第23話 好きなものは好き
翌日。俺はイリアと雑談しながら勉強を教えていた。
「わたしね、ほんとはママとはなれるの、いやだったの。ロシアに行ってもよかった」
「そうだろうな」
「けど、やっぱりわたし、アニメがだいすき。ゲームも、まんがも、好きなの。大好き」
大好きなものを捨てられない。その気持ちは、とてもよくわかる。
「アニメなんてそろそろ見るのをやめなさいって、いわれたこともあるよ。でも、やめられないの。だって、すきなんだもん」
イリアの顔が曇るのを見るのが辛い。
「ばかな子だと思う?」
「思わないよ」
俺はきっぱりと言う。これはもう、そうとしか答えられない。
俺には、そんなものはなかった。好きで好きで仕方なくて、夢中になれるものなんてなかった。だから、自分の人生をめちゃくちゃにされるようなブラック企業に入って、そこで何年もすごしていたんだろう。
人生の軸足が、自分の元になかったんだ。
「そこまで好きでしょうがないなら、その気持ちを大事にするべきだ」
「……センセー」
「だって、その好きっていう気持ちは、今しかないものだろう? 今じゃないと楽しめない、そういうものだ。なら、イリアの気持ちを最も優先するべきだって思う」
「ありがとう、センセー……わたし、センセーにあえてよかった」
にこりと笑うイリアは、今まで出会ったどの子よりも、純粋であどけない。
俺は、この笑顔を守りたいと、強く思っていた。
◇◇◇
それからもイリアは勉強を重ね、日本語の読み書きが前よりもずっと上達していた。
学校の成績も、前に比べて上がってきているようだ。
そうして数日がたったある日、イリアはテストの答案用紙を持って、俺のもとに駆け寄ってきた。
「こりゃ、アニメ効果だな」
俺は答案を見せてもらいながら、喜びをかみしめる。
「すごいじゃないか。満点だなんて」
「センセーのおかげ! ありがと、センセー!」
イリアは飛び跳ねて喜ぶ。それだけ頑張っていたのだ。よほど嬉しかったのだろう。イリアは俺の手を取る。
「これで、イベントにつれてってくれるんだよね?」
「ああ。約束だったもんな」
俺は当たり前のようにうなずく。
これは、この子との約束だ。生徒との約束は絶対に守る。それが俺の、ここでの決まり事だった。
「楽しみだな、イベント」
「うん!!」
俺を見て微笑むイリアは、とびっきりの美少女だった。
◇◇◇
「センセー、手をはなさないでね」
舌ったらずな言葉遣いで、俺の手に自らの小さい手を重ねる。
イリアは緊張しているようだった。
念願のコミケ、それも、大好きな作品でのコスプレ大会もある。
各ブースを、興味津々な様子で見まわるイリアの手を引きながら、俺は共に歩く。
しかし、このコミケというイベントには始めてくるけど、こんなにも人がいるんだな。
朝のラッシュを避けて正解だった。この人数の中をはぐれないで歩くのは、まず無理だ。
「あのほん、カバーの絵がかわいい」
漫画好きのイリアは、並べられている見本誌を見て、目を輝かせていた。
無理もない。この場にあるのは、セミプロの原稿だ。俺も来るのは久しぶりだが、レベルはとんでもなく上がっている。
プロの目に留まるのを期待している作家もいるくらいだから、ハイクオリティなのは当然なのだ。
そうして歩き続けて、俺たちは目的地に到着した。
目的地、それは今日、ここで行われるコスプレイベントだ。
「センセー、はやくはやく!」
人と人の間をすいすいと抜けていく。さすが、小柄なだけに動きがすばしっこい。俺は何とかイリアを見失うことなく、跡をついていく。
そして、俺たちはコスプレ大会の場所に着いた。
「すごいね、コスプレしている人、たくさん」
「ああ。それもみんな、美形の人ばかりだ」
俺は、ぐるっと見回してみた。
ネタっぽい恰好をしてる人もいるけど、
な、なんか、エロいコスプレが多いな……人の視線を集めて注目されたいっていう欲求が強い人は多いって言うけど、それにしてもここまでするもんなんだな……
俺はまわりを見回す。
すると、ぐいぐいと裾を引っ張られた。
「センセー、わたしは?」
「ん?」
「わたしはどう? かわいい?」
「あ、ああ。似合ってるよ」
どこからこんな衣装を買ってきたのか分からないけど、びっくりするほど似合っている。
俺はまじまじとイリアを観察する。
「うん、イリアがイチバンだ」
俺はイリアの頭に手をのせ、ぽんぽんする。そろそろこれくらいなら許してくれるだろう。
「んむ……ん」
くすぐったそうに、イリアは目をほっそりとさせる。かわいい。
「センセー、わたしの髪の毛、ほわほわでしょ?」
「ん? ああ、いい手触りだよ」
「じゃ、いつでもさわっていいよ」
俺の手に自らの手を重ね、伏し目がちにいう。思ったよりもいい返事だった。
「そのかわり……あんまりほかのひと、みないでね」
ん? 嫉妬してるのかな?
こういうところ、まだまだ子供なんだな。俺はそう思い、小さく笑う。
俺が口を開いて何かを言おうとしたとき、ベルが鳴った。
コスプレイベントの開始の合図だった。
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