第17話 次女は頑張り屋

 そうして、十日ほど過ぎた。


 俺はその間、一日として欠かさず涼音の部屋に来ていた。

 まずは涼音の勉強を集中的に見ようと思ったのだ。


 彼女は思った以上に勉強熱心だった。俺が隣にいて見張っているからかもしれないが、きちんと集中して取り組んでいる。


 この調子でいければ、成績は改善するんじゃないか? 俺は彼女の勉強の光景を見守りながら、手ごたえを感じていた。


 そうして、今日もつつがなく勉強の時間を終えることができた。


「今日もお疲れ様」


「うん。ホントに疲れたよー」


 涼音は後ろに倒れ落ち、仰向けに横たわる。


 ぷるん、と豊かな乳房が揺れて、ふくよかな乳が山盛りになる。俺はあわてて目をそらした。この子は無防備すぎる。油断してると、すぐにこういうハプニングが起きるのだ。


「よく頑張ってるな。正直、意外だよ」


 俺は涼音の色気から気をそらし、勉強をがんばっていることを称えた。


「途中でくじけて逃げ出すかと思ってた」


「そんなことしないよ。目標があるもん。ゆっきーに信用してもらわなきゃ、うちの夢はかなわないじゃん」


「そうだよな。涼音はそういうとこ、しっかりしてる子だもんな」


 俺はこの数日で、涼音という少女を把握しつつあった。


 ちょっと抜けていて明るくて少しおバカだけど、やりたいことのためにはどこまでも一所懸命になれる。いまどきの子っぽい軽さで誤解されがちだけど、これが涼音という少女なのだ。俺は、この子のことが、いつの間にか大好きになっていた。


「あ、そうだ、夢といえばぁ、これこれ♪」


 いいながら、涼音は一枚の紙を取り出して、俺に見せた。そこには、新作ドラマらしきチラシの内容と、新世代の役者をオーディションで採用するというようなことが書かれていた。


「オーディション受けることになったの!」


「一般人が受けられるのか?」


「もちろん事務所の推薦だよ♪ うち、事務所の先輩から話をもらったんだ♪ 枠を取ってあげたから、オーディション、受けさせてあげるよって、えへへー♪ 持つべきはいい先輩だよねー♪」


 事務所からの推薦か。涼音の評価は事務所の人からも高いようだ。

 涼音はぴょんぴょんと飛び跳ねる。実にうれしそうだった。


「ねね、ほらこれみてよこれ♪ ゆっきーの言う通りに勉強してたらさぁ、習ったことのある漢字が台本にあんの! 運命的じゃね?」


 言われて見た台本の中身は、日常会話のものだった。ありふれた言い回しで、どれもこれも難読文字じゃないんだが……まぁ涼音が喜んでるならいいか。


「この台本の役を演じて、審査員の評価が高かった子が、そのドラマに出られるんだよ! うち、これで全国デビューしちゃうかもぉ♪」


 浮かれている涼音が、ぴょんぴょんと飛び跳ねる。なんとまぁ、常に前向きなのはいいことではあるのだが。


「あ、電話かかってきた。よりちーからだ!」


 ぴ、と音を立てて涼音が携帯をいじる。


「うん、うん。頑張るよ♪ たぶん、うちは受からないと思うけど……あはは、よりちーだったら楽勝だったよね、ごめんね」


 ん? なんか声が、微妙に暗いような。


「うん、うん……わかった♪ 注意してみる。うん、わかってるよぉ、あはは」


 注意されているのだろうか。電話の声が、漏れて聞こえていた。


 どうにもこうにも、親しいという感じにしては、厳しい言葉が聞こえていた。

 話している最中の涼音の顔色が曇る。


 時折、厳しい声が漏れて聞こえてくる。それを聞いた涼音が、あははと愛想笑いして返答している。


「じゃーね、また遊びにいこ♪」


 そういって、涼音は電話を切った。


 はぁ、とため息をつき、涼音は俺へと目を向ける。どことなく、その目にはいつもの明るさがないように思えた。


「あははー。激励の言葉もらっちゃった」


「激励、本当に?」


「そだよ。よりちーね、けっこう厳しいんだ。妥協がないっていうかさぁ。実力で上がってきた子だからっ」


 実力で勝ち上がってきた、か。つまりそれは、プライドの高い子、ということなんだろう。


「あいつが嫌、とか嫌い、とか、けっこうハッキリ言っちゃうタイプなんだよ。でもね、それ以外はホント、すごい子なの!」


 あこがれの子は少し性格がきつい子なんだな。時折みせる複雑な表情からは、涼音の心の移ろいが見て取れた気がした。


 尊敬している。けど、強く当たられるのが、きつい。

 そんな感じなのだろうか……


 俺は考えた。こういう時に言う言葉って、どういうのがイイんだろう。


 しばらく考え込んで、思ったことを脚色せずに伝えることにした。


「誰かを嫌いな気持ちでいる可愛い子よりも、何かが好きって気持ちでいっぱいの普通の子の方が、ずぅっと魅力的だよ。少なくとも俺は、そう思う」


「?? 急にどうしたの?」


「涼音の気持ちが、軽くなったらいいなって思ってさ」


「……わかんない」


 涼音は、ぽかんとしていた。俺の急な言葉が、意外だったのだろう。


「涼音は、これからもっともっとたくさんの経験をする。その中には、すごく嫌な思いをしたり、やりきれない気持ちになることがあると思うんだ」


 俺の言葉を、涼音はしっかりきいてくれているだろうか。


「嫌われたり、嫌がられたりすることがあるかもしれない。そんな時にも、好きで好きで仕方ない、って感じで跳ねまわってる涼音のままでいてほしい。そんな涼音が、俺は好きだ」


