ニックは俺の顔をちらちらと見ながら何度も「ディー?」と確認した。
旦那様が選んだ仮面は、随分趣味の悪いものだった。嫌がらせかと思った。
鴉を模した仮面で、相当古いもののようだった。
目元の部分の硝子は随分と煤けていたし、古ぼけて塗装も所々禿げているし、留め具は完全に壊れている。
あまりのおんぼろ具合に、手渡された時には思わず頬が引き攣ったほどだ。
だから、ニックの反応も頷けるものだった。
「旦那様と私の顔が似ていると言う声が多くって……旦那様がお考えになってくださった結果、この仮面を着ける事になりまして……」
「正気かよ旦那様」
ニックは正直な男だった。正直に、旦那様の正気を疑った。
ニックはジロジロと仮面を眺めるとまた小さく「正気かよ」と呟く。
お前の主人は人を飼い出すくらいには、正気を捨てている。そう告げたくなった。
ニックは渋い顔をしながら「まぁ……ぼちぼち慣れるさ」と気怠そうに言った。
この屋敷の使用人は皆適応力が高いのか、始めは驚くものの「時期に慣れる」「分かりやすくていい」等と言うのだ。
俺は眉を下げながら、周りが慣れたとして俺が慣れないだろうな、と思った。
ニックはちら、と一度仮面を見ると、なんてことなさそうに俺を呼んだ。
「ディー、手摺の方頼む。俺は横のとこ拭く」
「分かりました」
正面玄関の階段をニックと二人で手分けして掃除をする。
黙々と作業を行っていると、やはり仮面をつけている分すぐに息が上がった。だらだらと垂れてくる汗をどうしようかと考えながら、掃除を続ける。
それがいけなかった。
しゃがんだ作業を続けた後に立ち上がったものだから、クラリと目眩がして二三歩後退する。と、傍を通った少女にぶつかってしまった。
「あ、あ!」
悲鳴を上げながら体勢を崩す少女。その手には色の汚れた掃除用の水がたっぷりと入ったバケツがあり……、不味い!
「あぶねっ」
少女の手を握りバケツを離さないようにする。そしてもう片方の手で腰を掴み、そのままバランスが取れるまでじっと引っ付いている。
少女の栗色の髪が首をくすぐる。それに眉を寄せながら体を離す。
「お体に触れて申し訳ありません。お怪我はありませんでしたか」
「え、あ、あ……大丈夫です。あ、こちらこそ、失礼しました……お恥ずかしい……」
少女はボソボソと謝り、バケツを持ち直す。ダプンと水音がした。
「おい、それ捨てるんだろ? なら行く場所こっちじゃないぜ。来た方向ちょっと戻って、左。んと、絵画が飾ってる方向」
「そうなんですか……? 重ね重ね、すみません」
「昨日来たばっかの子だったっけ。サーシャさんの代わりの」
「はい……ヘレナと申します。ええと、ありがとうございました。また改めてお礼をさせてください……。それでは失礼致します……」
ヘレナは小さくなりながら何度も頭を下げ、パタパタと来た道を戻っていった。少し離れたところでヘレナはクルリと振り向き、また小さくお辞儀をした。
「ファインプレーだったな、ディー」
「汚れるのが嫌だっただけですよ」
「それでもすげーって。よく体動いたなぁ」
「元はと言えばぶつかったのは私でしたからね」
「そうだっけ? そうかも。じゃ、お前が悪いな」
ニックは軽く笑って、またゴシゴシと拭き掃除を再開した。俺もそれに倣い、また作業を続ける。
「あ、そういやさっき珍しく敬語使ってなかったな。あぶねぇって」
「……咄嗟の事でしたので」
「えー別に普段から崩していけよ。俺なんかこんなだぜ?」
こんなだぜ、の言葉には笑ってしまった。
「自覚があるなら直せよ」
要望通り、口調を崩すと、ニックはパチパチと目を瞬かせた。そしてぽかんと開いた口から「猫被りが剥がれた」という言葉が零れた。
「アンタ相手に敬語を使うのも面倒になった」
「えー? 俺先輩だぜー?」
「アンタ、そういうの気にしないだろ」
「うん」
素直な声だった。
ニックがまるで幼子のようにコクリと頷くから、口をガバッと開けて大笑いした。
「ははははははは!」
仮面の中で俺の声が響く。
