第2話 ルシファー

「気難しい顔しちゃってさぁ。フィッシュアンドチップス食べる?」

「そんな訳の分からん物なぞいらん! ンクッ」


 豪華絢爛。その言葉に相応しいルシファーの部屋。


 グラスに入った酒を一気に流し込むサミュエル。ソファに座るサミュエルだが、テーブルに空のグラスを叩きつける様に置いた。


 その様子に翼を閉まったルシファーがクスクスと笑う。


「ええい! 貴様の話は真偽が分からん! また我をからかってておるな!」

「千年単位で帰ってきた奴に嘘言ってどうすんだよー。信じなって」

「信じられるか! と言うか信じて堪るか!」


 目くじらを立て駄々をこねるサミュエル。その姿が面白いと酒のあてにしてルシファーが楽しんでいた。


「外の馬鹿どもを追い払った後、発展するのは人間だと予想は付いていた。そしてそれが現実になった。……ここまではいい」

「で?」


 ルシファーがおもむろに別の酒を手にし、開いた二つのグラスに注ぐ。


「神の写し鏡である人間は脆い。そこで新たな信仰対象となる者が必要だと、ここまでもいい。我が知る通りだ」

「そう。ここまでは君も知っている。と言うか、ここまで知っている、かな」


 注がれた酒を口に含むサミュエル。舌を転がして味わうと、その独特な香りと風味に舌を打ち、喉をならして飲み込んだ。


「美味いな……。覚えがある。確かアースガルズの……」

「蜂蜜酒、ミードだ。最近はミツバチを操って良い蜜を取るから、時代が進むにつれてバリエーションが豊富になったんだ」


 もう一度口に含む。飲み込むと鼻から息を吐いた。


「スー。彼奴らの置き見上げを貰った我だが、それを癒すため隔絶空間に籠って出て来た。だがどうも頭がまわらん……はぁ、簡単でいいからもう一度話してくれ」

「いいよー」


 ミードを煽るルシファー。飲み終わると口を開いた。


「サミュエルを見送った後、私たちは討論したんだ。信仰に必要な神話をどうするかって」


 腕を組んで静観するサミュエル。


「ッハハ、まぁ決まらないよねぇ。だって我が強い面子ばかりだし。もうみんなバチバチに火花散らすよね」

「そうだったぁぁぁ」


 懐かしく思い出すかのように頭を抱えるサミュエル。だが顎を突き出す顔は何処か納得していた。


「オーディンにゼウス、シヴァにアポロン」

「アマテラスに麒麟、アヌビスと仙人に仙女……挙げるだけでキリがない」


 懐かしく旧友を思い出すかのように、二人は当時の思い出に浸っている。


「で、統一神話なんて無理って話になって、それぞれの地区、それぞれが神話を築いたのさ」

「……よくもまぁあんなに気が強い男と女が集まったものだ」


 暗い窓の外を見ながらサミュエルは呟くように言った。


「人間にとって神話に欠かせないのが詩だ。実際にあった紡ぐ物語と作り話を人間に残した。良い神も居れば悪い神も居る。そうだろ?」

「そうだな。そしてお主は悪に徹したと」

「必要悪ってやつさ」


 ケラケラと笑うルシファー。


「貴様が悪の化身だろうが無かろうが、我にとってはどうでもいい……」

「えーどうでも良くないでしょー。かまってよ」

「ッッ~~」


 いたずらっ子と周知させるルシファーの態度に、サミュエルは青筋を立てた。


「我が我慢ならんのは! 我がサタンなぞと訳の分からん扱いになっている事だ!!」


 目くじらを立てて勢いよく立ち上がる。


「かっけー、サタンかっけー」

「黙れ堕天使!」


 棒読みでサミュエルを逆なでするルシファーに、白髪の男が指をさして怒る。


「最高神とは言わぬ、戦神とも豊穣神とも言わぬ! 神とすれ違う人物でいいと言うのに、選りにもよって我の扱いが諸悪の権化だと!?」

ミュエル・ンホイザー・グスゥトゥス。名前を捩ってサタン・・・。どう? 上手く出来てるでしょ。ッフフ」

「ふざけるなああああ!!」


 ガミガミ煩いサミュエルと、笑いを隠し切れないルシファー。


「ちなみにルシファーとサタンは同一視されてるから」

「なに!? 中々複雑な神話の様だな……。だがこの苛立ち、一発殴りつけるまで収まらんぞ! 誰だサタンなぞと名を付けた馬鹿者は!」

「私だ!」

「サタァアアアン!!」


 悪びれず小馬鹿にした態度のルシファーに、速攻で顔面を殴りつけたサミュエル。テーブルを飛び越えて向かいのソファに体ごと預けた。


「貴様という輩はどこまで我を弄ぶのだ!」

「君の存在がそこに在る限り私のおもちゃだ!」


 ルシファーを床の絨毯に取り押さえるサミュエル。次は自分の番だと態勢を変えられ今度はルシファーが上になる。


「これでも寂しかったんだよぉ! やっと会えたぁ!」

「その癖に四柱を退けた攻撃をよく我に向けたものだな!」


 再び態勢を変える両者。ルシファーの腕を抑えるサミュエルだが、いつの間にかルシファーの金髪が伸びているのを目にする。


「それにあの悪趣味な神殿は何だ! まさかアレも――」

「――それも私だ! 悪魔の像を添えたのも私! だってルシファーでサタンだから!」


 三度態勢を変える。力強く掴まれる腕の痛みを覚えたサミュエルだが、狂気を宿すルシファーの瞳と視界の端に膨らんだ胸部を見る。


「瞳に宿る狂気……更に業が深くなったか!」

「その狂気わたしに魅入られたのは他でもないあなたでしょ!」


 態勢が変わる。馬乗りになるサミュエルがルシファーを睨めつける。


「……どうしたの。何か言いたげね」

「貴様……性転換までして何を企んでいる」


 中世的なルシファーの声が、完全に女性の声帯と口調へと変わっている。声だけではない。臀部に胸部、髪から顔つきに至るまで、完全に女性のそれと化していた。


「ッ!」


 今までとは違う強さで態勢を変えられ逆に馬乗りにされる。


 木が燃える暖炉付近まで組み合った。火の暖かな光が二人を照らす。


「ルシファー……」

「あの時も今と同じような状況だった」


 ルシファーの指がサミュエルの頬を撫でる。


「私を殺しに来た貴方はまだ人間で、何より若かった」

「今でも人間のつもりだ。それに見た目は二十代だ」

「ふふ、そうね」


 頬を撫でた指が唇を通り顎、首筋、さっきの乱闘ではだけた胸元を伝う。


「その日の夜……あなたは名実ともに女を知った。枷が外れた獣の様だったわね」

「……」


 光のない漆黒の瞳を見るサミュエル。意趣返しと言わんばかりに屈託のない蒼い瞳を見るルシファー。


 お互いに見つめ合う。暖炉の影響なのか、ルシファーの体が火照り顔が赤みがかった。


「サミュエル……私の愛おしいおもちゃサミュエル。さぁ、また獣のように肉欲に溺れましょう」


 撫でた指を舐める。その誘惑的で蠱惑な仕草を男は無表情で眺めていた。


「……」


 事の本末を見守る男に、ブロンドヘアを両手で後ろへと掻き分ける女。


「っん」


 自分の服を引きちぎり胸元をはだけさせる。


「――レロ」


 小悪魔の様に舌を出しながら顔を近づけた。


 暖炉の光から伸びる二つの影。男と女。雄と雌。


 理性を押しつぶし、本能をさらけ出す。


 行為の発端。先に行動したのは――


 ――ッドス


 サミュエルの右手だった。


「……ふぁの、ふぁんへあの なんで?」

「図に乗るな堕天使」


 ルシファーの顔面を食い込ませたサミュエルの右手。ふらっと眩む様にルシファーが立ち上がると、鼻から血を流し何故だと目が訴えていた。


「あの頃の我は未熟故、まんまと貴様の魔法チャームにかかり、してやられた」

「報復のつもり!? だからってこんな美人を殴る普通! ここはヤル雰囲気だったじゃない!」

「黙れ! 貴様の思い通りにさせんぞサタン!」

「サタンはあんたでしょうに!」

「貴様もサタンだろうが――」


 妖艶な空気をぶち壊した両者。主張がぶつかり合い、あーだこーだと頻りに駄々をこねた。


「――ックソ、埒が明かん。……お主はこれでも着ていろ」


 そう言うとコートを脱いでルシファーに投げ渡す。思いがけない行動に驚くルシファーだが、微笑みながら受け取った。


「ふーん。女の私には優しいんだぁ」

「今すぐ黙らんと喉を掻き切ってやる……」


 ルシファーから目を反らすサミュエル。鼻血が止まり恥ずかしがる姿を見ながら、ありがと……と静かに呟き嬉しそうにコートを着た。


「で? これからどうするの? 悪の大魔王らしく悪い事する?」

「馬鹿を言うな。悪は貴様で間に合っているのであろう」

