第8話 神楽坂家の事情
「ここまで聞いて分かっただろう? 先日、彼は自分の命に危険が及ぶのも顧みず、私を助けてくれた恩人だ。彼は、みんなの家庭教師に相応しい人だと思う」
「い、いや、社長」
「いいんだ。言わせてくれ」
社長は息継ぎすら面倒くさいと言わんばかりに、言葉を続ける。
「私は、ここまで会社を大きくする際に様々な困難に見舞われてきた。会社の評判を落とそうとする記事や株式買収の話、そのほかにもいろいろだ。だが、その都度、自分の実力でなんとかやってきていた」
まぁ、なんでも自分でやりたがりそうな印象の人だからな。この家庭教師の件だって、ここまで強引に進めてきて、なんだかんだ思った通りに物事を進めている。社長としての手腕は確かなのだろうと思う。
「だがしかし、一人の力では限界がある。この会社が宇宙開発の筆頭企業になりあがれたのは、従業員のみんなの力があったからこそだというのは分かっている。つまり、私たちには力強い味方が必要なのだよ」
俺が力強い味方なのか……過大評価にしか思えないんだが。
「力強い味方、それは高い教養と道徳心、何よりも善良な心を持つものだ。それを私は、感じ取ったのだよ」
……俺、善良なのか?。
「彼は学業優秀だ。国内有数の有名大学の卒業生という実績があり、会社のエンジニアとしての実力も折り紙付きだ。このような逸材はそうそう居ない」
過大評価もここまでくると、大丈夫なのかと思ってしまうんだが、もう社長の中では決定事項のようだった。
「私は、彼にこの家のことを任せようと思う」
「……?」
俺は目を丸くした。この家のこと? どういうことだ? 家庭教師ではなくて?
「あの、この家のことを任せる、というのは?」
「言葉通りだよ。君にはこの家に住み込みで働いてもらう。家庭教師、そしてこの子たちを導く、人生の先生としてね」
「じ、人生の先生!? 家庭教師と関連がないように思えますが?」
「いや、おおいにあるのだよ。私は君に、この娘たちの学力向上だけを任せたいのではない。これから世界、いや宇宙に羽ばたく超大企業
俺は唖然とした。それは少女たちも一緒のようだ。麗衣もイリアも、開いた口が塞がらないという表情だ。ちなみに涼音は、のんきにニコニコしている。理解してないのか、この子。
「家庭教師という響きが先入観を与えてしまったようだね。すまない」
「い、いえ」
「工藤くん。君は娘たちの教育係として共に棲み、この子たちを磨き上げてほしい。君のような学力を持ち、君のような誠実さを抱き、君のようなやさしさに溢れ、君のような責任感のあふれ出る人間に、娘を育て上げてほしい」
がっしりと、社長は俺の両手を握る。
「何も特別なことをしろといっているわけじゃない。娘たちとコミュニケーションをとって、君の生き方や考え方を吸収させてほしい。自然な君の姿を見せてほしい。それだけなんだ」
少年のような目の輝きは増しに増し、俺をとらえて離さない。これは……話を聞き入れてもらえるような状態じゃないぞ。
しかし、黙ってもいられない。過大評価というより、これは誤解だ。俺への勘違いな期待で、できないことを任されても、困るのはこの子たちなんだ。
俺は声を出そうと思案する。
すると。
「私たちの気持ちは、どうなるんですか……!?」
おとなしくしていた麗衣が、口を開いた。
「お父様、私たちはもう子供ではありません。自分のことは自分で決めます。やりたいことも、なるべき姿も自分で決めて、自分の理想の姿に育ちます」
「そ、そうだよ、おねえちゃんの言うとおりだよ、パパ」
長女の麗衣と、三女のイリアが訴えを上げる。
「お父様と工藤さんは、まだ知り合って数日の、それもほんの少ししか話していない間柄と伺いました。本当ですか?」
麗衣が俺に問いかけてくる。
「ほ、本当です」
「なら、あなたはこの話はどう思うのですか?」
唐突な問いかけだった。俺は言葉に詰まる。
「一般常識に照らし合わせたら、おかしいと思うのが普通でしょう?」
「そうだよ。ぜったいにおかしいよぉ。男の人といっしょに住むなんて、なにされるか分かんないし、こわい」
イリアはだいぶ、俺への不信感が募っているようだった。
「確かに、急すぎる提案だと思う。依頼されたこちらにしてみたら、混乱するばかりです。けど、もしかしたら何かの事情があってそうしたのかもしれないとも思う」
俺は一つの推測をしていた。
この社長……そしてTALOSに感じていた印象だ。
「?」
俺は社長を横目で見る。社長は、目を泳がせていた。
