第2話 おっさんの救出劇って誰得だよ
俺はふらつく足取りでオフィスに戻った。深夜に差し掛かろうとしているオフィスには煌々と明かりがついている。
この部屋は場所が奥まっていて窓がない。外から見て明かりがついているとばれないようにする工夫らしい。建設法的に問題ないのかな、と思ったが、あの社長は好き放題なのでそんなの気にしない。
「……よう、進捗どう?」
席に座ると、同僚が声をかけてきた。
「……ぼちぼち。あとちょっとで半分」
「いい感じじゃん。その調子なら今日中に締められるんじゃねーか?」
「無茶なこと言うなよ」
「へへ。俺、まだ四割くらい。でもいいんだ、俺、これだから」
と、そいつは目配せしてきた。キーボードの下、そこには退職届がおいてあった。
「これ、控えな。もうとっくに出してある。」
「へ!?」
俺はつい大声をあげてしまった。周りの目が一瞬だけこちらに集中する。
その視線が引くのを確かめてから、俺はそいつに声を潜めて話しかける。
「いつまで?」
「さぁ? あの社長のことだ、許さんとか言ってなかったことにするだろ。でも、もうここには来ない。どーでもいいよ、こんな会社。明日からは俺、自由だ」
晴れ晴れとした表情をしていた。この会社に入ってから長いこと、つるんできた仲間だ。たまに都合があったときに飯を食いに行ったこともある。
ずっとそんな風にやっていくと思っていたんだが……
「おめでとう」
俺は祝福した。こいつはいい奴だ。俺とちがって社交的で、プログラミングの腕もある。どこにいってもやっていけるやつだ。
この祝福の言葉は、心の底からの、素直な感情だった。
「元気でやれよ」
「ありがとな、お前にそう言ってもらえると気が楽になるわ」
うーん、と背伸びをして、そいつは立ち上がった。
「最後に工藤にだけは伝えておきたくてさ。今までありがとな」
「それはこっちの台詞だ」
「お前、いい奴だよな。お前も早くこんなトコやめて、自由になれよ。じゃな」
スーツを整え、カバンを持ち、颯爽と立ち上がったそいつは、退職届はそのままに
「お疲れ様―、おさきに失礼しまーす」と、立ち去って行った。
多分、もうあいつとは会うこともないだろう。
友達と思っていた人との別れなんて、あっさりとしたものだった。
退職届の文字が、俺の目に突き刺さるみたいに見えた。
◇◇◇
「う、嘘だろ」
俺は愕然としていた。あの後、きっちりと仕事を終えて駅へと駆け込んだ俺は、蛍の光の音楽に急き立てられるようにプラットフォームに行った。
が、俺の家へと行く最終電車はすでに出てしまった後だった。
すっからかんな電光掲示板には、予定の便の表示がない。
俺はひとしきり立ち尽くしてしまう。背広が肩からずり落ちそうになり、慌てて戻す。
駅員が、ちらちらとこっちを見ているのは、早く出てってくれという催促だろう。俺はあきらめて道路に戻った。
夜の駅周辺はまだ眠らない。キラキラと光り輝き、多くの人が出歩いている。
俺はため息をついて、とりあえず寝床になる場所を探すことにした。
俺にはお気に入りのネカフェがあった。繁華街から少し離れた場所に店を構えている隠れ家的なそのネカフェは、好みのゲームが一定時間無料で遊べる。対戦型のゲームが好きな俺は、休みの日の気分転換にそこにいくこともあった。
今日は平日だし空いているだろう。会社から近いし、寝床兼気分転換で、そこにいくことにした。
そうやって歩き出して十分くらいたったころ。
俺は、少しの違和感を感じて立ち止まった。
「なんだ?」
遠くから煙が漂ってきて、ゴムが焼けるようなにおいが鼻をついた。
時間は深夜0時半くらい、場所は繁華街からちょっと離れた閑散とした場所である。人気はない。そんな場所で、何かあるんだろうか……
俺はそのまま歩き続ける。すると、目の前に衝撃の光景が広がっていることに気づいた。
「な、なんだこれ!?」