「それもそうね♪」


 ソファに座りなおす。同じく座るルシファーがミードを飲むと、チロチロと口から零れる蜂蜜酒が長い谷間を伝う。


「ンク、ちなみにさっき言った面子とそれと同等の位の神たち。サミュエルが悪い奴じゃないって知ってるけど、その下の者達は君の事を完全悪って思ってるよ」

「……必要悪なのは分かるが、それは人間にとっての悪であって貴様らには不要な要素のはずだ。何故説き正さない?」

「おもしろいからぁー」

「はぁ~」


 頭を抱えるサミュエル。下を向くどうしようもなく呆れた顔を作った。


(何処までも卑屈な奴らだ。人間の身で奴らと引けをとらない我を……良く思わないのは分かっていたが、悪戯ルシファーの真似事なぞしおってからに……」

「途中から口に出てるわよ?」


 サミュエルは顔を上げる。


「で、具体的に我がサタンだとどう記している」

「サミュエル・タンホイザー・ングスゥトゥスはサタンである。以上!」

「……記した輩は」

「もちろん私だ」


 はぁ~~と大きくため息を付くサミュエル。その様子を見かねたルシファーが立ち上がり、ソファに深く座るサミュエルの脚に跨った。


「もう、そんなに暗くならないの」

「元凶の貴様に言われたくないぞ」


 腕を首に回されながらぶっきらぼうに言った。ルシファーという美女に跨れ密着されているというのに、不能が如く表情を崩さない。


「ふふ、アレ~? サタンって意外と極悪じゃないのかも~……ってなる案があるって言ったら信じる?」

「……お前は阿保なのか?」

「ちょ! 酷くない!?」


 芝居がかった口調に無表情で答えた。


「で! 聞く! 聞かない! どっち!!」

「……はぁ~、言ってみろ」

「じゃあ先ずは――」


 ルシファーの唇がサミュエルの唇に近づく。










 扉がガチャリと開く。暗い室内に空く扉から夕陽が照らされる。漂う埃が閉まった扉の圧で舞う。


「はぁ疲れたー」


 靴を脱ぎ散らかして部屋に入り天井照明を付ける。机の上にリュックを乱暴に置いてベッドへと沈み込んだ。


「……」


 メガネに端末を反射しながらスライドさせる。特に興味も引かないニュースとゲームの広告。


「お」


 少し興味が湧いた話題を見つけて読む。それがバイト終わりの彼の決まったルーティーンだ。


「……何にもいい事ねーよなー」


 バナーニュースのトピック。都内で怪死事件と書かれたニュースを瞳に写す。


「……終わってんな」


 世の中は無情だ。日がな毎日を無意味に消費していくだけで、特別な力を持っていようがいまいが、無気力の働きアリに埋もれていく。自分もそう……無気力でちっぽけな、ただの蟻。


 それが彼の身勝手な持論だ。


 あまりにも後ろ向きな持論を持つ。――が


「……ん?」


 ――彼の運命は


「な、何? 光って、え? 何なの……!?」


 ――今変わる


「ッッ~~!!」


 部屋の床に、突如として見慣れない魔法陣が展開された。眩しい光に目を覆うが、起き上がり枕を投げる算段を無意識に取っていた。


「ッ!!」


 眩しい光が止むと覆った腕を退ける。そして彼は見た。


「成功っと」


 絶世の美女。


「無事ついたか」


 貴族風の男。


「あ、あの……だ、誰……ですか?」


 辛うじて出た質問。


「我が名はサミュエル」


 男が言った。


「堕天使のルーシー」


 女が言った。


「え? え?」


 脳の処理が追いつかない。


三田みった 聖衣くろす

「!?」


 名前を言われ驚愕する。


「いや、受け継がれし現代のサンタクロースよ!」

「!?!?」


 処理が追いつかない。


「貴様の奇異な称号、この我に渡――」


 枕が貴族風の男の顔面に当たった。


「ナイスシュート!」


 堕天使がサムズアップする。


「あっ(諦め)」


 意図せずした反撃。男は察して冷や汗を流す。


「……」


 怒り心頭と震える貴族風の男。


「貴様……楽に死ぬか、苦しんで死ぬか、選べ……」

「」


 聖衣は逃げ出した。

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