第22話 末っ子はオタク女子だった

「……う、うぅ」


 イリアは恥ずかしそうに顔を伏せていた。見せたくない弱みを見せてしまった、とでもいったところだろうか。


「恥ずかしがることはないよ」


「だ、だってだって、はずかしいもん」


「イリア、君はちゃんと日本語をよめるようになりたいんじゃないのか?」


「どーして、そうおもったの?」


 くいついてきた。俺は内心、ハラハラしつつも、慎重に言葉を選ぶ。


「涼音が持ってきた漫画の台詞に、ロシア語っぽい翻訳が書いてあった」


「!!」


「そこまでして読みたいっていうことは、それだけ大好きってことだよな」


「……うん」


「なら、読めるようになろう」


「でも、むずかしいから……」


「俺が手伝う。だから、安心してくれ」


「ほ、ホント? イリア、日本語がわかるようになる?」


「ああ。俺がつきっきりで教える。そうしたら、だいたいの言葉は分かるようになる。難しい漢字以外は分かるようにしてあげられる」


「ほんと? ほんとうに!? だったら、がんばる! わたし、ちゃんとよめるようになりたい!」


「イリアは漫画が好きなのか?」


「う、うん。まんが、だいすき。でもね、ゲーム、アニメも、だいすき」


 イリアは、素直にはにかむ。

 こうしてほほ笑んでいる姿を見ると、年相応に愛嬌がある。


「かわいい女のコ、かっこいい男のコ、いっぱい。みんなキラキラしてて、だいすき」


 ほわんほわん、と効果音が付きそうなほどのうっとり顔である。

 あどけない顔が、ゆるゆるに揺らぐ。少女特有の想像力で、彼女の頭の中に好きなキャラが踊っているのだろう。


 アニメ、ゲーム、漫画か。俺も子供のころは夢中で見ていたよ。

 今みたいなスタイリッシュなキャラばっかりじゃなくて、根性とか努力で無理やり難題を乗り越えていく姿には、心が躍った。


 あんなヒーローになりたいと思って、でもなれなくて、いつの間にか現実に飲み込まれていた。つまらない、苦しい、そんな思いばかりを抱える日常だった。


 ……俺は、イリアにどうなってほしいのか。しょせんは他人、家庭教師としての責務を全うすれば、給与や立場は守られる。今はそんな立ち位置だ。


 ……だが、それでイリアに接したら、彼女の気持ちなんて、どこにもなくなってしまう。


 彼女は、一人の人間なんだ。

 俺は、イリアに聞いてみることにした。


「何か、したいことはないか?」


「したいこと?」


「ああ。俺にできることなら、何でも言ってくれ。もちろんアニメにかかわりなくてもいい」


「なんでもいいの……?」


「ああ。何でもだ」


 俺の言葉が本気だったのは、態度から伝わったようだ。

 はじめは半信半疑のような顔をしていたのだが、やがて、おずおずと机の引き出しを開けて、そこから一枚の紙を取り出した。


「これ、いってみたい」


「ん? なにこれ」


 俺は覗き込む。そこには、衝撃的な絵があった。


「でぇぇ!? な、なんだこれ」


 肌を大胆にさらした美少女のイラストが、所せましと書き込まれたのは、とある場所で大々的に開かれているイベントの告知だった。


 目が大きく、どの子も色とりどりの服を、半脱ぎのようなヒラヒラした状態で躍動感のあるポージングをしている。


 問題は、その恰好だった。

 布地が極端に少ない。そういえばコミケって、半脱ぎのコスプレをしたりする子も多いんだっけ。子供には目の毒なんじゃ……


 俺はこっそりとイリアの様子を盗み見るが、その目はキラキラと輝いている。


「こ、コミケ? っていうイベント、やってるんでしょ? いきたいの」


「いって、なにするんだ?」


「こ、これ」


 と、イリアは一つの場所を指さす。そこは、コスプレブースだった。


「まほうしょうじょマリアンヌのコスプレ、してみたい」


「こ、コスプレすんの!? みんなの前で?」


「セ、センセ? だめなの? さっきなんでもいいっていったじゃない」


「い、いいけど……はずかしくないのか、それ」


「どうして? ぜんぜんはずかしくないよ! みんなにみてもらいたい!」


 ……内気なのか大胆なのか、分からない子だな。


 だが、ここまでテンションが上がっている以上、連れて行かないという選択肢はないだろう。


「わ、分かった。行くよ。イリアをそこに連れて行ってあげる」


 俺は覚悟を決めた。


「ほんとう? いいの?」


「ああ、いいとも。実は俺、このイベント、面白そうだなって思っていた。俺も一回、行ってみたかったんだ」


「……うそでしょ? ホントに好きなの?」


「好きだよ。俺も昔は、よくアニメを見てた」


「ほんと!?」


「ああ、そうだ。最近、大昔のロボットアニメの新作が出ただろう? あれ、ずっと好きでさ。初日に見にいったよ」


「ガンガリオンのこと?」


「そうそう! あれ面白かったよマジで! 主人公のダンテが、めちゃくちゃカッコイイアクションでさ!」


「せ、センセも、そうおもうの?」


「思う思う。なんでコイツ戦ってるんだろ、って思ったけど、話が進むとどんどん秘密がわかっていってさ。で、ヒロインの女の子、あの子もよかったよな」


「うん! わたし、ジュリアンのこと、だいすき!」


 目がキラキラ輝いていた。

 それから、俺とイリアはアニメの話をずっと続けた。


 アニメを語っている時のイリアは、素直であどけない、年頃の少女だ。

 強気で冷淡なのは、俺や男を遠ざけるための演技なのだろう。

 俺は胸が苦しむのを感じていた。


「よし、じゃあ、次の国語のテストでいい点が取れたら、コミケに連れて行ってあげるよ」


「ホント? ホントに!?」


「あぁ、俺はイリアの先生だ。嘘は絶対につかない」


「わぁ……」


 イリアの笑顔が、ぱぁっと花開く。みとれてしまいそうなほど、まぶしい笑顔だった。


「ありがと、センセー」


「やっと俺に笑顔を向けてくれたな」


「ご、ごめんなさい、今まで、いやなたいどをとっちゃって」


「いいよ。俺はイリアに、いろんなことを楽しみながら、成長してほしいんだ」


「センセー……」


 瞳を潤ませて、イリアが俺を見つめる。その目には、もはや嫌悪は伺えなかった。


「さ、じゃあさっそく勉強しようか? 日本語を覚えて、もっともっとアニメを楽しめるようになろう」


「はい、わかりました」


 イリアは、ようやく俺の言うことに素直にうなずいてくれた。

 俺は達成感を覚えながら、その日もまた、国語を教えるのだった。

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