4-3

 この状況、僕はどうすればいいのか分からなかった。矢がよぎっただけで叫んでしまい、情けなくなる。

 体中に走る痛みを抑えながら、辺りを見回す。暗いからよく見えない。汗をぬぐって、ため息を吐いた。

「矢神!」

 汗だくの魔法少女が颯爽と現れた。僕はまだ、真実さんの術にかかっているようだ。気怠い体を起こし、頷く。

プール上りのような、何とも言えない気怠さが僕の体を蝕む。

「真実さんは」

「アイツは……まだ」

 ぐにゃぐにゃに視界が歪む。目の前の絵空さんはそのままだけれど、机が溶けてゆく。徐々に部屋の形が変わり、作り変えられる。スローモーションのようで、一瞬の様だった。

 けど何が変わったのか分からない。ここは僕が知っているはずの生物科室だ。だけど、何かがおかしい。真実さんは愛おしそうに化け物を撫でている。僕らを探す気はないのか。絵空さんは、座り込んで黙ったまま。微かに肩が震えていて今にも泣きだしそうだ。

「……まみ」

 少しだけ身を乗り出した。やめろ、と絵空さんが僕の服を掴む。部屋が変わったことに意味があるかと思ったけれど、異変は無さそう。に、思えた。

 ひゅん! と頬に矢がかすった。僕の傍にいた魔法少女は走り出す。怖くって、顔を出せない。真実さんの笑い声が耳に響く。その声はどこか切なそうで、心が痛んだ。

 僕はどうすればいいんだろうか。この場に留まる事が正解だろうか。いや、そんなことはない。動かなきゃ。真実さんと絵空さんの仲を戻さないと。

「って……!?」

 生温かな息が顔にかかる。そこには、化け物がいた。僕がさっき見た姿ではない。白と黒の大きな体で、お腹に顔がある。目玉はぎょろりと大きい。口は真横に裂けていて、数百ぐらいもある目玉が僕を見つめていた。これだけでもチビリそうなのに、奴の顔は酷かった。俗に言う「蓮コラ」のようだ。無数の目玉が蠢いている。背筋の震えと鳥肌が危機を知らせた。

「い、あ……!」

 ガチガチと歯が振るえる。このまま歯茎から歯が落ちそうだ。いや、数本落ちてもおかしくない。化け物は僕をジッと見据えていた。僕の目を、顔を、体を舐めまわすように。後退りをしてもヤツは動じない。けれど次の瞬間に何をされるか分かったもんじゃない。

 化け物はニタァと笑う。ボトリと蓮コラ目玉が落ちる。僕を嘲笑っている。

 何も出来ないと自分に言い続け逃げてきた僕を、嗤っている。

 不意に、フラッシュバックが襲った。

 いやだ、やめてくれ、思い出したくない。

 そう願っても嫌な情景は僕を包み込む。化け物は姿を変え、見覚えのある男子になった。

「ふぅん。キミは何を思い出すんだ? オイラに教えてよ」

 優しく首を絞められる。真実さんが僕の背後から抱きしめてきて、フラッシュバックを促す。

 あの時の記憶が蘇る。首を左右に振ったって、映像は鮮明に浮かび上がる。

 真実さんが僕の首を掴んだ。硬い音がする。でも痛みは無い。


 高校に入る前の、中学二年生のときがイジメのピークだった。

 とはいっても過激なことは無かった。ニュースで流れるイジメの内容と比べたら、マシに思える。

 僕は虫を食わされることも無く、服や教科書にノートなど私物に手を付けられることはなかった。暴力もなかった。代わりに、精神的にイジメられた。

 いじめっ子の顔と名前は思い出せない。だけど、僕にしてきた事は覚えている。きっと、一生忘れないだろう。周りの友達だった奴らも、僕は恨み続けるだろう。

 僕はみんなと違うだけで疎外された。矢神と居るといじめられるからって、みんな逃げた。唯一傍に居たのは、成瀬だった。泣いてばかりの僕を慰めてくれた。何度か庇ってくれたけれど、成瀬は庇ったせいで大けがをした。腕の骨を折ったのだ。

 変わろうと、馴染まないと意気地になった僕も悪いとは思う。

 だけど、目の前で人が殴られ蹴られても平気と言うのは、おかしい。

 酷い時は教室で蹴り飛ばされた。暴力を暴力で返すのは駄目だ、と必死に我慢した。フェアリズムの主人公である心音ちゃんは、叩かれたから叩き返しちゃダメだって言っていたし。殴ったら殴った方も痛い、と教えてくれた。僕の支えは、架空世界に生きる心音ちゃんだけ。だけど病院にいる成瀬の見舞いをして、現実を見ていた。

