第4話 憂い

「あーあー、眠い」


 歩きながら眉間を押さえる聖衣。


「朝からずっと眠たそうだな」

「寝てないからなぁ」


 講義が終わり、聖衣の友人である綾瀬と廊下を歩く。ざわざわと聞き慣れた大学の環境音。その中を重い足取りで進んでいく。


「その目のくまを見れば分かる。何があったんだ?」

「脳漿が掻き回される程の衝撃と、泣きそうになる展開。あと禿げそうなストレス」

「はっはー、笑える」

「言っとけ」


 気だるさが抜けない曇りも様な顔。その横顔を見た綾瀬は、友人を心配する言葉がでる。


「今日もバイトだろ? 大丈夫なのか?」

「休むよ。働いてもいいけど、この調子じゃ迷惑かけそうだから」


 屋内から外に出て低い階段を降りる。踏み外さない様に足元を見ながら降りきると、不意に声を掛けられる二人。


「ぉお! 三田に綾瀬じゃねーか!」


 聖衣とは真逆で明るい元気な声。はつらつを含んだ聞き覚えしかない声に、聖衣は内心嫌になりながらもその人物に目線を合わせる。


「や、やぁ国吉、相変わらず元気そうだね……」

「お前も相変わらず陰気くせぇな。そう思うだろ綾瀬」

「別に。いつも通りっちゃいつも通りだし」


 馴れ馴れしく肩を強く組まれて愛想笑いする聖衣。はははと笑うが綾瀬には無理していると直ぐに見抜かれる。


「で? 陽キャな国吉のお友達?」


 国吉が組んでいる腕をつついてから質問した。狙い通りにその腕を解かれ、披露するように国吉が連れを紹介していく。


「こっちの金髪が佐藤で――」

「よう」


 佐藤が手を低く上げて会釈


「こっちのマッチョが石川だ」

「よろしく」


 腕を組みながら首を振る。


 国吉の友人二人に軽く笑顔で会釈すると、何かを思いついたのか国吉がニヤつく。


「俺たち今からカラオケ行くんだけどさ、どうだ? ん?」

「あーはは……は」


 微妙な反応を感じた国吉が畳みかける。


「別の大学の女たちも来るぞぉ。連れの一人がそこでバイトしててさ、結構融通気かせてくれるんだ」

「それで?」

「食い物も食べ放題だし、酒も飲み放題! 歌も程々にして女子とトーク! きっと盛り上がる!」


 国吉のイケイケな性格と態度、そして甘いマスク。自分とは全てが真逆の国吉が、聖衣は苦手だ。


「みんな酒も入って気が大きくなるから、そのまま意中の女とヤれるかもなぁ~。因みに俺は経験人数を更新しない日は無い。っへへ!」


 その言動に聖衣は内心ドン引く。綾瀬は露骨に顔に出ている。


「おっとー、その顔は行かないって顔だなー」

「当たり前だ。彼女がいる俺はもちろんだが、節操がないなお前には付いていかない!」

「……まぁ、分かってたけどな」


 咲く笑顔が嘘だと言わんばかりに無表情になった国吉。どこか馬鹿にする表情をすると、佐藤と石川を連れて翻す。


「せっかくお前の童貞を捨てさせようと思ったのになー! もうカラオケには誘わねーわ!」


 去り際にわざと声を大にして周りに聞こえる様に言った。足を止める者もいたが、関係ないと聖衣が早足で歩きだすと、遅れて綾瀬も歩き出した。


「気にすんなって、幼稚にからかってるだけだ。アイツに関していい噂は聞かないし」

「気にしてないさ、童貞なのは本当だし」


 木が整理されている大学の道に入り、二人は歩く。いつもの風景で誰も二人を気にしていなかった。


「どうだ聖衣、ゲーセン行ってストレス解消と行こうぜ」

「……やめとく。家帰って寝るわ」


 そうか……と言って綾瀬は残念そうに言う。


 しばらく道なりに歩き、二人は再開を約束してその場を後にした。


(……眠い)


 部屋のドア前までひたすら繰り返した自答。


 少し間を置いてから手の甲に映し出すサンタとは違う鈴の証。


(こいつもそうだけど、いろいろありすぎて頭がパンクしそうだ。でもやっと寝れる)


 魂が睡眠と言う安らぎを求めている。そう確信する聖衣は、眠たい講義をも乗り越えうざい旧友を退けた。部屋の前までやっとこさ辿り着き、妙な達成感を感じていた。


 ――後はシャワーを浴びてベッドに飛び込むだけ。

 