びっくりした。大型トラックとロールスロイスが、正面衝突していたのだ。
大型トラックが、斜めに横転して、ロールスロイスの助手席側にのしかかってきている。トラックの車体に押しつぶされるような形で、車体からは煙が立ち上っていた。
「こ、これは……大変だ!」
俺は少しの躊躇ののち、駆けだした。この深夜帯、閑散とした道だ。このせまっ苦しい道は、周りに公園とビルが何棟かたっているだけで人気がない。
誰も気づいていない可能性がある。
「け、警察……110だっけ、119だっけ」
焦りながら俺は警察に電話した。交通事故はどっちだっけ、と考えつつ、警察に連絡した。警察に場所を説明したら、警察はその場を動かないように指示してきた。
俺はその場で立ちすくみ、待つ。
が、もう一つ異変に気付いた。
高級車の座席が、トラックに押しつぶされそうになってる。
トラックが斜めになって、傾いていたのだ。その傾きは徐々に激しくなってきていて、このままじゃ高級車はぺちゃんこだ。
俺は遠くから駆け寄る。トラックの運転席のドアは開いている。大きいガラスの向こうには人影がないし、トラックの運転手はもう避難したみたいだ。
俺は高級車の扉に飛びついた。
「ちょっと! 人はいますか!? 聞こえますか!? おーい!!」
俺は車のドアをこじ開ける。
不幸中の幸いか、電気系統は死んでいないようで、運転手らしき人がカギを開けてくれた。
「た、助けて、下さい」
「ええ、手を貸します、つかまって!」
「う、ぐ」
壮年の男性が二人、運転席と助手席に一人ずつ座っている。二人とも、前のめりにうずくまるようにして突っ伏していた。
声を上げたのは運転手の人のようだ。彼は隣を気にしながら、ごそごそと這い出てきた。渋面にした顔には縦筋一本の血が流れ落ちている。
痛みはあるように見えたが、意識はあるようだ。ふらふらしていて力が入らないのか、道路に這いつくばり、ぐったりとしていた。
運転席の男性は見た目が五十代くらいの、執事風のおじさんだった。その向こう、助手席に座っている人は、ぱりっとした高級な服に身を包んだ紳士っぽい人だった。
「だ、旦那様は、気を失われております。お願いです、助けて下さい」
運転手の人は苦しそうにうめく。
俺はうなずき、運転手を外に逃がしてから奥へ手を伸ばす。
高級なスーツを身に着けた男性は、気を失っていた。この人、何者かは分からないけど、警察が来るまで待っていたら潰されて死んでしまう。
俺は強引にひっつかみ、おじさんを引っ張った。こんなの、見捨ててはおけない。
俺の悪い……かどうかは分からないけど……癖だった。本当に困っている人は、見捨てておけない。
そのスーツはつるっとしていて手が滑り、なかなか引っ掛かりがなかったが、両腕の脇の下に手を差し込んで上半身からずるっと引っ張る。
幸い、このおじさんは軽かった。そして、足のほうが挟まれていたりしていない。
ずる、ずると音を立てて引っ張ると、スムーズに出てきてくれた。
よし、いいぞ、このまま……そう思っていたら、ぎぎぎぎ、と音が響いてきた。
トラックが少しずつ落ちてきている!
「うおぉぉ、うぉおッ」
俺は力を振り絞り、おじさんを一気に引っ張り寄せた。
ぐい、という感覚と共に、おじさんがこちらに飛びだすように転がり出てくる。
俺は、おじさんを抱きかかえ、そのままもつれるようにしながら道路に仰向けになる。
直後。
バキバキバキバキ!! ガッシャアァァァ!!
そんな轟音が静まり返った空間に広がり、目の前のロールスロイスは完璧にぺしゃんこになってしまったのだった。
「なんだ、これ」
俺は呆然と、その場にしゃがみこんでいた男性に、そんなことをつぶやく。
真夜中なのに、なんだなんだと寄ってくる人の波が押し寄せる中、俺たちは警察が到着するまで、ひたすら呆然としつづけるのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます