サタンクロースのキャロル

亮亮

第1話 帰還

 そこには燦々と輝く太陽も、照らし出される蠱惑な月さえも無かった。だが、天体ではない何かが空に浮かび、誘惑と魅了が薄くこの世界を照らす。


 泡沫が絶えず溢れる毒と硫酸の池。


 恐怖の形相に錯覚する木々と鬱蒼とする森。


 常に空腹を満たさんとする凶暴かつ残忍な獣たち。


 ここを知る者は、皆口を揃えてこう呼ぶ。


 ――魔界。――と。


 深い深い森の中。近づく者など誰もいない建造物があった。


 精密に敷かれた石造りの床と壁。常夜を思わせる暗い暗い入口。その入口を守る様に、角の生えた奇怪な像が二柱並んでいる。


 奥へ、奥へと、まるで導かれるように、風がそっと流れ込む。


 そこは何かを祭る様な神殿だった。幾星霜の時が流れたのか一切の乱れなく土煙が付着し、何者もここに入っていないと物語る。


 静寂だけが支配する神殿。そよ風に吹かれても動かない、床に付着した土埃の無数の粒子。


 ――――。


 その粒子の一つが小さく、そっと小さく跳ねる。


 ――ブッ!


 祭壇の中心に、突如として力場が発生した。前触れとして反応した一粒の粒子が波及し、一つの土煙として舞っている。


 ――ヴォオオオ!!


 空間を斬りつける様に亀裂が入り、徐々に広がり謎の空間へと変化した。


 空間の中。漆黒が支配する中に、散りばめられて光が自分はここだと主張している。


 中を見た人ならこう言うだろう……宇宙てんの光だと。


 ――オオオオッッ!!


 発する音が停止すると、鼻先から膜を破る様に男が静かに出てきた。


「……」


 祭壇に音もなく着地した男。貴族を彷彿とさせるスーツコートに腕を組み、目を瞑るその姿は、どこか端麗な彫刻と錯覚させる。


「ッ!!」


 男の目が力強く開く。


「我、顕現す! フハ! フハハハハハ!!」


 目を瞑り大きく笑う男。背中が少し反る程しきりに笑うと、何かを思ったのか静かになる。


「……ふむ」


 様子がおかしい……。そう物語る怪訝な顔で辺りを見回す。


「誰か、誰か居らぬか!」


 反響する自分の声を聴き、立っている祭壇を降りる。少し離れ、全体を観察する。


「……察するに……我を祭っていたのか?」


 腰を低くし顎に指を当て推理した。


「どこの馬鹿ぞ。我を信仰しても得る物は無い故……。彼奴ら四柱しちゅうと在るまいし……」


 そう言いながら右手を祭壇にかざす。


「戯れだな」


 右手の掌に光が集まる。キラキラ光る力が音を立てて集約し、やがて一つの小さな玉となった。


「不愉快だ」


 小さな玉が押されるように潰れると、弾丸の様に発射された。


 ッッドゴオオオオオォォォ!!


 と、着弾した祭壇が無残にも崩れ落ち、土煙を辺りに撒いた。


「祭られるのは構わぬが、何より四柱と同類、そう思われるのが不快だ」


 そう言い残し一つだけある通路へと歩む。


「……」


 コツコツと足音が反響する。神殿のそこらかしこに光苔が生り、男の視界は良好そのものだ。


「……これは」


 しばらく歩くと行き止まりに詰まる。否、壁があるわけではない。まるで往来を阻害する様に、大きな魔法陣が展開せれていた。


 男はそっと指先で触れようとするが――


「ッ」


 ッバチ! と拒絶するように指先に稲妻が走った。


「……この僅かに残る魔力の残滓……なるほど」


 男は何かを納得すると、右手を魔法陣に向け、払う動作をする。


 ――ズゥンンン


 と、低い音を立てた魔法陣は、描かれる陣の中が消滅していき、やがてその存在が消えた。


(奴め……今度は何を企んでいる……)


 心の内で問うた疑問。心当たりがあるのか、呆れる様に鼻からため息を付いた。


(魂の気配が無い。生きる者も死せる者も、まるでこの世界に魂が無いと言わんばかりに)


 長い苔むす石造りの通路を進んでいく。ブロックを踏もうものなら罠が作動してもおかしくない。そんな廊下をただ進む。


「ほう……」


 男に関心が漏れた。通路の先は開けた場所。このドーム状の開けた場所だけが、天井に光源が添えられ明るい。


 そして関心の矛先に居るのは巨体。男が感じていた生死の魂が無い一つだけの気配。まるで通ってきた通路を守護するかのように、巨体な後姿が男の瞳に映る。


「おい貴様、ゴーレムにしては精工ではないか」


 ――ズズゥゥ


 と、男の存在に気付いたゴーレムが後ろを向く。巨体で鈍重と思わせるが、人と同じ速度で挙動し、男を少し驚かせた。


「ォオオオオ!!」


 顔部分に灯る青い光が赤へと変わると、拳を作り威嚇する様に音が響いた。


「なんと! なんて細かな挙動を――」

「オオオオッッ!!」


 男の言葉を遮る様に、ゴーレムの拳が炸裂した。音速を越える程の巨大な拳。男に放たれた必死の一撃によって土煙が舞う。


「興味深い。一つの錬成石で創るのではなく、無数の細かな錬成石で成っているのか」


 少し離れた場所。晴れた土煙から男が見えると、その手にはゴーレムの拳がもぎ取れれていた。


「!?」


 自分の拳が無いと気づいたゴーレム。まるで意思を持つかのように反応するが、すぐさまもう片方で男を屠る。


「素晴らしい! いったいどれ――」


 またも遮る男の言葉。けたたましい砕く轟音が響く。


 散る苔が細かく舞うが、土煙が晴れると男が関節部を観察していた。


「確かに理に適っているか……。関節を球体にすれば可動域が広がる。それに見た目もいい」


 肩から先が無くなったゴーレム。


「!?!?」


 バランスを崩し重く大きく倒れたゴーレム。苔と砕けた床が舞う中、赤い顔が点滅しグルんと男に顔を向けた。


「ォオオオオ」


 ゴーレムの顔面に光が収束すると、一、二秒で膨れ上がり、破裂するように赤い光線が男を襲う。


 ――キィィイイイイ!!


 熱射が大気を焦がしながら放たれた。無慈悲に、ただ侵入者を排除するための攻撃。


「ふむ、上位……いや、純度の高い最高クラスの熱線。後で見ようと思ったが、いったいどんなゴーレムコアを使ったのだろうか」


 何食わぬ顔で熱線を受ける男。上半身を覆う程の熱線が、男を覆う透明な何かによって阻害されていた。


「ォオオオオ」


 確かな足取りで歩いて来る男に、寸分の狂い無く熱線を浴びさせるが、ついには眼前に迫ままれた。


「……」


 ゴーレムの顔に手を伸ばす男。発射し続ける熱線が指の隙間から迸るが、何事もないように顔を掴まれ――


 ッゴリュ!