 馳せる気持ちを抑えきれず鍵を解錠して勢いよく扉を開けた。


 靴を雑に脱ぎ捨て、リビングと部屋を隔てるドアを、安らぎを求めてガチャリと開ける。


「ングググ!! 曲がるのだ骨の亀よ! 貴様の力はその程度か!」

「がんばれーサミュエル。私は1位で待ってるからー」

「砲弾になりたい! 追い付くためには砲弾になるしかない!」


 喪失感と倦怠感。落胆に絶望。聖衣の期待感が粉々に砕けた瞬間だった。


「ヌグググ!」


 ゲームのキャラクターがカーブを曲がると同時に、サミュエルも同じ方向に体が傾く。


「1位で甲羅三つとか安心感半端ないわー」


 余裕綽々。したり顔でプレイするルーシー。


 サミュエルの頑張り虚しく、無情にもテレビ画面からレース終了のファンファーレが鳴る。


「貴様ぁあ! その人相の悪い紫の男を使うのは止せ! そいつの声は妙に腹がたつ!」

「そう? 別にいいけど、どのキャラクターを使っても私は負けないわよ?」


 サミュエルの肩を叩きながらドヤ顔で決めるルーシー。その馬鹿にした仕草に負けた男は青筋を立てる。


「あ゛あ゛もう! 何であんたら居るんだよ!?」


 髪を掻き乱しメガネがずれた状態で言った。


 昨晩。目的を果たしたサミュエル達はそそくさと出ていったが、混乱と戸惑いが渦を巻く思考に聖衣は眠れないでいた。


 青筋を立てたいのはこっちだと聖衣が睨む。


「ふむ、ルーシーの邸に戻ってから思ったのだがな、あまりにも一方過ぎたと思い説明しにと戻ったのだ」


 その通りだと怒りながら笑顔になる聖衣。


「それと知らなかったとはいえ、お主の物を破壊してしまった」

「……ぇ?」


 すまなかった……。と頭を下げるサミュエル。


 予想していない突飛な謝罪に驚くが、緩んだ顔を意識して形相を変える。


「だから保護者のお姉さんが代わりに弁償。ワイヤレススピーカーに――」


 指さすテーブルに目を配ると、新品のスピーカーが置かれている。壊されたスピーカーよりも値が張る物だと聖衣は目を大きく開く。


 後ろで保護者? とサミュエルが小さく呟いている。


「今遊んでたゲーム機ね。ちゃんとバッテリーの改良版だし、保護フィルムとケースも買っといたわ」

「」


 開いた口が塞がらないと驚愕する。


 貧乏大学生。金銭的に厳しいとなけなしの小遣いで買った簡易型のゲーム機。それが壊され涙を流したが、それを月に吹き飛ばす程の嬉しさが聖衣を包む。


 今し方の怒りはどこへやら。少し笑顔になっているが本人は気づかない。


「ついでにレースゲームもおまけしておくわ」

「マジッすか!?」

「マジッす」


 サミュエルの方眉がピクリと上がる。


「あの、ありがとうございます!」

「いえいえ~」


 綺麗なお辞儀に対してルーシーは軽く手を振った。


 顔を上げた聖衣。先ほどの明るい顔はそこには無く、どこか青い顔をしているのを二人は見た。


「その、いろいろ説明してくれるのはあり難いんですけど、俺、昨日から寝てなくて……」

「ふむ。確かに顔色が悪いな」


 様子を伺うサミュエル。続けて言う。


「主にサンタクロースの事ですけど、今後の事とかいろいろ……。ですから、お話はまた次でお願いします。めっちゃ眠いんで……」

「眠たいんなら仕方ないね」


 切に願う。と、疲弊しきった顔が二人を訴える。


 そしてサミュエルがそれに応えた。


「わかった。世話になった故、我が安眠と快眠をお主に贈ろう」

「え……」


 何言ってんだコイツと怪訝な顔をする聖衣。


「これもサンタクロースの務め、ふふ、いい夢を見るがよい」

「えっと、何言ってるん――」


 手のひらサイズの魔法陣を展開し、聖衣に向けて軽く振った。


 喋っていた途中で力なく崩れ落ちる聖衣。床に倒れるはずだが、サミュエルの魔法が聖衣を浮かせベッドに寝かせる。そっと掛け布団が独りでに包む。


「スー、ス―」


 気持ちよさそうに寝息を立てる。その姿を見た二人は何処か満足そうだ。


「デュフ……フフ……」

「……」


 どういった夢を見ているのかは分からないが、緩んだ顔にルーシーは少し引き気味である。


「さてルーシー、外の空気を吸いに行くとしよう」

「そう、わかった」


 二人の眼前に展開される魔法陣。1秒も満たない内に陣が消え、そこには何処かへと続く空間へと変わる。


 軽い足取りで潜り抜けると、そこは何処かの屋上だった。夕日が徐々に沈む世界。月がそっと姿を現している。