 しかし、僕は引きこもるようになった。するとどうだ。見て見ぬふりしてきた先生は顔色変えて家に飛び込んできた。心配する両親と担任の前で、ありのままのことを話しだした。後日、いじめっ子とその親が謝りに来ていた。でも僕は顔を出さない。この世にいない魔法少女と、会話をしていたから。

 教室に戻ると、相変わらず異端な目で見られた。いじめっ子は懲りたのか近寄らなかったけれど。友達だった奴らは何事も無かったかのように、話しかける。よぉ、元気だったか、と。成瀬はまだ退院していなかった。

 その頃からだろう。僕は魔法少女の幻影を見ていた。中学を卒業するまで、ずっと心音ちゃんは僕に笑いかけていた。僕は心音ちゃんと学生生活を楽しんだ。一時は病院送りにされかけたけど、どうにかなった。

 ただ、いじめっ子は気持ち悪いだのああだこうだ悪口を言いだした。僕にだけではなく、心音ちゃんにも。もしかしたら、それは幻聴だったかもしれない。けどありもしない悪口を信じてしまった。そして、僕が作った心音ちゃんは囁く。

『ここで痛い目に逢わさないと、ずっとイジメられるよ?』

 ありもしない影に操られながら、僕は、いじめっ子を殴った。金属のバッドは僕にとって重すぎる。けれど、グリップは手に納まり飛び出すこともなかった。ボールでは無く人の体を打ち続けていた。

 幸いなことに彼らは軽症で済んだ。どうやら僕の力が弱すぎたらしい。僕を恐れた奴らは、階段で転んだと嘘を吐く。そして、二度と僕にちょっかいをかけなくなった。

 心音ちゃんは喜んでいた。魔法少女の姿のままで、僕の周りを漂い、嗤っていた。


「面白くないね、君の過去は」

 するりと真実さんが離れた。首の回りが気持ち悪い。吐きそうになって、その場にうずくまる。でも空っぽの胃は静まっている。ゲホゲホと咳が出るだけだった。

「幻想に騙され続けるなんて、哀れだよ」

 落胆したような声だった。僕が顔を上げると、真実さんは悲しそうな表情を浮かべていた。が、すぐ醜悪な笑みを浮かべる。

「矢神……!」

 僕の目の前にいた真実さんが、割れた。いや、斬られたのだ。絵空さんが……魔法少女が振りかざしたステッキによって。だけどすぐに元通りになる。魔法少女は息を荒くしながら真実さんを射抜く。

「真実。その言葉、あたしに言ったの?」

「ん? あぁ……どうだろうねぇ」

「……だったら」

「オイラは、決めたんだよ。ユメを苦しませるって。だけど今のままだと足りない。もっと。もっとなんだ!」

 悔しそうに真実さんが叫ぶ。その拍子に、近くにいた化け物が吹っ飛んだ。僕は見えない圧力に押され、真後ろにあった机に体をぶつけてしまう。絵空さんは動じていない。

 僕の過去を見ても、悲しんだり怖がったりしていない。恐る恐る見つめると、絵空さんはにっこり笑った。今までにないぐらいの、満面の笑みだ。

「矢神の過去がどうであれ、あたしは矢神を軽蔑なんてしない」

 魔法少女――ではなく絵空さんが前に出る。歪んでいた空間が元に戻ってゆく。気持ち悪い感覚が僕を襲った。胃の中が掻きまわされているような、不快感が沸く。

 フリッフリの衣装が消え、代わりに小豆色のジャージが浮かぶ。ハーフパンツから伸びる足は人間らしい肉付きで、少し汚れた上履きが目に映る。

 いつもの絵空さんが、そこにいた。

幻想は消えうせた。僕らは現実に戻る。

だけど、真実さんはいる。何もせず、ジッとしていた。床に足は付いている。絵空さんの言葉を待っているかのようだ。

「真実。きっと、謝ったって許してくれないと思う。だけど、ごめん。怖かった。あの場で真実をかばっていたら、あたしまでいじめられるかと思って、助けられなかった。真実がいなくなってから、変わろうとしたけれど、あんまり楽しくない。真実がいないんだもの。……あんたが満足するまで呪ったり苦しませたりしてもかまわない。だって、それほどまで、あたしは酷い事をしたんだから」

