ブラック企業に飼い殺しにされた『負け組』の俺が三姉妹お嬢様の家庭教師になって人生大逆転する
エルトリア
第1話 もう限界だぁ!
「も、もうダメだ……限界……」
俺は洋式トイレの便座に腰掛けながら、天井を仰いだ。
ワイシャツの襟元を指で広げ、汗に蒸れた空気を逃がす。
掃除が行き届いていて綺麗なトイレを使えるのは、一応この会社で数少ない長所だ。
オフィスの空気よりもトイレの空気ほうがまだキレイなのだ、ウチの会社の場合は。
もうろうとする頭で、もう何時間くらい会社にいるのかを計算する。
朝6時に出勤して、もうそろそろ22時だから……16時間か……
晩飯は食べていない。昼に自作のサンドイッチ詰め合わせを食べたっきりだ。
今日も晩飯抜きか……と、思うと、頭がクラクラした。
俺が勤務している会社は、都内のとある大手IT企業だ。
業界ではそこそこのネームバリューで、下請けとしてはまぁまぁと言ったところか。
会社の規模としては、一流企業には遠く及ばない。
二流……もやや厳しい。大量の案件を安値で請け、大量に消化し続けることで黒字を無理やりに作り出している会社だ。
借金とはまた違うが、自転車操業という言葉がぴったりのこの会社、そこそこの人数を抱えた中小企業、という恰好ではあった。
就職難の時代に、この俺が何とか潜り込めた会社である。恩義は感じているし、俺が頑張ることでこの会社が助かっているというなら、それは恩返しになるんじゃないか、と思っている。じゃなければ何年も続かない。
が、俺はそれでも、もはや限界に近付いていることを悟っていた。
「なんでこんなことになっちゃったんだろうなー」
俺は呆然と虚空を見つめ、一人で嘆く。
一応、大学は都内の一流大学の卒業だった。都内……いや、日本全国でも指折りの大学に現役合格、卒業まで留年などもなく、順風満帆だった。その頃の俺は、未来に輝かしい希望を抱いていた。
暗転したのは卒業後、俺が就職活動に挑んだ時だ。
勉強ばかりで人と交流するのが苦手だった俺は、面接官の問いに対して、しどろもどろな返答しかできなかった。当然、面接は不合格を繰り返した。
不運もあった。
希望していた企業との面接の日、交通事故にあってケガをしていた人を手助けしていたら、なぜか警察に引き留められて、そのまま半日以上拘束されたことがある。もちろん、企業面接には落ちた。
結局のところ、希望していた官庁への就職はおろか、公務員は全滅だった。
銀行や不動産も受けたがダメ、そして一般企業でも大手所は、全て面接で落とされた。
思い余って話し方教室に通ったりもしたのだが、目覚ましい改善はなかった。
そうしているうちに新卒と呼べる年を棒に振り、派遣とアルバイトで稼ぎながらの就職浪人となった。
景気回復傾向とはいえ、長期のデフレのせいで未だ不景気の波はあらゆる職業を覆いつくしていたのだ。
結果、俺は自分にあっている職業としてプログラマーを目指すことにした。
通信教育でJavaをはじめとするプログラム言語を学び、それなりのアプリを自作できるようになった。
いくつかのシステムエンジニアの募集に応募し、この企業に滑り込めた、というわけだ。
なにせ面接なし、筆記のみでの入社確定だったし、最悪、派遣やアルバイトで就職浪人も覚悟していたから、当時の俺はラッキーと思って即決してしまった。
それが、地獄の始まりとも知らずに。
この会社、どうしようもない欠点がある。それはずばり、超体育会系の企業だということだ。
社長がベンチャーからのし上がった人間なので、二言目には頑張れ、努力だ、根性を入れろ、仕事にやりがいを持て……となる。
ニュージェネレーションとか自称している五十代の社長の、押しつけがましい根性論と愛社精神のため、社員はみんな疲弊しきっていた。
常人は、押し付けられた仕事にやりがいなど持てない。仕事は稼ぐための手段で、社員は暮らしていくために仕事をする。やりがいのためじゃない。そんなの当たり前だ。
が、社長や重役はそれを理解しない。逆らうと、その社員がつるし上げをくらう。やりがいを感じさせるためと称して重責を与えて、結果、潰す。
俺がこの会社に勤めて数年、社員は入れ替わり立ち代わりで定着しない。無茶ぶりを押し付けてくる上司に我慢できず、だいたいの人は半年以内にやめるのだ。
そしてその理由を、根性がない、努力が足りない、などと言ってやめていった本人たちのせいにして逃げる上司たちのせいで、状況は改善しない。
なので、社員は俺のようなおとなしくて文句を言わない人が十数人、残っているだけだ。
みな、もくもくと仕事をしている。会社のためではなく、日常を守るために。
そうして、気が付けば毎日が終電間際までの残業、仕事漬けの日々となっていた。
当然、残業代は払われない。スズメの涙くらいの額は出るものの、都内の会社としては非常に少ない。
有給休暇は取ったことがない。そもそも何日あるのか、明細を見て思い出すくらいだ。
手取り年収は300万に届くかどうかだ。悪くない数字のようだが、日曜日しか休めない会社の構造上、まともな人生を棒にふるってのこの収入額は、あまりに少ない。部屋代と光熱費、食費などを払うと、貯蓄はわずかだった。
ずっと辞めたいとずっと思っている。けど、仕事に疲れ果てながら転職活動をするのは難しい。なによりも面接不合格の恐怖感が俺の中に淀みのように残っている。そのせいで、大胆な動き方ができないでいた。
「……そろそろ戻るか」
このままここでぐったりしていてもしょうがない。が、あの場所に戻るのはとんでもなくしんどかった。
俺は気合を入れて立ち上がる。足腰がギシっときしむのが分かった。
トイレの個室を出て、通りがかりに鏡の中の自分の顔を見て見る。目の下にクッキリと刻まれた黒いクマが、覇気のない顔に追い打ちをかけていた。
確実に限界を超えた、中年にさしかかろうとしている冴えないおじさん、それが自分であるという現実は、眠気にかすむ頭にも辛い傷跡として食い込んでいた
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