社長という立場の人間は、数パターンの性格がある。ワンマン型、情熱型、理詰め型、運否天賦型、そしてそれらを混合させたものだ。
俺が見受けたところ、この社長はバリバリの情熱家タイプ、かつワンマン社長だったのだろう。自分の考え付いたことを意欲のままに推し進め、命令を下しながら思い通りに進めるのだ。
ぱっと聞くととてもいいひとのように思える。理想のリーダー像として挙げられやすいのがこのタイプだ。
だが、そこには落とし穴がある。そこに、極端なコストカットの概念や、部下・仲間を限界まで使役し尽くすという理論に行きつくと急激に現場が疲弊する。
つまり、俺の元居た会社のようになってしまう。
そんな危うさを、この社長に感じていた。
「TALOSに転換期が訪れたのだよ」
訳が分からなかった。娘たちも同じ気持ちだったようで、目を丸くしてポカンとしている。
「はっきりと話しておかなくてすまない。が、ずっと前から決まっていたことなんだ」
「決まっていたこと??」
「TALOSが海外に進出することになったのだよ」
「……海外展開、ですか?」
「そうだ。さすが、察しが早いね」
社長の思惑はすぐに分かった。TALOSは国内トップ企業でありながら、海外進出には慎重だった。理由は分からない。
「TALOSの国内事業はもはや煮詰まっていたからな。海外進出はずいぶん前に決まっていたのだ」
新進気鋭の企業で、急成長を遂げているからこそ国内での基盤を固めようということなのかもしれなかった。それは俺なりの推測でしかなかったが、当たっていたのだろう。
「どちらに進出されるんですか?」
「ロシアです」
麗衣が声を上げた。急に割り込んできた澄んだ声に、俺は体をひねってそちらを見る。
「TALOSはロシアに進出します。新しいお母様のために」
「まだ根に持っているのか?」
社長の言葉に、麗衣は唇をかむ。
なんだ、どういうことなんだ?
「進出先の国としてはアメリカ、中国も候補に挙がったのだが、あえてロシアとなったのは、妻のことがあったからだ」
社長がなだめるように言う。その言葉は、俺への説明と家族への釈明も兼ねているように感じた。
「私の前妻……麗衣と涼音の実の母には、辛い思いをさせてしまった。仕事に打ち込みすぎるあまり、不治の病を患い、娘たちの成長を見守り切ることなくあの世に逝かせてしまった」
社長の目は悲しく切ない色に染まる。
「あれは、私の罪だよ。もうあのような後悔はしたくない。今の妻……ユーリアは、私が何としても守り抜く。そう決めたのだよ」
「ユーリアママ、体が弱いんだよね」
涼音が珍しく声を潜ませ、言う。
「日本の土地があってないのか、体調不良になりがちなの。精神の問題って医師は言うんだけど、本当なのかな」
「ロシアは私の妻の故郷だ。妻の心のケアの為にも、ロシアの土地で療養をさせてあげたい。私がロシアに行こうと思ったのは、そのためだ」
「し、しかし、娘さんたちの意見は?」
俺は三人娘を見比べた。どの子も皆一様に表情が渋い。
「私は日本に残ります。私は国立大学に進学したいんです」
麗衣はきっぱりと言う。意志は固そうだ。
「うちもロシアにはいかない。モデルの仕事あるもん。卒業したらモデルに専念する。これ、もう決定事項ねー」
涼音は、ゆるゆるとした雰囲気で髪をたなびかせながら言う。
「わ、わたしも……ママには悪いけど、日本から離れたくない」
意外だったのはイリアだ。母親と離れるのはつらくないのだろうか。
「と、言うわけだ。数か月前に話はしてあったのだが、全員、日本から離れないという」
「気持ちはわかります。慣れ親しんだ土地で過ごした以上、違う土地に行きたくないのは当然ですよ」
「ああ。私もそれは分かっている。そうして悩み続けていた時に、君が現れてくれたということなんだ」
社長は俺の肩をぽんぽんと軽くたたく。
「君になら、娘を託すことができる。信用できる」
驚いた。というか、あきれた。いくら何でもこんな大企業の海外進出、そして家族のトラブルに、たまたま通りがかっただけの俺が巻き込まれるなんて、あまりにも非現実的すぎる。
「そ、そういう役割なら親戚が適役なのでは? 育て上げる役割なら、もっと近しい親族に……」
「私の親族はもっとも信用ができない人間たちだ」
社長はバッサリと一刀両断する。俺は二の句を告げなかった。
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