 ふと視界が明るくなる。夜明けだ。

「……って、真実?」

 さっきまでいたはずの真実さんは、姿を消していた。

 今まで僕らが見ていた真実さんは幽霊とか幻と言った類だろうか。でも、確かにそこにいた。話していた。笑っていた。戦っていた。泣いていた。

 確かに真実さんの記憶はあるし叫びは頭に残っている。それなのに夢のように思えてしまう。

「絵空さん……?」

 ぼうっとする絵空さんに声をかけると、我に返ったように首を振った。

「夜明け、か。……帰ろう。矢神」

「え、あ……」

「帰ったら、お仕事頼んでもいいかな」

「お仕事、ですか?」

「眠いだろうけど、これで最後だ。……真実に謝りに行く」

 そうだ、真実さんは、朝が来ると消えてしまう。

 ただ、ぼんやりと声がした。


 負けたよ やっぱりユメには勝てないわ

 で、ユメに渡したいものがあるの

 あとお友達に謝ってくれないかな?


 あの場所で、待ってる

 ごめんね。ユメ。

 ――ありがとう、大好きだ


***


 幸い、久崎は起きなかった。あたしに背負われたままぐっすり、といったところ。寮に着くなり玄関に置いて来た。部屋で寝かせたかったけれど、彼女の部屋に鍵がかかっていたら色々と面倒だ。

 矢神は眠たそうに欠伸をしている。東の空がほんのり明るい。時刻は午前四時過ぎ。正直、疲労と眠気で立っていられない。けど、真実はあたしに何かを伝えたがっていた。朝の光で消える寸前、彼女はそこに来るよう言っていた。

 昔見た笑顔を浮かべていた真実は、やっぱり美人だった。

「記憶が正しければ……こっち」

「あの、絵空さん、どこに」

「あたしと真実の……思い出の場所」

 思い出の場所は、あたしと真実が初めて会話した所だ。生物科室からそこはよく見えていたし、そこを眺めながらお喋りをしていた。

 真実は「あの場所で待っている」と言った・

 他人にとってはどうでもいい場所だろう。だけど、あたしらにとっては特別な場所だ。

「真実は、ここを見ながら死んだのかな」


***


 着いた場所は屋外にあるベンチだった。そこは図書館からチラッと見たことがある。見るだけで使ったことは無い。そういえば不良たちもここにはいなかった。

 ベンチとテーブルは年季が入っているのか、所々ボロボロだ。絵空さんは何の抵抗も無くベンチに座る。

「あたし、矢神のおかげで気づけた」

「僕の、ですか?」

「真実は不器用だからね。俗にいうツンデレ? や、そんなことはないかな。……初めはね、夢だと思ってた。死んだはずの真実がいたんだもの。あの時に謝っておけば……こうにはならなかっただろうな。ずっと真実が悪いと思ってた。けど、あたしが悪かったの。見殺しにしたせい。

そもそも、怖かったんだ。真実はあたしを呪いに来たのかって。だけど違ったんだ。あの馬鹿は、きっと、純粋にあたしの夢を叶えてくれて……」

「ユメさんの?」

「……笑うなよ? あたしの夢は、魔法少女になることだった。けどこの現代じゃあ不思議なことが起きない限りなれやしない。妖精なんていないだろ。つまり、一生叶わない夢なんだ。それを真実は叶えてくれた。とっても歪んだ方法でね。懐かしいなぁ……ごっこ遊びしてたっけ。あたしが魔法少女で真実は悪役。なんだ、あの子、あたしと遊びたかっただけ? なんなのよ、もう……」

 泣きながら話す絵空さんに、僕は何て言えばいいのだろうか。いつものお堅い雰囲気はなく、ただの女子高生の絵空さんは、か弱く見える。

 東の空が眩しくなる。もう太陽が昇り切ったようだ。

「……ごめん、巻き込んだりしちゃって」

「い、いえ……その、僕も、自分の過去と見つめ合わないとなぁって思えましたし」

「大人しそうな矢神が、まさかあんな過去を持っていたなんて……驚きだよ」

 穴があったら飛び込みたい。そんな僕を余所に絵空さんは立ちあがった。

「……もう限界だろう?」

「眠いです。もうヤバいです、寝れます、今なら」

「ここで寝落ちは勘弁だ」

 寝ぼけかけた僕の手を、絵空さんが握る。一瞬で睡魔が吹き飛んだ。

「帰って寝るとするか」

「……はい」

 絵空さんは、机の裏に手を伸ばした。べりべりと何かを剥がしている。小さなダンボールに覆われた、何かだ。雨風で汚くなっているソレを、絵空さんは大事に抱えた。

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