ニックはそれを物珍しそうに見ながら「お前、でかい声で笑えたんだなぁ」と呟いた。なんとも呑気な言葉だった。
その日からなんとなく、俺とニックは行動を共にした。歳が近くて仕事がしやすかったのもある。
俺の仕事は専ら掃除を割り当てられていた。道具の出し入れや作業の分担を行うのに、ペアを組むのは丁度良かった。
朝昼はニックと共に屋敷を掃除して、夜にはアダムに会ってチェスをする。そんな生活がルーティン化した。
「屋敷には慣れたか?」
「……まぁ、おかげさまで」
ボソボソと低い声で返すと、アダムは満足そうに頷いた。
そんな満足気な顔で見られた事など片手で数えるほども無い。なんだか座りが悪く、そわそわと膝に置いた仮面に触れる。
この仮面にもすっかり慣れてしまった。
今でこそ俺とアダムの二人だけなのだから仮面をする意味が無いので外しているが、仮面を外すことの方が違和感を覚えるようになってしまった。
「慣れたならいい。俺と間違われることも減ったな?」
「そりゃあな。こんなもん付けるのは俺くらいだ」
「だろうな」
やけに機嫌のいいアダムが、余裕な手つきで駒を進める。
「機嫌がいいな。何かあったか?」
「ン? お前に友達が出来たからな。気分も良くなるさ」
友達。
「誰のことだよ」
訊くと、アダムは憐れんだ顔をした。そして溜息を吐き出すと「友達を作る本は与えていなかったからなぁ」とぼやいた。
「ニックだよ」
「ニック。……ニック?」
「そうだ。素の口調で話して、笑い合っていただろう」
アダムの言葉に思わず顔を歪ませる。
そんなつもりじゃない。
あれは単に、ニックが適当な男だから俺も適当な口調で接するようにしただけだ。
笑ったのだって、アイツがあんなに間抜けな面をしていたからだ。
そう言っても、アダムは仕方なさそうに肩を竦めるだけだった。
「まぁいいさ。仲のいい奴がいるならそれで」
「仲がいい?」
「言い方が悪かったよpuppy。喧嘩しないで一緒にいるなら良し。満点だ」
なんの満点だ、と思いながら駒を進める。
相変わらず劣勢のまま、盤上の駒たちは慌てふためくばかりだった。何手先まで読んでいるのやら。
「新しく来た、ヘレナと言ったか、彼女とも仲良くするといい。新人同士気が合うかもしれない」
「ハ、まさか」
鼻で笑うと、アダムは「恋が始まるかもしれない」と言ってチェックメイトを告げた。
「恋だなんて馬鹿げてる」
「そうか? 楽しいものだぞ」
「アンタ、知ったふうに語るじゃないか。恋に落ちたことがあるのか?」
「俺が? まさか。俺はこの屋敷の当主だぞ」
自由恋愛なぞ、と小馬鹿にするように笑ってアダムは煙草に火を付けた。話はそれで終わったようだった。
ぽっと火の灯った煙草の先を見ながら、それがどれほど熱いのだったかを思い出す。確か……800℃になるんだったか。
それを学んだ時、人の心に温度があるならそれぐらい熱くなるのだろうかと考えたことを思い出した。
恋をしたら心は800℃まで燃え上がるのだろうか。馬鹿げたことを夢想する。煙草の煙が目に痛かった。
「にしてもだ。ディー、お前はポーカーフェイスが下手だな」
「……そうか?」
「ディーは分かりやすい」
目を伏せたままゆるりと口を緩ませるアダムは、俺の全てを知っているとでも言いたげな顔をした。
思わずむっと眉を寄せる。
アダムは薄く笑って俺の眉間を指さした。
それに益々神経を逆撫でされ、不貞腐れたように仮面を被る。
「隠し事は出来る」
「へぇ。俺にも隠しているものがあるのか?」
「さあね」
「はは、俺の犬は秘密事が好きらしい。大事な骨の在処か? 気に入った玩具の隠し場所か?」
きっと悔し紛れに吐いた言葉だとアダムは思っている。
俺が仮面の下で笑ったことは気がついているだろうに、アダムは指摘せずに飄々と笑った。
ま、俺は犬なので。主人にする隠し事なんて大したものじゃあない。
でかい隠し事をするのはいつだって飼い主の方だ。
俺はアダムを睨むように見つめ、仮面の留め具を付け直した。
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