 と無機質な嫌な音をたてて、ゴーレムの顔がもぎ取られる。


 低い音をたて力なく停止するゴーレムを他所に、男はもぎ取った顔を興味なしと後ろにポイと捨て、開いた胴体の中身を手で探る。


「んーー。これか」


 まさぐった胴体からコアを抜き取った男。


「ほぅ……これはまた」


 男の手の平から浮かび上がり、ゆっくり回転するコア。煌びやかに光を反射している。


「力宿る石をコアと用いたゴーレムが在ると聞いたが、まさかお目にかかるとは」


 人の顔程ある圧縮した炭素の原石。男がゆらりと手を握ると同時に、原石が光を残して消える。


「いい物を手に入れた」


 方眉を器用に上げ上機嫌になる男。羽織るコートを掃いしつけ、苔むす通路へと歩いていく。


 先ほどの慟哭が嘘のように静寂。足音だけが響く中、出口らしき明りが男の目に映る。


「……」


 外に出た男。お生い茂る見た事もない植物と木々に内心驚くが、先ず男がした行動は――


「スゥーー」


 深呼吸だ。


 鼻から一気に空気を吸い込んだ。待っていたと言わんばかりに顔が綻び、背中が反り返る。


「フゥ――」


 腰に手を当てながら息を吐きだした。


 そして勢いよく開眼。


「不味い!!」


 一人目くじらを立てる男。


「自然界の魔力があると思えば何だこの喉に絡む不快な瘴気は!」


 マシンガンのように早口で苦言した男。額に青筋を立てて顔を赤くしている。


「それに何だこの像は! 悪趣味だ、我の趣味には合わん!」


 奇怪な像の前に行くと喚き、足で像を破壊し八つ当たりする。


「お前もだ!」


 すぐに隣の像に向かい同じく八つ当たりする。角の生えた奇怪な像が瓦礫となり果てる。


「分かっておらぬなぁ。我なら四大精霊の二精、ウンディーネとシルフの像を置くのだが……」


 目を瞑り物思いに耽る男。


「水の透明感をそのまま思わせる綺麗な肌に、流れるような美しい長髪」


 鼻の穴が大きくなる。


「端麗な容姿に透明な羽。無邪気に飛ぶ姿が何とも愛らしい」


 男の頭の中にそれぞれのシルエットが浮かぶ。


「やはり美しさはこうでなくてわなぁ……」


 自分の美的センスを自画自賛していると、どうしたのだろうか。


「……」


 無表情で静止する。何か思う事があるのだろう、一人だと言うのに重い空気を漂わせる。


「……」


 瘴気を運ぶ温い風が男の髪をなでる。張り詰めた空気を醸し出し、右と左と首を振る。そしてふと空を見上げた。


「――」


 刹那、世界は音を無くした。


 男を一瞬で飲み込んだ大きな力。その強烈な力が木々を薙ぎ倒し、烈しい力が大地を砕き、劇しい力が大気を焼き、濘猛ねいもうたる力が空間を壊す。


 耳鳴りさえも許さないと破壊の権化が膨張していき、光の線を残して収まる頃には悉くを灰燼と化していた。


 歪んだ空間が正常へと回帰するが、破壊の余力が辺りにまだ残っており、時折大気に反応して小さな稲妻を発生させる。


 神殿すらも無きものにした数キロにも及ぶ破壊。伸びきった端の断崖から水が漏れだしている。この世の終わりを想起させる一撃にも拘わらず――


「……戯れだな」


 この男だけは無傷でいた。


「ふん、随分な挨拶ではないか。我でなければ灰すら残らんと言うのに……」


 呆れを含む口調で男は言った。その視線の先には存する者が居た。


「抑えてたとはいえ、開闢の一撃を受けても無傷だなんて……やっぱり人間辞めてるね」


 笑いを含む口調で彼は言った。背に十二の黒い翼を持ち、ゆっくり降りてくる姿は、どこかの崇高な絵画の様だ。


「あの結界に残った微かな魔力。お主、さてはわざと残したな?」

「あ、やっぱりわかった? おかげで君の存在を探知できた」


 翼を持つ男が近づいて来る。握手できる距離で止まると、翼の男は口を開いた。


「君の帰還を心から歓喜するよ、サム――」


 いや、と否定して言い直す。


「お帰り、サミュエル」


 男、サミュエルは彼の言葉に白い歯を見せ、口を開く。


「ああ、帰って来たぞ。我が友、ルシファーよ」


 お互いの手を握って握手する。


 空に浮かぶ光源が、旧友の再会に、少しだけ明るくなった。

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