 俺の予測があっているかどうかは分からない。だが、俺はさっきの電話をしている最中の涼音は、楽しそうにしているように見えなかった。


 嫌われている、煙たがられている、それに気づいていながら、なお明るく振舞っているように見えた。


 そんな涼音の姿に、何かを言いたかった。

 涼音は反応しない。じぃっと俺を見返す目が、すぅっと横に一本の線を引いたようになる。


 やばい。嫌な言い方だったかも。俺がひやひやしていると、涼音は俺を横目で見ながら、きゅっと目を細めた。


「それってつまり、うちがあんま可愛くないってことぉ?」


「へ?」


「うちが、そんなに可愛くない普通の子って言う風に聞こえたんだけど、いま」


 涼音は目の端を軽く持ち上げ、俺を見据える。

 やべ、たとえ話が良くなかった。


「うち、可愛くないってきこえたんですケドぉ? ねーねー、人のことを、さんざっぱらエッチな目で見ておいてそれえ?」


「お、俺が? 涼音を? エッチな目で見てる?」


「見てるじゃーん。うち、気づいてんだからねー? うりうりー」


 涼音は俺の脇腹を肘でえぐる。くすぐったい。


「うちだって、一応はプロのモデルなんだよ? こんな間近から、プロのモデルのオッパイを見れるなんて、ラッキーだなって思わない?」


 涼音は無防備に俺に絡みつき、そのまま弾むように全身を跳ねさせる。

 弾むような言葉に、躍動感あふれる飛び跳ね方で、びょいんびょいんと俺の前で何度も跳ねて見せる。


 困った。

 テンションが上がったからそうしてるだけなんだろう。全く他意はないんだろうが、涼音が飛び跳ねるごとに、その胸が大きく上下にたぷたぷと揺れる。


 薄い布地の私服姿のため、谷間がくっきりと刻み込まれている。

 湿気のある空気のためか、服は薄く透けて、その下のブラジャーの模様が浮かび上がっていた。


 ブラの色は水色か……形の良いメロンのような乳が、たぷん、と揺れるのは、ひどく煽情的だった。


 そうして目に毒な光景をしばらく続けていた涼音は、やがて飛び跳ねるのをやめて、俺の前で軽く息を弾ませつつ、頭に手をやった。


「えへへ、どーだった? うち、可愛いっしょ♪」


「な、なんだって?」


「うちの可愛いとこ、みせたげたの♪ こういうのが可愛いって、ファンの人からはよくいわれるんだ♪」


 自分で自分を可愛いっていうのか。自意識過剰、と言ってやりたかったが、悔しいことに本当に可愛かったから、俺は何も言えない。


「ゆっきーもさ、けっこうイケメンだよね。うちね、最初に見た時、ちょっとイイ男じゃーん、って思ったんだー♪」


「お、大人をからかうなよ」


「あはー、照れてる♪ かわいー」


「からかうなっての」


 俺は髪をかきむしりつつ、


「ありがと、ゆっきー」


 そんな顔をする涼音を、俺は真正面から見て、悶絶しそうになっていた。


 とんでもない美少女だ。たぶん、努力とか才能とか、そういうのを超越した美が、涼音にはある。


「なーんてね、えへへー。はい、今日はお休みー」


 涼音は明るく飛び跳ね、俺から離れる。


 俺は困りながらも、この空気感に悦びを感じていた。

 俺たちは前よりもさらに打ち解けた感じがしていた。


 生徒と先生の間柄にしてはちょっと馴れ馴れしすぎるが、それもまた今の時代っぽくていいと思う。俺はそう実感していた。


「ね、ゆっきー。ちょっと相談したいことがあるって言ったら、乗ってくれる?」


 運動が終わった後、涼音がそんなことを言う。俺は首を傾げた。


「勉強のことか?」


 涼音は首を横に振る。


「私生活のことか? 俺が答えられるようなものなら、答えるぞ」


「んー……ちょっとね。ひっかかることがあってさ」


 涼音は困り顔で、床へと視線を落とす。どうしたんだろう。らしくないな。


「どんな内容なのか、教えてくれないか?」


「……うん」


 涼音は、携帯電話の画面を俺に見せた。さっきのインスタの画面だ。


 もうコメントがついているのか。

 その中に、目立つ長文のコメントがあった。

 長文の中に見えたもの、それは、悪意の塊だった。


 ……消えろ、いなくなれ、やめろ、もう見たくない。


 そんな内容の文章が、いくつもあった。


「荒らしコメントか?」


「……けっこう前から続いてるの、このコメント」


 涼音が沈んだ顔をする。この子がこんな顔をするだなんて。


「でね、このメッセージ、見て」


 画面をのぞき込む。そこには、「変な夢みるな。ぜんぶあきらめろ。やめちまえ、ブス」


 そんな文章が乗っていた。


「何だよこれ、ひどいじゃないか。誰かに相談したのか?」


「いちおうね。けど、警察は何かあってからじゃないと動いてくんないんだって。あーあ」


 あーあで済まされるのか、これ


「で、さ。お願いがあんのッ」


 涼音は、俺の前で手を合わせて、祈るようなポーズをとる。


「オーディションに、ついてきてくれる?」

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