 少し冷たい風が二人の頬を撫でる。ライトが点々と付いている光景を見ながら、サミュエルは深く深呼吸した。


 夕焼けが優しく二人を照らす。伸びる影が哀愁さを物語る。


「……最初に感じた現代の感想、何だと思う」


 ルーシーに語り掛ける口調は尖ったものではなく、純粋に友に語っている物言いだ。


「んー、くさい?」

「ッフフ、言い得て妙だな」


 鼻で笑うサミュエル。


「あの頃は空気が澄んでいた。肌に感じる清らかな風、淀みのない空、息を吸うと循環される魔力の滞り。……今では空気にすら魔力を感じない」


 懐かしく物思いに耽るが、仕方ないように言葉を口にした。


「っま、成るべくして成ったって事。みんながみんな、アンタみたいに魔法を使えるわけじゃないし、科学技術が進歩するのは当然ね」

「……」


 旧支配者から脱した人類。より良い繁栄を願いながら空間に籠ったサミュエルだったが、蓋を開けてみれば人類は自身の首を絞める繁栄をとげていた。


 消費していくだけの繁栄。


 果てに待つのは破滅だとサミュエルは悟った。


「で……あるか」


 だが絶望はしていない。これも一つの繫栄の姿だとサミュエルは知っていたからだ。


 ――人は神の写し鏡


 全能の神は居れど完成された存在ではない。それがサミュエルの一つの見解。


 全知全能ゼウスとまみえた結果から出た。


「資源が枯渇した人類はどうなると思う」


 思っていた疑問を堕天使のルーシーに投げかけた。


 車の往来する音、巨大モニターに映る広告、人々の暮らし。様々な交じり合った音を聞きながら、サミュエルは待つ。


「さぁ?」


 たった一言だった。だがその一言に凝縮された意味合いが含むとサミュエルは察する。


(なんとも意地の悪いサタンだ)


 可能性は無数に分岐している。新たな資源を発掘、もしくは創造した世界。


 次元を超えて多次元へと移行、又は侵略。


 アースガルズの様な特異な世界への進出。又は略奪。


 そして果てしない宇宙への移民。もしくは脱出。


「まぁ宇宙だけは止めといた方がいいかもねー」


 ルーシーの言葉にうなずきで返したサミュエル。


 宇宙には奴らが居る。否。それ以上の存在が鎮座していると確信している。


 しばらくの無言。憂いを含む表情の男女はただ、沈む夕日を瞳にうつしていた。


「で? サンタクロースになったはいいけど、これからどうするの?」


 ふと、疑問が投げかけられた。


「現代の情勢を知りたい。無数にある人を乗せる動く箱に天まで伸びる塔」

「フムフム」

「それに神々たちの気配が薄いのも気になる……」


 腕を組んでどっしりと述べた。サミュエルの目は好奇心と警戒心、そして期待感が宿る。


 その姿にルーシーは柔らかく微笑む。


「我を支えてくれるか、ルシファー」

「もちろんよ、私のおもちゃさん」


 ッフン、と鼻で笑うサミュエル。


「ルーシー、先ずは聞きたいことがある」

「お! さっそく質問ですかぁ? お姉さんに何でも聞いてー」


 お互いに目を合わせる。無表情のサミュエルとは違い、堕天使のルーシーは、どう教えたら面白くなるかと悪戯顔になっている。


「一度聞いてから頭から離れんのだが……」

「うんうん」

「お主と聖衣が言っている、「まじっす」とはどういう意味なのだ」

「……」


 ルーシーの期待に満ちた顔が固まる。静止画のように固まる。


「何かの隠語なのか……? まじっす、ふむ。魔法マジックと関わりがあると見て良さそうだが……。だが言葉にもその場にも魔力を感じなかった……。いやしかし――」


 目をつむりぶつぶつと考えるサミュエル。何を聞いて来るのかと思えば、予想だにしない、否、疑問のカテゴリーに入らないものが飛び出し、ルーシーは困惑した。


「――力を乗せた言霊でも無い。……そもそも二つ在るのだ、「まじっす」と「まじっすか」。最後の「か」にいったいどういった意味が在るのか……。いや、そもそも魔法のカテゴリーでは無い可能性も確かにある。ふむ――」


 一度真剣に考え込むと戻ってこない。それを知っているルーシーは額を手で押さえ、しまったと首を振る。


 そしてため息を深くついたルーシーは口を開いた。


「マジっすか……」

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