ああ、異世界

木野崎 灯

本文

 俺は冴えないニートだ。

 毎日ゲームをして、アニメを見て、夜の1時に眠る。仕事どころか、バイトすらしていない。


 いつもいつも何か新しいことをやろうと思っているんだ。でも、そんなことは無駄だ。努力なんて無駄だ。


 俺が高校生の時だって、いつもちやほやされていたのはイケメンだ。

 顔なんて、変えることも出来ない。

 だから俺は勉強に打ち込んで、良い大学に行こうと思った。


 でも、それもダメだった。現役のときは、高みを目指して日本のトップ、東京大学を受験した。しかし、結果は不合格だった。子供のころから何のとりえもなかった俺が唯一つかめそうな成功だった。必死につかもうとしたのに、俺はそれをつかみ取ることができなかった。


 もう一年頑張ればよかった。今ではそう思う。俗にいう燃え尽き症候群が襲ってきて、俺はまた投げ出した。

 もう俺には何も残っていない。

 人望も。

 金も。

 学力も。

 

 いつものように10時まで眠っていて、起きたときには母親も父親も働きに出ていた。冷蔵庫にあった気の抜けたサイダーで朝食を済ませ、また眠ろうと二階の俺の部屋へ行こうとした。


 その瞬間、俺は階段を勢いよく転げ落ちた。

 鈍い痛みを感じる。頭を角に打ち付けた。鈍く痛む部分を触ってみると、血が出ていた。同じことの繰り返しで凝り固まった俺の生活で、めったに見ない鮮やかな赤。


 意識が遠くなる。俺死ぬのか…まあいいや。こんな人生…


―――――――――――――――――――――――――――


 ある日、俺が目を覚ますと、そこは異世界だった。ライトノベルで見たまんまの、妖精と思しき小人が俺の前を飛んで行った。


「ちょっとー!いつまでぐうたら寝てるのよ!」キンキン声が聞こえた。


 振り向くと、美少女が立っていた。前を開けた灰色のカーディガンからは、ちらりと肌色の胸元が見える。


 君は誰、と聞くと彼女はおかしな顔をした。


「なあに?なんかの冗談? 私、あなたの彼女なんですけど?」


「彼女…」頭が痛い。世界がぐらぐらする。そのとき、


「……………………!」体の中を電気が走った。


 そうか。

 俺は思い出した。

 この子は俺の彼女のリリィだ。そして俺が着ている学校の制服らしきもの、これは。


「昼休み、もう終わりか」

「早く!もう予鈴なったわよ!」


 俺は聖魔導魔術学校に所属する一年生。彼女に連れられて裏山までお弁当を食べに行っていたのだが、山で幻想植物の餌食になって、幻覚を見ていたのだ。


「そういえば、アンタ寝てるときすっごいため息ばかりついてたけど、なにかあったの?」

「ううん、何でもないんだ」

 実を言えば、結構つらい夢を見てた。よくは覚えてないけど、息苦しくて、暗い部屋の中に居て、友達はいなくて。

 リリィは緑の瞳で僕を覗き込んで、心配そうな顔をした。

「もう心配かけないでよね」

 そういうと、俺の頬にキスをした。


 授業はつまらない。

 習う魔術は俺の使いこなしてるものばかりだし、なにより他の奴ができない姿を見ているとイライラする。こうして、独りのほうがいい。


 彼女が、いつのまにか俺を見上げていた。

「またさぼってる。懲りないねー」


 リリィは俺の隣に腰をおろした。

「よいしょっと」めんどくさそうに、バッグの中から袋を取り出す。


 気になって、俺はリリィのほうを向く――――とたんに、口に何か詰め込まれた。


「ふえ」

「黙ってよ。なにも言わないで、味わって」


 甘い味が広がった。これは…ブラウニーかな。


「どう?」

「君が作ったの」

「まあそうだけど」

「ふふ、うまい」

「本当?」リリィは一瞬目をきらきらさせた。


「うん。ところで、学校は」

「知らないわよ」

「さぼったな」

「えへへ」彼女が髪をかきあげて笑った。


 その笑顔に、俺もいつのまにか、笑顔になっていた。


そのとき。


「ねえ、あれ、まずいんじゃ…」

彼女は運動場から見えるアトラス山を指さした。

轟くような音。それと同時に、雨のようにマグマが降ってきた。


「クソっ! 起きちまったか」

「キャッ!」

俺はディメンション・シールドを張って、攻撃から彼女を守った。


 腰に携えた短剣を抜く。

 子供の時に、一回だけバゼルロイドとは戦ったことがある。


 感覚は曖昧だけど、やるしかない!


