第18話 好きって気持ちでいっぱいの普通の子
俺は部屋を出る。
この子がこんな表情をするなんて。
いつも底抜けに明るい涼音の曇った顔なんて、調子がくるってしまう。俺は涼音を守りたい。だけど、俺の力じゃ守り切れないかもしれない。なにせ俺は体力のない貧弱なモヤシだ。腕自慢の奴に絡まれたりしたら、俺なんてイチコロだろう。
となると、どうする……。俺が悩んでいると、一人の人の名前が思い当たった。
俺は思い切って、その人のもとにお願いをしてみることにした。
◇◇◇
そして、オーデションの日がやってきた。
「いい日じゃーん。なんかいいことがおきそ―♪」
俺と涼音は隣り合って歩く。オーディションの会場は、最寄り駅から徒歩で五分くらいの建物だった。
俺と涼音は二人で並んで速足に歩く。道は広く、車道には車が走っている。道端には店が点々と立っていた。
繁華街ではないものの、それなりに人の数はある。
こんな場所では何も起きないか。
俺はそんなことを想いながら、他愛ない話をしながら涼音と歩く。
「あ、あそこの道の向こうだよ、会場」
涼音が歩みを早める。俺はおいていかれないように、少し駆けた。
目指す場所までの距離は、そう遠くない。
道は人気が少なく、都内にしては閑散としている。
俺は、道を歩く涼音を遠くから見守りながら、半ば安堵していた。
その時だった。
「やぁ、お兄さん」
大柄な男が四人、俺と涼音の前に立ちふさがった。
「はぇ!?」
涼音が悲鳴ともとり切れないような、高い声を上げる。
「何か用か?」
みるからにこわもての男たちが、涼音と、その隣の俺に声をかけてきた。
「そこのお嬢ちゃんに用事があるんだ。あんたにはちょっと、引き下がってもらいて―んだが」
男はそれだけ言うと、俺の腕をとった。ぐい、とひねり上げられ、俺は体勢を崩す。
「ぐ!」
思わず声を漏らす。もがいても逃げられない。体をひねっても、そんなのは強引に抑え込まれてしまう。
痛みが、骨にまで届く。俺は痛みに顔をゆがめることしかできなかった。
「やめて! ひどいことしないでよ!」
涼音の悲鳴が遠くから聞こえる。やめてくれ、そんな声、出さないでくれ。俺はそう思うことしかできず、うめく。
その直後、だった。
「ぐあ!」
「がは!」
短いうめき声と共に、俺を抑えていた力が緩む。
ついで、ばたた、と音がして地面に数人の男が倒れ込む。どの男も、腕や足を抑え込み、激痛に顔をゆがめていた。動けそうにない。
残りの一人が、怯えたように、うろたえていた。
「大丈夫でしたか、工藤様」
そこにいたのは、あの事故の夜に社長と共にいたロベルトだった。
「無粋とは思いましたが、散歩している最中にちょうどでくわしたものですから、つい」
「ありがとう、ロベルトさん。強いんですね」
「はは……社長直属のボディガードですから」
ロベルトさんにお願いしていたのは涼音の護衛という、本来は俺がするべき仕事だ。恥ずべきことだが、やはり頼んでおいてよかったと思う。
俺は、ロベルトにその場を任せることにした。
「あ、にげた!」
涼音の声の通り、うろたえていた男が走り出す。
俺は、その男のあとを追う。走り去っていく男の一人が、道路を曲がり、その奥に行く。
後を追う俺は、その男が向かった先にいる少女を見て、あ、と声を上げた。
その少女の顔を、俺は知っている。
男と少女は、観念したようにたたずんでいる。ロベルトは男の腕をひねり上げ、喚き散らすそいつを強引に引き連れていく。
そうして残された俺と少女は、もう一人の主役の登場を待った。
やがて、その主役はやってきた。
到着した彼女が、肩まで伸びた髪をなびかせる。そうして、そこにいた少女を見た時、丸くて大き目をしっかと見開いていた。
「よりちー……」
愕然としているのが、遠目でもわかった。俺は涼音に近寄る。
涼音は俺に構わず、その少女の元へ近づいていく。
少女……谷川頼子のもとに。
「このメッセージ、よりちーのだよね」
「気づいてたの?」
「あの男の人、よりちーのインスタの写真に出てた人でしょ。うち、彼氏がいるなんてしらなかったから、びっくりして覚えてたんだ」
よりちー、と呼ばれていた少女は、歯噛みしていた。
谷川頼子のことは、調べてあった。舞台稽古や芝居の場で、若手に厳しく当たることで有名な子だという記事を見た。
自分に厳しいが、他人にはもっと厳しい。気に入らない子はいびりのレベルまで追いこむこともある。
実力派、だが自己中心的……そんな評価の子が、歯噛みしていた。
涼音を睨みつけながら。
「よりちー、そんなにうちのこと、嫌いだったの?」
「そうよ、嫌いよ」
頼子は、ためらいなく言い捨てた。
「いいわよね、あなたは。有名企業のお嬢様で、そのコネで苦労もなくモデルになれて、そして仕事も来て。実力もないのに!」
だんだん、と頼子は地面を踏みしめる。怒りを込めて。
「私は頑張ったわ。自分を磨いた。うちは貧乏だったから、必死でお金をためた。周りの奴らを蹴落としてきたわ。けど、あんたは何事もないみたいにあたしにくっついてきて、どんどん評価をあげてった」