 剣を構える。それと同時に、人型の敵も同じポーズをとった。腕のマグマが変形して、切れ味鋭いナイフの形に変形する。俺は、足にありったけの力をこめた。


 動いたのは同時だった。飛び去った地面から風が起こる。

 

 瞬時に、俺の短剣が敵の首元を切りつけた。

 敵の刃は俺の頭の上を過ぎた。


 ことは一瞬で決した。首を切られた人型はバランスを失って、校庭の真ん中に倒れた。


「あぶない!」

リリィの声で、後ろを向いた。そして――――――


 鈍い音がして、俺は前のめりにつんのめった。

 背中の焼けるような熱さ。


 熱い隕石がぶつかってきて、俺は気絶した。


――――――――――――――――――――――――――


「目を覚ましてよ。ねえ。和也」

 誰かかが体を揺さぶる。


 ゆっくり目を開けた。周りにいるのは母さん、父さんと、幼馴染のナオだ。

 目の前には白い天井。そして薬品のにおい。

 ここはきっと病院だろう。


 あれ。俺は家の階段で、頭をうって、気絶したんだっけ?そうだったような…


「……!」体中に電撃が走った。


 違う。これは、本物の人生じゃない。

 俺は高校生だ。彼女がいて、優等生で、こんなところに居るはずがない。


「おい。ここから出してくれ、リリィが危ないんだ。すぐに助けに行かないと…」

「何言ってるの。ここは病院よ。あなたは階段から落ちて、頭を打ったの。ねえ、リリィって誰、助けって何よ。あなた、頭がおかしくなっちゃったんじゃないの?」

「え…」


 俺は愕然となった。


「…………」

 待て。

 俺は今何で、こいつらをお父さんお母さんと認識できたんだ?


 ベッドから起き上がった。

 

 そのとき、ブチッ、という音ともに、俺の頭から何かが落ちた。


「ああ。駄目じゃないの。ヘッドギアを勝手に外さないで」

ヘッドギア?

「念のため、あと合計10時間は、催眠療法を続けてもらうことになりそうです」

近くにいた白衣の男が言った。

「なあ。ヘッドギアって何のことだ。説明しろ」俺はお母さん、なぜかその人物を母親と認識していた、に聞いた。


「かわいそうに、記憶喪失なんだわ」ナオが言った。


「そうね。今は一時的に忘れてるのね。いいわ、教えてあげる。

 あなたは、この一年大学合格に向けて努力したわね。帰ったらすぐ勉強したし、私にスマホも預けて、寝る間も惜しんで勉強してたのを見てた。私も、あなたの努力を本当に尊敬するわ。でも、あなたはそこからおかしくなってしまった。


 元はと言えば、私が悪いの。受験の後、あなたは精神分離を起こした。理由は、あなたにしか分からない何かがあったんでしょうね。あなたは、悪化する精神分離を直すのに、安易な催眠療法に頼った。私は、それを「子供のため」といって見ないふりをしてきた」


「な…何だよ…」


「本当に悪かったわ。それを私が止めていれば、こんなことにならずに済んだのに…」

 目の前の女は泣いた。何だよそれ。そんなの信じられるか。妄想は全部こっちだろう?


「なんだよ…なんだよそれ!信じられねえよ!

 あれか!俺をだまそうっていうんだな!?その手にのってたまるかよ!

 俺は本当の生活に戻る!」

「まって、和也!」


 ほとんど無意識に、ベッドから飛び起きた。


 そして、病院を抜け出して、街を駆け出していた。


 走りながら、俺は涙を流した。だんだん、この生活が本物で、おれは高校生なんかじゃないような気がするんだ。

 あっちは幻想で、こっちが正しい。そんな気がする。

 俺、何にもできなかったんだなあ…


 1時間くらい走った。ふと立ち止まると、図書館の入り口があった。

 自然と足が止まる。

 なぜだろう。

 何か、ひっかかってるものがある。


「和也!」

 大きな声がして、後ろを振り向いた。

 ナオだった。


「俺は、本物なのか…?」

 やっとのことで、声を出した。「何もわからない。わからないんだ」


「覚えてないの?私も?この図書館も?」


 残念だけど、俺にはなんにもわからない。


「ねえ、覚えてるよね?

 私、今年から東京大に、受かったの。私ははじめ、何の勉強も無理だった。まして、取柄なんてないと思ってた。

 それがさ、君のおかげで、ここまで来たんだよ」


 よみがえってくる。ここの二階で、ナオと勉強しあったこと。ナオは数学が苦手で、英語が得意だった。俺は、数学が得意で、英語は苦手だった。お互いの弱点を補いあって、ずっと勉強していた。


「そうか。ナオ…。おめでとう」


「思い出してくれたの?」


「俺、思い出した。何にもできなかったこと、大学に落ちたこと。ニートで、何をする勇気もない。こんな俺、いなくても変わんないよな」


前を見る。ナオは泣いていた。


「でも、ナオと一緒に勉強した時間が今、はっきり俺のなかにある。俺、役に立ったかな?こんな俺でも、生きる価値って、あるのかな…」


ナオはうんうんとうなづいた。揺れた顔から、大粒の涙が落ちた。


「ある。ぜったいある」


俺はナオを力強く抱きしめた。


―――――――――――――――――――――――――――


『ただいま、お母さん』

「だめ」

『もう治療はすんだんだ』

「やめて」

『これはもういらない』

「私をおいていかないで」


ブチッ。テレビが消えるように、鏡に映ったビジョンは暗転した。


「ねえ…」

 リリィは、動かない彼氏の体にすがって、涙をこぼした。

 

「とっくのとうに、彼は植物状態です。何ともなりません」

 ひげを蓄えた白魔法使いが淡々と、彼はこの世界へ復活しない、という事実を説明した。


 この空はいつでも青いが、きょうは一段と鮮やかで、雲一つない。

 彼女は彼氏の腕をつかんで離すことなく、その緑の目に涙を蓄えながら、いつまでもいつまでも泣いていた。


 その日から彼が毒されたあの幻想植物は、魔法界のあらゆる勢力をもって、根絶やしにさせられてしまった。

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