頼子の怒りは、涼音の能力に向けてのものだったのか。
「今日のオーディション、本当はあたしが出るはずだったの。なのに、なんであんたなんかがうけることになってんの? 横入りすんじゃないわよ!」
頼子が手を振り上げて、涼音の頬に振り下ろす。
ばちん、と音が響いた。
「気が済んだ?」
涼音は、穏やかだった。頬を赤くはらしながらも、それでも頼子から目をそらさない。
頼子は、ぐ、とたじろいだようだった。
「うるさい……!」
わなわなと震える少女は、その美貌をゆがめる。美しい子であるのは確かなのだ。だが、それはゆがんでいた。
「なんでよ!? なんであんたばっか! 実家は金持ち、何にも不自由してないアンタが、どうして……!」
「ね、よりちー。聞いてくれる?」
涼音はそれをさえぎる。いつもの底抜けに明るい声とは違う、麗衣のようなおっとりとした声だった。
「うち、目標があるんだ。よりちー、うちね、演技の勉強してんの」
「は?」
「女優になりたいんだ」
「……は? 女優」
「だから、もっときれいで可愛くて、素敵な女の子になりたいんだ。お芝居してるときの、よりちーみたいに」
ば、と涼音は頭を下げる。
頼子は、意表を突かれたようだった。表情が、驚愕に固まる。
「ね、よりちー。うちのこと嫌いなままでいいよ。でも、うちさ。すっごく大切なことを教わったんだ」
頼子は、だまった。もはや反論する気もないのだろう。
「誰かを嫌いな気持ちでいる可愛い子よりも、何かが好きって気持ちでいっぱいの普通の子の方が、ずぅっと魅力的だよって、教えてくれたの」
俺の言葉を、そんな風にとらえてくれていたのか。
「うちね、モデルの仲間のみんなを尊敬してるよ」
「……」
「うち、まだ可愛くなれるって思ってる。だって、モデルの仕事、大好きだもん。みんながうちを見て、可愛いって言ってくれるの、大好き」
「あんたは……」
頼子は、まだ何かを言おうとして、やめた。
「可愛くなりたいって言って、頑張ってる子を見るの、うち、大好きなんだ。頑張ってるよりちー、尊敬してる。大好き」
涼音の声は、小刻みに震えている。
言いたくても言えなかった言葉を、こんな形でいうことになったのがやるせない……おそらく、そうだろう。
「うちは、そんな風にしてる子だから、憧れたんだよ、よりちー」
「……うそ」
「ホントだよ。だからね、よりちーも、自分のこと、もっと見てあげてほしいな」
「……涼音」
頼子は、感じ取ったのではないだろうか。
この少女の器が、自分の狭苦しい心では推し量れないほどに、大きいということを。
「うちはよりちーのこと、嫌いにならない。だって、うち、よりちーが目標だったから。うぅん、これからも、目標にしていたいから」
「あたしが、目標、なんて」
「よりちーは可愛いよ。うちみたいに、めっちゃくちゃ努力しなきゃ可愛くなれない子と違う。ありのままのよりちーが、とっても可愛かった。だからうち、よりちーに憧れてたんだよ」
涼音は頼子に手を差し伸べた。
「うち、よりちーの事、友達だと思ってていい? 好きなままでいい?」
頼子はうなずいた。そして手をとる。
もはや、暴漢騒ぎは収まっている。抵抗などする気もないのだろう。
「これからも、あこがれの先輩でいてよ、よりちー」
頼子は、顔を伏せつつ、うなずく。
顔を上げた頼子は、どこか濁りが取れたような、清らかさを宿していたような気がした。
そうして、頼子はその場を無言で去っていく。その胸中には何が去来しているのだろう。俺たちへの怒りか、それとも自分への失望か。
俺は彼女の事を知らない。だけど、そこから彼女が立ち直るには、自分の意志の力が最も必要だ。そして、その意志力を持っている子だと、なんとなく感じていた。
俺は一件落着したことで安堵し、立ちすくむ。
すると、俺の脇をつんつんとつつかれ、そちらを見た。
「ゆっきー、ありがと。うち、本当は、少しよりちーのこと、嫌いになりかけてたんだ」
涼音が、俺の隣に立ちながら、はにかむ。その瞳は、遠くに去っていく頼子の背中を映し、ゆらゆらと揺れていた。
「でもさ、ゆっきーが、元気にニコニコしているうちがイチバン可愛いって言ってくれて、気持ちが固まったの」
「固まった?」
「うん。固まった。これから、うちはどういう風にするのかって」
?? よくわからないな。
俺はほとんど置いてけぼりのような気持ちだった。
「さ、オーディション会場に行かなくちゃ。ね、ゆっきー。一緒に行こうよ」
「お、俺も?」
「大丈夫だよ。ゆっきーに見ててほしいんだ♪」
そういうと、俺の手を取る。
俺はためらったが、はにかみ笑いを崩さない涼音の手を、俺は取った。
「えへへ。んじゃ、レッツゴー♪」
涼音は、俺の手をぐいぐいと引く。それは初対面の時に、俺に迫ってきた時の彼女の勢いと同じだった。
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